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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



依然として、『あれ以来、体調が悪い』というメールを
毎日、数通は頂戴している。本当に、このところ病人が多い。
『あれ』とは勿論、ポゴレリチの演奏会のことだ。

もしや、演奏会に関係のないハヤり病では!?と思いついて、
私は自分で自分の洞察力を褒めたい気分になりながら、
厚労省サイトの「定点あたりのインフルエンザ患者数」を調べてみたが、
5月11日現在、新型に限らずインフル全体でも、
警報レベルを超える保健所地域は全国でゼロ、
注意報レベルを超えるのがわずかに一箇所あっただけだった。
つまり全然、流行してなかった。
皆が寝込んだり熱を出したりしているのは、
やっぱり、ポゴレリチの演奏を聴いたせいなのか。

そして更に不思議なことに、私本人はどういうワケか、
これまでのところ無事だ。
いつだって不定愁訴のカタマリのような更年期おばさんなのに、
今回に限っては、まだ、なんともない。
それどころか、昨日、某カナダ人男性に久々に会ったら、
「ヨシコどうしたの!?凄くエネルギーに満ちあふれてる感じだよ?
先月会ったときは疲れて見えたのに、きょうはキラキラしてるよ!」
と開口一番に指摘された。

うぅむ(^_^;)。
あの猟奇的(爆)とも言える演奏を、短期間に三度も聴いて、
それでどうして私は、カナダ人もビックリのツヤツヤになるのか。
私は、ポゴレリチの演奏を実は全然、まともに聴いていなかったのか。
それとも、昔から自覚がある通り、私の性根は邪悪で性格は偏執狂的だから、
皆が病気になるような演奏に限って、性に合いすぎて元気になったのか。

アダムズ・ファミリーの使用人くらいには、して貰えそうな気分だ。

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今回のポゴレリチの来日公演は、反響がかつてなく大きかったと思う。
別に大規模な調査をしたわけではなくて、単なる私の側の感触だが、
5月5日以降、個人的に頂くメールの数が急激に増えたし、
拙サイトやブログのアクセス数も激増したし
(特に彼の来日期間中の当ブログの閲覧数は、だいたい毎日2500以上あった)、
ツイッターでポゴレリチのことを書くとリツイートされることが重なり、
フォローして下さる方の人数も福岡公演以後、倍増した。
また、mixiのIvo Pogorelichコミュのメンバー数も500を超えた。

これは、『ポゴレリチという人の演奏がなんだかとっても良かったから』
などというヌルい次元の話ではなくて、
彼のあまりの強烈さ、普通のピアノでは考えられないほどの異常性に、
このまま見過ごせないものをお感じになった方が多かった、
ということだと私は思っている。
『無視できないものをやる』と、ポゴレリチは99年に
アメリカでラフマニノフの2番を弾いたとき新聞で語っていたが、
それは、今も確かに果たされていると思う。

そして私自身が長く彼を聴き続けてきた理由も、きっとそのあたりにある。
私が根本的に求めているのは、うっとりと聞き惚れる音楽ではなくて、
こちらが強く正気を保たないと「持って行かれそう」になるくらいの、
極限の対決をつきつけて来る芸術のほうなのだ。
私にそのようなことをしてくれたのは、これまでポゴレリチしか居なかったし、
今後も、彼を超える人が登場する可能性はかなり低いのではないかと思う。


・・・などと、ゴタイソーなことを思いながら検索していたら、
日本に来る直前のエルサレム公演の記事を見つけた。
Brbljavoj sam publici u Jeruzalemu viknuo: Ušutite, niste u Knesetu
(Jutarnji list)

一枚目の写真の左側が、今回の日本公演にも同行されていた奥様、
そして小さい白いワンコが彼の愛犬、メスのミアちゃんだ
(前に見た記事ではMiraとなっていたが、ここではMiaと書いてある。
英語風には「マイア」かもしれない。元気そうで何よりだ)。
やっとスキンヘッドの写真が世間に定着しかかってきたところだったが、
思いがけず、このところのポゴレリチは、髪を生やしている。
海ボウズ頭だった頃、さかんに「出家した」と言われたものだが、
最近は「還俗した」のだろうか。
私生活もミステリアス、というか「よくわからん」人なのは
相変わらずなのだった。

