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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



午後、半休が取れた(^_^;。ああああ~。
明日も朝からあるので、たすき掛け休暇にもなっていない、
文字通りの半休。でも無いよりもとてもとても嬉しい。

年末に買った花たちを、ついに片付けた。
長く、綺麗だった。楽しませて貰ったよ、ありがとうよ(T_T)。
そして、スイートピーの花束を買った。
今の時期、正月奉仕が終わる頃、
毎年、スイートピーを買っている。
この、ほのかな香りと、「正月が、できた…!」という感慨は
生涯、私の中でリンクしそうである(^_^;。

まだ行事全体として終了したワケではないのだが、
それでも、あの年末の絶望的な気分を思えば、随分ラクには、なった。
半徹の大晦日も、極寒の元旦も、超絶激務の1月6日も、
それら込みで全く自由になる時間のない、初詣期間の連勤の日々も、
もはやすべてクリアしたのだ。
イチから始めなければならなかった頃とは、もう状況は全然違う。

このあと、17・18・19日の週末が終われば一息つける(はず)。
そして本当の意味で、今年もついに正月をやり遂げたと安堵できるのは、
節分祭とその後始末が終わってから(の、はず)。
ゴールは、まだ先ではあるが、見えて来た。

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正月行事を思うと例年以上に憂鬱なので、
正月の花も実は2つ買った(^_^;。
きょうが私の、年末年始最初で最後の休日である。

今年は、12月28日が土曜日だったため
27日(金)が仕事納めとなるところが多く、
かつ、1月3日(金)のあとが週末につながるので
1月6日(月)が仕事始めとなる会社が大半になっている。
世間的には奇跡の9連休とやらで大喜びなのだろうと思うが、
村の弱小神社としては勘弁して戴きたい最悪の日程である。
なぜならば、1月6日にすべての地元企業の新年安全祈願祭が集中し、
朝から晩まで途切れることなく社殿と社務所がフル稼働し、
職員皆、食事どころかトイレもままならない1日になるからである。

もし三が日のあとが平日であれば、
4日から6日あたりに適当にバラけていたはずの仕事始めが、
今年に限っては、どこもかしこもこの一日に集中するのだから、
たまったものではない。
勿論、こうなることは、早くから予想できていた。
カレンダーを見ればわかることだから(^_^;。

ゆえに、私は夏前には交渉を開始して神職2名体制を確保し
(本当は3名にしたかったが、おひとりには最終的に断られた。
御自身の本務神社もこの日だけは午後まで一杯で身動きならないと)、
予約枠を朝から夕方まで15分刻みにし、隙間無く入れるようにした。
この、予約の組み方ひとつにしても、先着順にただ入れるのではなく、
希望時間が重なった場合に、どの団体を先に済ませるべきかとか、
時間的融通が利く会社・利かない会社とか、注意ポイントが各種あるので、
いつの日かこの仕事を誰かに引き継ぐときは、私は後任のために、
できるだけ簡潔なマニュアルを残さなくてはならないと思っている。
何しろ、私がタイムテーブルを組むようになってから、
「ものすごスムーズになった!!」
と総代会幹部から絶賛されたのである(ほぼ自画自賛!!)。

ともあれ、そのコダワリの組み方で予約を受け、枠を埋めて行き、
予約時刻・団体名・連絡先・授与品内容、等を
オンラインのカレンダーにUPして、幹部はいつでも見られるようにし、
12月半ばに予約枠が全部埋まって、完売御礼、じゃない受付終了となり、
カレンダーが確定となったので、エクセルで表にして、
A3でプリントし社務所各所に貼り出した。
頒布の巫女さん用にも、日程表と授与品一覧表をつくった。
予約分の授与品は昨日の作業で、会社ごとに分けて準備をした。
やれることは、全部やった、はずだ……orz

「おまもり買いたいんですけど、年明けは何日から開いてますか?」
とさきほど、脳天気なお問合せがあり、私は噴火しそうだった。
『年明け』って何月何日を想定してます!?
大晦日も正月も!そのあとも、ずっっっっと!!休みません!!!
巧く行ったら、新年初休暇は1月16日という予定である。
ここに何か入ったら1月20日まで埋まっているので、
1月21日が初休暇だろうよ(T_T)。
(でもどこか途中で半休は取れる筈。期待している!)

