今回の記事は、前回の『人に振り回されない方法』の続編になるかもしれない。
前回のシリーズでは、人に振り回されない方法として
ゲスに振り回されにくくなるには自分の格を上げることだと申し上げた。
私の場合、格が上がったかどうかは怪しいもんだけど
加齢するに連れ、積み重なった経験値のお陰で、多少は機転がきくようになったのは確か。
とはいえ私は、年を取って働きに出なくなったので同僚というものが無く
子供の学校関係もとっくに終わり、これといった趣味とて持たないため
人と関わる機会が減ったという単純な理由が大いに関係している。
つまり職場やPTAやサークルなど、自分でメンバーを選べない集団に属さなくなったため
我慢しながらわけわからん人と付き合わなくて済み
理不尽に泣く機会が減ったという物理現象である。
年を取るのは寂しく悲しいことだと思っていたが、こんなに良いこともあるのだ。
加齢、バンザイ!
しかし世の中には、それら理不尽な集団の中に置かれて苦しむ現役の人も多い。
私もさんざん嫌な思いをしてきたので、その気持ちはよくわかる。
そこで、ちょっとしたコツみたいなものを言葉で表現することによって
少しは気が楽になってもらえたら…そう思って取り組んだ。
さて、他人に振り回されなくなると、こちらにも余裕ができて
微力ながら人の世話をするようにもなるし、人のお役に立ちたいと殊勝な気分にもなる。
しかしそうなったらなったで、今度はラスボスが登場するというのをお話ししておきたい。
ともあれ余裕と殊勝が生まれ、自分のことだけでなく
世の中の幸福なんかもチラッと考えるようになると、新しく出会う人の質が変わってくる。
町のため、人のために活躍する人と知り合う縁が生まれるのだ。
70代のレイ子さんも、その一人。
数年前に知り合った彼女は、とってもいい人だ。
現役時代は都会で、俗に言うキャリアウーマンをやっていたが
定年退職後にご主人を亡くし、親の世話をするために隣市の実家へ戻ってきた。
親を看取った後は、持ち前の行動力全開。
趣味に町おこしにと、パワフルに活動している。
その延長でこちらの市にも来ることがあり、知り合った。
「わたしゃ都会でバリバリやってました!」
みたいな肩ひじ張った雰囲気を微塵も感じさせない上品さもさることながら
穏やかで温かい彼女の人柄が、私は大好きになった。
が、パワフルでいい人って、私のような振り回され族にとって、実は危険人物。
というのもある日、彼女と墓参りや法事の話をしていて
私が◯◯寺の檀家だと知ると、彼女はすかさず言った。
「春になると、◯◯寺の桜が綺麗でしょう。
満開の桜の下で、町おこしのイベントをやったら素敵だと前から思っていたのよ。
だけど私はこの町の人間じゃないから、◯◯寺の人と面識が無いじゃない。
どうやってお願いしたらいいのか、わからなかったの。
お庭を貸していただけるかどうか、住職さんに聞いてくださるとありがたいんだけど」
来た!
そう思いましたとも。
レイ子さんだけでなく、パワフルでいい人にうっかり何かしゃべると
たいてい思わぬ宿題を出されるのは過去に何度も経験していた。
簡単なものならいいけど、このタイプが出す宿題は、けっこう面倒くさいものが多いのだ。
ああいった善人は、常に世のため人のために何かできないかとアンテナを張っている。
頭の回転が早いので、ひとたびアンテナに引っかかった獲物は逃さない。
善意で攻めてくるだけに、ゲスより注意が必要なのである。
パワフルに見えるのは、人に用事を振って荷物を一緒に担がせ
自分の負担を軽減するのがうまいからだ。
いい人に見えるのは、思いつきで生きているために物事を深く考えず
それが無邪気な印象を与えるのと、思いつきの荷物を一緒に担がせる犠牲者へのホスピタリティだ。
こうでなければ、町や人の集団をどうにかしようと走り回るなんてできない。
レイ子さんの頼みに、私は答えた。
「本当にやるのであれば、住職にたずねる程度までならできますよ」
気さくな住職なので、話ぐらいは聞いてくれるだろう。
それぐらいなら私にもできる。
レイ子さんは喜んだが、実現は難しいと思われた。
だって桜の満開は、ほんの数日だ。
その数日の間に、土日がハマるかどうかの物理的問題がある。
イベントをするからには、人を集める前宣伝をする必要があるため
できるだけ早く日程を決めなければならない。
決めた日に桜が咲いてなかったら、あるいは散ってしまったらどうするんじゃ。
それらの懸念をものともせず、イベント予定日に満開がハマッたとしても
その前に雨が降って散るかもしれず、ましてや当日が雨降りだったらどうするんじゃ。
さらにハードルは存在する。
イベントの日に、寺で葬式があったらどうするんじゃ。
問題のお寺は檀家の数が多いので、お寺で葬式をする人も多い。
悲しみにくれる人や厳粛なお経のかたわら、境内でワイワイガヤガヤされたんじゃあ
