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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このブログを見て下さっている方は先刻お察しの通り、
私は、イーヴォ・ポゴレリチの来日公演以降、ビョーキだ。
体のほうは最近になってひいた風邪だけだからまだ良いが、
頭と心のほうが、もう完全にポゴ氏に持って行かれたままだ。
短期間に三度も聴いて、天国と地獄の両方をとことん味わったのが、
あまりにも強烈すぎだということかもしれない。

それで私は今夜も、ふらふらとYouTubeを彷徨って、
何か掘り出し物がUPされていないかと探していた。
ポゴレリチの珍しい録音とか、海外番組の何かが無いかと。
まったく、もう迎え酒というか、毒をもって毒を制すというか。
こんなことしてたらよけい深みにハマるだけなんだがな。

・・・などと、バカなことを考えながら検索していたら、
ちょっと違うものに出会ってしまった。
Lovro Pogorelich plays Schumann Etudes symphoniques 1/3(YouTube)
イーヴォではなく、弟のロヴロ・ポゴレリチが弾く、
シューマンの『交響的練習曲』作品13。
ザグレブのリジンスキ・ホールで、今年の3月31日に、
収録されたばかりのものであるようだ。

ロヴロ・ポゴレリチは、兄のイーヴォより12歳下なので、
イーヴォがモスクワに留学したあとに誕生した弟であり、
イーヴォがショパンコンクールで騒動になった1980年には
ロヴロはまだ10歳かそこらの子供だった。
また80年代からイーヴォがロンドンに家を持ったこともあって、
その後も、兄弟はあまり交流がなかったと聞いている。
ロヴロは短いパリ留学期間を除き、一貫してザグレブ在住であり、
現在までずっとクロアチアが活動の拠点だ
(イーヴォのほうは今はスイスのルガーノに自宅がある)。

そのように、この兄弟は、年齢差が大きく経歴の共通点もなく、
恐らくは性格的にもかなり違っていると思われるのだが、
面白いことに、レパートリーは結構、似通っている。
それも決まって、イーヴォの手がけた曲を
あとからロヴロが追いかけるようにレコーディングしているのだ。

ロヴロのデビュー盤となったのはムソルグスキー『展覧会の絵』、
次に出したのがリストのロ短調ソナタで、
『展覧会』については後に再録音もしているのだが、
これらはいずれも、90年代にイーヴォが録音しており、
リサイタルでもたびたび取り上げてきた曲目だった。
そして今回のシューマンは、イーヴォがデビュー当時からレパートリーとし、
83年にレコードを出し、90年代にも演奏会プログラムに入れていた曲だ。

自分の志す分野で、きょうだいが先に名を成していたら、
私ならば、後から同じ傾向の作品を手がけることは断じてしないだろう、
と想像するのだが、芸術家には、そういう感覚は無いものだろうか。
兄の弾いた曲だからこそ、意図的にロヴロはこれらを選んだのだろうか。
それとも、全く兄を意識することなく、完全に単なる偶然として、
同じ曲を選ぶことになったのだろうか。
もしそうなら、兄弟の志向は実によく似ていると言わざるを得ないだろう。
そのあたりのことを、ロヴロ・ポゴレリチ氏にいつか訊ねてみたいものだ
(イーヴォ本人にご実家の話を振る勇気のあるヒトは現在、いないだろう・逃)。

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昔々、所ジョージが、
『今まででいちばんつらかったことは?』
と訊かれて、
ひどい風邪
と答えていたことがあったが、全く彼の言う通りだ。
風邪って、なんてつらいんだ(爆)。

私とほぼ同時進行で今週アタマから風邪患者となった主人は、
私より百万倍偉いので、昨日まで連日仕事に行っていたのだが、
ついに昨夜から咳が悪化して発熱、きょうは欠勤した。
やはりこの風邪は悪質なのであり、
騙しているうちになおるようなものではなかった。

私は今のところ熱はないのだが、依然として咳と鼻炎があり、
声も、男か女かわからない低音のハスキーボイスだ。
コレのせいで、このところ我が家に電話をかけて来た人が、
例外なく、電話口で戸惑ったり、息を呑んだりしている。
友人知人は、大抵、違う家にかけたと思って怯んでいるし、
セールスの人々は、出てきた私の性別や年齢がわからず、
口のきき方を瞬時に決められなくて困っている様子だ。