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昨年は父の喪中、今年も母の喪中ということで
2年連続、玄関の注連飾りなどはつけていないのだが、
お正月の花だけは、買った。
日比谷花壇のオンラインで、デザイナーズアレンジメントを。

私は、年を取るほどに、花を眺めることが好きになった。
もともと母の日や新年、連休などに花を飾る趣味はあったのだが、
コロナ禍のさなか、外出自粛で長く家に居た頃、
道楽遠征がなくなり小遣いが貯まったので、
欲しいと思った花をいろいろと買ってみるようになり、
以来、意識的に、月に一度程度、花束を求め、
特に新年には、正月労働で自分がつらいせいもあって(^_^;、
年々、「自分比では贅沢な、かなりイイ花」を選ぶようになった。
普段は花束で買って自分で花瓶に活けるが、
お正月用だけは、プロの作ったアレンジメントで買うのがイイ。

自分にとって、ちょっと非日常と思えるレベルの花を手許に置いて
枯れるまでの間、毎日、ためつすがめつ、愛でるのは幸せな気分だ。
遅くまで働いて帰って来ても、良い花が家にあり、一角が華やいでいると、
その瞬間、癒やされ、疲労や不機嫌を持ち込まないで家に入れる。
それくらい、花というものは今の私にとって大きな意味がある。

ただ、「工夫を凝らして育ててみたい」とは全く思わず、
一定期間、眺めて、終われば処分、というのが私の性に合っている。
つまり切り花専門(^_^;。根の付いた鉢モノはNo thank you。
植えかえては育てていると、増える一方で、
窓辺やベランダが散らかるし、私の手に負えなくなる。
新しいのが来て、終わって、また次のが、……というサイクルが重要だ。

……という次第で、このあと、怒濤の連勤術師となるワタクシを
この迎春アレンジメントが助けてくれる。
花というのは、本当に有り難いものだね(^^)。
心の中だけ、雅で、めでたい、お正月がやって来る!

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12月になったので、クリスマスのイメージの花を買った。
西方教会においては12月1日から待降節である。
ポゴ氏はカトリックだから、この考え方で良いのだと思うが、
Facebookに集うThe Cult Fan Clubの仲間は東方教会の人も結構いるようで、
彼らはユリウス暦なので、新年になってからクリスマスを祝う投稿を毎年見る。
私にとって何かが「明ける」のは、神社奉仕が一段落する1月10日頃だが(^_^;。

現状は、年末年始に向かって神社仕事が忙しくなって行くだけなので、
クリスマスだから何かが楽しいということは全くない。
しかしそれでも、初詣対応で食事もままらならない真っ最中に、
介護スタッフさんからの電話がかかってきて、
両親のどちらか・場合によっては両方の、具合が悪い、
等と知らされていた頃を思えば、今は、格段に心が軽くなった。
施設や病院からの電話を心配せずに夜眠れるようになり、
私はこのところ、およそ6年半ぶりの、解放と脱力を味わっている。

折しも、きょう明日と二連休を実現させた。
8月にコロナ罹患で蟄居したとき以来ではなかろうか、連休などと!
きょうも明日も、何時何分どこそこ、
の予定がただのひとつも入っていないなんて、夢じゃなかろうか。

舅姑も実家両親も亡き今、次は我々が老夫婦&隠居になる番だ。
いずれ、また昔のように、居間にクリスマスツリーを飾ったり、
この時期の街のイルミネーションを愛でたり、
クリスマスミサに与り、聖歌に浸ったりできるようになりたい、
というのが、私の、目下のささやかな夢である。
(話がカトリックなのは、近所の世界平和記念聖堂を想定しているから)

初詣の季節にしても現状は、大晦日から1週間は社務所に詰めているために、
早朝から夕方までずっと、時間に追われ電話が鳴り続け、
ケツに火がつき、片頬片瞼が痙攣している有様だ。
御飯は5分でカップラーメン、ロキソニンとリポD固め打ち、の約十日間。
あの期間中は、次の季節が何で今が何月何日なのか全然わからなくなる。
そんなのではなく、たとえば年越しの瞬間を落ち着いて迎えるとか、
初日の出を拝む等をして、新年にあたり、自分の気持ちと向き合い、
ちゃんと「お正月だな」と感じて、氏神さまに参拝できるようになりたいのだ。

そういう意味で、私が近年で最も幸福だったのは、コロナ禍の日々だった。
どこへも行かなくていい、人から呼び出されない、何も要求されない、
家にいればよく、黙ってひとりで過ごせる時間が限りなくあり……。
かくなるうえは、老後の日々を、少しでも長く過ごせるようでありたい。
世の中が活発に動いているのは全然構わないので、
私は敢えて、自分の意思で、そこから取り残される自由を甘受したいのだ。
専業主婦だった頃は、家庭内には私の心身の小さなゆとりと、
季節の移り変わりを味わう潤いのようなものがあった。
あの気分を、できるなら、あと何年かのちには取り戻したいと願っている。

