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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ここに書く機会を逸していたのだが、実は12月28日に、
ピアニストのフー・ツォンが亡くなった。86歳だった。
訃報の出る前日に、「フー・ツォンがCOVID-19に感染し夫人とともに入院し、
一時重篤であったが容態は持ち直している」とfacebookの友人の情報で知り、
このまま回復できますようにと願っていたのだが、叶わなかった。

近年は頸や腰の不調で演奏会をキャンセルすることはあったものの、
持病といえるほどのものはなく、聞く限りにおいて彼は健康であった。
高齢ではあったが、新型コロナウイルスが無ければと、やはり、思わずにいられない。
ただ、一般的に、COVID-19の肺炎は自覚症状としては穏やかで、
「幸せな低酸素症(happy hypoxia)」と呼ばれるほど、苦痛が少ないそうで、
それならフー・ツォンの最期も安らかであっただろうかと思えることは、
遠い、異国のファンであった私にとって、僅かだが慰めとなっている。

中国の世界的ピアニスト・フー・ツォン氏、新型コロナ感染で死去
(RecordChina 2020/12/29 12:08 (JST))
『中国出身のピアニスト、傅聡(フー・ツォン)氏が英国で28日、新型コロナウイルス感染症により死去したと、中国新聞網や多維新聞などが伝えている。86歳だった。』『前日に新型コロナウイルスに感染したことが報じられていた。傅聡氏の教え子で、英国王立音楽大学教授の孔嘉寧(コン・ジアニン)氏によると、傅聡氏は2週間入院していたという。』

私にとって、フー・ツォンとの出会いとなったのは、
80年の、彼のショパン『夜想曲全集』のレコードだった。
その後の、90年代の神戸でのリサイタル、
そして2009年に京都で聴けた演奏とそのときの舞台上での対談のことなど、
いろいろと思い出すことがある。
ショパンへの熱い思い、尽きせぬ望郷の念、深い孤独の陰影、
彼の演奏には様々な、彼の心の歴史を色濃く反映した印象的な音があった。
自身の中にある、東洋と西洋の文化の融合を、芸術の究極の理想とし、
フー・ツォンは自らそれを音楽を通して体現しようと、
追求し続けた演奏家であったと私は思っている。

私がフー・ツォンから学んだ言葉がふたつあって、
ひとつはポーランド語の「zal」、もうひとつが中国語の「赤子之心」だ。
フー・ツォンは、文革で祖国中国に戻れなかった複雑な自分の立場について、
「ポーランド語にザル(zal)という言葉があって、これは
『ノスタルジア、悔恨、傷心、耐え難い憧れ』を総合した単語なのです。
私が長い間の亡命生活で体験したことは、この一語に尽きるのです」
と語っていた。
それは彼の、ショパン演奏の根底に流れるもの、そのものであったと思う。
そして、『赤子之心』、「子供のように無邪気で穢れの無い心」。
彼が晩年にたどり着いた、珠玉のようにきらめくハイドンの名演の数々は、
まさに彼の「赤子之心」の描出だったのではないだろうか。

天国へ上る道で、どんな音楽が彼を迎えたのだろう。
フー・ツォンの魂が、永遠に安らかであることを心から祈っている。


森岡 葉 氏がブログで追悼記事を続けて書かれていますので、リンクを貼っておきます。
追悼フー・ツォン(1)
追悼フー・ツォン(2)
追悼フー・ツォン(3)

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