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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・何人かの方々からご心配頂きましたが、21日(月)は結局、
宝塚大劇場には行きませんでした<(_ _)>。お騒がせ致しました。
ともちんルネのほうの配役ならば、12月のポゴレリチ来日のとき
東京で観ることが可能ですので、今回は執着しないことにしました。
いろいろありがとうございました~<(_ _)>。

・昨日は、歯医者に行った。
左下4番か5番あたりの歯が、固いものを噛むと響くような?と
数日前から気になり始め、更に右上奥も違和感があるような気がして、
こういうのは行けるときに行っておかねば、
と私にしては建設的なことを考えて、受診した。
全体のレントゲンを撮られたが、
私の訴えている箇所も含めて、どこも特に異常は無く、
過去の治療跡が傷んだり緩んだりしているというのもなかった。
歯周ポケットも、3.5ミリの箇所がいくつかあったが、あとは問題なかった。
それで、知覚過敏の治療をして、しばらく様子を見るということになった。
もうひとつ、左下8番(親知らず)が、やや斜めに生えているせいで、
それの前の7番が虫歯になり始めていると指摘されたが、
問題になっているのは8番の影にあたる箇所なので、
8番を抜くか大きく削るかしないと、完全に7番を治療することは難しい、
とのことだった。
今は全く症状がないし、様子見で良い程度の状況だそうだが、
将来的には進行するかもしれない、と不吉なことを言われた(T_T)。

**********************

年中テストで大混乱!? 大学センター試験廃止へ…「達成度テスト」に異論噴出(ZAKZAK)

現行のセンター試験を廃止し、かわりに「達成度テスト」を設ける、
という提言が次回の教育再生実行会議でまとめられるようだ。
「達成度テスト」は「基礎レベル」「発展レベル」の2種類が設定され、
在学中の到達度をはかる「基礎レベル」は推薦入試やAO入試の参考試験となり、
「発展レベル」は一般入試に利用されるが、一点刻みの点数制でなく、
一定幅の段階評価とされ、生徒は複数回受験できる制度になるらしい。
大学側の2次試験は面接や論文重視のものとなる見込みだそうだ。

複数回受験でき、かつ、その中のベストスコアを入試に使用できる、
というのであれば、その点は良いのではないかと私は思っている。
インフルやノロが流行し、積雪で交通ダイヤの乱れがちな真冬に、
事実上の一回勝負で人生が決まる、
という現行の一次試験は、やはり心身ともに酷だと感じるからだ。
共通一次ほどの縛りはないにしても、センター試験は科目数が多いので、
あれだけ大量の試験に、一度きりの機会で成功したいというのは、
受験生にとって大変な重圧であることは間違いない。

その点、例えばTOEFLを北米留学に使う際など、
早めに受験を開始し、納得いくスコアが出なければ幾度か受けて、
一番良いものを願書につけて出す仕組みになっており、あれは合理的だ。
「達成度テスト」もあのように柔軟なシステムになるなら、良いことだと思う
(そうでなく、複数回受験が義務づけられ累計を成績にするというのだと、
毎回が入試になり、負担増になるからダメだと思うが)。
しかし試験回数が多く設定されると、全員揃って全回受けるのでなくても、
確実に現場の負担にはなり、高校の授業確保がいっそう難しくなるだろう。
特に、時間割を組む際に自由度の低い公立高校に
しわ寄せが行きそうでイヤな感じがする。

こういう公的な入試改革の記事を読むといつも思うのだが、
国公立大学の入試も、私大のように各大学に任せるのはいけないのだろうか。
入試日程をある程度統一すべきだろうというのは私も理解できるのだが、
試験内容まで国が干渉して画一化しようというのは、望ましいことなのか。
大学はそれぞれ特色があり、歴史も違えば得意分野も異なるのだから、
どういう学生が欲しいかという基準も、大学によって独自のものがある筈だ。
統一の一次試験などやめて、今でいう二次試験だけにすれば良いのでは、
と私は以前から思っているのだが、やはりこれは乱暴な発想か(^_^;?

徹底的にペーパーテストに強い学生が欲しい大学もあれば、
才能やセンス、実技がすべてと考える大学もあるだろうし、
人と違う、ユニークな学生にこそ来て欲しいという大学もあるだろう。
孤独で緻密な実験作業に耐えられないと成果の上がらない専攻もあれば、
対人スキルに優れていないと続かない、という専攻だってある。
もし、一次試験・二次試験と二段階選抜が必要だという大学があれば、
大学独自にそうすれば良いだけではないか。
推薦もAOも、意義を認める大学は大学ごとの方式でやれば良いのだし。
国の定める内容の統一テストを全国公立大学の入試にしよう、
同時に高校現場と受験生の負担減も実現しよう、
というのは、もともとかなり難しいことなのではないだろうか(^_^;。

