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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



主治医から指定されていた半年が経ったので、
尿路結石の定期検診を受けるため、某病院泌尿器科へ行った。
尿検査・レントゲン検査(KUB)・エコー検査、が行われ、
現時点では特に問題となる所見はないとのことで、
次回検診は1年後、となった。

尿路結石は5年以内に半数が再発するというデータがあるが、
私はとりあえず画像診断上は2年目まで通過できたことになり、先生は、
「まあ、良かったね。順調に来とるね」
と仰った。しかし同時に、
「でも石は、また出来ると思っとったほうがええからね」
と念を押された(^_^;。

もとより私もそれは覚悟している。
こういうのは体質的な理由が大きいのだろうから、
何をしてもしなくても、石が出来るときは出来るのだろう。
それでも、2年前の初診時のように15ミリを超える結石になると処置が大変なので、
年1回の定期検診とともに、変わったことがあればすぐ受診することを心がけ、
石ができても5ミリ程度のところで治療をしたほうが良いとのことだった。
それならESWL(衝撃波治療)をする場合でも一回で完了できる可能性が高く、
腎臓への負担が最小限に抑えられる。

ともあれ、例によって何かの執行が猶予された気分で(^_^;、
一応は開放されたので、帰りに紀伊國屋書店に寄って、
三津五郎特集の『演劇界』を買った。
今宵は、これを読んでしばし休息する。

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野球
このところ、市内のお店はどこもカープCS進出お祝いセールをやっていて、
近所のパン屋さんでは赤ヘル・サンライズが売られていたので、
支援になればと買ってみたが、昨夜、カープは負けてしまった(爆)。
勝てばセ・リーグ2位決定だったのに。要らん応援だったか(爆)。
カープにとっては、日曜の巨人戦が今シーズンの最終戦だが、
こうなるとどうも、2位に留まることはかなり難しい状況のようだ(^_^;。
主人に言わせると、どのみちもう優勝は逃したのだし、
2位でも3位でも、価値の無さ加減は同じだからどうでもいい、
とのことだが……うぅむ。
少し前には、野村監督の「目先の一勝一敗にこだわらない」という談話が
新聞に掲載されていたので、球団の意向もそういうことなのか。
思い返せば、去年のまさに10月3日、勝率五割がかかっていた試合でも、
野村監督は、全く「勝ちに行かない」采配を見せたものだった。
あと一息でワンランク上が手に入りそうなら、いっちょ無理してみようよ!?
というのが私などの感覚だが、違うのかね……。

亜鉛
昨年、舌に痺れのような感覚異常があって耳鼻咽喉科に行ったとき、
血液検査で亜鉛不足(67で基準値下限ぎりぎり)を指摘され、
以来、亜鉛補充の目的でプロマックを断続的に服用して来たのだが、
「久しぶりに測ってみましょう」
と先日、主治医から言われ採血された。
その結果をきょう貰ったのだが、今回は亜鉛75(基準値65-110)
とのことで、まあまあ改善していた。
70台後半から80台くらいあるのが理想なのだそうで、
理想の下限(笑)に届きそうな値には、なった。
ヘモグロビン13.5、血清鉄83、TIBC358で、貧血も無かった。
その他、蛋白系、肝機能、腎機能等についても、
一般的な血液生化学検査の範囲では特に問題は無さそうだった。


