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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



風邪
主人の風邪は、少しずつ落ち着いてきた
(ご心配下さいました皆様、本当にありがとうございました<(_ _)>)。
高熱は水曜日だけで、木曜にはほぼ下がり、金曜には出勤したがさすがにキツく、
金曜の夜には帰ってくるなり「酸素が足りない」「動悸がする」と言って寝込んだ。
私は、心筋炎になったか?と心配したのだが、
幸い「単に体調が戻っていなかった」ということだったらしく、
横になると、ほどなく体はラクになり、もうそのあとは動悸は起こらなかった。
昨日はやっと近所の内科に行って、抗菌剤と咳止めと総合感冒薬を貰って来た。
現状では、熱はなく咳も減って来たが、まだ倦怠感はあり、食欲も戻っていない。
ほか、胃が重い・眼精疲労を感じる・ケツのエクボに神経痛が起きている、
等々が現在の苦情だ。

英検ほか
きょうは英検の公開会場試験日だそうだ。受験なさる皆様、Good Luck!
私はいくつかの語学学習関連ブログを、時々見に行って自分の励みにしているのだが、
中には、英検やTOEICなどの試験に、毎回のように挑戦なさっている方々があり、
そのたゆまぬ努力と、変わることのない向上心とに、本当に頭が下がる。
特に、英検1級・TOEIC990・国連英検特A級など、
ほとんどの学習者にとってゴールであるような資格を、
一度、取得・達成したあとも、また続けて受験されている方々があって、
そうした方々にとっては、もはや肩書きが必要なのではなく、
勉強して受験し自分を試すこと自体が、
語学力を高めるための「修行」となっていることが感じられる。
……偉い。私にはできない。
受験料が惜しいという貧乏性も理由だけど、そもそも力の維持が出来ていない。
英検なんて今受けても通らんわね(殴)。

****************

牧場
しつこい私は、mixiから始まったゲーム類を、今も真面目に(笑)やっている。
サンシャイン牧場』は、次々と企画されるイベントの大半には乗らず、
ただ畑を耕し、何かを植えては収穫し、お金を稼いでいるのみだが、
毎日やっているので、じわじわとだがレベルは上がっている。
畑には、そのとき持っているものを植えているだけなので、
ひところは、アイテム袋に貯まっていた「ジニア」ばかり育て続けたし、
この先は、しばらく「コンテリクラマゴケ」をやっつけて行くことになりそうだ。
畜産は最近は、ほぼ「ぶた」だけでやっていくことにした。
見た目がぴんくで可愛いというのもあるが、
何より良いのは、「ぶた」の一生は適度に長く、扱いやすいという点だ。
産卵や出産の回数の多いものは、その都度、収穫せねばならないし、
しまいに「引退」する動物は、最後に車も呼んでやらないといけないので手間だ。
「ぶた」はそれがない。子ぶたが大ぶたまで育ったら、回収するだけだ。
私はもう何千頭という「ぶた」を出荷したのではないかと思う。「ぶた」長者だ。

ワイナリー
サンシャインワイナリー』はあれから結構コツがわかった。
「たる」が赤くなったり青くなったりして私を呼ぶのには、
ワインの種類によって○分おきというサイクルのあることを
同じワイナリー仲間から教えて貰ったのだ。
たとえば4時間で完成するワインなら、呼ばれるのは15分おき、とか。
だから、忙しくて面倒をみてやれないときは、醸造に12時間とか24時間とか、
長くかかるワインを選んでセッティングすれば良い、ということが判明した。
これなら、「たる」達が私を呼ぶ一回のサイクルが、45分おきとか90分おきで、
かなり長いから、つきっきりでいなくてもそんなに影響がない。
また、ワイン仲間が巡回して来て、うちの「たる」達のご機嫌を見てくれるし、
酵母菌を入れておいてもくれるので、私の留守間に結構うまく完成している、
ということも、あるようになった。感謝感謝。

まち
まちつく!』も続いている。
とにかくゲームのすべてが静止画像で進む、という点がよろしい。
最近は人口が17000人を超え、私は立候補もしていないのに「大統領」になった。
しかしこの地区は、依然として1500人単位で人口の減ることがあり、
引っ越しで出て行くのか大量死しているのか、私には謎だ。
また、半月ほど前に『空から隕石が降ってきました』と表示されていたので、
人民は無事だったのかと心配していたら、『人口+10』と報告があり、
怪我も何もしていないどころか、やじうまが来てそのまま居着いたらしかった。
とにかくたくましい人々であることがわかった。
また数日前には、『悪徳企業の脱税を摘発しました』とも報告された。
そいつらは、私の建ててやった幾多の「大型ビル」の、
どこかに入っている企業なのだろうか。
どうもこうも、なんとなく得体の知れない街であるのは相変わらずなのだった。