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台風18号 交通機関の運行状況(RBB TODAY 9月16日(月)12時5分配信)
『大型の台風18号は愛知県に上陸し、甲信地方を北北東へ進んでいる。16日は各地の交通機関に影響が出る見込みだ。運行状況は変化するので、利用の際は都度、各交通機関事業者に確認されたい。』『航空…JALとANAについて16日の遅延、欠航、条件付運航(出発空港への引き返し、他空港への着陸)の可能性がある空港は、以下のとおり。いわて花巻、大館能代、秋田、仙台、山形、庄内、福島、新潟、東京成田、東京羽田、大島(全便欠航)、三宅島(全便欠航)、八丈島、静岡、名古屋中部、能登、富山、小松、大阪伊丹、南紀白浜、但馬、鳥取、米子、隠岐、徳島』

よりによって娘はきょうから、サークルの合宿で北海道に行くことに
(生意気にも!)なっており、今朝8時半に羽田集合の予定だった。
台風が来るのでダメなのではないかという予想は数日前からあり、
一応は集合してみて、可能なら遅延でも出発、最悪は中止、
という申し合わせが、参加者内で事前に出来ていた。

……というところまでは昨日、聞いていたので、
「どうなりました?欠航では?」
と10時過ぎ頃メールを送ってみたら、娘は時間通り羽田には行っており、
「ANAは頑張ってます。待機中」
とレスして来た。
どの便に乗るのか聞いていなかったが、ANAのサイトを開いてみたところ、
この時点では9時半の便が1時間半遅れで出発予定とあり、
その後は数便続けて欠航、次は午後1時から再開と書いてあった。
空席は午後2時台に設定された臨時便にだけ、あるようだった。

この事態で娘が一人旅だったら、私も非常に心配したと思うが、
今回のはサークルの合宿で、上級生も一緒なのだから、
どう転んでもなんとかなるだろうと、
私は娘の状況そのものについては別段、不安は感じなかった。
変更手続きで並ぶにせよキャンセル待ちをするにせよ、
こういうときの空港は混雑するだろうし、ご苦労さんとは思ったが、
まあ娘らにしてみれば、今年の夏コミの待機列の過酷さに較べれば、
とりあえず許容範囲だったのではあるまいか(^_^;。

それからどれだけ待ったのか、どういう交渉があったかは不明だが、
昼過ぎになって娘から主人宛に来たメールによれば、
結局、全員で変更できる札幌便というと明日になってしまうとのことで、
残念ながら今回の北海道合宿は中止となった。
予定を縮小して出かけるより、今すべてを取りやめたほうが、
返金の割合が良く、損失が最小限で済むという利点もあったようだ。
娘らはそれで、参加予定だった合宿メンバーのひとりの自宅に、
これから泊まりに行くことになったそうだ(笑)。
皆、着替えも何もかもスーツケースに詰めて出てきたのだから、
そのままどこへでも「お泊まり」できるというわけだ。
ま、友人宅ミニ合宿なんてのも、これはこれでなかなか良いかもね?

ちなみに、台風の進路でない広島は、風は強いが朝から良い天気だ。
主人の話だと、昨夜は強風で一晩中、大きな音がしていたというのだが、
私は全然、知らなかったね(爆)。

*************

情報を探していてTwitterで見た書き込みの中に、
福岡で羽田便を待っている人のツイートがあり、それによると、
『福岡空港を離陸致しましても、羽田空港に着陸できない場合、
福岡空港に引き返すことがございますので、ご了承下さいませ』
というアナウンスがあったそうだ(^_^;。
結果論だが、そうなったら純然たる時間の無駄や(爆)。
せめて伊丹かどっかに降りられんものかね。
そういうときって、航空運賃は戻って来るのだろうか?
全部整備して飛び立ったのだから、航空券も「搭乗済み」扱いだが、
もとの空港に戻るのなら、結局、移動距離は0よね(汗)。


追記:上記の件、調べてみた。出発空港への引き返しの場合、
予約日から30日以内の変更、もしくは払い戻しが可能とのことだ。
空港での情報に関するよくあるご質問(ANA)

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夕方6時から市内の某ホテルで、娘の大学の、
同窓会広島支部『平成25年度総会及び懇親会』があった。
卒業生だけでなく、現役生の保証人にも案内があり、
家族、友人知人、など、縁のある人は誰でも対象者だということだったので、
初年度だし一度くらい行ってみようかと思い、出席した。

それが運悪く、夕方、家を出るのに少々手間取ってしまったせいで
私は遅刻し(殴)、ホテルに到着したとき大いに焦っていて、
同じフロアの向かい側の宴会場で開催されていた別の大学の同窓会に
うっかり出席しそうになった。
しまった、大学が違うとるやんけ!
っていうか私は、どっちの大学の卒業生でも、ないっ(爆)!
おまけに、仕事で遅くなった主人は私よりもっと遅刻し、
ようやく二人揃って会場に入ったときには、とっくに総会行事が始まっていて、
学長講演会の最中というのに、最前列に近い席しか空いたところが見つけられず、
我々夫婦はとことん悪目立ちした。

