
私が通ったのは、ごく普通の公立小学校である。
5年生と6年生の2年間を思い出すと
灰色の空と、静まりかえった教室が浮かんでくる。
以前にも書いたが、同じ学年におそろしく乱暴で意地の悪い男の子がおり
入学当初からずっと、流血回避のために体の防御に心を砕く毎日だった。
5年生になるとそれに加え、担任から自身の精神を防御する必要が生じた。
まったく忙しい2年間であった。
担任は、当時37~8才の独身女性。
顔を思い出すと、思い詰めたような大きな目がふたつ浮かんでくる。
非常にきまじめな人で、教室は何かの探究者の道場みたいだった。
冗談を言って笑う、微笑みながら生徒に話しかける…などということは一切無い。
道場主の感情の起伏が激しいため
あたりの空気は常時、氷かマグマのどちらかに満たされていた。
何に向かって着火するのか、見当がつかない。
いつも長袖のカッターシャツに半ズボンの男の子がいた。
「半ズボンには半袖でしょう。バランスが良くない」
と、皆の前で執拗に責める。
翌日、言われたとおりに半袖で登校すると
「換えろと言ったわけではない…バランスが良くないと言っただけです」
とまた責める。
着る物、髪型、持ち物、言葉、態度…
誰の何に反応するか、毎日がロシアンルーレットの気分である。
先生はアナウンサーになりたかったそうで、発音にうるさい。
ここらへんでは習慣の無い「鼻濁音(びだくおん)」を使えと言う。
ガギグゲゴを鼻にかけて言うってことだ。
無理だっぺ…。
ガギグゲゴの使用を極力避ける会話に切り替えることで切り抜ける。
「ワタシ、ヤリマス」「オカシ、スキデス」
先生に聞こえる所では、どこかのホステスさんみたいにしゃべるしかない。
さらに標準語の使用が義務づけられ、方言の使用が禁止となる。
困るがや…。
不便ではあるが、無口になることで対応。
アナウンサーになってくれていれば、我々の前に現われることはなかったものを…
それがいかに狭き門かを知らなかったので、当時はそう思った。
今考えると、もしも先生が夢を叶えていたら
見た目もしゃべりかたも、某国で将軍様を讃えるあのアナウンサーにそっくりだ。
先生は給食の時間になると、食べ方の厳しい指導と共に
教室の後ろに貼ってある図画の批評をする。
「バックの色が変。センスが悪い」
「心の濁りが色彩に出ている」
うまければうまいで「子供らしい純粋さが無い」。
先生はそれをランチタイムの雑談と思い込んでいたようだ。
私なんて毎回「絵がマンガ的。進歩が無い」
と言われ、図画の時間は苦痛だった。
今度はどんなひどいことを言われてさらし者になるか
皆、絵を描くたびに案じた。
もっと厄介なのは日記だ。
図画はたまにしか無いが、日記は毎日提出する。
日記帳に赤い字で書かれた、批評の恐怖が待っている。
家族でどこかへ出かけて楽しかった…「他にやることはなかったのですか?」
友達の誰々ちゃんが好き…「そういうことは書かずに心で思うものです」
お祭に行った…「まだそんなことで浮かれているのですか?」
単純なことを書けばこれなので、皆だんだんひねるようになる。
ゴミが落ちていたので拾った…「あなたは自慢をして満足ですか?」
お父さんが早く帰って来たので、夕食が賑やかで嬉しかった…
「賑やかでなければ嬉しくないというのは間違っています」
遊園地に行ったが、そこで他人の態度などに色々疑問を持った…
「楽しい所では心から楽しめる人になりましょう」
子供とて学習する。
「もう反応しそうなことは書くまいや」ということになり
自分の心を現す内容を避け、日記は短い記録となる。
記録なら「感想を書きなさい」系の返事ですむからだ。
浮き立った気持ちに水を浴びせられるより、そっちのほうがよっぽどマシである。
しかしそれも皆で続けると
「このところ皆さんの子供らしい心が感じられません。
心が無機質ではいけないのです」
帰りのホームルームは長い説教になり、外が暗くなるまで続く。
言ってるうちに本人も興奮してきて
「恥を知れ」「ひとでなし」の罵詈雑言になり
やがて「先生は学校を辞める」「自殺する」になるのがお決まりのコース。
最後は一人で号泣して「帰れ!出て行け!」と言うので
その時を待ち、すみやかに下校するのみ。
翌朝「先生、死んでるかな?」と足取りも軽く登校するのだが
いつも生きていた。
「昨日はああ言いましたが、私も考えて
ここで皆さんに負けてはならないと思いました」
あ、そうですか…残念。
続く
5年生と6年生の2年間を思い出すと
