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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



朝は最低限の朝食の支度をして、主人と娘を送り出し、
自分は再度、布団に入って、読書をし、
早い時間に冷蔵庫の中のもので適当に昼食を取ったあとは
また布団に戻り、自然に数時間ばかり昼寝をし、
午後、起きだして、コーヒーを飲み、またヨコになる、
……という、具体的に書くと噴飯モノの自堕落な毎日だ。

一日に何人以上だったか、家族以外の人間と会って話さないと、
人間の脳細胞は毎日どんどん死んでしまうというのを、
かなり以前、聞いたことがあるのだが、あれは本当だろうか。
だとすると私はここ数日で、もうかなりアホになったはずだ。
寝てばかりいるので筋力も落ちる一方だし、
心身ともに耐久力や柔軟性が失われるばかりで、
これはもう、年頭に手術して順調に行ったとしても、
その後の、社会復帰のリハビリはかなり大変なのではないだろうか。

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フー・ツォンの夜想曲の二枚組CDを聴きながら、
井上靖『淀どの日記』の二度目を読み終え、
うだうだと昼寝して、昼過ぎ、不安になって体重を計ったが、
まだ変化は現れていなかった。よかった(T.T)。

明日のA中PTA役員会には出席できないということを、
役員関係のお母さんがた四人にメールして謝った。
三学期は行事らしい行事がないし大丈夫、ゆっくりして!
等々、お優しい返信を相次いで頂戴した(ありがとうございます)。
そしてそのうちの二人が「私も筋腫」と書いて下さっており、
しかも、ひとりは手術経験者だった。ナカーマ!

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既に飽きたというか。
とにかく歩き回るな、なるべくヨコになっていろ、
と主治医に言われてその通りにはしているのだが、
出血以外の自覚症状がほとんどないので、退屈の極みだ。

惣領冬実『チェーザレ』既刊四巻を読んでしまい、
佐々木倫子『動物のお医者さん』全八巻を読み直し、
台湾版のフー・ツォンCDを延々と繰り返し聞き、
期末考査中の娘に食事を用意して貰いコーヒーを淹れて貰い、
本を読む体勢に疲れたらウトウトと惰眠を貪り、
……肥満するっっ

こんな有様ではもしかして映画『茶々』を見に行けないのでは、
……ととても不安になって来た。
しかし無理して映画館に出かけて、
興奮し過ぎて大出血→救急車、という羽目になったら、
それこそ目も当てられないしな~~~。

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突然ですが、筋腫が原因の出血でただいま自宅療養中です。
粘膜下筋腫が落脱しそうになってるらしいです。
某総合病院は年内はもう予約で一杯だそうで
一応年明けくらいに手術予定となりました。
私の今の使命はそれまで保たせることです。
切迫早産の妊婦さんみたいです(爆)。

しかしできることは結局安静しかないので
私は家事もしないで寝転んでいるだけの
究極のグータラ主婦です。
退屈のあまり、もしかしたらついに
テレビでも観るようになるかもしれません~。

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筋腫・腺筋症・卵巣嚢腫の手術とは、どのようなものかと、
ネットの関連ページを徘徊しながら情報を集めていたら、
ふと、十数年前に松江の某総合病院で私が出会った、
筋腫手術後のオバちゃんたちのことが、懐かしく思い出された。
思えば、あの頃の彼女たちは、ちょうど、
今の私のような年齢や境遇だったのではなかろうか、と思った。

コトの起こりは、私が妊婦になりたての頃、
週数でいうと6週目くらいで、原因不明の出血を見たのが始まりだった。
・・・こうして省みると私は常になんだか出血しているようだが、
そのときも、痛くもなんともないのに微量の出血が止まらず、
受診したら「切迫流産」と言われ、即、入院させられてしまった。

本人は出血以外の症状がなく、というかツワリすらもなく、
妊婦である自覚が全然なかったのだが、
とにかく安静にする以外にないから寝ていなさい、
と医師に言われて、病棟で案内されたのが、分娩待機室(爆)。
「ごめんなさい、今、ここしかベッドが空いてなくて」
と看護師さんが申し訳なさそうに言った。