私はこういう総合大学の同窓会なるものを覗いたことがなかったので、
大半が男性である会場の雰囲気や、オジさんオジイさんたちの談笑の様子など
いろいろ眺めながら、世の中こうなっているものなのか…と珍しかった。
自分は女子大出身で、同窓会と言えば昼にどこかの料理屋さんで集まり、
食事のあとは近隣の史跡など見学に行くというのが多かったが、
ここの懇親会は、ホテルの大宴会場での立食パーティになっており、
お料理もお酒も次々と運ばれて、コンパニオンの女性もいて華やかだった。
ステージでは卒業生の活躍ぶりが紹介されたり、
地元企業から提供された商品の当たる、抽選会が行われたりしていた。
最後には応援部の現役生の演しものもあった。

それは良かったのだが、主人も私もここの卒業生でないため、
やはり二人ともアウェイ感は否めなかった。
顔見知りなど最初から居ないし、学生時代の思い出も共有していないし、
応援歌のたぐいも知らないし、同窓会内の有名な人に関する知識もなかった。
それでも主人は、周囲の男性方と名刺交換し仕事の話をしたり、
自分の中高の同級生でこの大学に進学・卒業した旧友に出会ったり、
この大学出身の同業者が声をかけて来てくれたりして、
何かと男同志で話題もあるようだったが、
私は娘の高校時代のママ仲間も見つけられず、全く持てあました。
それで、人より暇なぶんだけ食べた。
尿路結石のモトになりそうなシュウ酸を、随分摂取したと思う(爆)。

途中、「ところで神宮球場のカープは、今、どうなっとるんか」
という質問が出たのは、さすが広島だった(^_^;。
会長さんが、「途中経過、カープ対ヤクルト、10-3だそうです」
と報告して下さり、出席者の間から一斉に大きな拍手と歓声が起こった。
それまで皆てんでにテーブルを渡り歩き、活発に旧交を温めて喋っていたが、
この話題だけは全員一致で盛り上がった(笑)。

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午前中は漢詩を読む会に行き(書く機会を逸していたのだが、
昨年末、新しい先生をお迎えして、若干、会員さんの顔ぶれも変わり、
新たなかたちで漢詩の会が発足したので、私はそこに所属している)、
午後からは、娘の通っている大学の『家族懇談会』が
市内の某ホテルで開催されたので、雨の中、行って来た。
会場で知ったのだが、こういう自宅外通学生を持つ家族のための、
各地での懇談会は、ひとつの開催地につき2年に一度なのだそうで、
広島はたまたま今年あったが、次回は再来年、ということだった。

結構広い宴会場で、参加者はざっと見たところ100名以上だった。
広島やその近隣に、こんなに大勢の
保護者・保証人等の関係者がいたことを私は初めて知った。
一方で、娘と同じ高校からこの大学へは、
今年、3名だったか4名だったかが進学した筈なのだが、
きょうのところは、知っている人とは全く出会わなかった。

流れとしては、開会挨拶と大学側出席者の紹介、
同窓会広島支部の代表者挨拶、
大学の近況、学生の学習・学生生活・進路についての説明、
あとは質疑応答、閉会、で、だいたい午後2時から4時半くらいまであった。
いろいろと大学について初めて知ることが多かったが、
娘のほうこそ、きちんと聞くべきなんじゃないか、
と思った話もいくつかあった。成績評価のこととか(--#)。

就職についての話も私には目新しいことばかりで面白かった。
私が大学4年生だった86年4月に男女雇用機会均等法が施行されたのだが、
当時は、大学4年の夏からが本番で、9月に内定が出なくても、
12月のボーナス時期のあと、大手から少なからず退職者が出るので、
学生は4年生の冬まで十分に就職活動ができる、という感覚があった。
しかし今は万事が前倒しで、動き始めるのは3年生の12月からだし、
4年生の4月にはもう内々定が出ている人も少なくないのだった。
何より私が勝手にビックリしたのは、かつてあった『就職協定』が
とっくの昔(96年)に廃止になっていたことだった。私は浦島さん(爆)!
現在はそれにかわり、『倫理憲章』なる紳士協定的なものがあり、
それがまた、今の学部2年生が就職活動を始める頃に改定される見通しで、
そうなると、企業説明会やエントリーが3年次終了の3月から、
面接など選考活動が4年次の8月から、に変わる可能性があるとのことだった。

いずれにしても、娘は一人暮らしで私は何も関知していないので、
本人が今後ちゃんと大学で説明を聞いて、怠りなくやってくれるようにと、
せいぜい、祈っておくくらいのことしかできない。
大学の統計資料を見ても、広島へのUターン就職をした学生は少ないようだったし、
娘が東京で就職活動をするのであれば、私には事情などわかろう筈もない。
親があまり就職のことであれこれ手出しをしてはいけない、
という意味のご注意が大学からあったが、
わたしゃ、そもそも娘の手伝いなんか、無理っ(爆)。

