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小澤征爾さん:体調不良で再び休演(毎日新聞)
『長野県松本市で開催中の「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」で25日夜、オペラ公演を予定していた指揮者の小澤征爾さん(75)が開演直前の準備中に体調不良を訴え休演した。軽い肺炎などで休演した23日に続き2回目。』『実行委員会によると、小澤さんは点滴などを受けているが、発熱はなく食事も取っている。25日午後にはいったん医師が「出演可能」と診断。だが同7時からの公演に備え、同市の滞在先で同6時10分ごろベッドから起きて準備を始めた際、本人が休演を申し出たという。指揮は代役が務めた。27日の最終公演の出演は未定。』
小澤氏の体調を心配する声が多く、私も案じているが、想像するに、
この状況はやはり食道がん手術の影響が大きかったためだと思う。
舅が手術したときのことや、当時、主治医から受けた説明を思い出してみると、
食道がんの手術そのものが、消化器外科では最大と言われる規模のもので、
患部だけでなく、周辺のリンパ組織や肺へのダメージも簡単ではなく、
更に、食道のかわりに胃を細くして胃管にしている場合には、
食事の取り方も手術前とは全く変わってしまう。
体重は多くの場合10キロ前後は落ちるし、元に戻すのは容易ではない。
(病気は同じでも、桑田佳祐さんの場合は更に初期だったか部位が良かったで、
腹腔鏡でやれたという話だったから、一般的な食道がん手術より
ダメージは少なめだったのではないかと思う。)
舅や、療養仲間だった患者さん達のことを思い浮かべてみると、
この手術を受けた後は、デスクワークどころか、家でゆっくり療養だけしていても、
なかなか思い通りに動けるようにならないのに、
小澤氏は退院後1年ちょっとで指揮者として現場に復帰されたのだから、
そのことだけでも、氏の努力と回復力は、超人的なものだと私には思われる。
また、患者の家族として舅を観察した経験からは、
術後は体質的にもそれまでとは別人のようになり、
「ちょっと疲れたけど休めばなおる」とか「風邪くらい一晩寝れば」
ということが、全く通用しなくなるというのが、私の実感だ。
手術のとき右開胸して肺をしぼませているので、呼吸器も弱くなりやすい。
小澤氏が、こういうタイミングでの休演となったことだって、
無理もないことだと思うくらいだ。
体調が落ち着いて来ると、気持ちはすぐに以前通りに戻ってしまうので、
慎重にやると言いながら、体には無理なスケジュールを気づかずに組んで、
熱が出てきてから悔しがる(汗)、ということが、舅の場合、多かった。
瞬発力は取り戻せても、それを持続させるだけの体力となると別問題で、
本人の「体感」よりも、実際の回復にはもっとずっと長い時間が必要なのだ。
小澤氏も、何しろまだ「術後」であるということをよく考慮され、
特に今後は年単位で、たとえもどかしくとも、念には念を入れた予定にして、
徐々にペースを戻すかたちで、指揮活動を継続して下さるように願っている。
勿論、芸術活動には「まだやれるが加減して」「セーブしつつ」というのが困難なので、
ご本人にとっては、精神的な葛藤も大変に大きいことだと思う。
しかし外科手術は、完治を獲得する最も確実な方法だし、選択が間違っていたとは思わない。
幸い、人間ドックで発見された、ごく初期の食道がんだったそうだし、
既に復帰も果たされているので、治療そのものは問題なく完了していると思う。
あとは、手術で変わってしまった体を受け入れ、心身ともにコントロールすることが、
今後何年か費やして体得して行かねばならない課題となるのではないか、
と、元・患者の家族として想像している。
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『コジマ・ムジカ・コレギア』第21回定期演奏会
『広島ジュニアオーケストラ』第10会定期演奏会
が今年は合同演奏会のかたちで行われた。
きょうは、指揮・指導をなさっている小島秀夫氏の70歳のお誕生日だった。
小島秀夫 音楽塾
私自身は、弾く側としては弦楽器に全く縁のない生活を送って来たのだが、
娘の学校に何人か、小島先生の門下生の人たちがいるので、
HIROSHIMA MUSIC FESTIVAL(小島先生が毎年主宰されている室内楽セミナー)を、
見学させて頂いたことはあった。
また、今回の演奏会については、私の音楽関係の友人からも話を聞いていたし、