追記(1月23日):mixiのお友達が誘って下さったので、
『マジカルファーム2』というのもやることになった。

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主人が昨日、CSで『トリプルファイター』の一括放映を見つけ、録画した。
私がまだ全くテレビ嫌いでなかった、……どころかテレビが大好きだった、
小学校2年生の頃に、月曜日~金曜日の夕方に毎日10分ずつ放映されていた、
ウルトラマンと仮面ライダーを足して5で割った感じの特撮ヒーローものだ。
当時から、「なんか品質の良くない番組よね(^_^;」と子供心に思っていたが、
今になって見直す機会に恵まれ、そのチープさに改めて腹がよじれた。

ウルトラマン系のように大規模な都市破壊のセットは組めないため、
撮影は常に、誰も居ない野原とかビルの屋上で行われており、
しかも、仮面ライダーほどには乗り物に凝ることができなかったらしく、
敵のデーモン一味は、手軽な軽自動車を連ねて出撃している
(スバル360を黒く塗ったようなもので、一応、お揃い)。
昭和40年代初めのことで、舗装されている道も多くはないので、
デーモンカーは、ガタゴトと走行していてそれだけでドアが取れそうだ。

話の大半は、ファイターに変身する前の哲夫・勇二・ユリの三兄妹が、
デーモンの戦闘員たちを殴ったり蹴ったり絞めたりしていて、
どうして、腰に下げている飛び道具を使用しないのか、
なんで変身しないままで闘い続けているのか、さっぱりわからない。
尤も、戦闘員たちも刃物を持っているふうなのに、使う気配がなく、お互い様だ。
彼らは際限なく湧いてきて、三兄妹にやられてもせいぜい千鳥足になる程度で、
またすぐ立ち直って襲って来るので、この部分にはかなりの時間が費やされる。
そして親玉(第1週目はダークマン)が登場して、ちょっと暴れたのち、
黒覆面スバル360もどきのボンネットによじ登り、
ルーフ部分に腰掛けるという無理な体勢のまま発車、
空き地まで逃げ延びて言うことには。

 ダークマン「頭の良いヤツらだ。罠に気づきやがった。爆破しろ!」
 戦闘員「デビラー!!」
   ………ズトーーーーン!!
 哲夫・勇二・ユリ「罠だったのか」

……というあたり、吉本新喜劇だったらデーモン全員でコケるとこやぞ(^_^;。
どんだけ凄い脚本やねん、と今更ビックリだ(逃)。

哲夫・勇二・ユリはそれぞれ、グリーンファイター、レッドファイター、
オレンジファイターに変身することができるのだが、
考えてみると、変身したからと言っても、若干、殺陣の切れ味が良くなる程度で、
戦闘能力が特に上がったようではないので、変身のメリットはよくわからない。
このシリーズでは、三人は金曜日になると合体してトリプルファイターになり、
その合体のメリットも、またもやあまり明らかにされていないのだが、
ともあれ、三人が一人になってその週の怪人をやっつけることに決まっている。
私は小学校低学年だった頃、ついに登場したトリプルファイターの顔を見ると、
「いやん♪明日は土曜日ね♪」
と毎回、嬉しさがこみ上げたものだった。

物語そのものは、ヒーローものとして特に悪いわけではない。
敵のデーモン一味は昔、三兄妹のルーツであるM星という惑星を、
巨大ミサイルをぶちこむことで木っ端微塵にした悪の軍団で、
今度は地球を滅ぼそうとしており、
それをM星人の末裔である三兄弟が迎え撃つ、というのが最初の設定だ。
と言っても、三兄妹自身も最初は自分たちの出自を知らなかったらしく(爆)
哲夫が作成したコンピューターロボによって
そのことを教えられ、目がマジになっていた。

それにしてもデーモンは、惑星ひとつ消滅させる科学力を誇っているなら、
あれこれ作戦など立てずとも、地球だって吹っ飛ばすだけで良かったのに。
それを、なぜか毎週、ファイターたちと素手で組み合っていて、
あまりの正々堂々スポーツマンシップに、見てていらいらします(--#)。

三兄妹の基地には、アツシという少年が自由自在に出入りしているのだが、
この子がまた、どういう家庭の子で、三兄妹とどういう関係があるのか、
全く説明されないまま、話は進展する。
小学生なのにアツシはデーモンの戦闘員と取っ組み合いの闘いをしたりして、
結構強い、……というか、デーモンが弱すぎる(^_^;。
しかしいくら腕に覚えがあったとしても、義務教育中の子供が、
デーモンと闘うことには、やはり問題があるだろう。
三兄妹は、アツシを褒めたり可愛がったりしている場合ではなく、
きちんと親に言って、基地に勝手に来ないように指導監督して貰うべきである。

