転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



清志郎さん 生前書き記した「小説(?)」自宅から見つかる(スポニチ)
『不世出のロックシンガー忌野清志郎さん(享年58)の5回目の命日を来月2日に控え、生前に書き残していたノートが東京都内の自宅から見つかった。そこには、記憶にない実母への思いが書かれてあり、「ぼくに会って下さい」と実父に懇願する手紙の草稿もあった。』

『ネズミに捧(ささ)ぐ詩』という題をつけて、
清志郎が88年1月23日から書き始めた文章が、このほど見つかり、
来月2日の命日に合わせて出版されることになったそうだ。

清志郎が、母方の伯母夫婦にあたる方々に育てられたことは、
少し熱心なファンだった人なら皆、知っていたと思うが、
私の記憶違いでなければ、確か清志郎はそれを、
養父母から聞かされる前になんとなく感じていた、
と、いつだったか語っていたと思う。
そして、彼はそうした身の上を特別なことだとは考えていなかった、
という話もしていた筈だ。
昭和26年生まれの清志郎の幼少期には、戦争中に親を失ったり、
戦後の混乱で身寄りをなくしたりした人達が身近にたくさんいたので、
他家の養子として育つのが、それほど珍しいことだとは思わなかった、と。

それに清志郎は、養父母のもとで少なくとも不幸ではなかった。
高校生の清志郎が、寝坊して遅刻ばかりしていて勉強をしない、
大学へ行かずにギターでプロになると言うので心配だ、
等々と、母上(継母)が新聞の人生相談(!)に投書されたことがあり
(ちなみに、その記事の題は『ギターに凝るこども』(笑))、
80年代に都内某所のライブでそのコピーをファンから渡され、
清志郎が皆の前で笑いながら朗読してみせたのを、私は今でも覚えている。

清志郎が89年に『デイドリーム・ビリーバー』につけた詩には、
何か不思議な力があって、どうしてこの曲がこれほど胸を打つのかと
清志郎の生前には、私はまだはっきりとはわかっていなかったのだが、
今こうして一連の事情が明かされてみると、あの歌詞に込められた、
実の母上への彼の思いに、改めて打たれる気がする。
この世での縁は薄かったけれども、清志郎はのちに、
母上の写真を手に入れ、それをずっと大切にしていたということだ。
また、今回の記事内容からすると、06年以降療養生活に入ってから、
実の父上と温泉旅行をするなど、交流を持つことができたそうなので、
『ぼくに会って下さい』という願いは、この世で叶えられたわけで、
清志郎がそのような時間を持てたことを、私はとても嬉しく思った。

清志郎がこのノートを、公にせず手元に持っていたのは、
本人には出版の意思がなかったということではないのだろうか、
とも思うのだが、しかしイシイさん(夫人)が了承なさったのだろうから、
関係者が皆、故人となった今なら、この文章を世に出しても良い、
ということなのかもしれない。
しかも、この本の表紙イラストになるのは、
清志郎の愛娘の百世さんが描いたゴム版画
だそうだ。
私はその説明を知らずに最初にカバー写真の縮小版だけを見たとき、
清志郎の未発表イラストが使われたのかと思った。
かつて綴った私小説が、モモちゃんの力作に飾られて本になるのは、
きっと、清志郎を喜ばせることなのだろうと思う。

イラスト・ゴム版画作家 百世さんのHP:百の世界

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