たまったもんじゃなかろう。
法事ならあらかじめ予定が組めようが、死ぬ予定日が不明の葬式はどうしようもない。
お寺が、行きずりのイベンターより檀家を選ぶのは決定事項。
急きょ中止ということも、無いとは言えないのだ。
レイ子さんの善意のためなら天も味方してくれそうな勢いではあるが
お寺に話を持ち込むことでイベントの一味に巻き込まれ
開花予想とにらめっこしつつ、中止の連絡に怯えて気を揉むなんて私はゴメンよ。
だから「本当にやるのであれば」、「たずねる程度までならできる」と注釈を付けた。
単なる思いつきでないことを確認してからでないと、お寺に話すことはできない…
私にできるのは住職にたずねる所までで、それ以上のことはできない…という意味。
これらを言わずに返事だけしてしまったら
「協力してくれると言ったじゃない」と攻め込まれ
にっちもさっちもいかなくなるのは経験上、知っている。
善人は「はい」や「わかりました」を太平洋のごとく広い意味で解釈するので
注釈をつけた自分の発言を記憶していれば、それを武器に応戦できるというものだ。
とはいえ善人の思いつきって、日にちが経つと変わりやすいのも特徴。
経験で言えばパワフルでいい人って、私のような横着者とは流れる時間が違うのよね。
あちこちでたくさんのことを同時に進めているので
本人の気が変わったり、難しいとわかって手を引いたりのスピードが速く
それが周りには、急な心変わりに映ることもある。
こういう人の評判が、「すごくいい人」と「ろくでなし」の両極に偏りやすいのは
善人の実行で恩恵を受けた人と
善人の移り気に翻弄された人の両極が存在するためだ。
だからこの件も、私は「本格的に頼まれたら住職に話す」
というのだけを認識し続けているけど、そのうちレイ子さんの中では
いつの間にか終わったことになるかもしれない。
ハードルも高いことだし、なんだかんだで立ち消えになるとタカをくくっていた。
《続く》
前回のシリーズでは、人に振り回されない方法として
ゲスに振り回されにくくなるには自分の格を上げることだと申し上げた。
私の場合、格が上がったかどうかは怪しいもんだけど
加齢するに連れ、積み重なった経験値のお陰で、多少は機転がきくようになったのは確か。
とはいえ私は、年を取って働きに出なくなったので同僚というものが無く
子供の学校関係もとっくに終わり、これといった趣味とて持たないため
人と関わる機会が減ったという単純な理由が大いに関係している。
つまり職場やPTAやサークルなど、自分でメンバーを選べない集団に属さなくなったため
我慢しながらわけわからん人と付き合わなくて済み
理不尽に泣く機会が減ったという物理現象である。
年を取るのは寂しく悲しいことだと思っていたが、こんなに良いこともあるのだ。
加齢、バンザイ!
しかし世の中には、それら理不尽な集団の中に置かれて苦しむ現役の人も多い。
私もさんざん嫌な思いをしてきたので、その気持ちはよくわかる。
そこで、ちょっとしたコツみたいなものを言葉で表現することによって
少しは気が楽になってもらえたら…そう思って取り組んだ。
さて、他人に振り回されなくなると、こちらにも余裕ができて
微力ながら人の世話をするようにもなるし、人のお役に立ちたいと殊勝な気分にもなる。
しかしそうなったらなったで、今度はラスボスが登場するというのをお話ししておきたい。
ともあれ余裕と殊勝が生まれ、自分のことだけでなく
世の中の幸福なんかもチラッと考えるようになると、新しく出会う人の質が変わってくる。
町のため、人のために活躍する人と知り合う縁が生まれるのだ。
70代のレイ子さんも、その一人。
数年前に知り合った彼女は、とってもいい人だ。
現役時代は都会で、俗に言うキャリアウーマンをやっていたが
定年退職後にご主人を亡くし、親の世話をするために隣市の実家へ戻ってきた。
親を看取った後は、持ち前の行動力全開。
趣味に町おこしにと、パワフルに活動している。
その延長でこちらの市にも来ることがあり、知り合った。
「わたしゃ都会でバリバリやってました!」
みたいな肩ひじ張った雰囲気を微塵も感じさせない上品さもさることながら
穏やかで温かい彼女の人柄が、私は大好きになった。
が、パワフルでいい人って、私のような振り回され族にとって、実は危険人物。
というのもある日、彼女と墓参りや法事の話をしていて
私が◯◯寺の檀家だと知ると、彼女はすかさず言った。
「春になると、◯◯寺の桜が綺麗でしょう。
満開の桜の下で、町おこしのイベントをやったら素敵だと前から思っていたのよ。
だけど私はこの町の人間じゃないから、◯◯寺の人と面識が無いじゃない。
どうやってお願いしたらいいのか、わからなかったの。
お庭を貸していただけるかどうか、住職さんに聞いてくださるとありがたいんだけど」
来た!
