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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



5月8日(金)19:54~20:54 テレビ朝日ミュージックステーション
『忌野清志郎さん永遠に名曲の数々を振り返る』

5月8日(金)21:10~22:45 NHK-FM ミュージックライン
『忌野清志郎特集』
【DJ】鮎貝健
【ゲスト】渋谷陽一(音楽評論家)

5月10日(日)23:30~24:20 NHK総合
『愛しあってるかい?~キング・オブ・ロック 忌野清志郎~』

5月11日(月)24:45~25:35 NHK総合
『SONGS 忌野清志郎ライブ完全版』

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忌野清志郎さん特別番組をNHKが放送(日経トレンディネット)
『「愛しあってるかい?~キング・オブ・ロック 忌野清志郎~」はロック界の頂点に君臨し続けてきた忌野清志郎さんの偉業に敬意を表して放送される特別番組。70年代からNHKの番組に数多く出演した忌野清志郎さんの貴重なライブ映像がたっぷりと楽しめる。』『「SONGS 忌野清志郎」は忌野清志郎さんにとって最後のテレビライブ・ショーとなった2008年2月6日放送分「SONGS」の完全版。「雨上がりの夜空に」「スローバラード」「毎日がブランニューデイ」「誇り高く生きよう」「JUMP」に加えて、アンコールで披露した「上を向いて歩こう」、初公開となる「ダンスミュージック☆あいつ」の計7曲を放送する。』

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2日深夜以来、清志郎の情報を検索なさる方々が、
このような辺境サイトまでたくさんお越し下さり、
アクセス数・閲覧数とも、5月2日深夜から5月3日にかけて、
拙日記としては、かつてあり得なかったほどの記録になりました。
改めて、忌野清志郎の影響力の大きさを痛感しております。
ご覧下さいました方々にお礼を申し上げます。

イーヴォ・ポゴレリチの来日予定が報じられると
いつも急激にアクセス数が増えるのですが、
今回はその比ではなく、本当に驚きました。)

それで念のためなのですが、万が一、この日記のせいで、
告別式日時に関して誤った認識をされる方があってはいけないので、
更新された忌野清志郎 公式サイト『地味変』の記述を、
こちらにも貼っておくことに致します。

*************

1.日時 5月9日(土)12時~13時 (関係者)
  13時~18時終了予定 (一般)
2.場所 東京都青山葬儀所(東京都港区)
3.喪主 栗原景子(妻)

弔問の終了予定時刻は当初「終電くらいまで」との情報がありましたが、
これは飽くまでも関係者の御好意によるところであり、
公式的には18時終了の予定となっています。
18時以降、もし弔問が途切れないような状況であれば、
引き続き受け付けて下さると考えられますが、
必ず夜まで開いていると確約するものではありませんので、
お出かけになる方は、どうぞ18時までを目標になさって下さい。

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3日の早朝、携帯にたくさんメールが来ているのを不審に思い、
開いてみて、その一通目で清志郎の死を知った。
あとのメールも全部、清志郎のことを知らせてくれた、
友人たちからのものだった。

あの清志郎がいなくなってしまった。
BOSSだったのに。KINGだったのに。GODだった筈なのに。

自分に近しい人が亡くなったのとは別の種類の、
とてつもなく大きな喪失感があった。
例えば太陽とか北極星みたいな、大きくて、いつも遠くにあって、
いちいち存在さえ確かめなくても、そこにあるのが当然で、
とても頼りにしていて、見上げればいつでも目に入って、道標だったもの、
……が、不意に、見えなくなってしまったような気がした。

目の前の人間に何らかの影響を与えることは、ある意味当然で、
無意識に誰でもがしていることだけれど、
一度も個人的に働きかけることのない関係のままで、
人の人生に深い何かを与え、その気持ちを揺り動かし続けることは、
選ばれた人間にしか出来ないことだ。
清志郎は、私にとって、四半世紀以上、そういう人だった。

『ずっと夢みさせて くれて ありがとう』
『眠れない夜ならば 夜通し踊ろう』
『大人だろう 勇気を出せよ』
『誇り高く生きよう』
『最後のバラードまで そばに居てくれる
 本当さ それだけで感謝してる』
…………。

