転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ポゴレリチの1月20日の大阪と21日の豊田のリサイタルを聴いて、
私にとって最も強烈だったのはシベリウスの『悲しきワルツ』だったのだが、
今回、大阪に一緒に行った友人が、
「シベリウス、凄かったね!ポゴのは初めて聴いた!!」
と終わってから言っていたのがまた、なかなか印象的だった。
というのは、この友人とは2010年の福岡公演も並んで聴いたので、
『悲しきワルツ』は本当は初めてではなかったのだ。
この友人は、概して記憶力の良いヒトなのだが、
あの福岡公演が別の意味で凄すぎたのと、
この10数年の間に、彼の演奏があまりにも大きく変わったのとで、
同じ曲として繋がらなかったのだろう。

ポゴレリチは1996年から2016年までの20年間、CDを出していないので、
2010年当時どのような演奏をしていたかは、記憶を辿るほかないのだが、
私の中に残っている印象としては、2010年の彼の『悲しきワルツ』は、
拍感がフリーダム過ぎて三拍子に聞こえず、
どうかすると葬送行進曲みたいだった、ということだ。
また、ディナーミクの感覚も尋常ではなかったので、
(聴き手にとって)思いがけない音を唐突に強打するような弾き方がよくあり、
「……!?今、どっから音がした!?」
と驚くような瞬間が、しばしばあった。

それでも、私は筋金入りのファンだから、あの来日公演のときは、
東京公演でも、そのあとの福岡公演でも(←2回も行ったのだ。命知らずだった)、
どうにかして何かを聴き取りたいと願い、
「途中のあの、高めの音で旋律が出てくるところが来たら、
きっと、きっと、なんとかなるはず……!」
などと、解決を信じて待っていたのだが、
とにかく遅いうえにテンポが一定しないので、
どこをやっているのか、しょっちゅう見失い(聴き失い)、
挙げ句、いよいよ音楽が最高潮に差し掛かったときには、
「音でかっっ!!」「ふ、不協和音の束……!!」
となってしまい、心の中は大汗で、早く終わらないかなと思いつつ、
一方で、正体を見極めるまでは、まだ終わっては困るという思いもあり、
聴いているだけなのに、勝手に大混乱を来していたのだった。

あれから更に10数年が過ぎた今、あの演奏をもう一度聴くことができたら、
私は何を感じるのだろう。
残念なことに、時間は巻き戻せない、そもそも演奏会は一期一会だ、

……が、
……そうだった、「ようつべ」という有り難いものが、あったではないか(汗)。

私はそれに思い至り、さきほど、pogorelich valse tristeで検索してみた。

すると、果たして、あった。
福岡公演そのものではないが、時期的に結構近い音源が。
リンクを貼るのは差し控えるが、どなたでもご覧に(お聴きに)なれる筈だ。

怖いもの聴きたさで、私はそれを、再生した。
ら。

なんと。
意外と綺麗だ、と感じた、のである(爆)。
勿論、遅くて、拍感も普通ではないし、フォルテは突然の爆音で、
私の記憶は概ね正しかった。
にも関わらず、正直に言おう、それは音楽として美しい、と私は思った。
2004年から2011年頃まで、ポゴレリチの演奏は崩壊していたとか、
暗中模索の時期であったとか、皆も言うし私もそういう感じがしていたのだが、
現在の感覚で聴くと、――つまり、この演奏がこのあとどのように変化して
どう完成されて行くかを、既に知っている2024年1月現在の私が聴いてみると、
このとき彼が何を追求し、どの音を聴いていたかが、
私なりにだが、感じ取れ、理解できる感触があった。

そのまま聴き終えて、最終的に、純粋に、
「なんとも、これはこれで、実に、いい音楽だったんだな……」
と思うことができたのは、驚きであった。
あの頃のポゴレリチはinsaneであった。
こういう演奏に付き合わされる聴衆側の苦痛も、決して小さくはなかった。
それは今も否定しない。
今でさえ、生でこのテのものを3時間ぶっ通しで聴くのは厳しいかもしれない。
しかし同時に、彼の試みは、根拠のある、首尾一貫したものであったことも、
年月を経て初めて確認できたのだ。


いや、これはいよいよ私が骨の髄まで毒されて、
手の施しようがないところまで行っている、
ということかもしれないんですが(逃)。

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