こうなったら外出のついでに石の定期検診も済ませてしまおう、
と耳鼻科の帰りに思いついて、そのまま某総合病院泌尿器科に寄った。
前回4月の検査では、有り難いことに新たな尿路結石は指摘されなかった
さてさて、現状は如何に(^_^;。
きょうは雨模様だったためか、病院はいつもほど込んでいなかった。
泌尿器科の待合室に行ってみると、ここも人数は少なめだったが、
やはり、おじさんからおじーさんまでの男性ばかり十数人が座っており、
女は私のほか、入院患者らしいおばーちゃまがひとりいただけだった。
検尿とレントゲン検査をされ、エコーは省略、運良く今回も何も異常はなく、
新たな石も画像上は見えないとのことで、合格となった。良かった(T_T)。
「もう、年に1回の検診でもええかなーと思うんじゃけどね…」
と仰りながら先生はカルテを繰って、
「ああ、でも結構、石が大きかったんじゃね。ほんじゃまた半年後にするか」
と前言撤回なさった。ああ(T_T)。
ちなみに私の石の成分は、ほぼ全部シュウ酸カルシウムだったそうで、
「残念ながら、こういう成分の石だと、また出来ますワ」
と先生は仰った。ひえ~~。
「じゃ!また春にね!」
と看護師さんに笑顔で送り出して貰って、泌尿科受診は終わった(^_^;。

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(桜と入れ替わりに、久留米つつじの季節になった。)

主治医から指定されていた6ヶ月が過ぎてしまい、
このところ検診に行かねばと気になってならなかったのだが、
忙し過ぎてなかなか時間が取れず、
きょうの午後、やっと某総合病院泌尿器科に出かけた。

1月に一時的な腹痛のために某内科でエコー検査を受けたとき、
痛みのあった右側とは関係のない左の腎臓に、
石の出来はじめか何か、怪しい感じ……、
という2ミリちょっとのモノを偶然に発見されてしまったので、
もしや、あれから成長していやがるのではないかと気が重かったが、
そのブツは、その後に自然に出て行ったのか、
それとも機械の具合によって見えたり見えなかったりするものなのか、
何かわからないが、結果的にきょうは何も指摘されなかった(^_^;。

尿検査・レントゲン検査・エコー検査の3点セットだったのだが、
「石は無いですね。腎臓も腫れていない。
痛いとか、なんか変わったことがあったときにはすぐ来てね。
そういうのが無ければ、次回はまた6ヶ月後でいいです」
ということで今日はサクサクと終わった。
もし造影CTでも撮れば、これでも何かは映るのかもしれないが、
少なくとも、泌尿器科の通常の検査で検出できる程度になった石は
きょうのところは見当たらなかった。

よよよよかった(T_T)。
何か(って何)の執行が猶予された気分……!

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昨夜から右腹部、高さ的には胃の下部あたりが
鈍くだが間歇的に痛んで、朝になってもなおっていなかったので、
きょうは以前から時々お世話になっている消化器内科に連絡し、
午後のエコー検査の予約を取った。
痛みは数分ごとに、持続時間10秒くらい、というのを繰り返しており、
さしたる苦痛はなく、過去の私なら全く気にしなかったと思うが、
なにしろ昨年、どうも脇腹の鈍痛が続いて鬱陶しいので検査したら
1センチ半を超える腎結石で水腎症を起こしていたことが発覚

という一件があったので、さすがに懲りて、慎重になったのだ。

しかし、どうやら、今回の私は慎重になり過ぎたようで、
予約時間の頃には、腹痛はおさまってしまっていた。
そうなってみると、どこが痛かったかもだんだん定かでなくなり、
ちょっとしたことですぐ騒いだのがいたく恥ずかしい気がして、
行くのをよそうかとも一旦は思ったが、
やはり、せっかくエコーの時間を確保して貰ってあるのだから、
この際、悪いところがあるかないか診て貰うのは良いことだろう、
と自分を奮い立たせて、出かけた。

すると、有り難いことに今回は右腹部には何も起こっていなかった。
右なので、胆石が原因の胆嚢炎とかだったらイヤだなと思っていたが、
胆石は変わらずに数ミリのが3つ鎮座しており、炎症のあとも無く、
部位的にも、今回の痛みは胆石症のものではないとのことだった。
余談だが私の胆嚢は、普通の人より体の中心線寄りにあるとも言われた。
そのほか、肝臓、膵臓、脾臓、腹部大動脈など、
エコーで観察可能な範囲ではどこも問題なかった。
右腎臓は、腎結石の名残で、腎盂が若干開いたままになっていたが、
血液検査で腎機能の問題を指摘されていないなら、
これも心配ない、ということだった。良かった(涙)。