一週間早く始めた娘は、今、声も体調もほぼ問題なくなったが、
それでもまだ、軽い咳と鼻炎が残っている。
娘の状態が、だいたい「一週間後の主人と私」の目安なので
来週になったら、あの程度には元気になれるのか、
というのを励みに、今はひたすら我慢している。

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王者風範「波哥雷里奇」台中圓滿戶外劇場首度戶外公演
(台中日報 (在地人的News) 的部落格)

5月15日、ポゴレリチはアジアでの彼の初めての野外コンサートとして、
ショパンのピアノ協奏曲第2番で国家交響楽団と共演し、
更にソロで、夜想曲作品55-2と作品62-2、ポロネーズ作品40-2
それにソナタ第3番を披露した模様。

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風邪  


主人と私が今患っている風邪は、そもそもは娘から来た。
一週間前、彼女は発熱と鼻炎、咳などで学校を一日休み、
翌日には平熱になったので、声は戻らないまま登校を再開した。

つまり、今の私くらいの状態のときには、
もう不平も言わず、ちゃんと毎日、学校に行っていたわけだ。
エラかったなあ、と今更ながら思った。まったく遅ればせなんだけど。
声が出ないから、授業中指名されても、銀魂のエリザベスのごとく、
プラカードで『わかりません』『まちがえただろうが』とやるしかない、
とあの頃は私まで悪ノリして笑っていたのだが、可哀相なことをした。
どんなにしんどかったことだろう。

しかも、授業は毎日フルに七時間目まであったのだ。
「調理実習で棒々鶏を作って食べたときには、
ラー油を入れすぎて咽喉に染みて悶絶した」
「体育で持久走をしたときには、1キロ走らないうちに血の味がした」
と娘は述懐していた。

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イーヴォ・ポゴレリチは北斗の男であり、
ヴァレンティーナ・リシッツァは南斗の女である。
と以前もここに書いた。

ポゴレリチはその中でも言うなれば拳王タイプであって、
豪腕で力任せの破壊力が並大抵でないうえ、
秘孔を一瞬で逃さず突いて、内部からの破壊も促すのだ。
前者はその場で、そして後者はアトからアトから効いて来る。

私は今回、北斗の次兄トキのように、拳王のワザを
「受けて流す」奥義を発揮したつもりだったが、
やはり、かわし切れていなかったようだ。
演奏会直後は元気だったのに、今週はヨレヨレだ。
「きさまの筋肉はもはやぶよぶよの脂肪にすぎん!」
と看破してたのは、そういやケンシロウだったっけ。
まさにコレかよ。失礼な(--#)。

ちなみにリシッツァお姉様は典型的な南斗の使い手だ。
彼女が本気を出せば、シャオウっ!!と凄まじい切れ味で
私など瞬殺、数ミリ・スライスのロースハムにされるだろう。

Beethoven Appassionata Op 57 Mov 3 Valentina Lisitsa(YouTube) 
↑このリシッツァお姉様も譜面を置いている。ポゴ氏と同じ理由?まさか。

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ポゴレリチは台湾で国家交響楽団と共演の野外コンサートを行い、
更に今後、自分の演奏会と、マスタークラスも行う予定であるようだ。

鋼琴大師波哥雷里奇 今晚免費演出(聯合新聞網)

そのブー子が開運グッズだってか。
体のデカい男に限って、カワイイものが好きだな。

大師波哥雷里奇 難忘30年前華沙蕭邦鋼琴大賽遭淘汰(中央廣播電台)
(右上の音声マークをクリックするとインタビューのごく一部が聴けます)
自分が落選させられたことで、ショパン・コンクールの権威より
自分の名声のほうがずっと高まった、
・・・等々と、相変わらず不適な発言をするポゴ氏であった。

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右腎結石は有り難いことにあれから特には悪化せず、
「真っ赤な出血」「あきらかな発熱」がなければ経過観察でよい、
という主治医の言葉を思い出して、きょうは家でごろごろしていた。
ごろごろしていたい理由が、きょうは、あった。
風邪をひいていることがわかったのだ。

そもそも一週間前、娘が咽喉痛と鼻炎と発熱で学校を休んだ。
それは最近ちょっと見たことがないほど症状の出揃った、
由緒正しそうな風邪で、彼女のハデなクシャミや咳を見ていたら、
「コレは早晩、私にウツるだろうな」
と思った。そして、数日を経てその通りになった。
だからこれは、私の「病のモグラ叩き」の一種ではあるけど、
「あのへんの穴から、そろそろ出るやろな」
と思っていた通りの穴から出てきて、だのにやっぱり叩き損なった、
というたぐいのモグラだった。