しかしそれはともかくとして、主題歌はなかなか優れていると思った。
♪コロナの果て 緑の城 僕らのふるさと~
♪トリオでー へんしん トリプルファイター
は、この先しばらく、私の台所の鼻歌になることであろう。
今となってはテレビ嫌いの私が、この先、第二週目以降を観るかどうかわからないが、
主人は見続けるだろうから、主人の部屋に行けばやはり今後しばらくは
トリプルファイターが流れ続けていることだろう(^_^;。

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年末年始は家族が家にいることが多く、
私の生活時間帯は主人や娘に合わせたものになったので、
ラジオもあまり聴けなかった。
それでサボり癖がついてしまった(汗)。
現状は、きちんとやっていると言えるのは
『まいにちフランス語』初級編だけだ。
これも、結局のところ自分にとっては易しいから、
中途半端な集中力でも余裕を持ってついて行ける、
というラクさ加減のお蔭で続いているに過ぎない。

またここに来て運の悪いことに、
フランス語の応用編は教材がインタビュー録音になったので、
そのままでは、とてもじゃないが私の仏語力では鼻歌交じりとは行かず、
つまり、シンドいために、だんだん、聞き流すだけになって来ている。
……よろしくない(大汗)。
更に良く無いことには、このインタビューの内容が、
私にはほぼ、興味が持てない(殴)。
Dominique Loraeu流シンプルライフは、
残念ながら私の生活感覚とは接点が少ないのだ。申し訳ない。
音声教材と割り切って聴けば良いことなのだけれど……。
しかし、写真の北村亜矢子先生は、本当にお美しいなと思ったり(逃)。

『まいにち中国語』入門編は、内容がとても親切なので気に入っているのだが、
主人の出勤時間によっては、ちょうどラジオが聴けなくなる時間帯で、
このところ、逃すことが増えてきている。
勿論、NHKのサイトでも一週遅れで聴けるのだが、
「これっきりしかない」という緊張感をもって放送時間内に聴く、
というのが私のポリシー(笑)でもあるので、
できるだけその日の放送分はその日のうちに消化したい。

つまるところ、お正月明けからの生活リズムの乱れが
ラジオ視聴時間に表れていると感じるので、
もとに戻さなくてはならないというのが今の課題だ。

**************

ところできょうは、なんだか変なところでチョムスキーの名を見かけた。
日本の原発事故に関連して何か発言していたぞ(^_^;?
彼のSyntactic Structures(1957)とThe Sound Pattern of English(1968)、
それに少し後のLectures on Government and Binding(1981)あたりは、
80年代の言語学専攻の者の間では避けては通れない論文で、
私の卒論も、例に漏れず、ああした文献が無かったら成立していなかった。
あの時分の私は、研究が好きで打ち込んでいたというよりも、
『まさに流行に乗っかったものを読んでいる自分』に、
自己陶酔していた部分が、大きかったように思う。
我ながら、鼻持ちならない学生だった(汗)。

果たして、さきほど『チョムスキー』でちょっと検索してみたら、
「大学の英語学科とかそういうところには、
彼の反体制的な側面に惹かれて生成文法理論を専門に選ぶ学生が過去には多くいました。
公立学校の英語教師という進路が多かったですね。」
という書き込みがあり、一言も無いでブヒ!な心境だった。

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・ころもんの熱はきょうは下がった。
高熱だったが、解熱剤も飲まずに一晩で平熱になったところみると、
とりあえずインフルエンザではなかったようだ。
しかしまだ咳がかなり出るし、胃も重いというので、きょうは欠勤した。
それで昼前に、買い物がてら、私が近所の内科に行った。
血圧を診て貰うのも目的だったが、主人がガスターだけのんでいて良いものか、
先生のご意見を伺いたいと思ったのだ。
……ったく、なんで本人が行かないんだよ(--#)。
幸い、先生は、
「熱が下がったのなら、風邪のほうは様子をみて良いと思いますよ」
「胃粘膜が弱ったのだろうから、当面、ガスターは続けて良いでしょう」
とのご意見だった。
市販品のガスターは、潰瘍治療で医師が処方するものの半量になっているそうで、
一週間程度、服用したからと言って、急激に副作用が起こるようなことはない、
とも仰った。良かった(^_^;。