ただひとつだけ、左の腎臓に、もしや、石…(^_^;?と思われる、
小さく光った点が映っていた。
3ミリに満たなかったが、怪しい、とのことだった。
「定期検査が3月なんですが、すぐ泌尿科、行ったほうがいいですか」
と私がビビったら、先生は、
「そこまでは必要ないです。だって、この小ささじゃ、
わかっても結局、出るの待つだけだから」
と仰った。
言われてみればその通りだった(汗)。
特段の治療が要らない、という意味では有り難い診断だったが、
すぐにはどうしようもない、という意味では残念なご託宣でもあった。

ほぼ1年前の腹部造影CT検査のとき、左右の腎臓に、
砂粒のような石のモトと思われるものがひとつずつ映っていたものだが、
左にあったヤツが1年かけて育ってこうなったのだろうか。
それとも今回のは、あれらとは関係無く新たにできつつあるものなのだろうか。
現状は、すんなり流れて排石…、もアリなサイズだが、
右側と違って左腎臓は全く腫れ慣れていない(爆)ので、
うっかり途中で引っかかったりしたら、2ミリ台でも悶絶モノだと思われた。
かと言って、出なければ出ないで、
このまま左腎に居座って成長されるのもイヤだし(T_T)。
即座に治療対象にならないと言われても、
既に結石経験者の私は、あれこれ考えてクラくなった。

ちなみに、受診のきっかけとなった右腹部の痛みは、
結局、何なのかわからなかった。
腸の動きによるものだったかもしれないし、
十二指腸潰瘍などができている可能性も、
もしかしたらあるのかもしれない、とのことだった。
しかしいずれも、痛みがなくなったのならとりあえずは問題無く、
経過観察で良いと先生は仰った。
もちろんきょうのところは、投薬も何も無かった。

では、また水分摂取してせいぜい運動するように致します(T_T)。
食生活も、夏の退院直後よりはやはり緩んでしまっていたので、
再びストイックに脂質糖質など制限し、減量に励もうと思います(>o<)。

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午前中は、舅姑のお墓に行った。
掃除をしてお花を取り替え、お灯明とお線香をあげてお参りした。
私のほかに墓参りの人は全くいなくて、とても静かだった。
ツクツクボウシがあちこちで鳴いていた。

夕方は、某総合病院泌尿器科で退院後一ヵ月目の検診があった。
尿検査・単純X線検査・腎臓エコー検査があり、
いつもほど待たされることなくすぐに診察室に呼ばれ、
「石は全部出ましたね。もういいと思います」
とアッサリ言われた。よよよよよかっった~~(T_T)。

エコー検査では右腎臓が少し腫れているように見えるとのことだったが、
「初診時に右腎結石で腎盂が腫れ上がっていたときの名残ですね」
「でも3月に較べたら、もう全然、腫れはひいてますので、
これは全く問題ないです」
と主治医の先生が仰って下さったので、一応、安心することができた。
右の水腎症は完全にはなおらないかもしれない、
と最初から言われていたので、この程度なら私としても想定内だった。

ということで、次回は定期検診のかたちで6ヶ月後に、となった。
特に予約等の指示はなかったので、
自分の判断で、半年後の適当な日に受診すれば良いようだった。
体質的に石ができやすいことには変わりはないので、
仮に症状がなくとも、定期検診は怠らないほうが良いのだった(^_^;。