母校の大学同窓会広島支部の先輩からも案内を頂戴したりもした。
私の見るところ、小島先生やジュニアオケに関わる人たちは、
OB・OGやその保護者まで含めて、その活動に対してとても熱意と愛情があり、
小島先生が長年、広島で多くの子供たちを熱心に指導して来られたことが、
確実に根付き、強く支持されているのが感じられる。
きょうの演奏会では、何曲かは初心者の小さい生徒さんたちも一緒だったので、
ステージの上では、ときに総勢100何十人かという大規模な演奏が展開され、
どうかすると、普通のオーケストラの二倍近い人数になっていた。
こういう場で学んだ子供たちが、いずれ巣立って、しかしふるさとを忘れることなく、
将来また、広島の後輩たちのために力を貸す立場になるのだろうなあと、
部外者ながらしみじみと感じ入るものがあった。
プログラムの最後の、ブラームス『交響曲第3番』は、実に「濃い」世界だった。
この曲には、奥深い「憂愁」が漂っているけれど、
私の印象では、きょうの演奏は決して陰鬱さを引きずるものではなかった。
それよりも、もっと、濃密で味わい深い「憂愁」があって、
若い人を主体とする今回のメンバーから、そういうものを引き出されたのは
小島先生の、これまでのキャリアの見事さそのものを表しているように思った。
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今朝、中途半端に空いた時間があったので、
2011年用「道楽記録」のファイルを整理した。
私は二十代の頃から、A4サイズのポケット式クリアファイルに
自分の観た・聴いた公演や映画のチラシと、そのときのチケット半券や封筒等々を
日付順に入れて残しておく趣味があって、それは今も細々と続いているのだ。
厳密に言えば、結婚してからは、途中、転勤や育児や介護で忙し過ぎて、
チラシなど整頓して取っておく余裕が無かった時期もあったのだが、
ここ数年ようやく、またこういうことを再開できるようになった。
ファイルの中身は原則的に日付順で、ジャンル別にはしていないので、
頼山陽資料館のチラシの次に宝塚雪組『ロミオとジュリエット』があったり、
広島交響楽団の隣がT.M.Revolution(西川貴教)だったりするのだが、
それもまた、自分の雑多な楽しみの記録として貴重なものだと思っている。
また、宝塚の場合は、チケットを出演者の生徒さん個人のファンクラブ経由で買えば、
公演名とファンクラブ名の入った独自のデザインのチケット封筒に入れてくれるし、
場合によってはその生徒さん直筆のメッセージ(の印刷)も同封してくれたりするので、
コレクションとしてはまたひと味違い、まことに楽しいものだ。
近年、不満に思っているのは、電話やネットで「ぴあ」「eプラス」を利用することが増え、
そのためにチラシを手に入れることが実に難しくなった、という点だ。
プレイガイドに出向いて買ったり、招聘元や主催者に直接電話して買うことが可能なら、
チラシが店頭にあったり、或いは言わなくても同封して送付して貰えたりするが、
「ぴあ」「eプラス」はそういうことには全く無頓着で、
「公演名・日時・席番などを印刷した紙」としてのチケットを発行してくれるのみだ。
それで、ポゴレリチの公演のときは特に、私はカジモト・イープラスに迫って(笑)
チラシを送ってくれるようにと、平身低頭して(←電話だから見えないが)頼んだりしている。
だが普通の場合、公演地に住んでいるのでなければ、チラシを手に入れることは困難だ。
それで私はしばしば、演奏会当日に、会場でチラシを手に入れるように努力している。
公演の行われるホールによっては、その日の公演チラシが置いてあるからだ。
しかし皆、考えることは同じらしくて、去年ポゴレリチのリサイタルに行ったとき、
入場した途端、主催者側の机の上に出してあった当日のポゴレリチのチラシは、
私の目の前でものすごい勢いで無くなっていた。
今年の初めにStudio Life『11人いる!』に行ったときも、同様の現象が起きていた。
チケットとは違って、チラシは多くの場合カラーで、写真や出演者一覧も掲載されているし、
裏面の解説やエッセイ部分なども、ほかでは見ることのできない情報なのだから、
チラシというのは、全くもって貴重な資料なのだ、公演を楽しむ者にしてみれば(笑)。
もうひとつ風情がないと思うのは、先にも書いたが
最近のチケットが「公演名や日時・席番などを印刷した紙」に過ぎない、ということだ。
80年代にチケットぴあ・チケットセゾン等が台頭して来てから、この傾向が顕著になって、