(機械翻訳で読めたら、また内容をUPします)

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ポゴ・ファンのクロアチア青年から昨夜メールが来ていた。
『ヨシコ。僕らの敬愛するマエストロの日本公演は、どうだった?』

ウゲ。
今回はまた、ちょっとやそっとで語れないほどいろいろあったというのに、
『どうだった?』って、えらく簡単に訊いてくれるやないの。
しかも英語だよ英語。
先方もto-のあとが原形でなく過去形になっているオモシロい人だが、
私のほうの英語の不自由さは、それを上回る。

『我らがマエストロは、先週、無事に日本公演を終えました。
私はひとつのコンチェルトとふたつのリサイタルを聴きました。
コンチェルトはアメイジングで、5000人の聴衆が熱心に拍手をしました。
私が事前に予想した中で最大の成功でした。
マエストロのために、とても嬉しく、誇らしかったです。
東京のリサイタルは、これまで以上にエクセレントかつユニークで、
たくさんの人が喝采し、立ち上がり、大きな拍手が長く続きました。
でも怒っている人も寝ている人もいました。
福岡のリサイタルは、私にとってとてもエキセントリックでした。
なぜなら彼は、三時間、演奏を続けたからです。休憩なしに。
プログラムは東京と同じでしたが、演奏会の雰囲気はとても違いました。
マエストロは、あたかも狂った人であるかのように弾いていました。
たくさんの人が途中で帰りました。でもブラボーと言った人もいました。
友人と私は、とても感銘を受けましたが、同時に、怖かったです。』

・・・・・・。
おばさんの語る、「せんせい、あのね」だ。
が、動かし難い真実が表現できたことも感じた。

そのまま送信した(逃)。

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ポゴレリチの演奏会にお出かけになった皆様、
その後、お変わりはありませんか。
どうも、4月28日以降、ポゴレリチの演奏を聴いたあとから
熱を出したり寝込んだりと、調子を崩す方が続出しています(汗)。

***************

ブログやツイッターなどを巡っていると、
28日のデュトワ×ポゴレリチの演奏会以降、
3日のラ・フォル・ジュルネ、5日のリサイタル等々、
きっかけはそれぞれであるにしても、
「ポゴレリチを聴いたら熱が出た」「病院送りになった」
などと仰る方が散見される。

また、そこまで行かなくても、
「頭痛がした」「肩が異様に重くなって困った」
「なかなか眠れなくなった」「あまりの脱力で日常に戻れない」
等々、体の異常(爆)を記録なさっている方が少なくない。

それも、嫌悪感のあまりそうなったという例よりも、
ファンだったり、彼に肯定的な関心があったりして、
真剣に聴き込んだ結果、自分の調子が狂った、という話が多い。

あとは、彼の音が耳について未だに離れない、という方もある。
友人諸氏もそうだし、私も例に漏れず、今でも、
ラヴェルの「絞首台」が頭の中で反響していたり、
ショパンのソナタ3番の3楽章がエンドレスのように鳴っている。
聴いた人がその場で感動して涙する、という演奏は世の中、実は結構あるが、
苦痛を伴う後遺症が何日経っても続く、というのは一体どういう演奏会だ。

そんな中、3日・5日・6日と三連続で聴いたうえで、
残響はあるにしても案外元気で生き続けているワタシは
自覚のないまま、既にスカルボに血を抜かれて
あっちの世界の仲間になってるということか。
『(意識が途切れ、こんこんと眠って起きたら)
ポーの一族ならぬポゴの一族になってたりして』、
と楽しい妄想をなさっていたのは、イラストレーターのいとうまりこさんだが
いや~、あながち冗談でもなく、なんか変な実感があるな。
ちなみに彼女も発熱した人々の一人なのである~。

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今回もまた、たくさんのポゴファンの方々と
お目にかかることができて、大変嬉しく思っております。
お忙しい中、御連絡を下さいました方々、
会場でお声をおかけ下さいました皆様に、
心から、篤く、お礼を申し上げます。ありがとうございました。