産科病棟の普通の部屋が空いたら、すぐ移って貰うから、
と説明され、諦めてベッドで『パタリロ!』を読み始めたのだが、
周囲は皆、カーテンが引かれて、唸っている人ばかりだった。
隣のベッドの人が、だんだん呼吸が荒くなって来た気配を聞いて
大丈夫なのかなと心配で、私のほうが血圧が上がりそうだった。

分娩待機室では、普通の見舞客も皆無で、
外部から来るのは産婦の家族だけだった。
隣人の呼吸法を一昼夜聞かされた私の身にもなって欲しかったが、
看護師さんや助産師さんたちは、皆、診察や介助で大忙しで、
ごろごろ寝ているだけの私のことを思い出すほど暇な人はいなかった。
こんなところにいたら、アタシは本当に流産するのではないか、
と私は真面目に思った。胎教に悪いことこのうえないぢゃないか。

微弱陣痛で、途中からいびきをかいて寝てしまう人がいたり、
なんでこんなにエラいん~~と泣きながら頑張る人がいたり、
悲鳴をあげ続けたあと分娩室に運ばれていく人もあったが、
やはり壮絶だったのは私の隣人だった。
彼女は、苦痛に耐え続け、とうとう帝王切開が決まった。

医「お姉さんもここで帝王切開しとるよね」
隣「は・・・い・・・」
医「あなた、血液型がRhマイナスですね」
隣「・・・はい・・・・うぅぅっ」
医「お姉さんもマイナスだったっけ」
隣「・・・プラス・・・です・・・・」

陣痛の最中に、姉の血液型を確認することが必要だったのか?
私は心底、隣人に同情した。大変な苦痛だろうに。
おまけに、世にも珍しいRhマイナスなのか。
『赤い疑惑』やんか。手術も不安だろう。なんて気の毒な。

  そのときの私は、自分自身もそのRhマイナスであることを
  まだ、知らなかった(爆)。

結局、私自身は、張り止めのダクチルという薬を内服し、
あとは血液検査と血圧測定がときどき行われただけで、
特に何の用事もなく、様々な分娩事情を否応なしに見学させられ、
合間に『パタリロ!』『ガラスの仮面』の既刊本を読破し、
三日目に、ようやく、「ベッドが用意できました」と言われた。

荷物を持って(切迫流産の妊婦に持たすか普通)、
行った先は、今度は産科ではなく、婦人科病棟だった。
「ここしか空いてないんだけど、待機室より、いいわよね?」
とまたしても看護師さんが申し訳なさそうに言った。
六人部屋で、患者は、筋腫を手術したオバちゃんが三人、
あとは卵巣嚢腫の高校生と、何かわからぬおばあちゃまで、
当然だが妊婦は私だけだった。

ここは全員が元気だった。
筋腫のオバちゃんたちは皆、既に術後で退院が近く、
卵巣腫瘍の高校生だけは手術待ちで、怖がってはいたが、
声の大きなオバちゃんたちが慰めるので、よく笑っていた。
おばあちゃまも話は多少ズレていたが、愉快な優しい方だった。
私が看護師さんに呼ばれていきなり起き上がったり、
スタスタ歩いたりするのを見て、隣のオバちゃんが、
「あなた妊婦さんに見えない~。そんなに乱暴に動いちゃダメ」
と気遣って下さったりした。すみませんでした<(_ _)>。

あの頃、これから無事に出産できるかどうかの私と較べ、
既に子育てを終わって、良性疾患の手術のために来ている人は、
なんて気楽なんだろうと私は勝手に羨んだりしていたものだった。
今になって考えてみると、まだ腹腔鏡が普及していなかった当時、
オバちゃんたちは皆、開腹手術で、年齢的にも全摘だったろうし、
それなりに大変な時期を乗り越えて来られた方々だった筈だ。
手術以前の状態だって、きっと辛いものだったに違いない。
決して私が考えたほど簡単な状況ではなかったのだ。
だのに皆、しょっちゅうオモロいことを言って笑わせてくれて、
本当に良い方々だったなあと今にして思う。

