転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



そごう広島店の催事場で行われている『リカちゃん展』を見て来た。
昭和42年発売の初代リカちゃんから、現在の四代目リカちゃんまで、
何百体ものリカちゃん人形と、そのお洋服、ハウス、家具類が、
たくさん展示されていて圧巻だった。懐かしいものも随分あった。

私は幼い頃、リカちゃんのテレビCMに心をときめかせ、
たくさん持っている友人のところで遊ばせて貰ったりして、
しかし自分はなかなか思い通りには買って貰えなかった、という、
昭和30~40年代生まれとしては多分、典型的な女の子のひとりだった。
誕生日とか、クリスマスとか、そろばん検定試験の帰りとか(?)に、
親が寛大な気分になったとき、人形やその洋服を買って貰ったものだ。

初代リカちゃんの頃は、人形の体が硬かったのと、
股関節が、立ったときのカタチだけを重視した構造だったので、
椅子に座らせると、リカちゃんもママも大股開きだった。
髪を美しく結い上げた織江ママが、膝を伸ばし両足を90度に近く開き、
柔軟体操のようなポーズでソファに座っていたものだ。
ロングドレスを着せないと、やってられなかった。

そういえば、当時の家の近所に、
リカちゃんと合わせてバービー人形も持っている子がいたが、
少女体型かつ童顔のリカちゃんとは異なり、
アメリカ産のバービー人形は、いわゆるボン!キュ!ボン!で、
背も高く、顔立ちもクッキリしていた。
今、大人の目で見れば、バービーの格好良さもわかる気がするのだが、
子供だった私たちの間では、バービー人形はあまり評判が良くなく、
リカちゃんごっこをするとき、バービーの役は、
「怖い学校の先生」「意地悪な継母」「誘拐犯の女」とかだった
(これは全国的な傾向だったと見えて、同内容の逸話が、
『リカちゃんの少女フシギ学』(増淵宗一・昭和62年)に掲載されている)。

また、今のリカちゃんは、髪型をいろいろとアレンジできるように、
髪質が考えられていて、ヘアセットの道具もついているようなのだが、
私たちの愛した初代や二代目には、そういうことは無理だった。
二代目を買って貰った頃、私の初代リカちゃんはかなりくたびれており、
顔があちこち黒く汚れていて、髪も山あらし状態だったので、
あるとき、思い切って、髪を結い直してやろうと思ったのだが、
もとの髪型に都合の良いような向きに髪が最初から植え込まれていて、
クシでとかしてやっても、うまく行かなかった。
それで、キレた私は、初代リカちゃんをベリーショートにしてやった。
刈り上げて、その名も「カリちゃん」と改めさせたものだった。

私の手に触れていた、あの人形たちは、結局、どうしたのだろう。
引越や、家の改築などの際に、きっと処分されたのだろうが、
私自身は、我が家のリカちゃんの最後を記憶していない。
姑のいる特養で、いつもお人形さんを抱っこしているおばあちゃまが
ひとりいらっしゃるのだけれども、
私がもし、かなり高齢になるまで長生きして、心が童女に戻ったなら、
リカちゃん人形を貰うと嬉しいのではないだろうか、
と展示を見ながら、ふと思った。
それで、家に帰ってから娘にそう言ったら、
「わかったわかった。買ってあげよう」
と娘はいとも簡単に承諾してくれた。
思えば、この娘が、幼稚園の頃から全くリカちゃんなどに興味を示さず、
星獣剣だの獣撃棒ばかりを欲しがるので(@『星獣戦隊ギンガマン』)
『娘にリカちゃんを買ってやる』という代償行為が実現しなかったのだ。

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