・その、ころもんが「フレンチトースト食いたくなった」と言っていたので、
私は買い物の途中でパン屋さんにより、フレンチトーストを買った。
が、生憎それはころもんが思い描いていたものとは違ったらしかった。
「わし、ア○デルセンのが良かったな~。これは違う~」
と、ころもんは言った。そうだったのか。すまんかったな。
ころもんのフレンチトーストは○ンデルセン、っと。
これを機会に覚えるようにせねば。
ただの砂糖ではなく、メイプルシロップを使ったものが良いのだそうだ。
私は「食」への関心がほとんどなく、何を食べようが食べまいが、
無関係に楽しく生活できるため、申し訳ないがこういうことにひどく鈍感だ。
強いて言うならば、私が子供の頃から唯一持っている食物の基準は、
『板チョコはロッテのガーナが一番うまい』、これだけだ(逃)。

 追記:夕方、私の話を聞いて娘が、アンデル○ンまで出かけて、
 ころもんのために、フレンチトーストを買ってきてくれた。
 持つべきものは、娘だねぇ?

・このところ私は、あまりにも勉強をしていない。
もともとが趣味の範疇だから、やらなくても何がどうなるわけでもないのだが、
実質、『まいにちフランス語』の初級編しかまともにやれていない、
という状況は、さすがに駄目過ぎるだろう(汗)、と自分で思った。
今度の6月に仏検2級に再挑戦する、
……自分を縛るためにも(^_^;、改めて書いておく、これが当面の目標だ(大汗)。

・ニュースで読んだが、東大が5年後をめどに秋入学に移行する予定らしい。
東京大学そのものは、別にどういうシステムでも良いだろう。
入学に際して、学生の動機付けももともと強いし、社会的な評価も高いのだから。
しかし他大学は、安易に秋入学にしないほうが良いのではないかと私は思っている。
外国語学部系などの、留学が前提みたいな感覚の学生には状況が良くなるだろうが、
大半の学生にとっては、進路に関してのメリットが具体的に望めないのではないか。
だいたい、あんまり長く大学生をやっていると、人間が駄目になるよ(逃)。
時間がたっぷりあるとき人間がどれだけサボるものかは、私を見れば明らかだろう(爆)。
個人的には、大学の4年目は無くても実は困らないのではないか
(熱心な学生なら3年次後半にもなれば、専門に関しては修士レベルに手が届き始めるし、
もともと勉強しない学生にとっては、遊びの4年目に過ぎないだろう)と思うので、
海外に合わせたいだけなら、入学は現行の4月のままにしておいて、
4年次前期終了時の7月卒業を、学生の希望に応じて認めれば良いのにと思う。
これなら実質、在学期間は3年半で社会に出られる(或いは海外に行ける)。
従来の3月卒業を希望する学生はそのままで、4月から普通に日本で就職すれば良い。
日本に来る留学生だって、来た当日から日本人学生同様の日本語力ではないだろうから、
研究活動に耐えられる日本語力養成の期間を何ヶ月か過ごすとして、
最終的に7月卒業あるいは修了となれば、帰国後も何も問題はないだろう。
ただ、「それだと大学は4年次後期の授業料を取りはぐれる」と某氏が仰った。
それもそうだ。特に私学には死活問題かもしれない。
少子化で、今後の学生増はおよそ期待出来ないのだし、そうなると、
3年半で出て行ってしまうのと、4年(プラス半年?)いてくれるのと、
どちらがスタンダードになって欲しいかといえば、経営面では後者だね(^_^;。

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ころもん、じゃない、うちの主人が熱を出して、寝ている。
先週から風邪気味で、ここ数日、咳がひどかったので、
どこかで来るだろうと思っていたら、案の定だった。
夕方帰宅したら、38度9分まで行っていた(汗)。

仕事人の常として、
「じゃが、明日も忙しい。休むわけにはいかない」
と本人は言うのだが、なんと、その仕事のひとつに、
某病院で、あまり病状の良くない人に面会をせねばならない、
というのがあって、私は真面目に、
「それは、やめてくらはい」
と止めた。主人の体調を気遣ってというより、
入院中の先方および病院関係者すべてに迷惑をかけると思ったからだ。
どんな大事な仕事だろうが、高熱の人間なんか出入り禁止だろう。
要らんウィルスを外から持って来られるのが、病院は一番困るんだよ(--#)。