今では、出演者の顔写真や公演タイトルのロゴをあしらったチケットなど
滅多にお目にかかれなくなった。
その点、私の知っている範囲では宝塚の広島公演を扱っている中国芸能だけは、
ぴあ等で買った、印字のみのチケットを当日窓口に提示して頼めば、
主催者側の販売する写真入りチケットに該当の席番を記入して、交換してくれる。
観客動員数の限られる地方公演だから可能なことなのかもしれないが、
こういうサービスはファンとしては本当に嬉しいものだ。
この道楽記録ファイルは、後になって取り出して眺めると、また格別だ。
私は将来のためにチラシやチケットを収集・保管していると言っても過言ではない。
何年か経ったのちにファイルをひもとき、かつて集めたチラシやチケットを見直してみれば、
公演そのものの思い出は勿論のこと、当時の自分の状況や、その頃の思い、
家族や友人に関する周辺の出来事の数々までもが思い出され、なかなかに味わい深いのだ。
旧・宝塚大劇場の三階って800円だったのか、旧・東宝のD席って1100円だったのか、
などと改めて思い出して、現状が腹立たしくなることも、ときにはある(汗)。
むろん、アーティスト本人についても、チラシやチケットの写真・記載事項が、
多くのことを物語り、思い出させてくれる。
ポゴレリチなんて、ヘア・スタイルと体型の変遷だけでも十分に楽しめる。
チラシのときの予定曲目なんか、結局ほとんど弾いてへんやん、とかも(殴)。
また、ブルーノ=レオナルド・ゲルバーとか尾上菊五郎とかは、
二十年くらいは軽く同じ写真ちゃうか、と気づいたりなんかも、できる(逃)。
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クロアチアのマリーナ・アンボカーゼ女史のもとで研鑽を積まれた、
ピアニスト高橋若菜さんのリサイタルが、8月6日に仙台で行われる。
アンボカーゼ女史は、イーヴォ・ポゴレリチが夫人のケゼラーゼ女史を亡くしたあと、
彼への指導と助言とを引き継ぎ、新たな可能性を与えてくれたピアノ教授で、
現在も教鞭を執られているが、年齢的には引退もそろそろ遠くないとのことだ。
高橋若菜さんはザグレブに留学され、アンボカーゼ女史に師事し、
現在9年目になられるピアニストで、このほど御出身地の仙台において、
『アドリア海から復興への祈りを込めて』と題されたチャリティコンサートを
開催されることになっている。
高橋若菜のクロアチアンライフ
2011年8月6日(土) 7時半開演(7時開場)
会場: 仙台シルバーセンター 交流ホール
~プログラム~
S.ラフマニノフ: 前奏曲集より
プレリュード Op23 br.4
プレリュード Op23 br.6
プレリュード Op32 br.5
プレリュード Op32 br.12
プレリュード Op32 br.13
A.スクリャービン:ソナタ No.4
I.アルベニス:組曲「イベリア」第一巻 ボカシオン 港 セビリアの聖体祭り
I.アルベニス:ナヴァラ
E. グラナドス:スペイン舞曲より Nos.2, 6, 12
チケット:前売り券 2000円 当日券 2500円(全席自由)
プレイガイド:三越(株)ヤマハミュージック東北仙台店
河合ミュージックショップ仙台店
主催:高橋若菜 (高橋若菜ホームページ www.wakanatakahashi.com)
後援:クロアチアビジネスセンター、日本クロアチア協会
お問い合わせ・チケット申し込み:youngleaves328@hotmail.com
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この演奏会は震災以前から予定されていたものではあったそうだが、
会場の仙台シルバーセンターが被災し、一時は開催が危ぶまれたということだ。
しかし幸い、8月6日までにはホール修理の目処がつくことになった。
高橋若菜さんは、私にとってはポゴレリチが縁でお名前を知ることとなったピアニストで、
奇しくも原爆忌の夜、震災復興支援の演奏会をなさるということでもあり、
広島からご成功をお祈り申し上げたいと思っている。
そして、仙台やその近郊の音楽ファン、ポゴレリチ・ファンの方々にも、
この演奏会を知って頂けたら、そしてアドリア海から届く音を味わって頂けたら、
と願っている。
どうか、素晴らしい一夜となりますように。
上記演奏会情報及び高橋若菜さんプロフィールを、私にお寄せ下さいました某氏にも、
心より篤くお礼を申し上げます。
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折しも、あの津波にのまれた仙台空港で、きょうから国内定期便が再開した。
