そのうち、還暦旅行に出発する日がやってきた。
当日になってUを発見した女子は、どんな顔をするだろう…
彼の参加は極秘にしていたので責められるかもしれないが、仕方がない…
朝、そんなことを思いながら集合場所の神社へ向かう。
出発の前には地元の神社に集まり、旅行に行く者はもちろん
都合や体調不良で行かない者も、それぞれ正装に身を包んで還暦のお祓いを受けるのだ。
…と、神事が始まる直前、会長の携帯にUから連絡が。
「インフルエンザで行けなくなった」
岡山在住の彼は、関東や関西から来る子たちと一緒に
姫路駅で合流することになっていた。
しかし早朝、急に具合が悪くなった彼が病院へ駆け込んだところ
インフルエンザと診断されたのだった。
「残念だけど、みんなにはよろしく伝えてくれ」
Uは、会長に言ったそうだ。
ドタキャンされてブツブツ言いながら、旅行会社に欠員の連絡をする会長。
その傍らで、密かに喜ぶ私。
よろしく伝えるも何も、Uが来るのは秘密だったんだから無視。
神の御前で、Uの存在は闇から闇へ葬られたのである。
このUに関する一連により、私の長く抱いていた疑問にようやく答えが出た。
「天の優待券は無い」
結論は、これに尽きる。
Uは、女の子をいじめて滅茶苦茶にしたいという自身の欲望に忠実だった。
「このような悪さをしたら、相手はどんな気持ちか」
そういうことは全く考えなかった。
変質的な実像の上にワンパク坊主の仮面を被って世間を欺き
補導に至らないギリギリの所をうまく渡り歩いた。
彼はそれほど周到で巧妙だったのだ。
Uの所業は、乱暴や過ぎたイタズラだけではなかった。
彼が転校していなくなり、安堵したクラスメイトから聞くまで
私はこのことを知らなかったのだが、例えば夏、プールの授業がある。
彼はプールの授業を見学する女子の名前をノートにせっせと記録し
各自の生理の周期を割り出した。
秋になると、ニヤニヤしながらノートをめくっては該当する女子に近づき
「そろそろ生理じゃないのか」と小声でささやく。
そして恐怖で固まる相手に、卑猥なことを言いながら付きまとうのだ。
彼がこれ見よがしに、一冊のノートと周りの女子を
交互に見比べる姿は目撃したことがある。
あのノートで、また何か悪さをするんだ…気色悪!
そう思ったが、そのまま何もされなかったので忘れた。
後から思えば、初潮の遅かった私はプールを一度も休まなかった。
だから彼の変質ノートには記載されず、ノーマークだったのだ。
あのノートの使用目的を知った私は、Uの腐った性根に改めて驚いたものである。
ともあれ彼が何をしても、先生たちはあてにできない。
Uに説教するだけだ。
Uは素直に謝り、もうしないと誓うだろう。
先生は、それを解決と思っている。
しかし現場は違う。
中途半端な解決では、報復がひどくなるだけだ。
さらにバージョンアップした、とんでもない地獄が訪れるくらいなら
今の地獄に黙って耐える方がマシというのを女子は皆、知っていた。
そしてUもまた、そのことをよく知っていた。
自分を止められる者は誰もいないこと、そして人に言いにくいことをすればするほど
女子は黙っていることを、である。
このような彼の抜け目の無さが、やがて入隊した自衛隊で国防に役立ったのかどうかは知らん。
けれども、はたして天というものが存在するならば
その天はUの悪事そのものより、彼のそういう心根を見過ごさなかったのではないだろうか。
人を苦しめたり傷つけたり、人を利用して得をする人は世の中にたくさんいる。
そしてその人たちは大抵元気いっぱいで、勢いがあるように見えるものだ。
この分だと未来永劫、幸せに違いないと思えるほど自信に満ち溢れている。
が、彼ら彼女らを数年ではなく、数十年単位の長いスパンで見ていると
「あ〜、なるほど〜」と納得する時が来る。
やりたい放題でストレスの無い彼ら彼女らは、たいてい長生きなので
こっちもそれまで生きなければ見届けられないが
それぞれにふさわしい未来が訪れるのを目撃することになるだろう。
彼ら彼女らが自ら作った原因と、歳月を経て訪れた結果…
それを縮めて“因果”というのを目の当たりにしたら
とてもじゃないが、「ほれごらん!天罰よっ!」などと勝ち誇る気にはなれない。
あ〜、なるほど〜とつぶやいた後は、沈黙するしかなくなるのだ。
長い時が経ち、こっちは彼ら彼女らへの恨みなど忘れている。
たまに思い出すとすれば、まんまとやられた自分のアホに苦笑したり
生命まで取られなかったことに幸運に感じたり