ご丁寧にこの風邪は主人にも同時に行った。
スッキリした顔つきの娘を尻目に、昨夜から主人と私は、
一週間前の彼女とよく似た状態になった。
高熱だけはなかったが、咽喉痛と咳と鼻炎はソックリだった。

それでも仕事を休むわけには行かない主人と、
既に軽い咳払いと鼻炎だけになった娘とを朝、送り出すと、
私は布団に戻った。専業主婦の幸福を満喫、という気分だった。
いっそのこと、きょうは療養日にしよう、と思った。
しかし日の高い時間からそんなにグッスリ眠れるものでもないので、
旧式なCDラジカセを枕元に引っ張ってきて設置し、
ポゴレリチのこれまでのCDを片っ端から聴くことにした。
今の私は、彼の音楽以外、受け付けられないのだ。

・・・と思ったら、なんと、驚いたことに、
私は彼のCDでさえ満足できなくなっていた。
特に、ショパンのピアノ協奏曲第2番を聴いていると、
『そんなに気楽にサッサと通り過ぎちゃうの!?』
『このあいだの演奏は、ここ!と、ここ!を強調していたはず』
『なんで、こっち!の音がカーンと聞こえてこないの!?』
とだんだん、イライラが募り始めた。

なんというか、どのCDも、それなりに圧巻ではあったと思う。
本来、ポゴレリチの演奏は80年代から決して「気楽」なものではなかった。
昔から、彼は考えに考え、突き詰めた演奏だけを記録して来た筈だった。
しかし、もはやこれらはひたすら完成度の高い「楷書」にしか見えず、
それしか知らなければそれで済んでいたものを、
破格のスケールの「前衛書道」を実演で見せて貰った今となっては、
もう、昔の記録をなぞるだけでは満足できなくなってしまったのだ。

自分、聴き手としてどこまでポゴレリチに毒されているんだと
我ながらボー然とした昼下がりであった。
病、膏肓に入る、とはこのことだ。

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今朝、なんとなく背中が重苦しくて、目が覚めた。
筋肉痛とも違う、鈍い圧迫痛で、
起き上がってみたら、なおさら、それがハッキリした。

こ・れ・は。

私は医者に診て貰うまでもなく、一瞬で出どころがピンと来た。
石だ。右腎臓の。
15年前に尿管結石で七転八倒した経験があるので
私はあの痛み方を忘れていなかった。

わかったところで、どうしようもなかった。日曜だし。
仕方がないから手持ちのロキソニンを一錠飲んで、
それから思いついて、インドメタシン配合の湿布薬を貼った。

幸い、痛みは悪化しなかった。
だんだん和らいで、午後にはほとんど気にならなくなった。
夕方、血尿が出たので、自分の診断は正しかったことが判明した。

どうしたものかな。
いよいよ体外衝撃波結石破砕術を検討したほうがいいだろうか。
幸い、ポゴレリチの来日公演も無事に終わったことだし。

つくづく彼の来日の直前や当日にこういうことにならなくて良かった。
例の頭位目眩で寝込んだらどうしよう、ということだけ心配していたが、
そういえば私には、こういう持病もあったのだった。
何かひとつ心配していると、実際に起こるのはそれではなくて、
また別の病のほうだという……

まったく、モグラ叩きみたいに(--#)。

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美輪明宏の広島公演、『葵上』『卒塔婆小町』を観て来た。
近代能楽集より『葵上』『卒塔婆小町』

先日来、頭の中のポゴレリチの音がどうしても消えないので、
きょうはもう、「毒をもって毒を制す」状態(爆)。
美輪様くらいに強烈な存在感で迫ってきて下さらないことには
今の私は、フツーのものなどは受け入れる余地がありません。

・・・と思ったのだが。
三島由紀夫の、テッテー的な美的追求と修辞の驚異的な綿密さとが、
ますますポゴレリチの音の世界に重なり、私は目眩がしそうになった。
つまりシンクロしただけだった(汗)。
最後に老婆の小町が、青年に向かって両腕を広げたとき、
頭の中の、先日来の残響が倍加して、私は心底ゾっとしてしまった。
このタイミングで美輪明宏の濃密な芸術を、
しかも三島作品で観たのは、失敗だった。
今だから感じ取ることのできたものがたくさんあったのは確かだが、
私の心身の許容量を考えると、いささか危険だった。

**************

ところで三島由紀夫が割腹自殺を遂げたのは45歳で、
今の私と同じ年齢のときだった。
私は未だに、なぜ三島由紀夫が自殺したのか理解できていない。
檄文は読んだことがあるが、もっと丁寧に読解しなければいけなかったのか。
彼なりに国を憂えていたことは読み取れるのだが、
それは人前で自決して見せないと、主張できないことだったのか?