灰色の空と、静まりかえった教室が浮かんでくる。
以前にも書いたが、同じ学年におそろしく乱暴で意地の悪い男の子がおり
入学当初からずっと、流血回避のために体の防御に心を砕く毎日だった。
5年生になるとそれに加え、担任から自身の精神を防御する必要が生じた。
まったく忙しい2年間であった。
担任は、当時37~8才の独身女性。
顔を思い出すと、思い詰めたような大きな目がふたつ浮かんでくる。
非常にきまじめな人で、教室は何かの探究者の道場みたいだった。
冗談を言って笑う、微笑みながら生徒に話しかける…などということは一切無い。
道場主の感情の起伏が激しいため
あたりの空気は常時、氷かマグマのどちらかに満たされていた。
何に向かって着火するのか、見当がつかない。
いつも長袖のカッターシャツに半ズボンの男の子がいた。
「半ズボンには半袖でしょう。バランスが良くない」
と、皆の前で執拗に責める。
翌日、言われたとおりに半袖で登校すると
「換えろと言ったわけではない…バランスが良くないと言っただけです」
とまた責める。
着る物、髪型、持ち物、言葉、態度…
誰の何に反応するか、毎日がロシアンルーレットの気分である。
先生はアナウンサーになりたかったそうで、発音にうるさい。
ここらへんでは習慣の無い「鼻濁音(びだくおん)」を使えと言う。
ガギグゲゴを鼻にかけて言うってことだ。
無理だっぺ…。
ガギグゲゴの使用を極力避ける会話に切り替えることで切り抜ける。
「ワタシ、ヤリマス」「オカシ、スキデス」
先生に聞こえる所では、どこかのホステスさんみたいにしゃべるしかない。
さらに標準語の使用が義務づけられ、方言の使用が禁止となる。
困るがや…。
不便ではあるが、無口になることで対応。
アナウンサーになってくれていれば、我々の前に現われることはなかったものを…
それがいかに狭き門かを知らなかったので、当時はそう思った。
今考えると、もしも先生が夢を叶えていたら
見た目もしゃべりかたも、某国で将軍様を讃えるあのアナウンサーにそっくりだ。
先生は給食の時間になると、食べ方の厳しい指導と共に
教室の後ろに貼ってある図画の批評をする。
「バックの色が変。センスが悪い」
「心の濁りが色彩に出ている」
うまければうまいで「子供らしい純粋さが無い」。
先生はそれをランチタイムの雑談と思い込んでいたようだ。
私なんて毎回「絵がマンガ的。進歩が無い」
と言われ、図画の時間は苦痛だった。
今度はどんなひどいことを言われてさらし者になるか
皆、絵を描くたびに案じた。
もっと厄介なのは日記だ。
図画はたまにしか無いが、日記は毎日提出する。
日記帳に赤い字で書かれた、批評の恐怖が待っている。
家族でどこかへ出かけて楽しかった…「他にやることはなかったのですか?」
友達の誰々ちゃんが好き…「そういうことは書かずに心で思うものです」
お祭に行った…「まだそんなことで浮かれているのですか?」
単純なことを書けばこれなので、皆だんだんひねるようになる。
ゴミが落ちていたので拾った…「あなたは自慢をして満足ですか?」
お父さんが早く帰って来たので、夕食が賑やかで嬉しかった…
「賑やかでなければ嬉しくないというのは間違っています」
遊園地に行ったが、そこで他人の態度などに色々疑問を持った…
「楽しい所では心から楽しめる人になりましょう」
子供とて学習する。
「もう反応しそうなことは書くまいや」ということになり
自分の心を現す内容を避け、日記は短い記録となる。
記録なら「感想を書きなさい」系の返事ですむからだ。
浮き立った気持ちに水を浴びせられるより、そっちのほうがよっぽどマシである。
しかしそれも皆で続けると
「このところ皆さんの子供らしい心が感じられません。
心が無機質ではいけないのです」
帰りのホームルームは長い説教になり、外が暗くなるまで続く。
言ってるうちに本人も興奮してきて
「恥を知れ」「ひとでなし」の罵詈雑言になり
やがて「先生は学校を辞める」「自殺する」になるのがお決まりのコース。
最後は一人で号泣して「帰れ!出て行け!」と言うので
その時を待ち、すみやかに下校するのみ。
翌朝「先生、死んでるかな?」と足取りも軽く登校するのだが
いつも生きていた。
「昨日はああ言いましたが、私も考えて
ここで皆さんに負けてはならないと思いました」
あ、そうですか…残念。
続く
この先生…心が病んでいるのでしょうか(゜3`Pq)))
先生のその後はきっと悲しい末路をたどられたんでしょうね…
だって幸せになれる要素がないですもん!!