それはともかくとして、きょうの会場は寒かった。
あまりに冷房が効きすぎていて、着席してしばらくしたら全身が冷え切り、
最初のほうの大学近況の話題など、私は呼吸するだけでも咽喉が寒いくらいで、
なかなか頭に入らなかった。
エコだ節電だという世の中なのに、あのホテルは一体どうなっているのか。
ほかの方々も腕をさすったり上着の襟元を合わせたりして
話の間じゅう、冷え対策に苦慮なさっている様子だった。
アンケート用紙があったので『寒すぎ』と大書してやろうかと思ったが、
さすがに休憩時間に参加者から一言あったと見え
(あるいは大学側が自発的にホテルに申し入れをされたのかもしれないが)、
懇談会の後半は、室温がずっと温暖に(^_^;なっていて、助かった。

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階層上位のママ 会費8000円ランチで困る下位ママ見て楽しむ(Newsポストセブン)

今朝は「ママカースト」関連の記事が、
私のyahooのアクセスランキングに複数出ていて、
なんとなく開いて、読んでしまった。
ランチで会費8000円って、純粋に不思議なのだけども、
一体どこで何を食べれば、昼にその値段になるのだろうか。
六本木あたりのフランス料理店で、
ランチのコースを頼んでも、5000円前後なのでは。
私の検索力不足か。何しろ知らない世界だからな(^_^;。
それとも浴びるほど飲むという設定だったのかしら。
奇しくも私は昨日、娘の中高時代の地区会仲間と、
「1480円のランチ・バイキングに行こうか」
という話題でメールの遣り取りをしていたところだったが。

私は、8000円のランチという設定そのものには別に呆れたりしない。
私自身は、ママ仲間との昼食に8000円払う気は全くないが、
一方で、宝塚大劇場のS席で一回観れば8000円使うわけだし、
ポゴレリチが弾くなら、1万円超を数時間のために喜んで払うのだから、
その部分をランチ代にする人がいても不思議はないと思っている。
昼ご飯と心中してもいいくらい愛しているのだろう。結構なことだ。
それに、そもそも8000円という金額に対する人の価値観は、
相対的なものだと思う。
ただ、付き合って同じにしていないと、イヤガラセをされるのだとしたら、
その点だけは、あまりにも不愉快なことだ。

私は昔から群れるのが嫌いで単独行動が多く、
特に「一緒にトイレいこ(^^)」の類いがうっとうしくて、
大変つきあいの悪い人間だったので、
それでも友達でいてくれるのは、私と同類の感覚を持つ人か、
或いは、私が「行かんわ今」と断っても全然気にせず、
性懲りもなくまた誘うタイプ(笑)だった。……ように思う。
私は化粧しないし服もニッ○ンだし、車も無いし運転できないし、
靴なんかブランドどころか大抵いつも運動靴だしで、
カースト内でのポジションが、もし私にもあったとすれば、
ほぼ最下層間違いなしだっただろう。
というか、そもそも、生来のつきあいの悪さゆえに、
カーストなるものが、自分の身近に存在していたのかどうかも、
私には、よくわかっていなかったが(爆)。

しかしアレだな、私はこうやって得手勝手に暮らしてきて、なおかつ、
有り難いことに、娘も学校で孤立したりはしていなかったわけだが、
将来、娘がママカーストで苦労するような境遇にならないといいな、
というのが、今後は多少、心配だ。
娘が子育てするようになるかどうか全然わからないが(汗)、
そうなったときママカーストとか、ばばカーストが存在していて、
仲間のする通りにしないと不愉快な目に遭わされるとか、
更にはその子供までもが(私には孫か!)、
学校でイジメにあうとなると、困ったことだよな~とは思う。
おばーさん(=私)がだらしな過ぎるので、孫がイジメられる、
となると、私も苦境に陥ることに、なるであらうね。

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私の尿路結石騒動で書く機会を逸していたのだが(汗)
以前、耳にした話の通り、やはり原爆資料館の人形は
次回本館リニューアル以降からは展示されない方針だということだ。
1年以上も前の娘の情報は、えらく正しかったのだな(^_^;。
予想できたことだが賛否があり、反対運動も既に起こっていて、
撤去反対署名の呼びかけや、抗議デモの検討など、
ネット上での反対派の活動も、先日来、いくつか見かけた。

被爆再現の人形撤去へ(中国新聞'13/3/15)
『広島市は14日、原爆資料館(中区)に展示している、やけどを負った被爆者の姿を再現したプラスチック人形を2016年度にも撤去する方針を示した。館内の展示を遺品などの実物資料に切り替える見直しに合わせる。』『平和学習に訪れた広島の子どもが後々まで、人形に脅えた経験を語る姿は珍しくない。14日に訪れた埼玉県所沢市の中里三代子さん(77)は「被爆の実態を伝えるためには、この人形は必要だ」と撤去を惜しむ。山梨県都留市の大学生東将太郎さん(19)は「写真や遺品など実物の方が胸に迫る。作り物はいらない」と話していた。』

