ブログで宣伝中のコンサートが、やっと頭の中のスケジュールに登ってきた。
週末の夜・練習で集まる。
今回のメインのボーカルの、アツコは子供が熱出してお休み。
アバウトやささくれは、残業で、会社から直接参加だ。
ミホも家族の病気などで、まあ、皆生活を背負って、フォークを唄うだ!
候補曲4曲を流す。
出来が良い・・・・仕上がりを感じる・・・。
このままじゃ、ピークが過ぎる・・と、休憩だ。
昔風の甘い煎餅とカフェオレ。フラットの差し入れだ。
俺の、ね、スイーツ。
僕のマーチン000-28・そしてベッコウのピック。
ワシントン条約で、ベッコウは入手が難しい。
10年以上前に、かなり集めたブツがある。
まあ、ヨレヨレになって弾けなくなるまで、在庫はOKだ。
新品を下ろして、2年は弾いて、やっと手に馴染む。
休憩後、4曲、かなり自由に流す。
やはり、良い・・・・・。
たまには、俺の弾いてる姿で、如何?
そんな、週末は、音楽が連荘だった。
我が師匠・岡田京子さんの、小さなコンサート(コンサートと言うより、岡田音楽を囲んでの、岡田音楽堪能の集まりか?)があった。
主催者のO町のKさんの挨拶である。
前回同様、「石川啄木」の短歌に作曲した曲、その続編である。
休憩挟んで約2時間。
岡田さんの啄木作品はかなりあるらしく、2度目も新しかった。
前回のコンサートの記事は以下だ。
前回の記事へGO!
今回は、コンサートの最後・2曲ほどにギターの伴奏で参加となって、嬉しかった。
新しい啄木は、やはり「岡田節」だ。
それと聴いて、岡田さんとわかるメロだ。
蟹工船が、信じられない部数で読まれていると言う。
「改革」「少しの痛みは国民皆で我慢」と言われて、庶民の生活は疲弊し・地方の暮らしは切り詰めて、補填できない状態だ。
「規制緩和」は、沢山の非正規雇用を生んで、蟹工船に共感する、そんな事態が生まれているのだろう。
同じだと思った。
石川啄木の握ってこぼれる、砂のような生活実感とその歌は、明らかに、権力の側にない、庶民の寄り添うものだった。
その「短歌」・メロディーに乗ると、ストンと腑に落ちるから、改めて、音楽の大切さもわかった気がする。
小さな集まり・・・これなら、我がT市でも出来る。
そして、時節をアクセントに、講座のように続けられる、そんな気がした。
充実の数時間だった。
一緒に楽器で混ざって、シアワセだった。
コンサート果てて後、雑談も楽しい。
近況など、あれこれ、四方山話が花咲いて、ちょっと酒も飲んで、家路に着いた。
中秋の名月は、珍しく、姿を見せていた。