夜は、娘の広島滞在最後の夕飯ということで、
家族三人で八丁堀まで出て、『酔心』本店で釜飯を食べた。
これで、広島の定番料理のひとつを、娘に体験させることができた
(ちなみに娘は、お好み焼きもアナゴ飯も牡蠣料理も好まない・殴)。
そして私にとっては、密かに「全快記念」でもあった(^_^;。
娘の大学合格後から治療を始めた腎臓結石だったが、
娘の後期授業開始直前にようやく完全に排石できたわけだ。
石の発覚そのものからは4年以上。
今、私は久しぶりのストーン・フリー!
……長かった(^_^;。

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『転夫、逆流性食道炎(疑)』編

ここ半月ばかり、主人が「ごほん!」「ごほん!」と
時折思い出したように勢いの良い咳払いをするのが、
私は少し、気に掛かっていた。
最初は風邪かアレルギーか?と思っていたのだが、
症状はその間遠な咳だけで、咳き込むというのとも違った。
それで昨夜、どういう具合なのか尋ねてみたらば。
「なんか、むせる感じ?嚥下機能に問題あるんかね?」
と主人はさほど気にしているふうでもなく言った。

思い返してみると、そういえば主人は先月の初め頃、
「あんまり胃の具合が良ぅないんよ~」
と言ったことがあった。
しかしこの人の胃の不調は割と一年中よくあることで、
しかもその『不調』の中身というのは大抵、
「昔は5人前食えたが、今は3人前でもキツい」
とかいうレベルの話だったので、私はまともに取り合っていなかった。
今回だって、先月初め以後は特に何も言わず、相変わらず御飯をおかわりし、
ビールもワインも飲み、山ほど食って満足そうにしていたので、
私はいつもと同じく、あまり真剣に考えていなかったのだ。
だが、胃部不快感とともに咳払いがセットとなると、
やはりそれは確かに胃が悪いのに違いなかった。
というか、これこそ今ハヤリの逆流性食道炎ではあるまいか。
呑酸、ってヤツか」
とそばで話を聞いていた娘が言った。
 
転妻「どんさん?」
転娘「酸を呑む、って書くの。この頃よくテレビでやりよるよ」

そうなのか。
逆流性食道炎はテレビコマーシャルでも宣伝されていたのか。

ということで、今朝は主人を地元の内科に案内した。
いつも私が自分の血圧の相談に行っているクリニックだ。
果たして先生は、「胃が重い」「ゲップが多い」「むせたような咳がでる」、
等々という主人の訴えを聞き、
「典型的な逆流性食道炎の症状ですな」
と仰った。
カルテを見ると、何年か前の初診時の記録があり、
そこには既に『逆流性食道炎』と先生ご自身が書き込まれた跡があった。
主人も私もすっかり忘れていたが、前にもこのようなことはあったらしい。

一応、昨年秋の人間ドックの結果票は私が持参していたので、
胃バリウム検査で異常がないことはそこに記録されていたのだが、
先生はそれらのデータをカルテに書き写しながら、
「ま、できたら内視鏡検査をいっぺんやっとかれるといいんですがね」
と仰った。
それに対し、主人は「イヤです」ととてもわかりやすい返答をした(爆)。
それで、とりあえず逆流性食道炎の治療薬を二種類処方して頂くことになった。
「二週間分出しときますから。これで良くなかったら、検査行って下さい」


『転妻、排石後フォローアップ』編

夕方は、私の尿管結石の退院後初診察があった。
退院して二週間ちょっと経っていたが、
お馴染みの例の総合病院で、何も珍しいことはなかった。

ここの泌尿器科は、ESWL(体外衝撃波)で治療した結石患者は、
退院時は飽くまでも「軽快退院」という扱いにしていて、
退院後二週間目と四週間目にフォローアップ診察を行い、
特に四週目のほうの画像診断で問題がなければ、初めて完治と見なす、
という段取りになっている。
きょうは、行くと尿検査があり、結果、何も所見はなかったのだが、
「じゃ、二週間後にレントゲン撮って、それで残ってなかったら、
もういいと思いますんで」
と先生は機械的に仰った。
やっぱりそうなるのか(T_T)。
これって、4月12日の診察のときとまるっきり同じだ。
3月の初回治療と違って、今回の入院は追加治療だったから、
もしかしたらきょうでもう、無罪放免になるかと
私はちょっと期待していたのだが、甘かったようだ。