主人もさすがに我に返り、
「それはそうだ。まったくだ」
と考え直した。良かった(^_^;。

前にヒトのこと、死に神おんなと呼びやがったくせに、もう忘れとるのやな。

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17年  


娘は95年(平成7年)生まれなので、娘の年齢がほぼそのまま、
阪神淡路大震災からの年月の経過を示している。
きょうで、17年経ったのだ。

震災から二年過ぎた頃に、主人は奇しくも神戸勤務を命ぜられ、
私たちはそれまでの松江から、神戸市中央区の官舎に移ったのだが、
当時はまだ、市内のあちこちに、たくさんの仮設住宅があった。
避難所を出たあと行くところがなく、公園で暮らしている人たちもいた。
自宅がなんとか残った人たちにとっても、
「住めなくなった」という意味では、半壊は全壊と同じことだった。
賃貸住宅では、多くの場合、貸主も借主も被災者だった。
そして誰もが、物質的な損害にとどまらず、
更にかけがえのないものを失い、気持ちが癒やされることなど望めないまま、
不自由な暮らしと日々のトラブルとに対処せざるを得ない状態に耐えていた。
震災直後と違い、一見、平常に復して来たかのような市民生活の傍らに、
常にそのような絶望や不条理が隣り合っているという印象だった。

阪神大震災の2年後ですら、神戸があのように混乱していたこと思い出すと、
東日本大震災の被災地の現状については、言うまでもないことだろう。
勿論、神戸やその他の被災地域が、一歩一歩、復興に向かって進んだように、
東日本大震災からも今、一日一日、日本は立ち直ろうとしているさなかだとは思う。
しかしその過程には、やはりどうしても時間が必要だ。
私は今、被災地の方々の気持ちに添おうと努力すること無しには、
非被災地の者に何かが出来るとは、言えないと思っている。
自分の見聞の範囲で、何か一緒にやれることはないかと、
探し続けることは大切だが、その一方で私はいつも、
『包帯を巻いてあげられないのなら、
 むやみに人の傷にふれてはならない。』
という三浦綾子氏の言葉が、思われてならない。
それほどに、震災のあとの人々の状況は、個々に複雑で深刻であると思うし、
現地を見ていない者が、軽々しく口を出せるものではないと思っている。

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・主人が先週から風邪気味で、咳がとれない。
二日ほど咳がひどくて、先週後半にかけて一旦なおったように見えたのだが、
土曜日からまた咳が戻ってきてしまった。
倦怠感は多少あるが熱は全くなく、また時節的にも、
風邪なのかアレルギー(花粉症の始まり?)なのか、もうひとつ判然としない。
そして、いつものことだが、本人は容易なことでは医者にかかろうとせず、
おまけに、「寒ぅない」と言い張って、あまり着込まないし、
薬を渡しておいても飲むのを忘れるしで、まったく困ったものだ(--#)。

・先週半ばに、頼山陽 史跡資料館で「女筆」の展示を見てきたので、
その感想を書こうとずっと思っているのだが、まだ果たせていない。
見てすぐ途中まで書いたものがあるのだが、例の脱走犯の事件があったので、
UPする時機を逸して、下書きフォルダにしまい込んだままだ。
もう一回、展示を見に行こうかしらん(爆)。

・タケカワユキヒデの、60~70年代のデモテープをCD化したものが出ていて、
知っている曲が多く、出来心で買ってみたら、あまりにも面白くて驚嘆した。
今更過ぎて申し訳ないのだが、タケカワユキヒデという人は天才じゃね?(殴)
この話は、ちょっと簡単に済まないので、改めて書きたいと思っているのだが、
とにかく、彼の神髄はデモテープにあったか(爆)!と思ったほどの衝撃だった。
ご本人も凄いが、若き日の彼の録音を自宅で手伝ってくれていたという、
二番目のお兄さん(タケカワ氏は三人兄弟の三男)の、
ドラムやボンゴ、コーラスも、大変な出来映えで驚かされた。
更に当時のタケカワ氏は、自宅とは別に、一番上のお兄さんのマンションでも、
お兄さん所有のチェロやチェンバロなどを使わせて貰っては、
自分で演奏してデモテープのバックに録音しているのだった。
家族皆がピアノを弾き、自身も幼い頃からヴァイオリンを習い、
ゆえに鍵盤も弦も馴染みで、譜面の読み書きが自然に出来た、
という彼は、まるで、
「子供の頃、この世にピアノを弾けない人間がいることを知らなかった」
と言ってのけたバレンボイムさながら、仰天するような環境を当然の属性として
成長した人なのだということが、今回のCDと解説を入手してよくわかった。
ちなみにタケカワ氏は、祖父が裁判官、父親(武川寛海氏)が音楽評論家で大学教授、
母方曽祖父は、鈴木バイオリン創業者の鈴木政吉、
母方大叔父がヴァイオリン教育のスズキメソッドで有名な鈴木鎮一、という血統だ。
タケカワ氏の音楽から放たれる陽のオーラの理由が、理解できた気がした(笑)。

