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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
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HN「転勤族の妻よしこ」、筆名「山田亜葵」。家族は、転夫まーくん(またの名を「ツアコンころもん」)、転娘みーちゃん(1995年生まれ。首都圏在住。会社員)。
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初世・尾上辰之助 三十三回忌追善
歌舞伎・古典芸能
/
2019年02月07日 21時46分12秒
2月4日、二月大歌舞伎を昼夜、観て来た。
昼の部も夜の部も、初代辰之助の追善狂言が出る二月公演は、
私にとって特別な一ヶ月になると前々からわかっていたので、
初日が開いてすぐの時期と、可能であれば千秋楽近くに再度、
という具合に、今月は二度遠征をする計画にしてある。
今週のは、そのうちの第一回、のつもりで出かけた。
歌舞伎座に行ってみると、事前にわかっていたことだが、
正面玄関を入って左側前方に、亡き辰之助の写真が置かれていて、
香炉からは、ほのかな香りが立ち上っていた。
なんだってこんなところで「遺影」になんかなっているのか!と、
改めて、どうにも納得できない思いになったが、もはや三十三回忌なのだった。
86年秋の『テレフォン・ショッキング』出演が、私の、辰之助の最後の記憶だ。
その半年後に辰之助は再度倒れて助からず、父・二代目松緑も間無しに亡くなり、
遺児あらしちゃんが89年に14歳で藤間流六世家元藤間勘右衞門を襲名、
91年に16歳で二代目尾上辰之助を襲名……、
歌舞伎座で観た、花道を渡って来る燃えるような曽我五郎の姿を
私は今も、思い出すことができる。
あの日から数えても、早28年の歳月が流れたのだ。
あらしちゃんは健気にも立派に精進し、今や四代目尾上松緑、
父・辰之助の亡くなった年齢を既に越えた。
追善狂言は、昼が『義経千本桜 すし屋』『暗闇の丑松』、夜が『名月八幡祭』。
イヤホンガイドでは幕間に、81年の二代目尾上左近・初舞台の際に収録された、
松緑・辰之助・左近の三世代インタビューの、貴重な録音が流された。
昼の部『すし屋』の「いがみの権太」は、当代松緑には今回が初役だったが、
ニンに合った、小気味よいテンポの芝居で、なかなか良かった。
前半のやんちゃなところは若い頃のあらしちゃんを彷彿とさせ、
後半の「もどり」からは父を慕う真情と相まって、熱い舞台となった。
要所・要所をきちんと決め、緩急が見事で、
観客に印象づけるべき場面のかたちが大変に美しく、
演技的な要素のみならず、舞踊家としての松緑の長所も
ふんだんに発揮されていたと思う。
菊五郎による『暗闇の丑松』は圧倒的なスケールだった。
この役に賭ける菊五郎の思いを、私は丑松の周囲の暗闇の中に感じた。
辰之助が存命だった頃、若き菊五郎は相手役の「お米」を演じたものだった。
辰之助と菊五郎の組んだ舞台は数え切れないほどあり、
二人は生涯の相手役同士と、私は当時、信じ込んでいた。
その辰之助の訃報に、『一生分の涙を流した』との菊五郎の言葉が、
今月の筋書に掲載されている。
辰之助の早すぎる逝去が、菊五郎を公私ともに、
根底から揺るがすほどの出来事であったことは、想像に難くない。
そしてそれは、菊五郎にとって結果的に大きな転機となった。
あのときから菊五郎は、辰之助が生きていれば務める筈だった役を
二代目松緑らに教えを請い、無二の相手役になりかわるように、
ひとつひとつかたちにして、今日まで演じてきたのだ。
『暗闇の丑松』もまた、そうした役のひとつだった。
終盤に向かうほど、丑松の闇は深みと凄みを増した。
かつて菊五郎の目に映っていた、若き日の辰之助の丑松、
今の菊五郎が全身で造型した、亡き辰之助とともに演じる丑松。
このようなかたちで、舞台に辰之助を蘇らせることができるのは、
菊五郎の磨き上げた芸があればこそだった。
夜の部の追善狂言は『名月八幡祭』。
松緑にとっては二度目の「縮屋 新助」だが、
今回は盟友・辰之助のためにと、玉三郎が「美代吉」、仁左衛門が「三次」を務め、
まさにかつての辰之助の名舞台の再現となった。
酷薄さをたたえた、この世のものとは思えぬ美貌の美代吉と、
その彼女に指先までぴったりと添わせるような色男の三次が並ぶと、
そこには新助の入る余地など全くなく、彼の純朴さ・哀れさが際立った。
美代吉への、叶わぬ思いが場を追うごとに高まりを見せ、
頂点を極めたあと、終盤で狂気を爆発させるという劇的な見せ方に、
当代松緑の持ち味が実に良く出ていたが、
それはそのまま、亡き辰之助が得意としたところでもあった。
美代吉に騙され(玉三郎の美代吉は確かに「騙した」と思われる)、
花道でくずおれ、何もかも取り返しがつかぬと慟哭したあと、
一瞬「しん」と静かになって、次に顔を上げたときの新助の目は凄まじかった。
当代・尾上松緑の面目躍如!
松緑の後ろに、いつも辰之助が居ることを、端々に感じた追善狂言だった。
不肖の自分の命を、できるものなら父に差し出したいと、
松緑は今もしばしば言っているのだが、
松緑が舞台に立ち、役に命を吹き込むことにより、
父・辰之助もまたこうして、再び命を得るのだと私は思った。
それは、辰之助の血を受けた松緑でなければ出来ないことだ。
そして、追善狂言ではなかったが『當年祝春駒』の、左近。
辰之助がこの世で見ることの叶わなかった、彼の孫は、
まことに真っ直ぐな、正しく筋の良い芸風の少年へと成長している。
彼の踊った曽我五郎は、墨跡も鮮やかに匂い立つ楷書の如き出来映えであった。
ひとり息子をここまで育てて来たあらしちゃんを、どうか褒めてやって欲しい。
辰之助がいたら、この才気ほとばしる孫息子を、どれほど愛したことだろうか!
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