尿検査および先生との1分間日本語会話のみで、本日の支払い740円。
いいんだいいんだ、ここまでなおして貰ったんだから(涙)。

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今回の入院中、私のベッドは窓側で、反対隣は老婦人だった。
最初に御挨拶したときを除くと、日常はカーテンがひかれていて、
直接にお話するような機会はなかったのだが、
オムツが必要で、食事のときも介助の人が入られていたし、
御体がご不自由なのだろう、ということは気配でわかった。
私と同じく泌尿器科での入院で、看護師さんとの会話の中身から、
おばあちゃまもやはり「石」の治療で来られたのだということが
だいたい察せられた。
このあとのCT検査で石が無ければ退院だ、
と、昨日朝も看護師さんたちが来て話をされていた。

日常生活の内容は、うちのばーちゃんを彷彿とさせるものだったが、
全く違うのは、こちらのおばあちゃまは頭がしっかりされていたことだった。
会話の中身もテンポも、いつもよくかみ合っていたし、
ときにはユーモアすらあった。

看護師さん「さっき来られたのは、息子さん?」
おばあちゃま「ほうよ」
看護師さん「お子さんは息子さんだけ?娘さんはおらんの」
おばあちゃま「うん。息子が二人」
看護師さん「息子さん二人、ってどう?頼りになるよねえ。
 でも娘も欲しかったと思うことある?」
おばあちゃま「そうじゃねえ。息子はどっちも優しいよ。
 近くに居ってくれるしね。じゃが、気が利かんよね。
 何か持って来てくれ言うても、わからん、言うこともあるし」
看護師さん「ほんまじゃね。主婦のようには行かんよねえ。旦那さんは」
おばあちゃま「もう亡くなった」
看護師さん「旦那さんとは、お見合い?恋愛?」
おばあちゃま「お見合い」
看護師さん「そうなん。旦那さんのこと、好きだった?」
おばあちゃま「ふつう

まさか隣のベッドでカーテン越しに笑うわけには行かないので
私は耐えたが、おばあちゃまの巧まざる返答ぶりにウケまくった。
ご主人様はあの世でどうお思いだろうか(悶絶)。

私が入院した日の翌日に耳にした、このおばあちゃまの切なる要求は、
病院の食事が食べにくいので、もっと柔らかいのにして欲しい、
ということだった。
ここに来る前にほかの病院か特養にいらしたようで、
そこでの食事は、おばあちゃま曰く『ミンチ』のように細かく柔らかく
加工してあって、それが食べやすかったのだそうだ。

おばあちゃま「食事をね、ミンチにして下さい。頼んどった筈なんじゃが」
看護師さん「ミンチがええの?」
おばあちゃま「全部、ミンチにして下さい」
看護師さん「刻み食でお出ししとるんですが、食べにくいですか?」
おばあちゃま「魚やなんかね、やっぱり、固いから。ミンチにして下さい」
看護師さん「病院の献立だから魚もあるのよ。肉だけというわけには…」
おばあちゃま「魚でもいいんですが、ミンチにして下さい。
 前のところは、ミンチじゃったから……」

この最初の看護師さんのときには、私は隣で聞いていて
通訳したものかどうか、激しく迷った。
看護師さんはミンチと聞いて、ミンチ肉=挽肉、と思われたようだったが、
おばあちゃまは肉が食べたいと言われているのではなくて、
どの食材でもいいから全部ミンチのような食感にして欲しい、
と要求なさっているのだ。
おかずはすべて細かくして、ミンチのように少しすりつぶした感じにして欲しい、
というのがおばあちゃまのご希望なのだ。