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22日に、前夜からの大雨もあって急に涼しくなり、
素晴らしく過ごしやすくなった。
最高気温が30度前後にまで下がり、
――とはいえ、昭和の昔ならこれでも真夏の気温だが、
連日35度超に慣らされた今、ここまで下がると快適で、体が動く動く!
御蔭で、神社作業の多かった22日と23日は、超快調に仕事がはかどった。
「暑くない」というだけでこんなにラクなのだ、と思い知った(感涙)。

昨今の猛暑の中、外仕事を昔どおりに夏の間も続けることは、
我々が思っている以上に、もしかして体に悪いことなのでは……。
長期的に見て、健康を深いところで損なっているのではないか、
という気が、しきりと、した。
ほかに選択肢がないために数ヶ月単位であの暑さに耐えてきたが、
そのことが実は相当な負担であったのだと、
気温が下がった今、しみじみ体感できたからだ。
大半の人は熱中症になっていない・死んだ人はいない、
だからこれまでどおりでいい、
……というものでは、もはや、ないのではないか(汗)。

ともあれ、気温が下がったので久しぶりに生花を買った。
ようやくエアコンの要らない季節が巡ってくる!
ありがたいことだ。

****************

私がコロナで療養していた8月下旬に叔母が亡くなり、
数日前、その夫の叔父も亡くなった。
ふたりとも80代で、以前から病気療養中ではあったが、
夏の暑さが病身にこたえたか……。
ひと月を経ずに、従弟宅では葬儀を二度、出すことになった。
前々から仲の良い御夫婦だったので、
叔父が一緒に行きたかったか、叔母が迎えに来たのかもしれない。

叔母のときは、コロナの私(^_^;は参列を控えたが、
このたびの叔父の葬儀には通夜祭から参列した。
叔父はうちの父の弟で、やはり神社神道なので、神葬祭であった。
数珠や念珠は要らない・焼香がない(玉串奉奠+音を立てない柏手)、
「香典」と書かず「玉串料」(お線香は無いので)、
斎場では、柩は祭壇の後ろにかれている、……等々、
家が神道でないとあまり接する機会はないであろう作法が
神葬祭には様々あり、これはこれで独特の雰囲気がある。
亡くなった人は、これからは家の「守り神」となる、
というのが神道の考え方だ。
おじちゃん・おばちゃんも、神さまになられるのだね……。

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夏前として最後の花束を買った。
トルコキキョウとミニカーネーション。
どちらも姿が美しく、香りがほとんど無くて、
リビングダイニングに飾るのに向いていると感じている。

年明けからこのかた、花を選ぶのは楽しかったが、
これから室温が高くなるので、季節的に生花は厳しいだろう。
秋までしばらく、花の楽しみはおあずけだ。
シーズン最後の花を、惜しみつつ、しばし愛でよう(^^)。

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22日(水)23日(木)と歌舞伎座で團菊祭を観て、
24日(金)25日(土)26日(日)と三連ちゃんの神社仕事で、
やたらと忙しい毎日だったが、天気が良くて助かった。
きょうの夕方前からようやく休暇だ。明日も休みの予定。
ということで、花を買った。
トルコキキョウの花束。

團菊祭は本日めでたく千秋楽を迎えている。
私が観た日は、歌六が体調不良のため休演していたのだが、
きょうは復帰している由、重ねて目出たいことである(^^)。


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「母の日」なので、自分で花を買った(笑)。
いつもより豪華版にした。

某サ高住の母のところには、早くから手配済みだったのだが、
土曜日に行ったら既に届いていた。
母のは部屋に合うよう、もう少し小ぶりなサイズで、
細かい世話をしなくてもすぐ飾って眺められるアレンジメントにした。

何年か前までは、「綺麗やね」等と感想を言ってくれたものだったが、
今年の母は、もう、特に何もコメントは無かった(^_^;。
私も将来、自分が病院とか老人ホームに入ったとき、
ベッドサイドに花だけは飾りたい、
と願っているのだが、かなえられるだろうか。
買い物に出られなくても、自分で決めてネット等で注文できる間は大丈夫だろう。
目が見えて、「綺麗だな~」と思えるうちに、花は愛でておきたいものよ。

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大型連休には花を飾ろう!
という習慣が、私には前々からあったのだが、
今や、コロナ禍以降、私はいつでも花を買っているのと、
そもそも「大型連休」でも私自身は特に休みではないのとで、
完全に形骸化し、特別な意味はなくなっている(笑)。
しかし世間がゴールデンウィークとしてなんとなく華やいでいるので、
私も気分だけはそこそこ、明るく自由な感じになって、
きょうは、オレンジの薔薇を買ってきた。

折しも、昨日までの雨が嘘のように、今朝から青空が綺麗だ。
起きたとき、転夫ころもん氏が、
アサーーー!!
と言っていて、笑った。
全国的に、アサーーー!!(笑)
これがわかるのは、もはや昭和30年代生まれの証か。
エアコンも要らず、衣類も軽くなってきて、日も長くなり、
活動的な、一年でいちばん良い季節が巡ってきた。