国内定期便も再開=通常ダイヤに「復興へ一歩」―仙台空港(時事通信)
『空港ロビーでは同日朝、国内定期便の再開第1号となるアイベックスエアラインズの福岡便出発に合わせ、祝賀セレモニーが開かれた。仙台空港ビルの伊藤克彦社長は「官民が団結し、わずか4カ月半で再開できた。本日からは、復旧から復興に向けた第一歩を踏み出します」とあいさつした。』
震災の日からずっと思っていることなのだが、私は、
こうした肯定的な『力』や『願い』を蔭ながら支えることに、
微力であっても、そのとき出来ることをして尽力したい。
あの地震のせいで日本の将来はもう絶望的だ、という言い方を好む人もあるが、
たとえ状況が困難なものであっても、そのような主張には私は与しない。
なぜなら、将来のことなど何一つ保証の無かった終戦時の広島の人々が、
もうだめだと諦め絶望していたら、今日の私自身、ここに存在していないからだ。
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昨日は、『萩原麻未&広響コンサート』@ALSOKホール、を聴きに行った。
指揮は飯森範親氏、プログラムは最初がドビュッシーの『小組曲』、
麻未ちゃんはそのあとのラヴェル『ピアノ協奏曲ト長調』(ジュネーブ国際コン受賞曲)、
同じくラヴェル『左手のためのピアノ協奏曲』、の二曲でソリストを務めた。
萩原麻未ちゃんは広島が地元なので、私もかなり以前から名前は聞いていたのだが、
高校を卒業後に留学し、大きな演奏会を開くということもなかったので、
聴く機会をずっと逃していた。
そのうちに、昨年秋のジュネーブ国際音楽コンクール優勝という出来事があり、
彼女は一足飛びに、日本全国にその名を知られる演奏家に変貌してしまった。
将来有望と言われながら、ほとんど実体を知られていない存在だった彼女が、
文字通り一夜にして国際的なピアニストになって帰ってきたのだ。
私は彼女の演奏を生で聴くのは全く初めてだったので、
昨夜のが、彼女として会心の出来か、それともまだ課題の残るものだったか、
比較して判断するすべを持たないのだが、
私の印象としては、昨日の二曲はいずれも実に「若い!」という手応えがあって、
瑞々しい力がみなぎっているような、磨き立てられた演奏だと感じた。
若さゆえに聴覚も反射神経も高度に研ぎ澄まされて正確で、
しかも全く疲れを知らない演奏だった。
彼女のような若い人が弾くのに、ラヴェルのト長調は本当に良く似合っていた。
リズムの面白さ、アメリカ的なジャズやブルーズにも通じるようなフレーズは
麻未ちゃんの若い感性が存分に発揮される素材だったし、
一方で、二楽章の古典的で叙情的な表現も素晴らしかった。
『左手』のほうは、文字通りソリストは左手だけで演奏する曲なのだが、
麻未ちゃんが弾くと普通の協奏曲とは比較にならないほどスケールが大きかった。
技巧的な曲だという認識は私にも以前からあったが、
あれほど激しい、ある意味「豪華絢爛」な曲だったとは、
麻未ちゃんの演奏を聴かせて貰ったことで、初めて知った気がした。
アンコールはショパンのエチュード作品25-1『エオリアン・ハープ』で、
そこまでとは打って変わった、繊細で穏やかな音に癒やされるような一曲だった。
麻未ちゃんの大胆さや若さ、そして最後にデリケートなタッチも堪能させて貰い、
きっと昨夜は多くの聴衆が、
「次は是非、リサイタルを聴きたい」
と思ったに違いない。
戸惑ったような、恥ずかしそうな様子で、幾度もお辞儀をする彼女はとても初々しかった。
しかしもう、これほどの見事な演奏家に成長した彼女を、
『麻未ちゃん』などと、小さい女の子みたいに呼んではいけないかもしれない(笑)。
次の機会にはピアニスト『萩原麻未』の独奏会をたっぷりと聴かせて貰いたい、
と私も強く願い、大変楽しみにしている。
本当に、昨夜の演奏会は、聴けて良かった。
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昨日のチケットは私はもともと持っていなくて、高校時代の友人が偶然に
「一緒に聴かない?」
と誘ってくれたことがきっかけで、行くことができた。
その友人と、演奏会前に会って、彼女の自家用車で会場近くのレストランに行き、
6時から、まず早めの夕食を取った。
そのときはレストランの駐車場に車を入れていたのだが、
近くには100円パーキングがあり、あとで車をそちらに移動させてから、
ホールまで至近距離だし歩いて行こう、ということで、