私自身は反対活動までやる気はないのだが、しかし、正直なところ、
「あの程度の人形にビビる感覚で原爆を語らないで欲しいわね…」
という気分は、ある。ご免なさい。
私自身は被爆者ではないが、父親が被爆者なのと、
学校時代、近所の人も先生方も被爆体験は大なり小なりあって、
友人達も被爆二世が当たり前だったこと、
それに、何年にも渡って過激な平和教育を受けた経験があること、
などの事情で、あの人形をトラウマになるほど怖がる気持ちが、
今となってはもう、よく理解できない。

『作り物はいらない』ってアナタ、
本物(の記録)はそれこそ平時には一目見たら貧血が起きそうだから、
展示として、正視に耐えるところまで十分に和らげ、
「あとは想像して下さい」という導入になるよう提示されていたのが、
あの人形だったのではないかしら。
被爆翌日に、市街地から山のむこうの村まで一日中歩いて帰った、
という程度には体力のあった、うちの父親でさえ、
ヤケドで、当時は誰なのか不明なほど顔が変形していた
のだから、
資料館の人形さんたちは、その点、まだ全然大丈夫だ(汗)。
黒くなった遺品や古い写真、統計資料などをゆっくり眺めて、
「やっぱり核兵器や放射能は、いけない」
などとシタリ顔で言って帰る、というのでは、
原爆資料館の見学として、どうなんだろうかと私は思うのだが。

被曝がうつる!白血病が!奇形児が!
というごく最近の騒ぎに、私は心底うんざりして、
その関係の話題について意見を言うのは一切やめたのだが、
原爆というのは、ドカンとキノコ雲が上がって、建物が火事になって、
あとは目に見えない放射能が散って、たくさんの人が病気になった、
……みたいな理解でいる人達が、もしかして多いのだろうか。
被爆者本人たちに較べたら、二世である我々の感覚は、
「本物」からは既に乖離したものになっているわけだが、
これが若い世代や、ましてや県外や海外の人達ともなれば、
「家族や近所や知人がみんな被爆者」という状況もあり得ないし、
観念のみが先行し、知識や感覚が、より風化したものへと変化するのも、
もう、自然なことなのかもしれない。

広島の子供達でさえ、後々まであの人形を怖がっていると記事にあり、
だとすると、私達が学校でかつて観せられた、原爆記録映像の数々は、
もはや完全に封印されているということなのだろうか。
今時だと、ASDやPTSDになったと学校が訴えられるから、もうダメか。
あと何十年かして、実体験を語れる被爆者がひとりも居なくなったら、
ああした記録映像は、世の中から事実だとは信じられなくなって、
ことによったら、日本軍か米軍が後から創った特撮だとかなんとか、
陰謀論が語られるようになるのかもしれないな(汗)。

外国人が「行ってよかった!」という日本の観光地ランキング2013が発表!
1位は広島の原爆資料館
(ROCKET NEWS 24)
というニュースを、友人某氏がfacebookで紹介していて、
今朝は改めて、資料館の今後について考えてしまった(^_^;。

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<文科省>学校の週6日制導入を検討(毎日新聞)

ミもフタもないことを言うようだが、我が家の場合は、
週5日制の有り難さが身に染みたのは、中学受験の頃だった。
土曜日に塾へ行き、定例テストで一日がつぶれても、
なお翌日の日曜日に休養することが出来たので、
娘にとってはすべての土曜に学校が無かったことは本当に良かった。
学校が週6日あった時代に中学入試を志した人たちは皆、
土曜日まで学校に行ったうえに、『日曜テスト』に一日を費やし、
休みなしでまた月曜から学校に行かねばならなかったのだ
(と主人が体験談を語っていた)。

しかし、そもそもどうして中学入試を目指したかというと、
娘が「女の子の学校に行きたい」と言ったのも理由ではあったが、
それ以前に、公立小学校があまりに暇で、授業も宿題もなさ過ぎ、
娘が勉強しないので親が呆れた、というのが大きな切っ掛けだった。
うちの場合は、学校が週5日制だったことの効果は、
ほとんど本末転倒だったような気がする。
「ゆとり教育」の目指したものは、こんなことではなかった筈だ。
親の不見識が災いした例かこれは。すみません(爆)。
ちなみに、娘の入学した私立女子校は、現在土曜日にも授業がある。
これがとても興味深いことなのだが、この学校はかつて、
私自身が小学生だった頃には、土曜日は礼拝とクラブ活動だけで、
授業の無いのが特徴だと聞いていた。
いつの間にか、変わっていたようだ。

それにしても、記事の中で驚いたのは、
『教職員の勤務時数が法律で週40時間と定められているため』
という箇所だ。こんな法律があったとは。
これは一日8時間労働が5日間、という計算だと思うが、
この法律なるものを遵守している学校なんて、存在するのだろうか?
私が生徒だった時代も、娘が小学校から高校まで通学した間も、
夕方5時や6時で帰宅なさる先生など、ほとんどなかった。
今だって、家の近所にある小学校中学校を眺めてみると、どこも、
毎日遅くまで校舎には電灯がついており、先生方の(だろう)車が停めてある。
その分、翌朝ゆっくり来られる先生方が多いかというと、それも無いだろう。
朝のSHRや1時間目の開始時刻は決まっているのだから。

