殿は今夜もご乱心

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人に振り回されない方法・7

2023年02月01日 14時15分42秒 | 前向き論
その後、ユニフォーム新調未遂の一件は

自分がやり遂げられなかった残念な思い出として、私の心に長く残っていた。

どうすればうまくやり遂げられたのかを時々、考えたりもしたものだ。


しかし、今は何とも思わない。

あれから40年近くの長い年月を経て、やり遂げられなかったことが溜まった。

義理親との同居、習い事、仕事、友だち付き合い…

中断、途中放棄、脱落のコレクションはたんまり。

新しいバレーチームも6〜7年行ったが、35才で婚家を家出するにあたり、辞めた。

バレーボールとは、それっきりだ。


ともあれコレクションが増えてくると、考え方も変わってくるというもの。

何でもかんでも、やり遂げることだけが良い行いだとは思わなくなった。

年を取って先が短くなるとなおさらで

「取り組む価値と、やり遂げる価値があるかどうか」が判断基準になった。

価値の無いものに固執したら、時間がもったいないじゃないか。


人を振り回すヤツは、その時の一回だけで決して終わらない。

ひとたび味をしめたら、性懲りも無く何回でも頼んでくる。

そしてこちらが応じたら、礼を言うどころではない。

途中で「やっぱりやめる」と言い出したり

「こうしてくれた方が良かった」と気に入らなかったり、勝手極まりない。

同じ人が同じことを何度も繰り返す確率が高いので、長く生きていたら嫌でもわかってくるものだ。


人を振り回すのは、癖なのだ。

先天性の病気と言ってもいい。

だから一回やると、必ず何回もやる。

よって封建村チームのユニフォームも、後から不満が出るのは決定事項だっただろう。

あの時、私が頑張って新調作業をやり遂げ、いっときは達成感に浸ったとしても

結局いつまでもグズグズと不平不満を言われるのであれば

本当にやり遂げたことにはならないのである。


ついでに言うが、そもそも私をあの忌まわしきチームに誘った親戚の監督。

私を入れたら何ヶ月もしないうちに辞め、自分の女房と二人で新しいチームを作ったんだぞ。

私?置き去りよ。

さすがは封建村の出身者。


夫の従姉妹の旦那であり、夫の会社の取引先で社長をしている彼もまた

人を振り回す人間である。

結婚と同時にサラリーマンから社長へと逆玉に乗ったが

周りを振り回すことにかけては定評があるのだ。


仕事上での身勝手な変更やキャンセルは、もはやライフワークに等しい。

商売をしていたら、人に振り回されるのも仕事みたいな所があり

さほど気にしない習慣が付いているのもあるが

あまり大きい会社ではないので損害の額は知れている。

ヒラのサラリーマンからいきなり社長になったのだから、商売の勘に恵まれず

迷いもあろうという配慮もあって、夫は何十年も許容してきた。


しかし最も困るのは、間に別の人が入っている時。

仕事の方面でも数え切れないほど迷惑を被ったが、物品の売買…

特に車の方面で泣かされた経験は数々ある。

実は私も、彼のこの悪癖に巻き込まれたことがあるのだ。

金額が大きい物なので、巻き込まれた人の迷惑も大きい。

我々がかく恥と失う信用、そして謝罪の程度も重い物になるのだった。


が、その裏を返せば、彼はあちこちでこの悪癖を発揮しているため

相手にする人がいなくなったという事実が存在する。

そのため、親戚かつ年下で言いやすい夫に頼むしかなくなったと言えよう。


車関係は、今年に入ってからもやられた。

「壊れたトラックが1台ある。

修理に大金を出すより、いっそ売り飛ばしたいので業者を紹介してくれ」

彼に言われた夫は売買の業者を紹介し、すぐに見積りが出た。

後は大阪からトラックを引き取りに来て、お金を受け取るだけになったその前日

彼から連絡が。

「あのトラックを使う仕事が出たから、売るのは止めて修理に出す。

キャンセルしといて」

自分で連絡すればいいものを、やはりどこか後ろめたいらしく

紹介した夫に断らせようとする。


夫は身勝手な言い草に抗議したが、彼は

「金はまだもらってないんだから、キャンセルは有効だ」と平然。

「自分で言え」と言っても、彼にその気は全く無さそう。

引き渡しが翌日に迫っているため、業者が大阪を出発したらアウトだと思った夫は

恥をしのんでキャンセルの連絡をした。

放っておけばやってくれるとタカをくくっているのが、忌々しい。


「大恥かかせやがって!」

怒りのおさまらない夫。

「また振り回されて!もうあんなヤツ、相手にしなさんな!」