  そう、あの頃の私は、いずれ自分が筋腫と卵巣嚢腫になり、
  手術を勧められる状況になろうとは、
  想像してみたことも、なかった(^_^;。

ちなみに、そのとき切迫流産しそうになったのが、
今の、転娘みーちゃんである。
初期の出血で私が騒いだだけで、胎児の心拍はとても安定しており、
その後の経過は、ごく順調なものだった。
オマケに、私の出産は「案ずるより産むが易し」の最たるものだった。
虫歯治療より出産のほうがずっとラクだというのが実感だった。
なるほど出産は病気じゃない!こんなお気楽なことだったんだ!
これなら何人産んでもOK!と私は目からウロコが落ちた思いだった
(注:初産があまりにも簡単だった人は、結構な確率で、
二人目以降が早産になりやすいと、当時の主治医にクギさされました。
同じような経験をなさって二人目計画中の方は、どうかご注意を)。

  なお、このあと、転勤につぐ転勤で時機を逸し続け、
  娘が一人っ子になろうとは、そのときは考えもしなかったことだった。

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昼に姑はT園に帰った。
とても体調よく過ごせた二泊三日だった。
この様子なら次回はもっと日数を増やしても良いかもしれない。

午後から婦人科クリニックに行った。
子宮体がん検診は異常なしだった。
夏も同じ検査をして陰性だったのだから信用するほかないだろう。
有り難かったが、これにより内膜症治療は振り出しに戻った。
内科的に引っ張るか、手術を受けるか。
とりあえずリュープリンを一本打って貰った。
あとのことは、打ちながら考えるということで。

話は前後するが、今朝テレビで「天涯の貴妃」のコマーシャルを観た。
たかこ(和央ようか)さんを見て娘が
「うそ~、たかちゃん!?信じられん」
と驚いていた。
婦人科の帰りには八丁堀の某店前でこの映画のポスターを見掛けた。

クリスマスのイルミネーションと、お正月映画のポスターと。
街に出るといよいよ師走だな~と感じる。
そして今夜、私は今年もシメ(紫苑ゆう)さんの「再会」@神戸へ。
行ってきます♪

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先月から、低用量ピルを服用すると不正出血があって、
休薬期間の後半のほうが逆に調子が良いような感じで、
ただの副作用というよりも、
どうもうまくコントロールできていない気がしたので、
きょうは、いつもの婦人科クリニックに行った。

エコーでの診察の結果、左卵巣チョコレート嚢腫は、
特に心配なほどの変化はしていなかった。
だが、腺筋症がやや悪化しているような印象があるとのことだった。
それで、まずは出血の原因として最も心配な、
子宮体がんを除外しなくてはならないので、細胞診を受けた。
結果は一週間後(T.T)。

結果が悪かった場合はそのほうの更なる精査をすることになるが、
悪性が否定できた場合の、次なる選択肢としては、

1.再度、リュープリンを打つ
2.手術を考える

ということだった。
低用量ピルは、一般的には内膜症治療には最善なもののひとつだが、
私の場合、粘膜下筋腫や腺筋症があって、
内膜の血管で弱いものがあるとなかなか不正出血が止められないので、
低用量ピルのみのコントロールは困難だとわかった、と言われた。
そういう場合、中用量ピルで様子を見る方法もあるが、
さらに確実に管理できるのはリュープリン注射だそうだ。

だが、リュープリンは、副作用への懸念もあり、
良性疾患の場合、連続6ヶ月以上は打てないことになっている。
海外では内膜症への年単位の投与もあるそうなのだが、
日本では乳がん・前立腺がんでないと、
リュープリンを連続使用することは許可されていないとのことだ。

今後、半年間、注射を続けて、様子を見ながら半年空けて、
また半年続けて、・・・という繰り返しはある程度可能で、
そうしているうちに閉経した場合はすべてが解決するが、
もし途中で内膜症の改善が頭打ちになったら、
内科的には次に打つ手がなくなるし、
閉経までもし十年あるとなると、この繰り返しをするには長すぎる。

つまり、今年や来年のうちは内科的にやるのも充分可能ではあるが、
将来的には、手術も視野に入れて良いのではないか、
というのが主治医のきょうの意見だった。
悪性の可能性さえ否定されれば、急ぐものではないし、
リュープリンの注射はいつでも開始できるから、
家族ともよく相談して、ゆっくり考えていい、ということだった。