そう思いましたとも。
レイ子さんだけでなく、パワフルでいい人にうっかり何かしゃべると
たいてい思わぬ宿題を出されるのは過去に何度も経験していた。
簡単なものならいいけど、このタイプが出す宿題は、けっこう面倒くさいものが多いのだ。
ああいった善人は、常に世のため人のために何かできないかとアンテナを張っている。
頭の回転が早いので、ひとたびアンテナに引っかかった獲物は逃さない。
善意で攻めてくるだけに、ゲスより注意が必要なのである。
パワフルに見えるのは、人に用事を振って荷物を一緒に担がせ
自分の負担を軽減するのがうまいからだ。
いい人に見えるのは、思いつきで生きているために物事を深く考えず
それが無邪気な印象を与えるのと、思いつきの荷物を一緒に担がせる犠牲者へのホスピタリティだ。
こうでなければ、町や人の集団をどうにかしようと走り回るなんてできない。
レイ子さんの頼みに、私は答えた。
「本当にやるのであれば、住職にたずねる程度までならできますよ」
気さくな住職なので、話ぐらいは聞いてくれるだろう。
それぐらいなら私にもできる。
レイ子さんは喜んだが、実現は難しいと思われた。
だって桜の満開は、ほんの数日だ。
その数日の間に、土日がハマるかどうかの物理的問題がある。
イベントをするからには、人を集める前宣伝をする必要があるため
できるだけ早く日程を決めなければならない。
決めた日に桜が咲いてなかったら、あるいは散ってしまったらどうするんじゃ。
それらの懸念をものともせず、イベント予定日に満開がハマッたとしても
その前に雨が降って散るかもしれず、ましてや当日が雨降りだったらどうするんじゃ。
さらにハードルは存在する。
イベントの日に、寺で葬式があったらどうするんじゃ。
問題のお寺は檀家の数が多いので、お寺で葬式をする人も多い。
悲しみにくれる人や厳粛なお経のかたわら、境内でワイワイガヤガヤされたんじゃあ
たまったもんじゃなかろう。
法事ならあらかじめ予定が組めようが、死ぬ予定日が不明の葬式はどうしようもない。
お寺が、行きずりのイベンターより檀家を選ぶのは決定事項。
急きょ中止ということも、無いとは言えないのだ。
レイ子さんの善意のためなら天も味方してくれそうな勢いではあるが
お寺に話を持ち込むことでイベントの一味に巻き込まれ
開花予想とにらめっこしつつ、中止の連絡に怯えて気を揉むなんて私はゴメンよ。
だから「本当にやるのであれば」、「たずねる程度までならできる」と注釈を付けた。
単なる思いつきでないことを確認してからでないと、お寺に話すことはできない…
私にできるのは住職にたずねる所までで、それ以上のことはできない…という意味。
これらを言わずに返事だけしてしまったら
「協力してくれると言ったじゃない」と攻め込まれ
にっちもさっちもいかなくなるのは経験上、知っている。
善人は「はい」や「わかりました」を太平洋のごとく広い意味で解釈するので
注釈をつけた自分の発言を記憶していれば、それを武器に応戦できるというものだ。
とはいえ善人の思いつきって、日にちが経つと変わりやすいのも特徴。
経験で言えばパワフルでいい人って、私のような横着者とは流れる時間が違うのよね。
あちこちでたくさんのことを同時に進めているので
本人の気が変わったり、難しいとわかって手を引いたりのスピードが速く
それが周りには、急な心変わりに映ることもある。
こういう人の評判が、「すごくいい人」と「ろくでなし」の両極に偏りやすいのは
善人の実行で恩恵を受けた人と
善人の移り気に翻弄された人の両極が存在するためだ。
だからこの件も、私は「本格的に頼まれたら住職に話す」
というのだけを認識し続けているけど、そのうちレイ子さんの中では
いつの間にか終わったことになるかもしれない。
ハードルも高いことだし、なんだかんだで立ち消えになるとタカをくくっていた。
《続く》