いつも誰かに振り回されておきながら、言う私。

目くそ、鼻くそに説教の図。


赤の他人ならば一回やられたら離れることも可能だが

親戚となると、なかなかそうはいかない。

しかも彼と夫は血の繋がりの無い親戚という、微妙な関係だ。

血を分けた身内には絶対やらない残酷も、血の繋がりの無い夫になら平気という面で

夫と私に共感し合えるものがあるのはともかく

長い年月の間、お互いに同じ人間から何度も振り回されるうち

「人を振り回す人は一生、振り回す。

人を振り回さない人は一生、振り回さない」

という、経験に基づく結果が判明した。

あれは加齢や性格などという生易しいものではなく

生まれつきのれっきとした持病だと確信した次第である。



さて、ここで最初に申し上げた「最下層から一つ上の層に登る」まで話を戻そう。

人を振り回す人間は経験値の低い、実はダメなヤツ…

人に振り回されない人間は、たとえ振り回されても

振り回されていると感じない力量のある人…

これを知ったら階段を一段登ることができると言った。

わずか一段でも高い所から下層を眺めると

振り回す側のダメぶりや、自分はどうすれば良かったのかなど

下層にいる時には五里霧中だった色々なことが見えてくるものだ。


そしたら二段目に進む時期。

コロコロと気が変わるのも、人を苦しめ翻弄させて何とも思わないのも

病気なんだから仕方がないと納得したら、もう二段目に登っている。


二段目に立って、まず考えることは、これ。

「あの病人たちがやらかすことの中で、一番罪深いことは何なのか」

こっちがしんどいだけの手間や労働なら、まだマシよ。

人の信用を無くさせることが、一番罪深い。

振り回し病という病いは、これがわからない病気である。

つまりアレらは元々、人から信用されたことが無い。

だから信用に関しての意識が希薄なのだ。


アレらに何か頼まれ、そこに第三者が入る場合は、用件を聞く前に断る…

揉めても、なじられても、仲間外れになっても気にしない…

そこまでして守らなければならないのが自分の信用だ。

この信用の重さがわかれば、階段の三段目に登れる。



と、このように一段ずつ上に登って行く過程で

体力、知恵、技術、気遣い、慈悲、お金などの力量が徐々に身に付き始める。

それに伴い、判断力や選別眼に裏打ちされた世渡りの勘も

より鋭く、より確実な方向へと進化していく。

この力量と勘が、本人の霊格や風格といった、人の格式を決めるのである。


こうして、とりあえず三段目まで登ったら、もう変なゲスとは付き合えない。

面白くないからだ。

ゲスの方も、あんまり近寄って来ない。

格式が変わると、縁が変わるからだ。

中には格式の違いすらわからない超の付くゲスもいるが

すでにこちらで危ないと判断できるので、距離を置くことができる。


四段目以降はご自由に。

三段目までで安全圏に入ったので、あとは経験を積み重ねて

力量と勘の精度を上げていったらいい。


とまあ、人から振り回されてばっかりの私が言うのもちゃんちゃらおかしいが

こういうことなんじゃないかな?と思うわけよ。

何かの足しになれば、幸いです。

《完》
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人に振り回されない方法・2

2023年02月01日 14時13分36秒 | 前向き論
《すいませ〜ん。

操作ミスでシリーズの順番が狂っちゃいました〜。

直し方がわからないので、このままにします》


自分を取り巻く人間関係にくたびれたら、上の層に行く時期が来たと思え…

人格でも風格でも霊格でも何でもいいから、格上げに取り組むチャンス…

前回の記事では、そう述べた。

自分のいる層から一つでも二つでも上に上がれば、出会う人が変わってくるからである。

世の中には、生まれつきシード権が与えられ

最初から上の方の層に置かれた人もいるように見えて、何だか羨ましく思うけど

私のような下層スタートの者は、地道に一つずつ這い上がって行くしかないのだ。


「自分を変えたい」、「変わりたい」と言う人は多い。

昔の私も、漠然とそう願っていた。

何で私ばっかりがこんな目に遭わなければならないのか…

何かを変えなければ、今の苦境は生涯変わらないのではないか…

そう考えては一発逆転のカンフル剤を探す日々。

とはいえ浅学無知で怠け者の私が、これといった物が見つけられるはずもなく

焦燥感にさいなまれたものだ。


やがてその心境は、「自分は変わらずに周りの人の心がけが変わって欲しい」

そう願っていたのと同じだと気づく。