あるいは、あんなことがあったからこそ、人付き合いの選球眼?が鍛えられた…
などと思う程度だ。
それが、憎くも何とも思わなくなった相手の亡くなり方や、訪れた思いもよらぬ運命
以前とあまりにも変わり果てた現在の姿を知るのはいささかショックで、口をつぐむしかない。
わかりやすくポピュラーなところでは、例えば孤独。
若い人にはピンとこないだろうが、年を取ると誰でも孤独感が増すものだ。
寂しさ、心細さ、不安、恐怖…
周りに家族がいようがいまいが関係なく、ふとした瞬間に
これらが束になって押し寄せ、心をさいなむ。
その状況は、老人と接触していたらよくわかる。
年寄りになると、幽霊より怖いのが孤独なのだ。
その孤独感は、自身が過去にやらかした行いと比例して強まる。
人間はそのようにできているので、本人にその意識は無くとも自然にそうなる。
つまり同じ孤独の二文字でも、人を足蹴にしてきた人の感じ方は強烈で
善人のそれとは雲泥の差があるのだ。
並行して、それまで自分が人に対してやってきたことが自分の元へどんどん戻って来る。
良いことも悪いことも、寄せては返す波のごとくだ。
ただし波と同じなので、自分が人にやってから時間が経っている分だけ
戻ってくる勢いは何倍にもバージョンアップしている。
良いことなら嬉しいが、そうでなければちょっと困ったことになる。
善悪のツケが回ってくるのが、ちょうど心身が衰え始める、数えの還暦あたりではなかろうか。
だからお祓いとか、するんじゃないのか。
人に意地悪をされる人が不運なのではない。
人に意地悪をせずにはいられない人こそ、不運だ。
私はそんな人を見るにつけ、心配になる。
「あなた、大丈夫?先できついんじゃない?」
余計なお世話だろうが、そう案じてしまう。
ずっと人を耐えさせる側、人を泣かせる側の片方だけで来た人間は
耐え方、泣き方を知らないからだ。
その無知が鋭い刃となって、必要以上に自身を傷つけ苦しめるのを
彼ら彼女らはまだ知らない。
これが気の毒でなくて何なのだ。
というわけで、人に意地悪をしたら自分に返ってくるどころじゃないぞ。
キャッチバーもびっくりの高額請求が回ってくる。
まだ若いか、そんなものが存在したら自分が困る人は
「そんなものは無い」と言うだろう。
さて、どうなるか。
皆様にはぜひ長く生きて、見届けてもらいたい。
《完》
当日になってUを発見した女子は、どんな顔をするだろう…
彼の参加は極秘にしていたので責められるかもしれないが、仕方がない…
朝、そんなことを思いながら集合場所の神社へ向かう。
出発の前には地元の神社に集まり、旅行に行く者はもちろん
都合や体調不良で行かない者も、それぞれ正装に身を包んで還暦のお祓いを受けるのだ。
…と、神事が始まる直前、会長の携帯にUから連絡が。
「インフルエンザで行けなくなった」
岡山在住の彼は、関東や関西から来る子たちと一緒に
姫路駅で合流することになっていた。
しかし早朝、急に具合が悪くなった彼が病院へ駆け込んだところ
インフルエンザと診断されたのだった。
「残念だけど、みんなにはよろしく伝えてくれ」
Uは、会長に言ったそうだ。
ドタキャンされてブツブツ言いながら、旅行会社に欠員の連絡をする会長。
その傍らで、密かに喜ぶ私。
よろしく伝えるも何も、Uが来るのは秘密だったんだから無視。
神の御前で、Uの存在は闇から闇へ葬られたのである。
このUに関する一連により、私の長く抱いていた疑問にようやく答えが出た。
「天の優待券は無い」
結論は、これに尽きる。
Uは、女の子をいじめて滅茶苦茶にしたいという自身の欲望に忠実だった。
「このような悪さをしたら、相手はどんな気持ちか」
そういうことは全く考えなかった。
変質的な実像の上にワンパク坊主の仮面を被って世間を欺き
補導に至らないギリギリの所をうまく渡り歩いた。
彼はそれほど周到で巧妙だったのだ。
Uの所業は、乱暴や過ぎたイタズラだけではなかった。
彼が転校していなくなり、安堵したクラスメイトから聞くまで
私はこのことを知らなかったのだが、例えば夏、プールの授業がある。
彼はプールの授業を見学する女子の名前をノートにせっせと記録し
各自の生理の周期を割り出した。
秋になると、ニヤニヤしながらノートをめくっては該当する女子に近づき
「そろそろ生理じゃないのか」と小声でささやく。
そして恐怖で固まる相手に、卑猥なことを言いながら付きまとうのだ。
彼がこれ見よがしに、一冊のノートと周りの女子を
交互に見比べる姿は目撃したことがある。
あのノートで、また何か悪さをするんだ…気色悪!