一方で、何かと慌ただしく、いろいろと失礼のありましたことを
改めて心からお詫び申し上げます。
もっとゆっくりとお目にかかる時間が欲しかったと
後悔することしきりです。
私に全く計画性のなかったことが、失敗の原因です。
本当に申し訳ございませんでした。

**********

思いがけない出会いも、今回の嬉しい驚きのひとつとなりました。
5日のサントリーホールで、席に着いたときに、
通路から私の名前を呼んで声をかけて下さった方があり、
その方とはチケット掲示板で知り合ったお友達でしたので、
実際にお目にかかれてとても嬉しかったのですが、
そのあと、私の隣の席の方が、
「よしこさんですか。私、○○です」
と話しかけて下さり、これがなんと、「アンダンテ」様!

ポゴレリッチ・ピアノ・リサイタル 5月5日 サントリー・ホール
(ANDANTEの庭へようこそ!)

ポゴファン仲間として、いつも楽しいお話をお聞かせ頂き、
こちらからもあれこれとお尋ねしてご教示を願ったりと、
前々から大変お世話になっていましたので、この日も、
きっと会場にいらっしゃるだろうとは思っていたのですが、
まさかまさか、それぞれで買った席がお隣同志だったとは!
アンダンテ様、その節は本当にありがとうございました。


そのリサイタルが終わったあと、今度はサントリーホール楽屋口で、
ポゴレリチが出てきてサインをしてくれるかもしれないからと
ファン仲間で並んでいたとき、列の少し前のほうの女性が、
「転妻よしこさんですか」
と声をかけて下さいました。
この方は、93年の東京公演のときに偶然に会場でお話した某氏で、
まさか二十年近くを経てここで再会することになろうとは
全く、考えたこともありませんでした
(ちなみにこの日は、結局、サイン会はありませんでした。
ポゴレリチは演奏会後すぐ、福岡へ移動を急いでいたので)。

90年代初めはネットもメールもなく、私自身結婚で姓が変わり、
転勤につぐ転勤で住所も変わり続け(容貌も変わり果て・爆)、
某氏のほうも当時から長く海外にお住まいでしたので、
接点を持とうにも、糸口がほぼ完全になくなりかけていたのですが、
2005年に、某氏が拙サイトを見つけてメールを下さったのがきっかけで、
交流を再開することができました。
当時、某氏は、ドイツ公演の模様をお知らせ下さったりもしました。

14日のポゴレリチ@ドイツ公演
(2005年7月17日 ivo_at_the_ivories)

今回、東京でお目にかかれるは考えていませんでしたが、
私がこのブログに、「プリーツのセットアップスーツを着るか」
と書いたのを某氏がご記憶になっていて、
お声をおかけ下さったということでした。
本当に、ありがとうございました。

**********

思えば、イーヴォ・ポゴレリチという存在の御陰で
本来ならあり得なかったほどの大勢の方々と知り合うことができ、
交流を長く続けて来ることができたのだと、その有りがたさを感じました。
ネットというツールの有り難みも痛感しました。
皆様の温かいお気持ちと、ポゴレリチへの愛も、ひしひしと伝わりました。

何より、1980年のデビュー以来、実に様々なことがありながら、
今もこうして弾き続け、来日を果たしてくれている、
ポゴレリチというピアニストへ、
心からの敬意を表したいと改めて思いました。

ありがとうございました!

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年頭から思いつめ待ち続けたポゴレリチの来日公演が、
とにもかくにも無事に終わり、
目標がなくなった私は、昨日も今日もフヌケている。

昨日がA中高の体育大会だった転娘みーちゃんは、
一日中、照りつける屋外で、喋り倒し応援し日焼けし、
休みの今日は、安堵と鼻炎で、よれよれと過ごしている。

そして、心の拠り所だった連休が終わってしまい、
さらに広島カープ×阪神もロクでもない展開になりつつあり、
転夫ころもんも、今やはり、脱力している。


きょうの午後に限っては、ドロボウに入られても
多分気づかないであろう我々一家である。

そういえば今日は「母の日」だった。
実家の母にカーネーションの花束を贈った。
しかし家では、私には誰も何もくれないどころか、
「晩ご飯なに?」
と言われているだけだ。ちっ