清志郎からは、数え切れない、たくさんの言葉を貰った。
普通の、私たちがいつも使っている言葉が、
こんなに綺麗なものだったなんて、清志郎が教えてくれたことだった。
若いときの清志郎は、
『お月様 お願い あの娘を返して』
『僕の心が死んだところさ そしてお墓が立っているのさ』
『汚れた心しかあげられないと あの娘は泣いていた 綺麗じゃないか』
等々と、哀しい歌をたくさん作ったけれど、近年になってからの詞で、
『今日も朝が来て 君の笑顔を見て 100%以上の 幸福を感じる
100%以上の 幸福を感じる  365パーセント 完全に幸せ』
と歌ったことを考えると、ファンとして、今、とても慰められる思いだ。
彼は、最後に、ひとりではなかったのだ。

ネットの情報によると、9日、13時からの青山葬儀所での告別式は、
一般も参列可能で、仕事帰りや遠方からの弔問客のことも考慮し、
かなり遅くまで会場を開けて待っていてくれるとのことだ
追記:その後の情報によるとおよそ18時までらしいとのこと)。
広島ベイベーである私には、9日当日の参加は時間的に難しいが
それでもなお、夜までにはもしかして辿り着けるかも?
というあたりは微妙で、今、往生際悪く考えているところだ。

いつも、ライブの最後に、
「とうとう最後の曲になっちゃいました」
「きょうも最後までこんなに盛り上がってくれてどうもありがとう感謝します!」
と必ず清志郎は言ったものだった。
それから、「OK、チャボ!」の声で、ギターが始まり、
『雨上がりの夜空に』を全員で歌って……。
私たちは、声を限りに歌って、踊って、それでも、
まだ終わってほしくない、もう一度出てきて欲しい、
と思いながら、会場を離れず、いつまでも拍手を送り、
清志郎ー!!清志郎ー!!と彼の名を呼んだものだった。

だから9日の午後も、私はどこにいようとも、
清志郎がもう一度姿を現してくれるのを待ちながら、
心の中で、最後まで、「きよしろっっ!!」と声援しようと思っている。
そして、盛大な拍手をもって見送りたい。
私たちは、ステージを降りる清志郎に、いつもそうやって、
賛辞と感謝を熱く熱く、表現して来たのだから。

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THE DAILY YOMIURIを買ったら、OBITUARY(訃報)の欄に
清志郎が写真入りで掲載されていた。

仙台のホテルに着いて、私には珍しくテレビをつけたら
きょうの清志郎の密葬の模様がニュース番組で報じられていた。

いつもマント・ショーで使っていたマントが
棺の上にかけられていた。
うつむいたままのチャボが痛々しかった。
止まない清志郎コールと、盛大な拍手に送られての出棺だった。

清志郎っ!!

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訃報:忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け(毎日新聞)
『「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。』


 ずっと夢を見て 幸せだったな
 ずっと夢を見て 今も 見てる
 ずっと夢見させてくれて ありがとう
  (THE TIMERS『デイ・ドリーム・ビリーバー』)

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二十年前に読んだ『And I Don'T Want to Live This Life』を
最近になって、なんの気なしに最初から読み直していたら、
なんと、『WHO KILLED NANCY』という映画が、
今月から東京で公開されていたことに、きょう、気づいた。
誰が、ナンシー・スパンゲンを殺害したのか。
これは英ガーディアン紙の文章にある通り、
『パンクロック史上最大のミステリー』だと私も思っている。

1978年10月12日、ニューヨークのチェルシー・ホテル100号室にて、
刺殺体で発見されたのが、当時20歳だったナンシー・スパンゲン。
容疑者は、パンク・バンド『Sex Pistols』の元ベーシスト、
シド・ヴィシャスで、シドとナンシーは当時、恋人同士だった。
70年代後半に日本でMUSIC LIFEやRockShowを講読していた人なら、
シドとナンシーの、毒々しく強烈なカップルの写真を
誰でも見たことがあると思う。

私はピストルズのデビューから崩壊までを
リアル・タイムで知っていた世代で(勿論、雑誌やラジオを通して、だ)、
ピストルズのヴォーカルだったジョン・ロットンが、
QUEENのフレディ・マーキュリーを名指しで罵倒していた記事も、
あの頃、とても面白がって読んだものだった
フレディ本人が、彼を全く相手にしていなかったのが可笑しかったが、
一方で、いかにも鼻息の荒いジョンのことも私は嫌いではなかった。