だからいつまで経っても自分は変わらず、自分を取り巻く環境も変わらなかったのだ。


そこでようやく、この思いに至った。

平面180度の大変化を目指さずとも、上に目を向けたらどうだろう…

階段をほんの一段登って上に上がってみれば、自分は変わらなくても景色が変わるのではないか…

横着な私がいかにも考えそうなことである。


その這い上がる方法というのを模索するのに長い年月がかかり

気付けば老人の仲間入りをしていて、実際に上の層へ行けたかどうかも怪しいものだ。

それでもやはりあの考え方は、他の人にはどうだか知らないが

自分にとって有益だったのではないかと思っている。


で、その登り方だが、私の考えることだから、たいしたことではない。

自分はなぜ人に振り回されてしまうのかを考えるのだ。

経験から言うと、人には振り回されやすい人と、そうでない人がいて

家庭や職場を始め、どんなコミュニティーでも

振り回される人と振り回す人の二通りで成立していることがわかる。


振り回される側になるのは、当たり前だが頼まれたら嫌と言えない人である。

言い換えれば、ノーと言った後の気まずさを知っている人だ。

何かを頼まれたのに断ったら雰囲気が悪くなると思ったり

人によっては相手に失望されたくない、孤立してしまうのではないかと

心配する癖がついていることもある。

いずれにしても自分にできることならと、つい振り回されてしまう。


一方で振り回す側は、相手の立場になって物事を考える習慣が無い人だ。

自分だったらできるのか、自分がやらされたらどんな気持ちか…

そういったことを全く考えないので、いとも簡単に頼み事や命令をする。


考えないのは当然だ。

そういう人は、逆に何か頼まれてもちゃんとできない。

そのため人からあてにされたことが無いので、実は物知らずで経験値が低い。

何も知らず、何もできない、実はつまらんヤツだからこそ

自分はやらなくて済むように指示する側や仕向ける側に先回りして、言葉巧みに人を操る。

それはまた、自分がつまらんヤツだというのを人に知られないようにする最良の策でもある。

人は、自身の残念な実態を隠蔽するためなら何でもやるものだ。


振り回される側は、そんな振り回す側のずるさを薄々感じ取っているので

不公平感にさいなまれ苦しむ。

しかしそれを言及して詰め寄ったところで、何も解決しないことも知っている。

卑怯者は逃げるのがうまいとわかっているからだ。

話をすり替えたり、泣きわめいたり、味方を集めたりして必ず逃げ切る。

何もできない分、人に用事をやらせることと逃げることにかけてはプロなんじゃ。


その逃げる後ろ姿に歯噛みしながら、振り回される側は自分を責めてしまうものだ。

私とて、不器用だから、頭が悪いから、人を見る目が無いからと

謙虚にも自分を責めていた。

クヨクヨと悩み、うっかり引き受けてしまった自分を呪った経験は数え切れない。


しかし、自分を責めることはないのだ。

劣っているのは、かわいそうなのは、指示やお願いをされて動いてしまうこちらではなく

実は無能なあちらさんである。



この真相がわかれば、景色がちょっと変わる。

一段高い所から周りを見回すと、冒頭でお話しした

生まれつきシード権を持っているような人の実情が理解できるようになる。

ゲスと関わらなくていい層で、人に振り回されずに暮らしているように見えた人々は

人を振り回す人間に寛大なだけだった。


なぜ寛大かというと、これは力量の違いなのだ。

人のために用事をするとなると、どんな事柄であっても体力、あるいは知恵や技術

そして気遣い、慈悲、場合によってはお金が必要になる。

それらを総合して力量と呼ぶなら、シード組はその力量が豊富というわけよ。

だから彼ら彼女らには、人から振り回されているという概念が無く

いつも涼しい顔で余裕をかましている。


かたや、いつも誰かに振り回されては嘆き悲しみ、我が人生を呪う私は

体力、知恵、技術、気遣い、慈悲、お金…

これらの力量がまだ足りないから、やらされるという受け身になり

結果を案じながら、こわごわと取り組んでいたのだと思う。

そりゃあ何をやっても心配は尽きないし、面白くないのは当たり前だ。


頼まれたら嫌と言えない性分、私は良いことだと思っている。

しかしその性分とこなせる力量が、初めから同じ割合で揃っていることはマレだ。

力量が備わるまでには時間、つまり年月がかかるようだから

それまでは砂を噛みながら待つしかない…

階段を一段登った時に、そう思った次第である。

《続く》
コメント (4)
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