・デモテープといえば、大昔、友人の弟がYMOフリークで、
細野晴臣のデモ音源というのを聴かせてくれたことがあった。
聖子ちゃんに提供した、『天国のキッス』だったか『ガラスの林檎』だったかが、
あんまりにもかわいらしい歌い方で、まさにおじさんの「るんるん♪」状態、
細野晴臣のビジュアルが、払いのけても払いのけても目に浮かび、
友人とその弟と私とで悶絶したことを、つい思い出してしまった。
普通、デモテープは関係者しか聴くことがなく、オモテに出る機会は少ないが、
そこには、名曲の基礎となった最初のアイディアや、
作曲者のミュージシャンの、様々な顔が記録されていると思われ、
あの曲やらこの曲やら、ヒット曲とその作者のことを思うと、
最初に録音された音楽はどのようなものだったことだろうかと、なかなか興味深い。
ときに、この友人弟くんとは、この一件よりもっと以前からの付き合いがあり、
私は彼から、RCサクセションもスネークマンショーも、
そしてスーパー・エキセントリック・シアターも教えて貰った。
彼はある意味で、私の道楽の源流だ。足を向けては寝られません(笑)。

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午後から呉市文化ホールまで出かけて、
2012くれニューイヤーコンサートを聴いて来た。
金洪才・指揮による広島交響楽団の演奏で、
ピアノは三浦友理枝。

プログラムは、オール・チャイコフスキーで、
前半が歌劇『エフゲニー・オネーギン』より『ポロネーズ』、
バレエ組曲『くるみ割り人形』より『小序曲』『行進曲』
『こんぺい糖の踊り』『ロシアの踊り』『アラビアの踊り』
『中国の踊り』『葦笛の踊り』『花のワルツ』、
後半が『ピアノ協奏曲第1番変ロ短調』、
ピアノのアンコールが、同じくチャイコフスキー『四季』より『舟歌』。

前半はチャイコフスキーの定番曲から良いとこ取りをしたような選曲で、
メリハリもあり、とても楽しく聴ける構成だった。
バレエの曲であってもチャイコフスキーのは、舞踊作品の一部でありつつ、
同時に純然たる音楽としても鑑賞に耐える、
……というより、クラシック音楽としても超一級品だろう。
きょう演奏された曲目はいずれも、たとえバレエの振付を知らなくても、
音楽の力ゆえに、目の前に何か躍動的な、或いは表情豊かな情景が、
浮かんできそうなものばかりではないだろうかと、聴いていて改めて感じた
(その点、以前も書いたがミンクスやアダンなどの作曲家は、
単独で鑑賞されるような、曲として自立したものは書かず、
飽くまでバレエの振りを伴ったときに、最高の舞台効果を上げる作品ばかりを
書いた作曲家ではなかったか、と私は思っている)。

ピアノ協奏曲のほうは、ソリストが三浦友理枝だったので、
きょうは最初から大いに期待して聴きに行った。
三年前に、やはり広島交響楽団との演奏会で、
彼女がリストのピアノ協奏曲を弾いた
ときには、
どうも本調子とは言えないような出来映えで、残念な印象だったのだが、
きょうは彼女らしい、はつらつとしたところを聴くことができたと思う。

私はこの曲に関しては、ポゴレリチのCDを聴き込んでしまったせいで、
『この音とこの音は響かせて欲しい』『ここはこのテンポで聴きたい』
などという、変な欲求が前提としてできあがってしまっていて、
他の人の演奏を真っ新な状態で聴くことが、かなり難しくなっているのだが、
きょうの友理枝嬢の演奏には、ほとんど文句なしの爽快感があった。
この曲に関して、私としては希有なことだった。
やはり彼女の演奏は、私の感性に合っているのではないかと今回も思った。

オケについてもピアノと同様に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲に関しては、
私の頭の中にはアバドとロンドン交響楽団の演奏が刷り込まれているので、
正直なところ、自分の前提とは違うところがいろいろと耳についたが、
それでもきょうの協奏曲は、私にはとても心地よく聴けるものだった。
どの程度のリハーサルが可能だったものかはわからないが、
ソリストとの呼吸もよく合っていたと思うし、
互いにモチーフを提示しあうような箇所とか、掛け合いになる部分など、
不自然さがなく、実に気持ちよく聴けた。

呉市まで行くのは、やや遠かったけれども、行って良かったと思った。
振り返ってみると、これまでも、呉市文化ホールには
私は良い思い出が多いように思う。
呉まで出向いてでも観たい・聴きたいと思う公演を選んでいるからでもあるが、
それらがいつも、期待に違わないものであることを嬉しく思った。