「ばっちりでしょ」
と友人は上機嫌だった。私も彼女の手際にほとほと感心していた。
ところが、我々が食事を終えて店を出てみると、
レストランの前だけでなく、ホール付近の駐車場は軒並み満車になっていた。
シマッタ、萩原麻未人気を侮っていたか、と我々は青くなり、
それから友人の車で、駐車場を探してしばらく付近をぐるぐる回った。
「数百円を惜しまずに、食事の前に最初から100円パーキングを確保しとくべきだった」
「今、私ら、どこらへんにおるんかね(^_^;?」
「私もわからんね(^_^;」
と言いながら、我々はあてもなく、周囲を見回しつつ、のろのろと車を走行させた。
結局、ようやく車を入れることができた場所からは、ホールまで軽く徒歩10分はあり、
我々ふたりは、最初のドビュッシーに間に合わなかった。
「練り上げた作戦であったのだが」
「策におぼれたか」
と友人と反省し合った(笑)。
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・ピアノの稽古は、前々回のレッスンでベートーヴェンのソナタ5番全楽章があがり、
……と言っても、私の速度は遅くて、とても「弾けた」と言えるものではないのだが、
技術面については、あまり拘泥していても今すぐには良いことがないので、
ひとまず弾いたことで一旦終わり、また数年後に機会があれば、と考えることにした。
それで次は、念願通りハイドンのソナタ第48番Hob XVI 35をやることになった。
Katsaris plays Haydn Sonata No. 48 in C major, Hob. 16/35(YouTube)
(↑カツァリスの1970年チャイコフスキーコンクールでのライブ録音!)
ハイドンの作曲当時の楽器は、当然のことながら現代のピアノではなかったのだから、
むしろチェンバロ的な感じで、高い音など味わって弾きたいと思っている。
あとは、ハノンとツェルニー30番も、地味に、しかし途中を抜かしたりしないで続けている。
ハノンは今24番だ。大昔に習っていた頃の先生の鉛筆書きの字で、
『23番24番つづけて』『M=112』などと指定が書いてある。今更、ヤなこった(殴)。
ツェルニーは17番。装飾音がモタつき、三連符の速度も崩れがちで、弾けない(爆)。
・折しも、フー・ツォンが新譜でハイドンのソナタ集を出している。
Piano Sonatas [Import, from US](amazon)
アリアCD内の第56号お奨め単発アイテム(3)に解説があります。注文も出来ます。
2009年8月25-27日、ロンドンにて録音、とあるので、
一昨年の京都公演の直前の時期に入れたディスクだということだ。
まだ私は手に入れていないので、これから注文しようと思っている。
私は今年勝手に、二年おくれのハイドン・イヤーを一人でやっている(笑)。
・『私は、なぜフジコ・ヘミングが支持されるのか、今のところ理解できていない』
と、一昨日ツイッターで呟いたら、賛同者が即座に四名集まった(笑)。
いや、別に私は、「フジコ・ヘミングなど駄目だ」と言いたいのではないのだ。
彼女が大変な人気を誇っていることを知っているし、それが一過性のブームではなく、
きっかけとなったテレビ番組からでも既に十年以上が経過しており、
彼女の演奏に惚れ込んで、是非にと聴きたがる人たちが多数いることを感じている。
彼女の仕事ぶりも破綻がなく、常に聴衆の期待に応えるものであるらしいと見聞きしているし、
実際に私も、彼女の広島公演を聴いたことがある。協奏曲を二曲も弾いていた。
しかし依然として、私自身は未だに、その仲間に入ることが出来ていない。
私の感性は彼女の音楽とは「ねじれ」の位置にあり、交わることがないようだ。
この先、いつか私はフジコ・ヘミングに感応することがあるだろうか。
ファンがアンチに変貌するように、軍国少年が成長して共産党委員長になるように、
私も「全然わからん」から「ぞっこん」へと移ることが、ないとは断言できないだろう。
追記:この日記を書くときには全く気がついていなかったのだが、
なんと今日は、そのフジコ・ヘミングの広島公演があったのだった(O_O)。
もしや私、どこかで彼女と波長だけは合っているのかな(爆)。
6月18日(土)14:00開演 広島市文化交流会館(旧厚生年金会館)
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ヴァレリ・アファナシェフ来日公演について
11月18日(金)浜離宮朝日ホール(東京) 6月8日発売開始