また、部活の試合について行くなどで休日出勤なさる先生方だって、
その代休を取られている例は、決して多くないと思う。
労組が強ければ(日教組はどんな感じなのだろうか?)
管理職側から「回復措置をとって下さい」という発言はあるかもしれないが、
現実に代休など取ることは難しいのではないか、と私は想像している。
事前の振替をあまりやると、相手の先生や生徒の時間割がいびつになるし、
そうせずに回復措置だけをとるならば、その時間の授業は自習になり、
進度の遅れたクラスは、定期考査前の自分の負担になるだけだからだ。
教職員同士はともかくとして、対・生徒の面では、先生方の勤務条件は、
事実上、ほとんど柔軟性が認められていないし、
代休や回復を取る先生方は、保護者からはきっと、歓迎されないだろう。

学校週5日制の恩恵は、うちの娘の塾通いには大きかったが、
現場の先生方には、必ずしも関係が無かったのではないかと思う。
友人が某公立高校教諭なのだが、彼女は週5日制はキツい、とよく言っている。
私と同学年だった彼女は、採用時にはまだ学校は週6日あって、
それが途中から第2土曜だけ休業になり、やがて4週6休になり、
最後に完全週5日制になり、そのすべての過程を現場で経験したのだが、
土曜授業が全部あった時代が「一番マシだった」という意見だ。

先生方でも、独り暮らしとか、元気な親御さんと同居、主婦の妻を持つ男性、
という境遇の方だったら、週5日制度の有難みはそれなりにあるかもしれない。
平日が毎日とても忙しくても、土曜日曜になればまとめて自由時間が取れ、
寝坊したり休養したりも適宜、可能になるからだ。
或いは、出張(対外試合、遠征等)の多い部活の顧問をなさっている先生にも、
土曜は朝から出張で、日曜は休み、となれば大きなメリットかもしれない。
これで土曜授業があったらたまらんワ、と仰る先生もあることだろう。
しかし私の友人のように、家庭を持っていて子供もいて、老親の心配もある、
という状況だと、休日は基本的に家事労働に費やされるしかないし、
そうでなくても月~金に疲弊しきって、しわ寄せが一気に週末に来るのは辛い、
ということではないかと思う。

友人のようなケースだと、「もっと薄めて」仕事ができたほうが、
心身の負担感が軽減されるのではないだろうか。
現状は月~金しかないので、どの日も限度一杯の仕事内容になっており、
授業後も、生徒が質問に来ているのに、学年会や分掌会議が始まるし、
保育園のお迎え時間は迫るしで(今はようやく末子も小学生になったが、
学童保育のない学年になる頃には、お稽古ごとや塾の送迎に縛られ始めるのだ)、
時間に追われて追われて、気が狂いそうだと彼女はよく言っていた。
夕闇が迫り、採点しつつ時計を見ながら心拍数を上げている最中に、
受け持ちクラスの生徒が万引きで捕まり、警察から電話、
……などという展開になったりすると、本気で卓袱台(事務机)返しをしたくなる、
と彼女が言っていて、私はウケたが、勿論笑い事ではないのだ(汗)。

いっそ、土曜日の半日勤務まで込みで望む先生は「薄めに」週6日勤務、
そうでない先生は「濃いめに」週5日勤務で、月~金を違う勤務条件にして、
授業も、土曜日に入れて良い先生とそうでない先生に分ければ、
……などと、つい素人考えでは思ってしまったが、
しかしそんな時間割は組めない!と教務係の先生がシヌ思いをなさるだろうか。
それに、そうなると主任以上は必然的に週6日労働になるのだろうね(^_^;。
やっぱり駄目か(殴)。

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高3の2学期も終わりに近づき、もしかするときょうが、
娘にとっては、高校生活最後の「お弁当」の日だったかもしれない。
このあとも勿論まだ学校はあるのだが、学期末に向かっては
テスト返しやハレルヤコーラスの練習(笑)など特別時間割で、
お弁当持ちで7時間授業、という普通の日は、もう無いようだ。
また、3学期は、補習並のセンター試験対策授業のあとは自由登校になり、
その次に皆が集まるのは、卒業礼拝前日の2月28日という予定なのだが、
いずれも普通の授業日ではない。

ああ。
思えば、桜吹雪に迎えられて入学した6年前の春から、
私は来る日も来る日も、娘にお弁当を作った。
小さかった娘が、いまや私の背丈を追い抜いて、もうじき18歳。
彼女が私の作ったお弁当を持って、朝、学校に行く、
という当たり前の日常が、ついに終わるのか……。
そう思い、今朝は、いつも以上に心を込めて……

などという甘いことを、このワタシが考えるかっ!

