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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



同窓会幹事の仕事で親しくなった一期上の人が、
70年代ロックに非常に詳しいということが判明し、
最近はもっぱら、この人とメル友している。

70年代ロックと言えば、私の神様はクイーンだったが、
その他、年代相応にBCRやキッスや、エアロスミス、イーグルス、等々を聴いた。
当時私は中学生で、MUSIC LIFEやROCK SHOWを耽読した世代だった。

最初、我々はそうしたメジャーどころの思い出話でひとしきり遊んだのだが、
昨日おもむろに彼女が持ち出して来た話題は。

ANGEL

エンジェル。ご存じの方、いらっしゃいます(^^ゞ?

私は覚えている。
巧かったのに、完全に間違った路線で売り出された、気の毒なバンドだった。
彼女の言葉を借りるなら、
『みんな真っ白いぴたぴたの衣装着て、袖の下から長ーいそうめんぶら下げて、
髪もストレートのロン毛、江角マキコみたいな頭です』。

キッスの悪魔的な黒のイメージの逆を狙って、
白を基調とするアイドル的存在という設定を与えられたのが彼らだった。
袖の下の長い素麺は翼のイメージだった模様。
グラマラス・ロックとして成功することも可能だったのに、
なぜか彼らには運が無かったようだった。

で、なんとなく懐かしくなり、ネットで検索してみたら、
このエンジェルの、77年初来日公演のチラシの裏に書いてあった文章、
というものに巡り会った。

エネルギッシュに、ハードに迫る、
エンジェルの若き貴公子たちのエネルギーが
今君のハートに直撃!!


このコピーだけでも結構笑えてしまったのだが、まだ、続きがある。

『おそるおそる近づきだんだんに知っていく白い白いエンジェルとの出会いは
子供の頃の眠れぬ夜に聴いた夢物語が大人になりかけたあなたにとって本当のお話になりました』

そして、メンバー紹介が、もうもうもう。

ヘリオスに守られた雄々しい勇者の風格グレグさん、
正義の女神アストレアがさずけたフランクさん、
赤い血の星アンタレスを心臓にもつバリーくん、
自由気ままなケンタウロスの申し子ミッキーちゃん、そして、
神々の王ゼウスに愛された女の子と見まごうばかりの美しきガニメーデの愛のかけらパンキーちゃん
彼ら5人があなたのために白い白いエンジェが今あなたの前に
』(原文のママ)

これからは、悲しいことがあったら、白い白いエンジェルにお祈りします!!

***************

笑って悪かった。
あれから調べていてわかったのだが、エンジェルは現役だった。

http://www.angelrocks.com/

もともと巧いバンドだったから、生き残ったこと自体は不思議ではないが、
グループ名を変えることさえしていなかったとは意外だった。
レコード会社の思惑とは別に、彼らの結束は固く、
バンドへの愛着も深かったということか。
あの衣装も、ずっと変わらずに着用して来たのかしら。
ファンにとって、彼らは、依然として白い白いエンジェルなのかしら。

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西川貴教が5月に、アメリカ西海岸・アナハイムにて開催される、
コンベンション「Pacific Media Expo」の前夜祭として、
スペシャルライブを行う、というので、ちょっと調べていたのだが
この、Pacific Media Expoっつーのは、そもそも何でしょうかね(^_^;)?

オフィシャルサイトがあって↓
http://www.pacificmediaexpo.com/
ここがどういう組織でどういう活動をしているかは、だいたいわかったし、
ライブに関しては、場所や日程なども、理解できた(私は行かないけど)。
が、肝心の、コンベンションとしてのPacific Media Expoというのが、
三日間に渡って行われるナンカだということが判明した以外には、
その内容やタイムテーブルの詳細などが、一切、不明だ。

http://www.pacificmediaexpo.com/pmx/reg.html
を見ると、どのイベントに参加するにはどういう手続きが必要で、
受付時間は毎日、何時から何時まで、等々は書いてあるが、
その間ならいつ行っても良いってこと??
こんなわかりにくいオフィシャルサイトがあっていいのか。
だいいちフォントサイズが小さいよ(`へ´)。
私のような老眼には読めないってば。
っていうかもともと視力より英語力が絶対的に不足してるんだけど(逃)。

ライブ以外の部分で、
パネル・ディスカッション、サイン会、展示会、チャリティ・オークション、
などが行われるらしいことは、読んでみてわかった(想像も入っている)。
が、それぞれが、どこで、何時から、開催されるのかが、依然、謎だ。
私が、こういうコンベンションなるものに今まで行ったことがなく、
イベントのイメージを全然把握できてないのが、そもそも問題なのだな。
多分。