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広島刑務所脱走:李受刑者を逮捕「刑務所へ帰る。疲れた」(毎日新聞)
『広島刑務所(広島市中区吉島町)から中国籍の李国林受刑者(40)が脱走した事件で、広島県警は13日午後4時35分、同市西区天満町の歩道で李受刑者を発見、逃走容疑で逮捕した。刑務所周辺には学校やマンション、商業施設などがあり、児童たちが集団登下校するなど住民を不安に陥れてきたが、県警は13日早朝から約500人態勢で追跡し、脱走から約54時間ぶりに身柄を確保した。県警は詳しい逃走経路や動機などを追及する。』

大騒動だったが、昨日の夕方、事件は解決を見た。良かった(^_^;。
彼は脱出には成功したが、結局、お友達がおらんかった(爆)。
なんとかいう犯罪グループの一員として仲間に手引きされていたなら、
もっと早くに、自動車で県外に出るくらいのことは出来ただろうが、
ひとりぼっちだったので、徒歩で行ける範囲で窃盗して凌ぐのが精一杯だった。
窓を壊して民家に侵入するという強引な方法だったようで、
ああいうことをされたら、我が家なども、ひとたまりも無いなと思った。
それに、果物ナイフを携帯していたそうだから、
どこかで悪いスイッチが入っていたら、更なる犯罪に発展していた可能性も
皆無ではなかっただろう。

身柄確保の場所は、うちの姑が入院していたことのある病院の近所だった。
私も数年前には、あのあたりまでマンションから徒歩で通っていたものだ。
すぐ近くに公園も小学校もあり、コンビニや商店もある住宅地だから、
その面でも、ひとつ間違っていたら、大変なことになっていたかもしれない。
かなりよく知っている風景が記事写真に出ていて、
「あのへんかぁ……」
と感慨深い(違)ものがあった。

……とは言いつつ、私自身は実のところ、この数日ごく普通に生活をしていた。
世の中、仕事も学校もあったし、買い物その他の用足しには躊躇なく出かけた。
飽くまで私自身の話に過ぎないが、自分の心理をつきつめてみるならば、
結局あまり気持ちが動かされなかったのは、
事件解決までに日数がかかるかもしれないと思っていたことと、
脱獄犯さえいなければ付近が平和かというと、そうでもないと思っていたこと、
などが、理由かもしれない。
何しろ、このご時世、そのへんの人からいきなり理由もなく刺されて、
「誰でも良かった」などと言われるのだから、
脱走犯がいようがいまいが、外を歩くとき、私は周囲の空気全般が潜在的に
『怖いっちゃ、怖い』のだ(にも関わらず「道訊かれ顔」で、
誰彼となくしょっちゅう話しかけられてるって、一体どういうこと(泣)!?)。

しかしそれとは別に、連日、この件がニュースのトップに出ていたものだから、
私なりに、脈絡もなくだが、いろいろなことを考えたりはした。
例えば、凶悪犯人とは言うが、私だって別に生き物としての種類が違うわけでなし、
今はたまたま、善良な市民をやっているけれども、もし何かあったら、
自分もあっち側の人になる可能性が絶対無いとは断言できないんだよな、とか、
この脱走犯は捕まったあとは、この件でまた裁判になるわけだから、
刑期が更に長くなって、さすがに事実上の終身刑になるのだろうかな、とか。

「刑務所へ帰る。疲れた。何も食べていない」
と容疑者は言ったそうで、刑務所を出ると行くところがないものなのだな、
ということも、私は改めて感じた。
この人の場合は脱走して来たのだから論外とは言うものの、
きちんと服役してから出所した場合でも、容易に居場所が見つからない、
という意味での厳しさは似通ったものだろう。
刑期を終えて出ても外ではやって行けずに、
またわざとケチな窃盗や恐喝未遂をやって警察に捕まるようにし、
刑務所に戻ることを繰り返しながら、余生を過ごしている、
という前科十数犯の男性の話を、私は以前、人づてに聞いたことがあった。
自分の起こした事件のために、社会的信用を大きく損なったことへの制裁は、
本人が引き受けなくてはならないのは当然だが、
仮に、更正する気持ちが強かったとしても、
世間は滅多なことでは、それを許さない仕組みになっている。
世間のほうが刑務所より、冷たく厳しい場所になることもあるのだ。