おばあちゃまはそれからも、『ミンチにして下さい』と
何人もの看護師さんに頼み続け、『魚も野菜もミンチ状にする』ということが
だいたい通じたのだが、調理室のほうに要望を出して実現するのは、
次の次の食事から、ということで、すぐには希望は叶えられないのだった。
しかも病院としては、既にある程度の刻み食にして出しているとのことで、
これ以上、すりつぶし食にまでするのは積極的には勧めたくないようで、
「○○さんは歯も悪くないし、今ぐらいの刻み食で頑張ってみませんか」
と、看護師さんたちは『ミンチ』にこだわらないよう促そうとさえなさっていた。
しかしおばあちゃまは、がんとして受け付けなかった。
ミンチでないと消化に悪い、通じが悪くなる、
というのがおばあちゃまの見解だった。

その日の午後、おばあちゃまの血圧はとても高くなった。
これも隣だと測定値が聞こえてしまうのだが、上が200超えだった。
もともと、お体が不自由になられたのも脳梗塞か何かだったのかもしれない。
看護師さんも心配して幾度か血圧測定に来られ、
おばあちゃまご自身も不安そうな御様子だった。

看護師さん「やっぱり高いね。どうしちゃったんかね。安静にしとるのにね」
おばあちゃま「お薬を下さい」
看護師さん「そうじゃね。先生にも聞いてみるね。頭痛くない」
おばあちゃま「寝とるけ、どうもない」
看護師さん「寝とっても、痛いときは痛いよ。気分は悪ぅない?
 何か気に掛かっとることとか、ストレスとか、あるような?」
おばあちゃま「いろいろ、心配なこともあるけえねえ」
看護師さん「何が心配になっとる?」

『ミンチかどうか』
と私は隣から言おうかと思った(爆)。

*************

それにしても、おばあちゃまの日常は気の晴れることが少なく、
体をほぐすことも難しいし、点滴など治療上の拘束もあり、
心身の苦痛だけでも、血圧が上がるのは無理もないと思われた。
看護師さん方は皆、とても優しく明るく接して下さっていたけれども。
うちのじーちゃんも、ばーちゃんも、私には言わなかっただけで、
不本意な思いはさぞ多かったことだろう……。
ただ、このおばあちゃまの場合は、うまく排石されれば
この病院からすぐ出られる、という点だけは良かった。
あとはCT検査の結果次第だと、看護師さんも仰っていたことだし、
その話の範囲では、ひどく難しいご病状ではなさそうだった。
おばあちゃまのためにも、この入院生活が短期間で終わりますように。

ともあれ、昨日は私のほうが先に退院することになり、
午後、出るときにカーテンから覗いて挨拶をしたら、
おばあちゃまは微笑んで、
「お大事になさって下さいねえ」
と言って下さった。ありがとうございます。
おばあちゃまも、できるだけ早く、石が出ますように……。

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6日午後、体外衝撃波治療を受け、
今朝までに、ついに石が全部出ました♪
本日午後、退院しました。
ご心配下さいました方々に心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました~!

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待機  


昨夜21時から今朝6時まで、時間的には長く寝たのだが、
エアコンをつけたまま就寝という状況に慣れず、安眠はできなかった。
冷気で冷えるからと布団をかけて寝ていたら、
今度は暑くて汗ばんでしまい、中途半端に目を覚まして布団を蹴飛ばし、
しばらくするとまた冷たい風があたって寒くなり、
……ということを一晩中、繰り返していたような気がした。
体感としては、25度と29度を行ったり来たりして、平均気温27度、
という一夜だった。