ということで、どなたか何かご存じでしたら、ご一報下さい<m(__)m>。

ちなみに、↓のHPタイトルには、ちょと感心しました(^_^;)。
http://www.otakuav.com/index.php

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いつぞやと同じ失敗を、またやってしまった。
きょうの日記をほとんど書き上げたときに、
PCのトラブルが起こって、全部飛ばしてしまったのだ。
直打ちしているときに限って、こういうメに遭う。
一太郎とよく相談してから完成品をここに貼り付ければ良いのだが、
日記はいつもかなり気楽に取りかかるものだから、
なかなか、そういう緻密なことをする気にならない。
で、思いつくままに打ち込んでいたら、このザマだ。

何を書いていたかというと、CD『QUEEN JEWELS』についてだったのだが(^_^;、
ほとんど話が終わるところでオシャカになったので、
どうも気分が萎えてしまって、もう一度同じことを書く気になれなかった。
それで、気分なおしに、超メジャーな某QUEENファンサイトに遊びに行った。
そうしたら。

「自分が、いかにQUEENが素晴らしいかを力説してたら、
父親から、『それは、あれだろ、ウド鈴木のいるグループだろ』と言われた」

という主旨の、とあるファンによる投稿が載っていた。

もっと気分が萎えたっつーか、脱力したっつーか、
しぉしぉのぱぁ、つーか、もう。はははは(T.T)。

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とある会社から仕事として、ちょっとした原稿を書くように言われ、
その資料収集のために、ネットであれこれ調べていたら、
今回書こうとしているテーマに非常に近い内容を扱った文章があった。
そこは検索エンジンでヒットして開いてみたページで、
トップではなく、エッセイの途中から入ってしまったのだが、
一読して、失礼ながら「これは素人の書いたものではない」と思った(何様)。

それでリンクを辿ってそのサイトのトップまで行ってみて、私は仰天した。
それは『みつとみ俊郎』氏ご自身が運営されているサイトだったのだ!!
http://www1.linkclub.or.jp/~flute/index_cover_new.html

この御名前で即座にのけぞるかどうかは、人それぞれだと思うが、
この方の担当された音楽は、多くの人が耳にしたことがあると思う。
みつとみ氏は、作曲家・編曲家でありフルート奏者であり、
2000年以降のNHKラジオ第一放送の午後のテーマやジングルはほとんどすべて、
この方の作曲によるものだし、その他にもたくさんのCMやテレビ曲や、
『ファイナル・ファンタジー』ゲ-ム、アニメ、イベントの音楽等も、
多数、作曲されている。

でも私にとってのみつとみ氏との出会いは、そういうものとは違い、
96年のNHK教育テレビ『まちかどド・レ・ミ』だった。
みつとみ氏はこの番組のプロデューサーであり、
番組中で使われる数々の歌の作曲編曲をほとんどひとりで担当されていたのだが、
私は、見れば見るほど、聴けば聴くほど、
そのなんとも言えない明るさ・楽しさにハマってしまい、最初は娘と観ていたのに、
しまいには自分用に録画ビデオを作り、CDも買ってしまった。
ここで作られた『伝説のコンビニ』という子供向けの歌は、
かなりヒットしたので、ご存じの方も多いかもしれない。

ちなみに、出演者のひとりであるチカ(林 央子)ちゃんが結構愛嬌があり、
真っ赤な短いスカートから覗く、可愛いパンチラが楽しいということで、
主人まで大ファンになり(殴)、お陰で彼はカラオケCDをかければ、
今でも、『ドキドキあいさつ』を歌って踊ることが出来る(蹴)。

それにしても、ああ、今になって、こんな出会いがあるなんて♪
IT社会って素晴らしい、人の縁ってステキだ!
今回の仕事をくれた「とある会社」に、私は今、モーレツに感謝している!!

・・・っていうか、早く、原稿、書けよ(爆)。

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昔、毎年欠かさず、お盆は「ヤオン」、クリスマスは「ドブー館」に、
突拍子もない格好をして出かけていた時期があった。
RCサクセションがブレイクしてから十年弱の間、それが私の年中行事だった。
当時、私の髪は、普段から細かいツイストパーマで、
更にライブに行く前には、行きつけだった原宿の某美容室に寄って、
二時間くらいかけて髪を立てて貰っていたという、念の入れようだった。
本当に似合っているかどうか、なんて、全然頓着していなかった。
ただ、そうしたかったから、した。
若気の至りとは、まさに、こういうのを言う。

しかし、人間とは必ず成長もしくは変化するもので、
キヨシちゃんが親になり『象のババール』なんか朗読しちゃったりするようになった頃、
私のほうも、かつての、かなりな痴れ者からいっぱしの常識人に近づき、
やがて少なくとも表面的には、充分に更正できた。