http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/
03-3267-9990
11月20日(日)いずみホール(大坂) 8月5日発売開始
http://www.izumihall.co.jp/
06-6944-1188
11月21日(月)電気文化会館(名古屋) 6月13日発売開始
http://www.chudenfudosan.co.jp/bunka/denbun/topics/index.html
052-204-1133
プログラムは三公演共通だが、とにかく強烈だ。とくに後半が。
大震災後の日本で弾くからこその選曲だろう。
ベートーヴェン:バガテル作品119から1~4番
リスト:4つの小品より「哀しみのゴンドラ」「暗い雲」
ドビュッシー:「沈める寺」「雪の上の足跡」
(休憩)
ベートーヴェン:ソナタ12番から第3楽章「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」
ショパン:ソナタ2番から第3楽章「葬送行進曲」
ワーグナー:「聖杯へのおごそかな行進」
リスト:「詩的で宗教的な調べ」より「葬送」
もし三公演とも聴いたりしたら、地の底にメリ込みそう(爆)。
しかし一方で、アファナシェフなら、何かそこに救いを描き出してくれそうな気もする。
彼自身、幾度か死を覚悟し、そこから新たに生きることを体験した人だから……。
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昨日、ちょっとしたことで、ある調律師さんとお話する機会があった。
この方は長年、コンサートホールの調律を多く手がけて来られたのだが、
面白いことに、クラシックのピアノ音楽そのものには昔からほとんど趣味がなく、
演奏家の名前もその場限りですぐに忘れてしまう、とのことだった。
昔から、「音」というものに並々ならぬ関心があったために、この世界に入られたが、
ピアニストや曲の内容に興味を持ったことはほとんどなかったのだそうだ。
それが昨年本当に久しぶりに、音楽自体に強く引きつけられるピアノ演奏に出会った、
と、その調律師さんは仰った。
このときは、その演奏会の調律を担当なさった関係で、
引き続きリハーサル時も、音の具合を知るために演奏を聴いていらしたそうなのだが、
そのピアニストが弾き始めると、次第次第に「これは何なんだ!」と
奏でられる音楽の中へと誘い込まれ、我知らず音楽の語るものに聴き入ってしまった、
ということだった。
それは、この世にこんな音があったかと思うほどのピアノ演奏で、
根本から魂を揺さぶられるような感動を覚え、深く深く打たれた、と……。
「僕、あんなピアノはホントに今まで聞いたことがなかった」
調律師さんの仰る演奏曲目と演奏会のおよその時期から、
「もしかしてそれは、アブデル・ラーマン・エル=バシャですか」
と私が言ったら、
「そう!!!エル=バシャ!!!その人!!!」
と果たして即座に肯定された。
「そう、レバノンの人!凄いピアニストだねあの人は。本当にびっくりしたよ」
さらに、私にとって興味深かったのは、この調律師さんが、
「昨年もうひとり印象に残ったピアニストはシプリアン・カツァリスだった」
と仰ったことだった。
こちらのほうは、珍しく(笑)ご自身で名前を記憶していらした。
「僕、あの人好きだよ。遊び心があって、楽しくて、大きな演奏だった。」
期せずして私の趣味を大いに肯定された結果となり、私は自信を深めた(^_^;。
勿論、このかたは、私がどのくらいピアノを聴くかなどご存じなかったし、
私がエル=バシャやカツァリスを気に入っていることなど、
予想もしていらっしゃらなかったことは間違いなかった。
イーヴォ・ポゴレリチなど、試しに私から名前を言ってみたが、
「ごめんね。わからない。悪気ないんだけど、僕、本当に覚えが良くないから」
という返答だった(爆)。
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モーツァルトのピアノ協奏曲第27番第2楽章の本番だった。
良いホールで、上等な楽器で弾くのは本当に幸せだった。
しかも、ひとりでは実現できない、「二台」という形式を
演奏する側として体験できたのは、私には素晴らしいことだった。
ミスタッチという意味では失敗した箇所がひとつあったが、
気をつけようと思っていたところは、ほぼ忘れなかったので、
ともあれ無事に弾けて良かったと今は嬉しく思っている。
第2ピアノを弾いてくれた友人にも、心からの感謝を!