しかし反面、良いことは、昨夜から砂状のものが次々と出たことだった。
泌尿器科の入院患者は、24時間蓄尿することになっていて、
トイレ前の医療棚に、患者名のついた蓄尿瓶と各自専用の計量カップが
並べて置いてあり、自分の成果(笑)が一目でわかるようになっているのだ。
その場所で、なぜか、私と隣の男性はほとんど同じペースだった。
大勢いる中で、いつ行っても我々二人の蓄尿瓶の中身はほぼ同等の分量で、
あるときトイレに行こうとして医療棚のところでついにその隣人に会ってしまい、
互いに名入りカップを手にしたまま、
「あっ♪」「ああ(^^)」
と、なんだか親しげな笑顔で挨拶をかわしたのだった。
顔見知り以前に、蓄尿之友……(爆)。

この日は治療は無かった。
点滴を朝夕二回して、それ以外は体調が良ければ起きて、
歩き回ったり階段を上り下りしたりして、排石に努める、
というのがこの日の予定のすべてだった。
私は勿論、積極的にやった。
お茶を飲みたいと思ったら一切我慢せず、いつでも飲んだし、
そのうえに点滴もあるので、水分摂取は万全だった。
暇さえあれば、7階の談話室まで上がり、階段で1階まで下りたり、
部屋で100回ジャンプに励んだりした。

効果テキメンで、この日の昼に、私は何か小石状のブツが、
ポトリと体の中で落ちたことを感じた。
果たして、採尿すると「なるほど」と思うようなカケラが出ていた。
そしてこのときから、私はこの四ヵ月ずっと我慢してきた、
微妙な場所の奇妙な異物感から、ついに解放されたのだった\(^^)/。
やはり、水分摂取と運動が、排石のための王道だった。
水飲んで縄跳びしろ、というのは正しかったのだ。
――石のサイズさえ小さければ。

******************

肩凝りになるのがイヤで、今回は私はあまり読書をせず、
かわりに、時間があるときはラジオを聴いていた。
入院に際し、主人が780円のポケットラジオを買ってくれたのだ(^^)。
それにインサイドホンをつけて、ベッドにいるときはいつも聴いていた。
お蔭で、『基礎英語1』『同2』『同3』『ラジオ英会話』は
朝イチの放送から始まって、再放送のたびに聴いた。
『タイムトライアル』『Japan & World Update』も面白かった。
ラジオ講座で英語を学ぼう、などと改まるとなんだか大変な感じがするが、
こうやって細切れの時間や寝る前の一時間ほど
ベッドに寝転んで目を閉じてラジオを聴くのは、
気分的にも楽で、しかも思っていた以上に勉強になった。
語学だけでなく、『カルチャーラジオ 芸術その魅力』も楽しかった。
今期は『ワーグナーと19世紀ヨーロッパ』で、
私が聴いた回は『ニーベルングの指環(2)』だった。
ブリュンヒルデが眠り姫になるという楽劇を聴きながら
惰眠をむさぼるのは最高でしたね(殴)。

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(写真は、手術室の無影灯、…ではなく枕元のライト(笑))

朝10時に、指定されていた通り某総合病院泌尿器科の外来に行った。
ここは3月にも入院してお世話になった病院で、
きょうは午後に、右尿管結石へのESWL(体外衝撃波結石破砕術)が予定されていた。
事前検査としては、総合的な血液検査と胸部レントゲン、心電図検査、
が毎回行われるが、高齢者にも施術できる治療法で、特別な危険は無いものだ。
私自身、既に3月に4回ほど右腎盂の結石に対してこれを受けており、
今回は、最後に残ったカケラが排出されずに膀胱手前にあるので、
それを砕くことを目的とする追加治療だった。

本来、麻酔や鎮痛剤などの前処置は何も要らないのだが、
私は今回に関しては、直腸を空にする作業が必要になった。
医師「石が下のほうに来とるからね。腸にモノがあると衝撃波は難しいね。
 朝、おトイレ済まして来た?」
転妻「10時にここに来ようと思ったら、朝から大変でそれどころじゃなかったですっっ」
医師「大腸によけいなもんがあると、ここは衝撃波がとどかんのよ」
転妻「じゃあ浣腸やりますかっ」(←私は医療機関では恥じらいなど皆無です)
医師「浣腸はねえ、かえってガスがたまってくるのよねえ。座薬やろっか。ええ?」
転妻「構いません。積極的に行きます!」
医師「(笑)」