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・3日5日6日と三度ポゴレリチを聴き、三度とも印象が違った。
とくに6日の福岡公演での壊れ方は、あまりにも恐ろしかった。
福岡だけを聴いた人の場合、東京でのリサイタルの感想を読んでも
「あんなヒドい演奏を褒める人も居るんだ」と呆れる可能性が高いが、
実は両者は、かなり別物だったことを私は主張したいと思う。
ちなみに私は6日がいわゆる「駄目な演奏」だったとは思っていない。
日常感覚では否定するほかない演奏だったとは思っているけれど。

・3日のホールAで、私は最前列のほぼ中央にいたのだが、
このような席を手に入れたのは、本当に「運」だけだった。
普通に抽選でアテたのだから。
チケットを初めて見たとき私は目がテンになった。
私はいつも、ある程度後ろから見ないと(聴かないと)
舞台がどうなっているか理解できないほうなので、
最前列は、これまで、むしろ避けたい場所だった。
しかし結果として、ポゴレリチのピアノを
あれだけ細大漏らさず直接に聞き取れたのは、良かった。
今考えても、3日と6日が同じ弾き手だったとは信じられない。

・5日と6日が同じ曲目・曲順のリサイタルでありながら、
かなり違う演奏内容だったことは、ご本人にも自覚があると思うのだが、
ポゴレリチ自身の評価は、どうなのだろう。とても興味がある。
福岡のほうがやりたいことをやれた、のだろうか?
それとも自分でも制御できないものがあって、ああなったのだろうか?

・6日の福岡のときは、曲が進むにつれて、どんどん観客が減り
会場からは、生きた人の気配が次第に消えていった。
あの暗い会場で、人の居なくなった後の座席が空洞のように、
あるいは墓碑のように、無言で増え続けていく様は怖かった。
そして残った人のほとんども、また、石のように動かなかった。

・一方で、一旦席を立っても、また戻ってくる人も中にはいた。
あの鬼気迫る演奏の最中にキジを撃ちに行っとっただけだった(爆)。
何曲目の後だったか、前方席までひとりの観客が歩いて戻ろうとしていて、
ポゴレリチは手を止め、その人が席に座り終わるまで、
舞台から無遠慮にじっと見つめていた。
『はっ、はやくっっっ!どこでもいいから座って下さい~~っ!!!』
と、こちらは血の気が引くような思いだった。

・3日には友人O氏が、5日にはS嬢が、チケットを家に忘れてきた(爆)。
KAJIMOTOの場合、その旨を受付で申し出ると、座席番号や予約番号、
予約時の氏名や電話番号などの情報のうち、判明しているものを手がかりに
購入履歴を検索してくれて、調べがついた段階で仮券が発行される、
ということがわかった。御陰で二人とも買い直すことなく入場できた。
ただし該当の席に、もし実券を持参した別のお客さんが来た場合には、
その人のほうが優先される、とも説明された。

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昨夜のポゴレリチのリサイタルでは、
まるで百物語を聴いている気分になった。
話がひとつ終わるごとにろうそくが吹き消されて行く。
いずれもかつて聞いたことのない、
有り得ないほど凄惨な話ばかり。
しかも語り手はたった一人。

このまま百まで行ったら確実に何かが起こる。
何が起こることになるのか彼は知っていてやっているのか?

……幸い、昨夜の話は90話あたりで終わった。
語り手が、もっと効果的な、更に恐ろしい百物語を
別の晩にやり直すことにしたからだ。

お陰で、きょうもちゃんと朝が来た。
とりあえず私も命があった。

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東京と同じプログラムで、しかも今夜は休憩無しだった。

夜7時に開演して耐久レースさながらの三時間。
耐えられずに途中で帰る人が結構いた。
客席が自然淘汰されて行く様を初めて見た(爆)。

東京と同じ曲目なのにまた違う弾き方だった。
彼の演奏は何通りあるのだろうか。

今夜のは、3D画像をメガネ無しで見続けた気分だった。
非常に陰惨な特殊画像を、これでもかと。

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大変なものを聴いてしまいました…。

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