……ということで、この連休(←主として転夫ころもん氏の)の計画は、
佐伯区の舅宅を片付けることである。
互いの親の家を始末することに、我々はいよいよ着手するのであった。
うちの実家は、とっくに断捨離を開始していながらまだまだ先が長いが、
舅宅のほうは、もともと舅本人によってかなり整頓されていたので、
おそらく今回の休みでカタがつく筈だ。
ころもん氏によれば、舅宅は売却する予定だそうだ。

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縮景園の桜を愛でたり、家で切り花を飾ったり、
本を読んだりバレエクラスもどきを楽しんだり、
こんぴら歌舞伎を観るために遠征したり、
……と、最近はようやく本来的な「道楽」日記になって来ている。
夏祭までの束の間、神社仕事が閑散期に入っているからだ。
有り難いことである(涙)。

ということで、新しい花を買った。
朝からなんの予定もなく、掃除をしてオンラインエアロビクスをして、
語学をやったりネットで遊んだり本を読んだりして午後を過ごす、
……みたいな日が、私はいちばん心穏やかで幸せである。

***************

友人の娘さんが現在、就職活動中で、
面接に行ったら、求人サイトで見たのと話がかなり違っていたり、
意地悪?な面接官からキツいことを言われたりして、思うに任せず、
友人いわく「病んでいる」とのことで、気の毒ではあるのだが、
結局のところ、仕事というのは不愉快な面は必ずあるものなのだ。
就活はその予行演習というか、前哨戦というか(^_^;。
世の中、面接官より意味不明でヒドい人が、普通に居ますからね。

尤も、その意地悪で酷い人というのが、本当に性悪な人である場合もあれば、
自分が至らぬために相手を怒らせ、ぎくしゃくしている場合もあるだろう。
どちらにしても、相手との関係性のために自分が不愉快なのは一緒だが、
全部が全部、人のせい、というのでもないかも?くらいは、
一度は思ってみるべきかもしれない。
また、仮に自分のほうが正しいのだとしても、
正しいことだけ主張すれば通るというものでもない。
若いときは、聡明な人であれば尚更、受け入れるのが難しいとは思うけども(^_^;。

それはまあ、それとして、なんとかして仕事にありつき、
様々に理不尽な思いをしつつも辞めずに耐え、
日々の責任を果たすようになれば、報酬というものが貰えるようになる。
えてして、他人のしている苦労は小さく見える一方で、
自分の苦痛だけは針小棒大に感じられるものだが、
皆が大なり小なり、そうやって自分に折り合いをつけながら、
自分の務めを果たしているから、世の中が回っているのだ。

「お給料はガマン料」とは美輪明宏さまの名言であるが
(『乙女の教室』(集英社、2008))、
自分に都合の良い世界の中で、気分のいいことだけをして、
なおかつ満足できるほどのお金を手に入れる方法は、無いと心得るべきだ。
「好きなことを好きなようにやるのは趣味であって、仕事とは言いません」
というのも上記の美輪さまの著書に出ている言葉である。
働けば疲れがたまり、ムカつくことも多いのが普通だろう。
ヤダヤダ、そんなシンドいことしたくない、と学生さんは思うだろうが、
そうすることでお金が手に入り、なんとか自分で生きていけるようになる。
それこそが自立だ。親の庇護下にいたのでは出来なかったことだ。

あとはその我慢の中身と稼げる金額とが、
どこまで釣り合っているかいないか、という話になり、
石の上にも三年、……も間違いではないが、何事も程度問題ではある。
どう考えても割に合わない、となれば、
別の我慢でガマン料を戴く方法を探すしかないだろう。
我慢の種類や内容を変える工夫であって、
どのみち我慢は、せねばならんのではあるが(^_^;。

ということで私も、某かのお給料を戴くためには
忙しくても14連勤でも、自分に務まるものであれば当面、続けるしかない。
私から見れば、厚かましいことを言って来る人等も居るが、
それらを受けて流すのもまた、仕事の一部なのであろうよ。
――と今、原点に立ち返り、己を戒めているところである。
冒頭に書いたような「心穏やかな日」しか無いなら、単純に無収入なので(汗)。
緊張と緩和、は心身の健康のために必要なものだし、
何より道楽するためにも、収入は必要だ。先立つものが最低限、ないとね。

それと同時に、自分も今年は還暦なので、ガマン料を戴くためだけに
残り時間を使い果たして終わってしまうのも、良いこととは思われず、
我が人生の小春日和のような日々も、
そろそろ手に入れたいものだなと思う、今日このごろです(^_^;。
生涯現役!と誇る老害もまた、社会の迷惑であることだし。

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