という次第で私はこのほど、生まれて初めてデルデランス坐剤のお世話になった。
うちの転姑ばーちゃんがかつて愛用していた品だったが、
なるほど、こーゆー使用感のものだったのか(爆)、と我が身をもって知った。
30分ほどすると穏やかながら素晴らしい効果が見られ、
実に具合の良いものでした(爆爆)。

ESWLは、腎結石のときには背中からあてるので患者は仰臥位だが、
石が下がって来て尿管結石の下のほうになると、
部位的に骨盤が邪魔になるので、今度は腹臥位で受けなければならない。
しかも膀胱が空になっていては都合が悪いのだそうで
(直腸は空でないといけないのに、難しいヤツだ(--#))、
治療の1時間半前に排尿したら、あとはためておくという指示があった。
そして時間になって治療室に降りていくと、まず膀胱エコーがあり、
それから治療開始となった。

この病院の機械はエダップLT02Xというタイプで、
姿勢が拘束されることを除けば、患部の苦痛など無いに等しかった。
衣服をずらして肌を出し、衝撃波が発生する柔らかいドーム型の部分に
患部を合わせて、じっと60分間、治療台にうつぶせになっているだけで、
衝撃波が繰り返しあてられて、中の石が砕けるのだ
(腎結石や上部尿管の場合は背中からあてるので、仰向けで受けられる)。
「じゃ、始めま~す」
という先生の声に続いて、メトロノームにして160くらい?の速さで、
カチカチカチカチと衝撃波が当たり始めて、
皮膚表面は軽くゴムではじかれている程度の感覚があったが、
これは全くどうということは無かった。
ときどき、当たり具合が良いのか石が動くのか、
ズンと内部に響くような感触はあったけれども、
もしこのカチカチだけなら私は昼寝ができたことだろう。
問題は、治療中は動いてはいけない、ということだった(汗)。

軽くエビ反った姿勢でうつ伏せになっているので、
腰はだるくなるし、どっち向きになっても顔面のどこかが圧迫されるし、
頭部の下に腕を置いているのでこれもしびれるし、60分間は長かった。
処置室の中ではラジオがかかっていて、
この日はクラシック音楽の番組だったのだが、カチカチカチカチがうるさくて、
残念ながら説明も音楽も途切れ途切れにしか聞こえなかった。
顔の下にある腕時計を無理な体勢で見ながら、耐えに耐えて、最後に
「もうじき終わりま~す」
という先生の声がしたときには、天からの声に聞こえましたね(涙)。

終わってすぐ尿検査があり(直後はたいてい血尿だ)、
つづいてレントゲン検査と診察があった。
「ほほ~、うまく割れたようですよ」
と先生はご機嫌だった。
尿の中に既にいくつもの破片が出ていたし、
レントゲンで見ても、石はあきらかに小さくなっていた。
「ここに残っとるヤツが全部出たら、退院です(^^)」
と言われ、よっしゃ!と内心ガッツポーズをして病棟に帰った。
病室に戻ると、体温・血圧測定があり、点滴をされた。
打たれて石が動いたらしく、治療直後から体の内部に違和感があったが、
点滴が終わる頃には、右下腹部から右腰にかけて、
なんとも言えない圧迫痛が来た。
尿管結石の疝痛発作の前触れ的な感触だった。
勿論これは想定内で、予め処方されていたボルタレンを飲んだら、
一時間ほどでとても楽になった。

ということで、第一日目、終了。
待っているだけで夕食が出てきて、後片付けも何もしなくていいし、
テレビは鳴ってないし、21時半には消灯、夜は極楽であった(爆)。

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