いささかそれが行き過ぎ、このごろは、もう、ほとんどご隠居さんの心境で、
今どんなドラマがあるかとか、どういう歌が流行しているかとか、
どんな歌手やタレントが人気があるか等に、すっかりウトくなったくらいだ。
名前は知っているが、顔を見てももうひとつよくわからない、とか、
曲は聴いたことがあるが、題名と一致しない、などというのが実に多い。

先日も、ゴスペラーズを初めてちゃんとテレビで見て、
彼らのアカペラの素晴らしさに感嘆した挙げ句に、
「つまり、アレだな、うんと今時なダーク・ダックスだな」
と定義して、主人を唸らせた。

が、フジテレビ系ドラマ『プライド』には、ちょっと注目している。
これに限って、忘れかけていた青春の血が呼び覚まされる。
何を隠そう、私はこのドラマの主題歌に、めちゃめちゃ詳しい。
だって、フレディ・マーキュリーの『Born to love you』なんですもの。
それから、『ホンダ モビリオ』の CM曲も、QUEENのヒット曲『Killer Queen』だ。
聞こえて来ただけで全部一緒に歌えてしまう。おばちゃんは凄いだろう。
私がトレンドについて語れるなんて、絶えて久しく無かったことだが、
今、これらを含むQUEENのベスト盤『Queen Jewels』が大ヒットしている。

なんていうか、大昔に着たスーツが大好きで大事に取っておいたら、
偶然、また流行が巡ってレトロが注目され、
着ても全然おかしくなくなっちゃった、ラッキー♪、
・・・みたいな気分だ(^_^;。

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ROCK JET編集室の「クイーン・ファイル」を遅まきながら買った。
私がクイーンに陥ちたのは76年、FMから流れる独特のギターサウンドと、
厚みのあるコーラスが耳に残り、その曲のタイトルと演奏者を書き留め、
レコード屋にアルバムを買いに行ったのが最初だった。
このときの曲は「'39」。
私はなんと、ブライアン・メイの声とギターと、彼の書いた曲とに惹かれて、
クイーンを知ったのだった。
完全に、フレディ・マーキュリー不在(爆)!!

'39 Queen(YouTube)

が、これで、アルバム「オペラ座の夜」を買ってみて、本当に驚いた。
ブライアンだけでも私には目から鱗が落ちるほどのアーティストだったのに、
(本来の)ボーカルのフレディの、なんと多彩で魅力的な歌声、
それにロジャー・テイラーとジョン・ディーコンの提供した曲の素敵なこと。
かくて、この年から十年以上に渡り、
私はクイーン・フリークとなったのだった。

FCにも入り、「世界に捧ぐ」以降はリアルタイムでクイーンを追ったが、
いかんせん地方在住の学生では、なかなか彼らのライブには行けなかった。
彼らの実演に接したのは、最後の来日となった85年5月11日の、
国立代々木競技場でのライブ、ただ一回きり。
でも、それだけでも聴けて良かった。
あの日、「ライブ・キラーズ」さながらに、
「Love of my life」の大合唱になり、
フレディに「I still love you!」とぞくぞくする声で囁かれた瞬間の、
それはそれは素晴らしかったことと言ったら!

アンコールを待つ間、自然に、
「We will, We will rock you!」の
歌と手拍子足拍子が我々の間から沸き起こって、
見る間に競技場じゅうに響き渡ったときには、我々の興奮は最高潮で、
言語の壁や文化の違いがあろうが、我々はこんなにクイーンが好きなんだ、
日本のファンこそクイーンを最初に見いだし、誰よりも愛し続けてきたんだ、
と、皆の気持ちがひとつになったような、ただごとでない陶酔があった。

92年の夏、私はイギリスを訪れて、
フレディゆかりの地を列車でいくつかまわった。
最後にロンドンに戻ってきたとき、ふと訪ねたロック・サーカスに、
なんとフレディ蝋人形との記念撮影サービスがあった。
撮ったとも。ランニング姿(?)で歌う「ふれで先生」と並んで一枚。

あんなに遠く離れていたのに、あんなに愛したアーティストも他にない。
そしてやはり、クイーンの体現者はフレディだったな、
と、今改めて思っている。

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いい、と思っていたアーティストが、思いがけず夭逝してしまうことが結構あって、
「こんなことなら、どんな無理をしてでも聴いて(観て)おくのだった」
と私はそのたびに後悔するのだけれど、
私にとってただひとつの例外は、シド・ヴィシャスが死んだときで、
彼だけは、早晩死ぬと思っていた通りに死んだので、
全然、意外性がなく、ただ「それが今年だったのか」と頷くような思いだった。
シド・ヴィシャスこそ、私の思う「パンク」そのものだったし、
彼が死んだことで、セックス・ピストルズは永遠になったのだと今も思っている。

