転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「生まれたとき、私は『まだら』の意味を知らず、
自分を、ただ『馬』だとだけ思っていました」
と、老馬として語り始めたレーベジェフが、
ヴァイオリンの音楽のあと、ふとひざまづいて子馬時代に戻るのは、
本当に魔法のような瞬間だった。
なぜ、舞台の上の人間を私たちは「子馬」だと思うのか?
舞台にいるのは、70歳に近い男性で、簡素な上衣とズボンという服装、
厩を表すに足るほどのセットも無いというのに!

『ある馬の物語』を観ながら私が最も強く感じたことは、
演技というのは、視覚的なリアリティを追求するよりも、むしろ、
観る側の感覚を呼び覚ますことのほうが大切なのだ、ということだった。
「迫真の演技」というのが一般にあるけれども、
それは現実と寸分違わぬものをかたちで再現することではなくて、
観客の感覚を捉えて根底から揺さぶるようなものを、
場合によってはリアリティとは無縁の動きを通してさえ、
表現し得ることを指すのだ、と私は思った。

レーベジェフのホルストメールは、馬のメイクなどしていないし
(まだらを暗示する舞台化粧は、多少、施してあったが)、
見た目として馬を連想させるような、四つ足の動きもしないし、
衣装には、たてがみや蹄(ひづめ)に相当する部位もなかった。
御者頭のフェオファーンに手入れして貰う場面のパントマイムは、
ヒゲをそられたり靴を磨いて貰ったりする動きに近かった。
ホルストメールが馬橇を引いて街を颯爽と駆け抜ける場面は、
馬群を演じる役者たちのコーラスが、彼の軽やかな足取りを表現した。
競馬場での彼の競走は、見守る観衆たちの視線と興奮によって演じられた。

つまり、舞台上には、馬のカタチをしたものなど一切、登場しなかった。
例外は、馬役の俳優たちが片手に持っている尻尾の毛束だけだった。
にも関わらず、この舞台を難解だと感じた観客は、居なかった筈だ。
もともと、ソビエト時代、演劇は特別な階級のための教養ではなく、
ごく普通の、市民生活に密着したものだった。
なんらかの素養がなくては理解できないような、
抽象的で独り善がりの芝居など、支持を得られよう筈もなく、
庶民の素朴な視線に応えるために磨かれてきたのが、
この、ボリショイ・ドラマ劇場ならではの表現方法だったのだ。

パントマイムというもの自体、この舞台にあっては、
何かの動きをまざまざと見えるように描き出すから見事である、
という次元のものではなかった。
観客が、単にパントマイムとしての技巧に感心しているうちは、
それは芸ではあっても演技ではなかったのだ、と私は思った。
演技における本当のパントマイムとは、
ここでのホルストメールや公爵やフェオファーンがしてみせたように、
観客に何らかのパントマイムだということすら意識させないものなのだ。

ホルストメールの死もまた、パントマイムで演じられ、
彼の誕生の場面、競走の場面などが切れ切れに再現され、
死んでいく彼の上には、彼が生まれたときに飛んでいたのと同じ蝶が、
ひらひらと儚げに舞い降りてきた。
かつて、無垢なホルストメールはその蝶を見て恐れ、
「ママー!」と母親を呼んだものだった。
今、死に瀕したホルストメールは、その、元来た道を、
無言で、静かに、穏やかに、帰って行こうとしていた。

(続)

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