そう思ったが、そのまま何もされなかったので忘れた。
後から思えば、初潮の遅かった私はプールを一度も休まなかった。
だから彼の変質ノートには記載されず、ノーマークだったのだ。
あのノートの使用目的を知った私は、Uの腐った性根に改めて驚いたものである。
ともあれ彼が何をしても、先生たちはあてにできない。
Uに説教するだけだ。
Uは素直に謝り、もうしないと誓うだろう。
先生は、それを解決と思っている。
しかし現場は違う。
中途半端な解決では、報復がひどくなるだけだ。
さらにバージョンアップした、とんでもない地獄が訪れるくらいなら
今の地獄に黙って耐える方がマシというのを女子は皆、知っていた。
そしてUもまた、そのことをよく知っていた。
自分を止められる者は誰もいないこと、そして人に言いにくいことをすればするほど
女子は黙っていることを、である。
このような彼の抜け目の無さが、やがて入隊した自衛隊で国防に役立ったのかどうかは知らん。
けれども、はたして天というものが存在するならば
その天はUの悪事そのものより、彼のそういう心根を見過ごさなかったのではないだろうか。
人を苦しめたり傷つけたり、人を利用して得をする人は世の中にたくさんいる。
そしてその人たちは大抵元気いっぱいで、勢いがあるように見えるものだ。
この分だと未来永劫、幸せに違いないと思えるほど自信に満ち溢れている。
が、彼ら彼女らを数年ではなく、数十年単位の長いスパンで見ていると
「あ〜、なるほど〜」と納得する時が来る。
やりたい放題でストレスの無い彼ら彼女らは、たいてい長生きなので
こっちもそれまで生きなければ見届けられないが
それぞれにふさわしい未来が訪れるのを目撃することになるだろう。
彼ら彼女らが自ら作った原因と、歳月を経て訪れた結果…
それを縮めて“因果”というのを目の当たりにしたら
とてもじゃないが、「ほれごらん!天罰よっ!」などと勝ち誇る気にはなれない。
あ〜、なるほど〜とつぶやいた後は、沈黙するしかなくなるのだ。
長い時が経ち、こっちは彼ら彼女らへの恨みなど忘れている。
たまに思い出すとすれば、まんまとやられた自分のアホに苦笑したり
生命まで取られなかったことに幸運に感じたり
あるいは、あんなことがあったからこそ、人付き合いの選球眼?が鍛えられた…
などと思う程度だ。
それが、憎くも何とも思わなくなった相手の亡くなり方や、訪れた思いもよらぬ運命
以前とあまりにも変わり果てた現在の姿を知るのはいささかショックで、口をつぐむしかない。
わかりやすくポピュラーなところでは、例えば孤独。
若い人にはピンとこないだろうが、年を取ると誰でも孤独感が増すものだ。
寂しさ、心細さ、不安、恐怖…
周りに家族がいようがいまいが関係なく、ふとした瞬間に
これらが束になって押し寄せ、心をさいなむ。
その状況は、老人と接触していたらよくわかる。
年寄りになると、幽霊より怖いのが孤独なのだ。
その孤独感は、自身が過去にやらかした行いと比例して強まる。
人間はそのようにできているので、本人にその意識は無くとも自然にそうなる。
つまり同じ孤独の二文字でも、人を足蹴にしてきた人の感じ方は強烈で
善人のそれとは雲泥の差があるのだ。
並行して、それまで自分が人に対してやってきたことが自分の元へどんどん戻って来る。
良いことも悪いことも、寄せては返す波のごとくだ。
ただし波と同じなので、自分が人にやってから時間が経っている分だけ
戻ってくる勢いは何倍にもバージョンアップしている。
良いことなら嬉しいが、そうでなければちょっと困ったことになる。
善悪のツケが回ってくるのが、ちょうど心身が衰え始める、数えの還暦あたりではなかろうか。
だからお祓いとか、するんじゃないのか。
人に意地悪をされる人が不運なのではない。
人に意地悪をせずにはいられない人こそ、不運だ。
私はそんな人を見るにつけ、心配になる。
「あなた、大丈夫?先できついんじゃない?」
余計なお世話だろうが、そう案じてしまう。
ずっと人を耐えさせる側、人を泣かせる側の片方だけで来た人間は
耐え方、泣き方を知らないからだ。
その無知が鋭い刃となって、必要以上に自身を傷つけ苦しめるのを
彼ら彼女らはまだ知らない。
これが気の毒でなくて何なのだ。
というわけで、人に意地悪をしたら自分に返ってくるどころじゃないぞ。
キャッチバーもびっくりの高額請求が回ってくる。
まだ若いか、そんなものが存在したら自分が困る人は
「そんなものは無い」と言うだろう。
さて、どうなるか。
皆様にはぜひ長く生きて、見届けてもらいたい。
《完》