ピストルズの実演には接したことがない。
彼らの活動期間は、公式にはわずか26か月しかなかったし、アルバムも1枚きり。
あれほど世の中を騒がせながら、彼らは実は呆れるほど、何も遺していない。
86年製作のイギリス映画「シド・アンド・ナンシー」で、
主演のゲイリー・オールドマンが、シドそっくりの目つきで「マイ・ウエイ」を歌っていて、
私は、映画館で声を殺して悶絶するほど笑わせて貰ったものだが、
シドは勿論、ピストルズというバンドは、歌、音楽、すべて、
オールドマンが再現した通り、壊滅的に、むちゃくちゃだった。
彼らの偉業はムーブメントとしてであって、決して音楽などではあり得なかった。
彼らはそれゆえに、いっそう偉大だったのかもしれない。
彼らは音楽を通してでなく、その存在感を通して、我々に「パンク」を植え付けたのだから。

89年夏、私はマンハッタンに居て、ニューヨーク大学の夏期講座に参加していたのだが、
シドの恋人ナンシーが死んだチェルシーホテルが、寮のすぐ近くにあることに、
あるとき気がついた。
パンクがもとはニューヨーク発祥のスタイルであったということや、
シドとナンシーが、イギリスに居られなくなってニューヨークに渡ったことを、
脈絡もなく思いだしながら歩いていたとき、私はふと立ち寄った本屋で、
ナンシーの母親デボラ・スパンゲンが著したAnd I Don'T Want to Live This Lifeを、
偶然に見つけて、その場で即、買った。
大袈裟だが、なんだかふたりに呼ばれたような気がした。
寮に帰って、一気に読んだ。

シドが死んで、もうじき四半世紀が過ぎようとしている。
彼が死んだことでピストルズは完結したと思っているから、
再結成したピストルズの来日公演など、聴きたいとは思わない。

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こう道楽の種類が多いと、
道楽と道楽が思わぬところでリンクしてしまうことが時々あって、
熊川哲也の舞台を見に行ったら、後ろでピアノを弾いていたのは宮川彬良だったとか、
宝塚の舞台を観ていたら和央ようかが、私のかつての贔屓だったゴダイゴの曲を歌っていた、
等々、これまでいろいろと、嬉しかったり困ったりする組合せに出会ったものだが、
今回はまた、自分でもかなり驚く顔合わせが、いつのまにか実現していたことを知った。

それは、映画「チョムスキー 9.11 Power and Terror」の音楽担当が、
忌野清志郎だった、ということだ。
http://www.cine.co.jp/

私は大学時代に言語学専攻だったので、Noam Chomsky氏の著作には大変お世話になった。
彼が唱え始めた普遍文法の枠組み「変形生成文法理論」が、当時大流行していて、
私は主としてそれを、形態論の分野で、大いに利用させて貰い、
卒論は、日英対照言語学においての、生成文法理論の枠組みによる、
語形成(接尾辞付加)をテーマにしたものだった。
彼の1968年の論文Sound Pattern of Englishが世に出ていなかったら、
私の卒論もなかった(爆)。

その、チョムスキーは、言語学のみならず、社会学・政治学の方面でも、
彼独自の理論を展開し、次々と世に著作を送り出しているのだが、
例の、9月11日のテロ事件をテーマにした彼の文章を映画化したものが今回の企画で、
監督はジャン・ユンカーマン、スタッフはかなり国際的な顔ぶれとなっており、
その中で、な、なぜか音楽担当が、キヨシロー(激爆)。

キヨシちゃんといえば、私は、82年の「い・け・な・いルージュマジック」の頃からファンで、
RCサクセションの全盛期には、夏には日比谷、冬には武道館のライブに欠かさず行き、
毎回熱くコブシを突き上げ、髪を立てて踊り狂い、完全燃焼していたものだ。
やがてRCサクセションが空中分解のようになった頃、私も更生して身を固め(^_^;)、
キヨシちゃん自身が、いつしか業界の大御所のような存在になってしまい、
私としてはなんとなく、一頃ほどの熱さが持てなくなっていたのだが、
今、こんなところで、チョムスキー先生との邂逅が成っていたとは、
本当に感激もひとしおである。

そういえば、キヨシちゃんはCD「COVERS」の頃から、反戦ソングを歌っていたな。
「チョムスキー 9.11 Power and Terror」の音楽も、是非、聴いてみたいものだ。

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