せめて生徒さんが心に影を落とさずに成長なさっていればいいですけど(゜Д゜)
ウザ過ぎる・・・
もう、小学生がイヤなら小学校の教員になるなよなっ
アナウンサーになれなかったからって
小学生はないでしょ~
もしも、こんなウザイ人が私の担任ふぁったら
ウザ過ぎで相手にしないよ~
面倒だもん
でも、こんな人でも先生やってたなんて
すごいね~
それだけでビックリだよ
中学の時の私は誰が見てもヤンキーで、普通なら避けて通り過ぎたくなる装いと振る舞いをしていたのに、近所のガキんちょのみならず、中学の後輩からも寄り付かれてました。
親戚の集まりがあると、従兄弟の内の誰かが私の膝の上を陣取っていた状態。
それを見てた母やおば達は「にしきちゃんはああ見えて子供の扱いが上手いねぇ」と褒めてくれました。
だって子供って超カワイイじゃん。
素直だし元気いっぱいだしやる気満々だし。
しかし、その馬鹿センコーはいったい何なの?
子供を可愛く思えないなら先生になるな、このくそボケ!
子供を感情のはけ口なんぞにしくさって!
続きを待つ。
親も変な先生だとか気付きはしなかったんでしょうか?
私も4年と6年が同じ担任(男)だったんですが、表裏の非常にあり性格の悪い先生でした!!
みりこんさんの担任の先生程酷くはなかったんですが…
うちの祖父が当時教育委員会の委員長をしていたので、私に対してはかなりのえこひいきがありましたね
また、娘が同じ小学校に通っていたんですが、これまた性格わる子でした(#`皿´)
頭と神経を使う職業の方々は、性格にもよりますが、リーダーシップをとらなくてはならない職業に付かれると、みりこんさんが書かれたような状態になりやすいみたいです。(私もその1人でしたが
縛られてる事、考えなければならない事、1人で生きなければならないかもしれない不安、体力的な不安、更にはストレスのせいか、ホルモンバランスの変化で、嫉妬深くなったり、孤独感に苛まされたり、思い込みが激しくなったり…
弱い自分を見せられるのは、更に弱い人々。
病んでますなぁ(泣)
更には追い討ちをかける様な家庭環境だとしたら、死にたいとも言いたくなるんでしょうが…
基本、その仕事が好きじゃなければ、つくべきじゃないし、好きから自分を変えていけたら五年ぐらいはもつのでは…
でも、子供を大事に思わない人は、教師を続けてはいけないような気がします。
精神的に成熟した先生が、少なくなってきたのは残念です。
やっぱり、経験と、時間が必要って事かしら。
その根底にあるのは、その職業が好きっていう気持ちかにゃあ~(笑)
的場さんプロデュースのチョコクリームボードと、ビッグプリン苺〓アラモード
た~べようっと!
息子は小3の時の担任が 自分の言いなりにならない子供を目の敵にしてました。息子は担任がどうしても気に入らなくて…。そのうち 毎晩担任からの電話…。『私は悪くない』と言わんばかりに 遠回しに息子を責めてきました。(たとえば、担任に向かってぞうきんを投げ付けてきたーなど)最初の頃はそんな息子を私が責める。息子はますます暴れんぼう将軍になる(苦笑)職員会議が開かれる…負のスパイラルでした(涙)途中 そこに気付いたので電話がきても息子を叱らないようにしてました。翌年 担任は代わり クラスも落ち着き 一番仲の良いクラスになりました。
担任の価値観で 子供の評価が決められ 成績をつけるのはあてにならないな~と思いました。確かに 当時、家庭にも問題はありました(今もだ…笑)
そんな息子の昔話を知ってる方々は 今の息子を見て『変わったね~。頼もしいね』と言ってくれます。私の中で息子は変わらないです。頼もしい、優しい、熱い息子です。
教師の更新試験ってどうなったのでしょうかね~?私は賛成なんですが…。
エコヒイキばっかりだったから
イツからか「死ねばいいのに」って心の中で渦巻いていた。
4年生になった ある日学校内で「心臓発作」で
帰らぬ人になりました。
一瞬 私が思ってたから?と 気持ちがよぎりましたが、今思うと「児童への性的虐待」らしいこともしていたエロ親父だったので
倒れたんだろうと 未だに思うのです。
子供が好きじゃなくちゃキョウシも出来ないけど、変に好きもね~
何とか無難に過ごしたいですね
って もう一度小学校に行くことないか!
せいぜい 自動車学校かな?(老人になると免許更新に義務付けされてると 父が言ってたので)