勿論、人並みに、全身麻酔とか手術そのものへの恐怖心はあり、
しないで済めば、やっぱりそのほうが良いような気も、するのだが、
現状だって快適とは言えない面がいろいろとある。改善は、したい。
何より1月の大カクラン→救急搬送は、それなりにトラウマになった。

娘の中学生活も一応、軌道に乗ったことだし、
身内に病人がいない落ち着いた時期を選べるならば、
このあたりで手術しておいたほうが、良いのかもしれない、とも思った。
主人の転勤があるかないかが、かなり気にかかる時期ではあるけれど。


ということで、算命学をやっている友人に、先ほどメールを出した。
「ヤったほうがいいでしょうか。ヤるなら、いつがいいでしょうか」

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7月から低用量ピルのオーソMをおよそ2シートのんだのだが、
「もっとホルモン含有量の低いマーベロンのほうが、
不正出血や消退出血の量が抑えられて良いかもしれない」
という主治医の提案で、薬を変えてみることにした。
私のように卵巣の内膜症治療が主目的の場合は、
このような一相性の薬ならば、休薬期間を置かずに
6週間、9週間と長期に飲みつづける方法もあるそうで、
最も適したピルが決まったら、その服用法にしてみようとも言われた。

・・・という、私自身の話は、まあ、大したことではないのだが。

きょう、その街中にある産婦人科クリニックに行ったとき、
待合室の一角には、かなりハデな先客たちが、いた。
それは、妊婦健診に来た女の子ふたりと、その夫たちで、
全員が友達同士らしく、打ち解けた雰囲気だった。
彼らは、待合室でジュースを飲みスナックを食べて、
カノジョの膝枕でネンネしたり、携帯で他の友人と喋ったりしていた。
じーちゃんが見たら、ドヤしつけそうな光景だった(^_^;。

だが、まあ考えようによっては、
『妊婦健診に、若いパパが付き添っている』
ということなのだから、実に微笑ましいというべきだった。
我々世代でようやく、「夫の立ち会い出産」みたいなことが
現実になって来たあたりだったが、
今の若いカップルは、最初からヘーキで産婦人科に来ることができ、
待合い室でだって、我が家同然にリラックスしたもんなのだ。
立派ぢゃないか(^_^;。ジェンダーフリー教育の成果だろうか?

一組の診察が終わり、経過は順調らしく、
エコーで見た胎児の様子をプリントアウトしたものを貰って、
若いママは幸せそうだった。パパも、
「男か?女か?オカマか?」
と興味津々だった。
少子化の今、こんな若い夫婦は大いに祝福されるべきだ。

もう一組の診察も終わったようだった。
男「何ヶ月や」
女「今、三ヶ月って言われた」
男「三ヶ月ぅ?・・・計算が合わんだろーが!死ねや!」

待合室で、早くも不穏なカップルだった(^_^;。
『妊娠1ヶ月目の前半は、正確に言うと胎児はまだ存在しとらんのよ。
最終月経の一日目から数えるからね。だから計算が合わんのがホント』
とオバちゃんが謹んでお教えしようかと思ったが、
よけいなことを言って蹴りを入れられたら怖いので、黙っておいた。

それでも、出るとき彼らは、ちゃんとゴミを持ち帰った。
言葉使いはアレでも、結局はきちんとしとるではないか、
とワタクシは感心した。
が、私自身が診察と支払いを終えてクリニックを出てみたら、
さっきのカップルがのんでいたジュースの空きペットボトルが、
シッカリと、エレベーターホールに放置されていた。
彼らのしたことは、右のものを左に移動させただけだったのだ(--#)。

『拡大再生産』、とゆー不吉な用語が、私の脳裏をよぎった。

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一週間経ったので、子宮癌検診の結果を聞きに
先日の婦人科クリニックに行った。
「頚癌・体癌、どっちも大丈夫ですよ、異常ありません」
と先生はフツーに仰った。