……と、それはともかくとして。
広島刑務所が、刑務所としてどうやらかなり抜けているらしい、
ということが、これで全国的に有名になってしまった。
これに懲りて、警備態勢については厳格に考え直して貰いたいものだ。
ちなみに、友人から聞いた話によると、身柄確保前、某ワイドショーでは解説の人が、
広島刑務所のある「吉島」を、「刑務所しかない島」だと誤解なさっていたそうだ。
いやいや、それは、ちゃうから。刑務所は、うちらへんと陸続きだから。
吉島は、普通に、マンションも病院もドンキホーテ(爆)もあるとこやから。
吉島が砂州だったことも確かにあったが、それは広島城築城以前の話だ(^_^;。

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ちょっと調べたいことがあって、YouTubeを検索していたら、
当初の目的からは外れて(笑)、いろいろと懐かしいものに出会ってしまった。
どなた様もこういうことは、よく経験なさっているのではないでしょうか(^_^;。

町田義人:赤い狩人(『キタキツネ物語』)(YouTube)
『キタキツネ物語』は、私が中学2年のとき公開になった映画だと思うのだが、
何しろ当時の私はヒドい田舎に住んでいて、映画館なんか行ったことがなく、
初めて全編、目にすることができたのは、79年夏にテレビ放映されたときだった。
私は動物モノに弱いので、キタキツネの家族の姿も強烈な印象として残ったが、
何より町田義人の歌が物凄くて、以来、私は夢に見るほど感動し、
サウンドトラックのLP(当時)を、町まで出てお小遣いをはたいて買った。
最近は、レコードを聴くことが簡単ではなくなっていたのだが、
今、ここで巡り会えたお蔭で久々に聴くことができた。
記憶に違わず、力の漲るような歌声だったが、それにもまして、
歌詞の素晴らしさが、このトシになって胸に染みいった。
キタキツネの、前を向いて進むことしか知らぬ姿、その健気で逞しい一生が
この歌詞と歌唱によって、実によく表現されていると思った。
ちなみに町田義人氏は、現在は残念ながら歌手活動をされておらず、
海外在住とのことで、公式的には詳細は明かされていないようだ。

布施明:開けてみれば愛(YouTube)
私は布施明氏のファンだったことは、実は一度もないのだが(汗)
この人の声は素晴らしいと、子供の頃からずっと思っていた。
最近になってテレビで聴いても、相変わらず見事な歌唱で、
やはり巧い歌というのは、時代が変わっても色褪せないものなのだなと感じ入った。
この曲は、70年代後半にテレビでやっていたサントリーのCMソングなのだが、
歌詞とメロディと歌手と、三拍子揃った名曲で、私には忘れ難いものだった。
レコード(CD)化されているかどうかも知らなかったが、
こういう完全なかたちで音源のあることがわかり、
三十年の時を経て出会えたことを、今回はとても嬉しく思った。

加橋かつみ:ニルスのふしぎな旅(YouTube)
80年に教育テレビでやっていたアニメだったと思うのだが、
『ニルスのふしぎな旅』の主題歌が、私はなかなか気に入っていた。
タイガースのトッポが歌っていたことは当時から知っていたのだが、
いつも画面はアニメーションだったし、オープニングは1コーラスだけだったので、
ご本人が歌われる映像、それにフルコーラスを、このたび初めて観ることが出来た。

ついでに、ワロてしもたのは、検索していて出会ったこの歌の英語版だ。
確かにニルスの歌で、間違いなく英語なのだが、
どーしてだか、ジャッキー・チェンが出てきそうな感じがする(爆)。
加橋かつみ:ニルスのふしぎな旅(英語版)(YouTube)
コメント欄にも「なんか中国語に聞こえる@@」とあり、
やはり皆、感じることは同じなのだなと可笑しかった。
よく聴けば、英語の発音はそんなに変わっているとも思われないのだが、
なぜかリズムが、チャイニーズ娯楽系ナンバーに聞こえるのだ(^_^;。

と、ここまで来たところで思いついて、もうひとつ、
ブラザーミシンのCMで松田聖子が歌った『縫うほどに、ロマンス』
を探してみたが、これは見つけられなかった。
聖子ちゃんのCDにも収録されていない、幻のナンバーであるようだ。
しかし何しろYouTubeだから、またいつか当時の音源が出てくるかもしれない。
そう考えて、これに関しては、しばらくは気長に待ってみよう。


……ときに、私のもともとの検索ワードが何であったか、
このラインナップを見ただけでわかった人は、結構、マニアであると思う。
私が最初に調べていたのは、そう、『タケカワ・ユキヒデ』だった。
ここに挙げた曲はすべて、彼が作曲してほかの人が歌ったものばかりだ。
私が、どうしてタケカワ氏について調べようと思い立ったかの話は、
いずれまた、改めて(笑)。

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