シドは、そのピストルズに少し遅れて加入したメンバーだった。
漫画『デトロイト・メタル・シティ』第2巻で、
金玉ガールズのヴォーカルのニナちゃんが、
シャツが破れ胸に怪我をし顔を(鼻炎のために)歪めた根岸を見て、
『コ、コレは、シド・ヴィシャス!!』
と愕然とする場面があったが、それくらいシドというのは、
彼以後のパンク世代からは崇拝されている存在だ。
(シド・ヴィシャスについての概略は、こちらをどうぞ)。

私は、70年代にピストルズの記事を通してシド・ヴィシャスを知り、
寄り添うように彼のそばにいたナンシー・スパンゲンのことも、
そうした記事の写真を見て、ほぼ同時に覚えた。
彼らのことは、その衝撃的な死をも含めて忘れがたく、
88年に公開になった映画『シド・アンド・ナンシー』も観に行った。
89年夏にNYに行ったときは、事件の現場だったチェルシーホテルに行き、
その帰りに書店で、ナンシーの母デボラ・スパンゲンの著書である、
『And I Don'T Want to Live This Life』を偶然見つけて、買った。

この本には、家族、特に母親の目から見たナンシーのことが、
赤ん坊の頃から20歳で亡くなるまでの出来事を追いながら、綴られている。
ナンシーは、フィラデルフィア近くに住むユダヤ系中流家庭の長女だった。
両親は教養ある勤勉な人達で、妹弟も真面目で穏やかな性格だった。
世間では「ナンシーは情緒不安定で、非行に走り麻薬常習者になったため、
家族から疎まれ、孤独だった。それゆえにシドとの破滅的な愛に溺れた」
という観点で発言する人たちが今でもいるようなのだが、
母親デボラの記述からは、ナンシーの状態が、
そのように生やさしいものではなかったことが、読み取れる。

ナンシーは、結論だけを言えば、統合失調症だった。
しかし診断がつくのに時間がかかり、そのために、
適切な治療や教育を受ける機会を長く逸し続けたことで、
彼女の状態は、より深刻なものになった。
家族が彼女を見捨てた、と見られても仕方のない側面はあるが、
日々のナンシーの言動を読めば、彼女との生活が、家族にとっては、
自分たちの生死をも左右する過酷なものだったことが理解できる。

ナンシーは11歳の頃から、望みといえば「死にたい」だけ、
現実世界では少しも安らぎを得ることが出来ず、
闘い続けた彼女の慰めになったものは、音楽とヘロインだった。
シドは、期せずして、彼女の欲したものすべてを与えてくれた。
パンクロックと、ドラッグと、そして、死。
勿論、刑事事件としては、ナンシー殺害について、
シドが犯人なのかどうか、今日までハッキリとはしていないし、
そこにはもしかしたら不幸な偶然が重なっていただけかもしれないが、
彼女の死とシドとの恋愛が、全く無関係であったとは考えにくいと思う。

映画『WHO KILLED NANCY』では、大勢の人々の証言を追い、
ニューヨーク市警の捜査資料を洗い直して、
ナンシーの死の真相に迫ろうと試みているようだ。
『And I Don'T Want to Live This Life』を久々に手に取った途端に、
このような映画が公開されるとは、やはり私はなんとなく、
シドとナンシーに呼ばれているみたいな気がした。
死後三十年を経て、なお強烈な、ふたりなのだった。

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20日の晩はT.M.R. LIVE REVOLUTION'08-'09の広島公演に行った。
昨年から始まったこのツアーもいよいよ終盤で、
広島@ALSOKホールは千秋楽から三番目の公演地だった。

東京から、いつもの西川ファンの友人が広島にやって来て、
そのうえ、今回は、なんとうちの娘とその友人までが参戦した。
娘は、アニメ『Soul Eater』の主題歌resonanceで西川貴教に注目し、
更に、娘の中学の仲良しの中に以前からの西川ファンがいて、
彼女は同時にゲーム『戦国BASARA2』マニアでもあったために
(=西川氏がフロントマンであるabingdon boys schoolが
主題歌を担当)、
ライブに行くなら是非一緒に連れていってくれと言って来たのだった。
ということで、中嬢ふたりと四十代の我々という変な四人組で出かけた。

