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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ホルストメールの生涯を通して、作者は馬の視点を借り、
人間社会を愚かさを暴露し、それを批判しているが、
同時にそこには、人間を含めた、この世に生きるものすべてに対する、
作者の深い慈しみと暖かい視線があるのを、私は強く感じた。

『まだら』の意味を知らなかった、いたいけな子馬は、
それを理解するより先に、まず過酷な現実に直面せねばならなかった。
人間たちは彼を『恥さらし』『百姓みたいだ』と罵り、
初恋の雌馬ビャゾプーリハも『あんた、まだらだもの。怖い』
と言い残して白馬の少年ミールイのところに行ってしまった。
彼に、世間並みの幸福が何一つ許されなかったのは、
彼自身がなんらかの罪を犯したからではなく、
ただ、彼が『まだら』に生まれついたためだった。

トルストイはこれを、直接的には、農奴の生き様として書いた筈だ。
トルストイの生きていた当時の現実社会において、
農奴を初めとする貧困層の生活の実態と、その改善への願いを、
おそらくこの作品の中に織り込んだものだと思われる。
しかし同時に、これは普遍的なテーマとしても読むことができるのだ。
『まだら』は、ほかの多くの言葉に言い換えることが可能だろう。

例えば、どこの国でも経てきたであろう人種差別、女性差別の問題、
或いは日本で我々が今も経験する、民族差別や差別の問題、
いずれの場にも、今もなお厳然として階層の別があり、不条理がある。
19世紀のロシア貴族だったトルストイの書いた、一頭の馬の物語の中に、
異国の異文化の中にいる我々が、今も容易に自分を投影することができる。
だからこそ、まだら馬ホルストメールの生涯が、我々の胸を打つのだと思う。

また、ホルストメールの中に信仰の物語を見いだすこともできるだろう。
生まれた翌朝、厩頭に後足を叩かれたことに始まって、
ホルストメールは生涯に渡って、人間や他の馬からの打擲を受けたが、
彼はついぞ、それらに暴力をもって刃向かうという発想を持たなかった。
彼は、公爵の与えてくれた僅か二年の輝かしい日々に感謝こそすれ、
病んだ彼を見捨てた公爵を恨んだことなどなく、最後まで愛した。
過去の栄光に奢ることがなく、逆境にあっても誰をも妬まなかった。
悲しみに心乱れることはあっても、明日を思い煩うことはしなかった。
その生涯の大半を誰からも顧みられず、何を主張することもなく、
ただ誠実に素直に生きた。
そして死後は皮や肉や骨のすべてが、あとに生きる者達の糧となり、
見知らぬ者たちの命となって受け継がれた。
ホルストメールは、一見みじめでも、堂々たる老馬だったのだ。
彼の生涯こそは、常に最も根元的なあり方で、
神の御旨にかなったものだったと言えるだろう。

これとある意味で対照的に描かれるのが、
彼の飼い主となったセルプホフスコーイ公爵の物語だ。
ホルストメールと出会ったときの公爵は、
軽騎兵将校としての高い地位と破格の年収、広大な領地を持ち、
美しくしなやかな肉体と何者をも恐れぬ気性に恵まれた、
輝くばかりの25歳だった。彼に心惹かれぬ者は無かった。
彼はまた、人を見る目も、馬を見る目もあったから、
百姓のフェオファーンを自分の御者頭に取り立てたのと同様に、
作業馬のホルストメールを買い取り、自分専用の乗用馬に仕立てた。
公爵はこの世の、ありとあらゆる幸福を持っていた。
しかし運命が狂い始め、それらを次々と失ったとき、
最後に彼は、何の役にも立たない、みじめで哀れな老人になった。
彼の持っていたはずの幸福は、実はすべてが虚飾であり、
何一つ、彼の魂を救うものでは無かったのだ。

(続)

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