ハッキリ言おう。
今朝の弁当もでっちあげだった。娘よ、すまん。
朝はぎりぎりまで寝ていたので、飛び起きて凄い勢いで一個作った。
間に合った。
6年もやれば、そりゃもう、間に合わせのテクだけは達人の域だ。

ああ、素晴らしい開放感だっ!!(殴)。
やっと、やっと、長かった弁当作りの日々が終わるのだ。
娘の体育祭の弁当を作らねばならなかったために、
ポゴレリチの六ヶ所村公演に行くのを断念した
ことを、私は一生忘れない。
娘の弁当箱は(「弁当」にあらず)、
娘が下宿生活を始めるときには持たせてやる。
これからは、必要あれば自分で作れ。

……こんなことを思う私には、きっといつかバチが当たるだろう。
近い将来、社会人になった娘が家に舞い戻ってきて、
またぞろ、私の作った弁当を持って会社に行く、
などという生活になったら、どぼじよう(涙)。

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約一年前に、ネットでふと出会った記事がきっかけで書いた、
「かけ算」に順序があったのか
という文章は、このブログの中で継続的にアクセスのある記事だ。
それだけ、この問題で困っていらっしゃる方々が多いということだろうか。

私自身は、娘が小学生のときどうしていたか、全然記憶がなく、
更に申し訳ないことに、私自身が極零細学習塾を経営していたときも、
雇っていた先生方がこれをどう指導していたのか、
ほとんど関知していなかった(爆)。
今から約十年前のことなのだが、あの頃どうなっていたのだろう(殴)。
生徒や保護者から質問や相談が無かったところを見ると、
このことで切実に悩んでいた人は居なかったのではないかと思うのだが、
なにぶん、こちらは塾だから、不信感を覚えた人は退会していただけか。

更に、先日はTwitterのRTで、こんな記事があることも知った。
かけ算九九のつまずきスッキリ解消法(Benesse)

娘もかつて、しまじろうをこよなく愛し、こどもチャレンジをやっていて、
3歳から小学校5年生のとき中学受験塾に入るまで続けたのだが、
こんなふうに、かけ算の文章題を習っていたのか。
…と書いているところへ娘(高3)が帰ってきたので(期末考査だから早い)、
捕まえて訊いてみたら、娘は「なんじゃそりゃ」と言った。
「順番があるとは習っとらん。バツになったことないし気にしたことがない」
というのが娘の答えだった。
彼女はどうも、順序に意味があるという指導は受けていないようだった。
まあ、ヤツは授業を真面目に聞いていなかっただけかもしれないが(爆)。

確かに、「なんでもいいからとりあえずかけ算しとく」という発想では、
文章題の取り組み方としてマズい、というのは私も同意する。
英語でもある。「( )の動詞を適切な時制に直せ」という問題のとき、
「単元が現在完了だから全部完了時制にしとく」という解き方が(爆)。
それ式で、文章題の意味も考えず、出てきた順番にただかけ算したら、
偶然、答えが合っていた、というのでは解いたことにならない。
しかし、それでも、その部分を確認するために、
「かけ算の順序」ではかろうとする、という点には私は違和感がある。

『さらが5枚あります。1さらにリンゴが3個。全部で何個でしょう』
というときに、正解は3×5=15だけで、5×3=15は不正解、
だとベネッセは言うのだが、私は到底、そのようには感じられない。
リンゴ3個が5皿分、あるいは5皿あってそれぞれにリンゴ3個ずつ、
のいずれかで生徒が理解しているなら、良い、と私なら思う。
要は、単位をつけさせてみたときに、
あるいは、図で文章題の内容を書かせてみたときに、
5は皿の枚数・3はリンゴの個数、という点が正しく書けているのであれば、
文章題は読めている、と思うのだ。

3(個)×5(皿)で考えるとわかりやすいですよ、という説明自体は完全に良い。
同時に、5(皿)×3(個)で考えている児童も、問題なく正解している。
なぜそれを頑ななまでに否定しようとするのだろうか。
ベネッセの解説では、5×3のところに「5個×3枚」(だから間違っている)とあるが、
元の問題文にない単位をわざわざつけて説明しようとしているために、
かえって話がわかりにくくなっていると、私には思われるし(^_^;、
2本足のタコ」などという絵的にどうしようもないものを
式から読み取ってしまう話
に至っては、困惑以外のなにものでもない(汗)。

ちなみに、「~個」を求めるのだから「個」を基準に始めるべきだ、
すなわち、3個×5(枚)=15個、以外の順序では書かない、
というのは、個人の美意識の範囲でなら、一貫性があって申し分ないが、
他人に対しても、これ以外の考え方を一切認めることができない、
というところまで行くと、実生活ではいささか柔軟性を欠いていると思う。
以前も書いたように、「数量×単価=合計金額」となっている請求書は、
世の中、普通にあるし、それで業務に支障を来しているとは考えられない。
順序により表現内容が特定されるというのは、
小学校算数教育限定の、児童の理解度をはかるための特殊な便宜、
いわばローカルルールだと私には思われる。