私は西川貴教の独特のカリスマ性をとても気に入っている。
あの声の強さも凄いが、彼の全身から発散される覇気がイイ。
一方、中嬢らに訊くと、彼女らにとっての西川氏は、
とにかく声が格好いい、音楽が格好いい、ルックスが格好いい、
と「格好いい」の三連発であった。
同じ「格好いい」でもジャニーズ系でないところが、
なんとも、うちの娘&その友人らしいユニークさというか、
フツーの人の斜め上を行きたい志向だなと感心してしまった。

私は今回、ドラムスの長谷川さんにシビれてしまった。
なんという、重くて強烈なドラム、あれはもはや「ネ申」。
ひぐっつぁん(LOUDNESSの樋口宗孝)を思い出してしまった。
長谷川さんの音なら仮にヘヴィメタであっても即OK、
西川氏の声と合わせて聴くと、迫力が倍増されて凄かった。
打ち込み系より、根本的に、こっちのほうが良いんじゃ・・・?
ベースのIKUOさんも相変わらず冴えたプレイで
チョッパーも胸のすくような見事さだった。
ドラムといいベースといい、今回はリズム・アレンジに
とても心惹かれたライブだった。

ひとつわからなかったのが、前半の寸劇というか、
ゲームみたいなお芝居仕立ての演出で、
私はほぼ完全にストーリーを誤解したまま観ていた。
とゆーか、父親に反逆した主人公(西川氏)が
冒険の旅に出た話かと思っていたら、
闘っている相手が父親とは関係のない人々みたいで、
最後のほうで鮮やかに斬って倒して、『戦いは終わった』。
え・・・・?何に勝ってどうオワタのか、誰か教えて?
と思っているうちに、私に関係なく物語は決着したようだった。
断片としては、娘らの言ではないが「格好いい」には違いなかったが、
内容は、よくわかりませんでした(殴)。すびばせん。

広島のアンコールはLEVEL4
もう、こちとらのレベルはさんざん上がっていたので、
最後はキレそうな盛り上がりだった。
広島の観客は「お好み焼き」の話題になると
突然別人のようにテンションが上がる、
と最初のアンコールのMCのときに西川氏が呆れておられたが、
そうかな、客席としてはそれ以前から凄かったんだがな?

西川氏の言う通り、ライブというのは、
いろんな人がそれぞれの時間を生きている日常のほんの数時間を、
ほとんど偶然に、同じ空間の中で共有するという不思議なものだ。
それはたった二時間半に過ぎないし、終わったら皆、
また、元通りの時間の中にそれぞれ散っていくのだけど、
T.M.Rと共有したものの御陰で、それまでなかった元気が出て、
ちょっと新しい「命」みたいなものが湧いて来る気がするから凄い。
それをくれる西川氏は、やはり希有なシンガーだと思った。

「俺のご馳走は、お前らだから」。
西川貴教は、心憎いほど観客の心理を掴んだカリスマなのだった。

T.M.Revolution - resonance【PV】(YouTube)
Abingdon Boys School HEY!×3 Phone Booth(YouTube)

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中学や高校の頃の私は、深夜放送を聴く趣味はなかったが、
例外的に、NHK-FMの『サウンドストリート』はよく聴いていた。
一番好きだったのは、甲斐よしひろで、
彼の日はかなり熱心に聴いて録音も長い間残していた。
曲やアーティストについて彼の語る言葉も興味深かったし、
ご本人のライブもときどきあって、これも面白かった。
そもそも私は、もっと以前のAMの『若いこだま』の頃から
甲斐よしひろの語りがとても好きだったのだ。
大ファンまでは行かなかったけれど。

もうひとり、渋谷陽一の日も結構聴いた。
こちらは、ご本人の文章にはもっと前から注目していたのだが、
ラジオが気に入ったのは、この人の企画そのものに魅力があったからだ。
渋谷陽一は、私が常日頃なんとなく「いいな」と思っているものを、
いつも、率先して取り上げてくれる人で、しかもその切り口が、
「そうそう、そういうのが聴きたかったんだよ!」
と思う、心憎いほどファン心理を掴んだものだったのだ。

その、懐かしいサウンドストリートが、
先日来、少しずつ、WEB上で復刻されている。
NHK青春ラジカセ:サウンドストリートがよみがえる!