私「この一週間、生きた心地がしませんでしたっっ(T.T)」
医「そんな大袈裟な(^_^;。でもまあ、癌検診なんて言うと、
 誰でも不安には、なりますよね」

エキセントリックな私に理解を示して下さるなんて、
先生はなかなかお優しい方だった(^^ゞ。
私は体つきに似合わず気が小さいので、癌検診どころか、
血圧を測ります、と言われただけで脈拍120超えになるのだ。
この世で最も怖いもののひとつが健康診断ではないかと思うくらいだ。
『私は頑丈だけが取り柄で~』
などと平気で言える人間には、この気持ちはわかるまいよ(T.T)。

で、再度エコーで詳細に診て頂いたところ、
案じたほど内膜は厚くないようで(このあたりはエコー画像の限界?)、
前回、内膜の不均衡な肥厚に見えた箇所は、
多分、腺筋症か内膜症の病変部分だろう、と。
「初診時からあったものと同じらしいので、経過観察でよいでしょう」
と先生は現時点での結論を出された。

癌検診のスクリーニングに引っかからなかったことで、
一応の安心が得られたので、来月から低用量ピルを試すことになった。
これで体内の女性ホルモン量を一定に保ち、内膜症の悪化を防ぐ、
という治療方針だ。
ピルは高血圧患者には使えないが、私は昨年から内科で、
ディオバン80を貰っていて、最近は130 / 80に落ち着いており、
血圧がコントロールされているのであればピル服用は問題ない、
と先生は仰った。

もしや今、妊婦健診みたいに血圧測定されるかな、と俄に不安になり、
『160 / 100』などと出て大騒ぎになる絵ヅラまで思い浮かんだが、
「血圧は、それじゃ家で毎朝自分で測って、異常あったら言ってね(^^ゞ」
と先生は私の顔色を読んだように笑われた。
この先生で、本当に良かったよぅ(T.T)。

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不正出血があったので婦人科に行った。
粘膜下筋腫にリュープリンを使うと出血を招くケースがある、
というのを前々から聞いていたので心配だったのだが、
先生が指摘されたのは別のことで、
「期待したほど内膜が薄くなってない」。

リュープリンを6本打てば、普通もっと内膜が薄くなる筈なのに、
私のは、結構、分厚いのだそうだ。
で、こういう状態のとき、最も心配なのが内膜ガンということで、
来月予定していた癌検診を、きょうして貰った。結果は一週間後。
やだよ~(T.T)。怖いよ~(T.T)(T.T)。

左卵巣チョコレート嚢腫は更に小さくなり、3.8センチだった。
もっと驚いたことには、筋腫の隣に以前からあった筈の嚢胞が、
今回、すっかりなくなっていると言われた。
1月の大出血で、自然に取れて出てしまったということらしかった。
信じられない(^_^;。そんな解決があるものなのか。
ただ筋腫のほうは相変わらず存在している、ということだった。

その足で私は整形外科に行った。
外出のついでに、右足の骨の突起を診て貰おうと思ったのだ。
触診のあと、レントゲンを撮って、診断は「ガングリオン」。
骨のつなぎの部分が弱って、組織が袋状にはみ出したようになり、
中にゼリー状の液体がたまったものということで、
良性ではあるが、再発は多いとのことだった。
昨日、鍼の先生にも「ガングリオンですね」と言われていたので、
私は心の準備があり、それってガンですかー!と騒いだりはしなかった。

そして確定診断のために、注射針で中の液を抜いてみることになった。
看護師さんに向かって先生が、
「ガングリオン穿刺!」
と指示されるのを聴いて、
ガングリオン戦士だなんて、アニメみたいな響き♪と思った。
患部をアルコール綿で拭いて局所麻酔、これは普通に痛かったが、
次に登場した、ふとん針みたいな太い注射針は、
麻酔が効いていて全く痛くなかった。
これを突起部分に刺して、中を吸引すると、
ゼリー状のねばっこいものが引けてきた。

「やっぱりガングリオンですね~。これ、この粘いこと!」
と先生が取れたものを見せて下さった。
りんごのカップゼリーみたいな色だった(爆)。
今後は、再発してもガングリオンだとわかっているので、
痛みなどの不都合がなければ放置で良い、とのことだった。

アンヨの問題だけ解決した(^_^;。

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