殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

原因と結果・1

2023年03月03日 10時59分23秒 | みりこん流
前回の記事、『ええ〜?!・2』で、私がお話しした一文。

「人としてやるべきことを怠ったため、忘れた頃になって

他人から次々と似たようなことをされるのは、この世の法則みたいなものだ」


これについてのコメントで、まえこさんがおっしゃった。

「結構、人から嫌なことされて来たんですけど

やった側って絶対幸せな毎日送ってるはず…って思ってました。

似たようなことされちゃうのか、やっぱ。」


私も昔は思っていた。

「やった側って、ずっと幸せなんだろうな。

だってさ、あんなことを人にやらかしておいて平気でいられるんだもん。

平気でいられるってことは、バチが当たらないってことなんだから

天から見逃してもらえる優待付きで生まれたんじゃないかしら。

そういうのを、生まれつき運が強いと言うんだろうな」

そんなことを考えては、自身で決めつけた運の弱さを嘆き

自分を苦しめた彼ら彼女らの強運ぶりにため息をついたものだ。

あの心境は、ブランド品のバッグに憧れる心境に似ている。

バッグはお金を出せば買えるが、運は買えないのが残念なところよ。


特に一番身近な、夫ヒロシ!

何だ、あいつ。

次々と愛人をこしらえて家庭を顧みず、私をさんざん苦しめておきながら

世間の評判ときたら「あんないい子はいない」などと、すこぶる上々。

バチが当たる気配など全く無いまま、色恋を謳歌しているではないか。


が、年月を経た今はどうだ。

夫は合併した本社の面々から、あの当時の私と同じ目に遭わされている。

誤解、曲解は当たり前、重箱の隅をつついてはガミガミ、ネチネチ、クドクド。

指導や注意という正義に名を借りた残酷な仕打ちは

夫の家族から私が受けた行為そのものじゃんか。


私の場合は彼らの娘を浮かばせるために、これが執行された。

家に似たような年頃の女子が二人いたら、片方を沈めれば片方が浮く。

片方がダメだから、もう片方を毎日帰らせて家事と家業を手伝わせるしかない…

彼らは世間に説明のつく大義名分を欲しがった。

我が子のためなら他者の抹殺もいとわない、親の本能全開である。


夫の場合は本社直接雇用の一部の社員が、自分たちの身を守るためにこれをやる。

世間知らずの元ボンボンに手を焼くのが忙しくて、仕事どころではない…

針小棒大、嘘いつわり捏造によってそのテイを装い

上層部の注目を夫に集めておけば給料が出ることを、仕事しないヤツほど先天的に知っているのだ。


その様子を見るにつけ、卑怯なヤツらの立ち回りに腹を立てる一方

アレらの描いた子供っぽいシナリオに唖然とするしかなく、事態を把握するのに月日がかかる…

昔の私と同じで、なされるがままに転がされるしかない夫を痛々しく思う。

ゲスにプライドをズタズタにされ、ゲスに笑い者にされ、ゲスに蔑まれる…

それがさも正しいことのように展開していく不条理の中で

なすすべもなく立ち尽くすのがどんなにつらいか、身をもって知っているだけに気の毒でならない。

ことに夫は大の男であり、一応は二代目ボンボンとしてチヤホヤされてきた。

世が世なら鼻にも引っかけなかった人々から侮辱を受ける悔しさ、悲しさ、情けなさは

嫁という名の奴隷として、ある程度の諦めをつけていた私の比ではあるまいよ。


これを放置しておくと、アレらの行為がどこまでもエスカレートすることは経験で知っている。

最後は28年前に私が家出した時のように、死にたくなかったらその場を去るしかなくなるのだ。

数年後に70才を迎える夫は、そのうち嫌でも去る予定ではあるものの

去る時は追われるのではなく、満期で堂々と去らせてやりたいではないか。

だから私は無い頭を振り絞り、夫を鼓舞しながら応戦するのだ。

どんなにバカバカしい事柄に対してであっても、夫婦で何かと戦うってけっこう楽しいぞ。


それと同時に、ある種の感慨もおぼえている。

「天に見過ごしは無い」

このひと言だ。

長く生きて、様々な人間模様を見てからやっとわかるのだが

優待は無いのである。


みんなのアイドルだったヒロシ君も、例外ではなかった。

彼の行いで一番良くなかったのは浮気そのものではなく

見るべき事柄に目を向けなかったことなのかもしれない。

まあ、気持ちはわかるのよ。

自分の親が卑怯で残酷だなんて、誰も知りたくないからね。


特に60才の還暦が近づくと、それまでのツケが一気に

あるいはジワジワと小出しに訪れる。

ツケは忘れた頃にやってくるのだ。

だから還暦を大厄と呼び、お祓いをするのではなかろうか。


こういう話をさせていただく前に重々お断りしておきたいのは

若い頃に良くない行いをしたから、年を取って不幸を体験するというわけではないこと。

「私は病気になったけど、若い時に何か悪いことしたって言うんですかっ?」

決してそのような話ではないことをご承知いただきたい。


さてと、前置きはこれぐらいにして…(前置きだったんかい!長過ぎじゃん)

年を重ねるにつれ、不可解だった事柄について

「そういうことだったのか…」と腑に落ちることが増えてくるものだ。

幸せを絵に描いたようなあの人が、ずっと先で実はそうじゃなかったことがわかったり

いつも明るいこの人が、実は私など足元にも及ばないような深い悲しみを乗り越えていたり。

十人十色と言うけど、皆、表面からは絶対にわからない何かを抱えているらしい。


そんな中、「そういうことだったのか…」を確信せずにはいられない出来事があった。

「やった側ってずっと幸せで、天から見逃してもらえる優待付きで生まれてきた」

そう思っていた人物についてである。


彼の名はU。

このブログでは『宇宙人』というカテゴリーに特記している同級生である。


彼は小学校時代から、本当に悪辣な男児だった。

もっとも最初の出会いは、彼が保育園、私が幼稚園の時。

彼の通う保育園で人形劇が行われることになり、我々幼稚園の子供たちも保育園で鑑賞することになった。

大っぴらな行事ではないので、幼稚園の子供たちは一旦帰宅し

希望者だけが町外れの山寺にある保育園まで各自が自由に向かうことになっている。

5才の私は人形劇にワクワクしながら、一つ下の妹を連れて山道を登った。


すると鬱蒼とした木々の陰から、一人の男の子が太い木の枝を持って躍り出た。

「幼稚園のヤツは来るな!」

叫びながら木を振り回す、大柄な男の子。

それがUだった。

《続く》
コメント
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