渋谷陽一の『クイーン特集』、これはもしかしたら、
実家を探せば、当時の録音テープが残っているかもしれないのだが、
あのときの放送は、英国BBCの協力を得て、
クイーンのメンバー、とくにブライアンとロジャーが大半だったが、
彼らのラジオ用インタビューの録音をそのまま流したものだった。
今、サイト内にある復刻版では、BBC部分はカットされ、
渋谷陽一が訳しながら説明するところだけになっているが、
本当は、メンバーの声がじかに聴ける内容だったのだ。
ブライアンの美しいイギリス英語に聞き惚れ、
ロジャーのハスキーな話し声に胸をときめかせたものだった。

そして、私にとって嬉しいことに、このたび、
同じ渋谷陽一の担当の、81年忌野清志郎の回がUPされた。
ルージュ・マジック以前、RCがブレイクし始めた頃だ。
残念ながら、私は当時はこれを聴いていなかった。
まだ清志郎に注目していなかったのだ。
やはり渋谷陽一は「いち早く」情報を届けてくれた人だった、
と今更ながら思った。

『サウンドストリート』の復刻は続いているようなので、
このあともとても楽しみだ。

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今、残念ながら詳しく書く時間がないのだが、
「ヨイトマケの唄」のメッセージというのは並大抵ではない、
と、きょうは、改めて思った。

特に、級友からいじめ抜かれて学校を飛び出した主人公の少年が、
母親の働く姿を見て泣きやむところの描写が、凄い。
母親の仕事のことや、家が貧乏であることを理由に、
少年は学校で理不尽なイジメにあっていたのだが、
男たちに混じって日雇いの肉体労働に従事する母親を見て
心打たれ、涙も忘れ果ててしまう。

そして、彼が何を思ったか。

少年は、自分を虐めた級友の残酷さを恨んだのではなかった。
自分たち家族を救わない社会の不公平さを糾弾したのでもなかった。


少年は、学校へ戻るのだ。

 勉強するよ と言いながら
 勉強するよ と言いながら

美輪明宏:ヨイトマケの唄(YouTube)

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清志郎 寛平へ闘病後初の新曲プレゼント(sponichi)
『喉頭(こうとう)がんの治療で休業中のロックシンガー忌野清志郎(57)が、06年7月に闘病生活に入ってから初の新曲を作った。』『前人未到の地球1周「アースマラソン」に挑戦するタレントの間寛平(59)のために書き下ろした応援歌「走れ何処までも」「RUN 寛平 RUN」の2曲。』『今回も直接本人から頼まれ、11月21日にレコーディング。前日に米R&B界の大御所「ブッカー・T&ザ・MG'S」の来日公演に飛び入りした際、ギターのスティーブ・クロッパー、ベースのドナルド・ダック・ダン、ドラムスのスティーブ・ポッツの3人に「明日も一緒にやる?」と誘い、スゴ腕ぞろいのメンバーで録音した。』『寛平は「ロックのキングが作ったブルースや!」と感激。清志郎は「頑張って、アメマ~(寛平のギャグ)でいきましょう!ヨットでは鯨に食われないように気をつけて。応援してます」とエールを送っている。』

3月の、京都会館での「あめま~!」を思い出すな~。
清志郎の想いと一緒に、寛平ちゃんは夢に向かって走るのだ。
清志郎に曲を依頼した(してくれた)、寛平ちゃんの気持ちを思うと、
ファンとして、その温かさもまた、とても嬉しい。
ありがとう!走れ!寛平ちゃん!!


間寛平さん:マラソンとヨットでの世界一周に出発(毎日新聞)
『お笑いタレント、間寛平さん(59)がマラソンとヨットで約3万6000キロの世界一周にチャレンジする「間寛平アースマラソン」が17日、大阪市中央区のなんばグランド花月(NGK)からスタートした。2年半をかけて世界一周する。途中で帰国せず、継続して一周するのは世界初の試みという。』

KANPEI EARTH MARATHON
上記サイトで、吉本の皆さんに見送られての寛平ちゃんのスタートの模様、
それに応援歌『走れ何処までも』と清志郎の映像が観られます。

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