私が極零細学習塾で小学生を見ていた経験の範囲では、
もともとよく「できる」子は、自分で適宜やりやすい方法で計算しながらも、
「学校ではセンセイに注意されるから(テヘ)」
という理由で、学校の宿題では習ったことを守っていたものだった。
私のやっていた学習塾では、本部の方針により、
割り算のやり方が独特かつ実用的だったのだが、
余力のある子ほど、塾では塾のやり方をすぐに覚えて活用しつつ、
学校では、学校で要求されるとおりの答案をきちんと作っていた。
彼らにとっては、解法が増えるのは単純に良いことだった。

かけ算の順序の件も、多分、算数の得意な子は困っていないと思う。
いわゆる「できる」子は、先生が何にこだわっているかすぐに見抜くし、
学校の言う通りにしていれば○なのだから、
ちょっと気をつけてそれを守るくらいのことは、朝飯前だ。
式に関して無頓着で、○になったり×になったりしている子も、
中学や高校にいけば、交換法則が成り立つことを習い、
更に「~枚」や「~個」など単位つきの文章題など、
どんどん減って来るので、この問題はいずれどうでも良くなる(←娘がコレ)。

気の毒なのは、とても真面目で、かつ算数がいっぱいいっぱいの子だろう。
自分では文章題の意味がわかり、ちゃんと式を書いているつもりなのに、
順番がいけないと注意され、理解できないまま×にされるのはつらいと思う。
もしその子が、文章題の内容が適切に図で書けるのであれば、
つまづいているのは、算数の考え方そのものではなくて、
「かけ算の順序に意味がある」という、国語的な作法の部分だけだ。
ここが難所になる子は、それこそ、
「なんかわからんが適当に順番入れ替えて書いたらええんか」
と投げやりになるのではないかと、私は心配になるくらいだ。

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娘の高校で先日、防災訓練があったそうだ。
その週に行われる、ということだけは事前に告知があったが、
何曜日の何時間目が訓練に充てられるかは伏せられていて、
ある日の四時間目、放送で災害の「音」が突然流され、
訓練開始となったということだ。

この日は「地震」という想定だった。
娘は国語の授業中で、スピーカーからガタガタと「音」が放送され、
「ああ……?ああ、訓練か」
とは思ったものの、
「どうするんだっけ?」
と次の行動がすぐには思い浮かばず、
一瞬、皆でザワザワとなってから、「机の下か」と気がついて、
各自、自分の机の下や陰に入ってしゃがんだということだ。

(もし、こういうとき、音が聞こえても微動だにせず机についていて、
『音が鳴っていたことはわかっていたけれど、何も感じなかったの』
『(受験生に)なりきったまでですわ。勉強をやめろと言われない限りは…』
などと、北島マヤ&姫川亜弓みたいなことを言う生徒がいたら、
……とあとで主人が、妙にうきうきと言っていた(--#)。)

ちなみに同じとき、別のクラスの娘の友人は、
授業中、ちょうど居眠りをしていて(^_^;、それがいきなり、
教室のスピーカーから異音が鳴り響いたものだから、
飛び起きてきょろきょろし、凄い勢いで机の下に頭から突進し、
周囲の友達は彼女の挙動不審ぶりに驚いた、とのことだった。
結果的に、完全に正しい行動だったわけだが(^_^;。

さて、しばらく音が鳴っていて、だんだん小さくなったので、
娘は机の下など狭くてイヤだったせいもあり、
「もういいかなあ」
と這い出ようとしたら、
またスピーカーから大きな音が出始めた。後ろの友人が、
「みーちゃん、それじゃシんでるよ」
と注意してくれたそうだ。
それで娘は、すごすごとまた机の下に戻った。

出席番号の一番若い生徒さんが、「怪我人」役と決まっており、
彼女を皆で救助し、階下まで運ぶという段取りもあった。
先生は大変な演技派で、深刻そのものの顔で、
「大丈夫かっ!」
と怪我人役の生徒に声をかけ、
「みんなっっ、さぁっ、こっちだ!!逃げろっっ!!」
と生徒たちを誘導して下さった。

幸い、この日は晴天で、訓練には恵まれた天候だった。
娘たちは教室を出て、廊下では他クラスとも合流するかたちになり、
渋滞しつつもどうにか階段を下りて、グランドに向かった。
校舎を出たところには、アメリカ人講師の某先生が立ってらして、
「ガンバレーイ」
と仰っていた、……と娘は思ったそうだが、お友達に聞くと、
「Go away!」に聞こえた人もあれば、
「Get away!」だと思った人もいたということだった。
外国人の先生に授業をして頂いて高校3年まで通ったところで、
所詮、理解力はこの程度なのだった(--#)。

ともあれ、皆、グランドの指定場所に集まり、点呼をして、
予定の怪我人以外には、死傷者も行方不明者も無いことがわかった。
訓練の反省・気づきについては、後日、教室で感想文を書いて貰う、
と先生から全体に対して説明があった。
「気づいたこと、か~……」
と、そのとき娘の友人・某ちゃんが呟いた。
「『外に出てみると、ぽかぽかと陽射しが気持ち良く、
私は、生きているって素晴らしいなあと気づきました』。」

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