ありがとうございました~<(_ _)>!!
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雨の予報だったが、朝はまだ大したことはなかった。
午前中は、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番第2楽章を
セカンドを弾いてくれる友人と合わせるため、某楽器店のレッスン室に行った。
今度の日曜日が、この二台ピアノの本番なので、
きょうがたぶん、合わせとしては最後の練習日になりそうだった。
バックハウスと、フー・ツォンとが、それぞれソリストを務めているCDを
このところ代わる代わる聴いていたのだが、
本当にああいう演奏家は「神の手と耳」を持っている、としみじみわかった。
じっくりと聴き入らせる、このうえなくきめ細やかでたっぷりとした演奏なのに、
実際のテンポは、少なくとも私にしてみれば、思いがけないほど速かったからだ。
ちょっと聴いたくらいではそれはわからなかったが、手を動かしてみて痛感した。
彼らの演奏から受ける印象と、現実のテンポは、私から見れば全く別のものだった。
技巧的には曲が曲だから、速くて指がまわらないという問題は素人でもほぼ無いが、
それでも、私がもし彼らのテンポで弾いたら、まず間違いなく、
曲全体の印象はセカセカした、次々と先を急ぐようなものになってしまうだろう。
では心ゆくまでゆっくりと弾けば、私でも余裕を持って様々なことが出来るのかというと、
これほどに音数の少ない曲を遅く弾こうものなら、とてもじゃないが間が保たない。
音のない部分の「演奏」に耐えるなど、ド素人にそうそう出来るものではないのだ。
こんな有様で、もう数日後に迫った日曜日に、なんとかなるものだろうか(汗)。
しかし勿論、なんとかならなくても、いっこうに構わないのだ。
これは純粋に、楽しいから弾いている、趣味のピアノなのだから。
要は、自分が少しばかり納得したいと思っていて、それが叶うかどうか、という話なのだ。
そして、本番がどうなるものであれ、ここまで練習してみたことによって、
この曲を、ただ聴いてだけいたときとは違った感覚で味わったり、
自分なりに考えたりする機会が得られたのは、本当に幸せなことだった。
当日は、そういう雰囲気がいくらかでも出せればいいなあと思っている。
……と綺麗にまとめたいところだが、私は今、稽古とは別の、姑息な準備に余念が無い。
暗譜など出来ていないし、もとより出来るとも思っていなかったから、
私は先だって、楽譜のコピーを取り、ページをめくるタイミングを考えて、
自分に都合の良いように製本した。
そしてきょう、臨時記号が出没している箇所を改めてひとつひとつ確認し、
忘れそうなところは、念のため♭や♮を自分でも書き入れ、
装飾音やトリルがややこしいと感じる部分については、余白に一音一音書き出した。
それから、譜めくりに手間取らないように、ページの端を補強&加工し、
当日アガって、めくるのを忘れてドツボになってはいけないから、
『(ここで)めくる』と蛍光ペンで譜めくりのタイミングも書き込んだ。
人には見せられない楽譜だね(汗)。
そういえば、ポゴレリチの楽譜には意味のわからない書き込みがたくさんある、
ということを、以前、目撃者の証言(笑)として小耳に挟んだことがあるのだが、
彼は一体、何語で、どのようなことを書いているのだろうな。
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