そう思って主人に訊いてみたが、
「あれは結局、ようわからんのよ」
と苦笑されただけだった。
仕方がないので、日頃から私が、その知識を頼みにしている、
国文出身の友人にも訊ねてみたが、
「そうでしょ。あれってやっぱ誰にもわかんないんじゃないですかね~」
と言われた。

そうなのか(汗)。

しかし真相が何であれ、三島作品の強烈なエゴイズムについて考えれば、
「死」についてもやはりこの人は徹底的である以外には考えられず、
all or nothingなのであり、「いい加減」は我慢がならなかった、
ということだけは、私の頭でも想像はできるような気がした。

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日本公演を終えたポゴレリチは、続いて、
International Chopin Festival 2010 に出演のため台湾へ飛んだ。
15日に台中、16日に台北、18日は高雄にて公演する予定らしい。
彼の通ったあとの日本各地では皆が寝込んでいるというのに、
ご本人はえらくお元気なのだった。
なんという迷惑な、・・・じゃない、勿論、大変結構なことだ。

そして12日に現地入りし、さっそく記者会見が台北で昨日行われた。
そのときの、彼の服装。

彼は昨日の記者会見に出席したが、
彼が着用してストライプのズボンを
赤いフレームのサングラス、カラーキャップ、
足ホリスター、中国の手のファンとの会見も非常に強力で、
赤いシャツ、赤いジャケット、赤いバックパックでの最初の行。

Yahoo!奇摩新聞(中時電子報5月13日付から日本語への機械翻訳)

もう今更驚かんが、着とるもんが可笑し過ぎるだろ(^_^;)。


しかし、注目なのは、ココではない。
日本のポゴファンが腰を抜かすべきは、次のくだりだ。
重大なことなので、こちらは
International Chopin Festival 2010 公式ブログから英語への翻訳で。

『Pogorelich also specifically declared
that next year there will be six months stay in Japan,
not only holds series of master classes to train rookie,
will also be planning the festival,
he serves as the opening and closing performances,
the other four games are invited to rookie musicians
to enhance the music of the cultivation in Asia』

機械翻訳は、正しいのだろうね?
the sixth monthとかsix weeksの間違いじゃないのか?
ポゴレリチは、『来年は半年間、日本に滞在する』、
『一連のマスタークラスを行うだけでなく、
若い音楽家のための音楽祭を計画しており
開会と閉会のセレモニーでは自らも演奏する
と語った、と書いてあるようなのだ。

・・・あの~、言ってもいいスか?それホント?
ラ・フォル・ジュルネに出てみたら凄く楽しかったから、
台湾へ行く飛行機の中で、突然思いついたことでは
(逃)?
それともアレか、マダム・アルゲリッチから、代演依頼のついでに、
温泉入りながら音楽祭って、極楽よ~
などと教えて貰ったのか(逃×2)?

・・・というのは、まあジョークとしても、
私の個人的な偏見も入っているが、どうもこのヒトは、
計画段階のことを早いうちから言い過ぎる傾向があると思う。
デビュー直後から既にそうで、当時各種雑誌のインタビューで語った、
今後のレコーディング予定は、その後実現しなかったものがかなりあった。
いちいち踊った私の身にも、なってみ?

しかし勿論、ポゴレリチにはそれなりの実績がある。
88年から、ドイツの保養地バート・ヴェーリスホーフェンで
97年までの十年間、自分の音楽祭を毎年行っていたのだ。
あのようなことを、今度は日本を拠点にやってみたい、
と考えたのだとすれば、それは実現不可能ではあるまい。
彼なりにその実務的な処理の方法もわかった上で言っているのだろう。


・・・とりあえず、そういうことを考えてくれた、
という点について、喜んでおくことにしよう。
彼の演奏で始まる音楽祭が、どんだけどんよりするかも、
今は考えないことにしよう。
実現したら追っかけますが、現時点では話半分。
なんといっても、ソースがそもそも機械翻訳だし(爆)。

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