反省文の代筆をきっかけに、ゴーストライターの世界へと足を踏み入れた私。
次に手がけたのは、生徒会長の立候補演説の原稿だった。
同じクラスのA君が立候補するという。
2年生から誰か候補者を立てろということで、真面目な彼が推薦されたのだ。
A君、なにしろ立候補なんて初めてなので、わけわからん状態。
クラスの皆も同じで、彼を推薦しておきながら、あとのことは知らん状態。
自分に白羽の矢が立たないように、急いで誰かを推薦しておいて
わからないから何もしないなんて、おかしいじゃないか…
密かに憤慨した私は、選対部長を買って出た。
なぜならうちには、出しゃばりの祖父がいる。
近所のおじさんが長く市会議員をやっていて
祖父は選挙のたび、周囲に煙たがられつつ手伝っていたため
流れのようなものは幼少時から把握していた。
選対部長といっても、たいしたことをするわけではない。
立候補者の義務は、全校生徒の前で顔見せの挨拶がてら、一度だけ演説すること。
その演説原稿を書いてやったくらいだ。
こっちもそんなものを書くのは初めてだったので
ありきたりな内容になってしまったが、とりあえずA君は当選した。
当たり前だ。
立候補者は彼しかいなかった。
後年、ウグイスをやるようになって思ったが
選挙との縁は、この時に始まっていたのかもしれない。
やがて、私がゴーストライターの本領を発揮する時がやってきた。
普通科のみの高校だったが、2年になると選択授業が始まる。
大学受験に影響の少ない教科は、生徒が自由に選んだ授業を受けるのだ。
音楽と美術もそれで、2年の始めにはどっちを選択するかを決める。
選んだらそれっきりで、選ばなかった方の授業を受ける機会は卒業するまで無い。
私は音楽を選択した。
元々音楽が好きなのもあるし、担当がコーラス部の先生だったので迷わず決めた。
それに美術には、油絵がある。
私は小さい頃から手が汚れるのが嫌で、幼稚園の粘土遊びが苦手だった。
手が汚れるのも嫌だが、油粘土の匂いもつらく
油絵も似たようなものという偏見があった。
音楽を選択した者はたくさんいた。
美術のように道具があれこれいらない身軽さが人気だったのか
女子より男子の方が多い。
男子は、私のブラスバンド仲間やバンド仲間といった音楽好きがチラホラ。
あとの男子は、音楽といえば矢沢永吉ぐらいで
他の音楽には興味が無い者ばっかりだった。
優しい女の先生だから寝ていればいいと、軽い気持ちで音楽コースを選択したらしい。
けれども3学期に入ると、彼らに罠が待ち構えていた。
それは作詞作曲。
自分で歌詞と曲を作って譜面に書き起こし、提出するのだ。
これをクリアしなければ、3年に進級できない。
音楽コースをナメていた男子は、おしなべて譜面が読めず
ト音記号もオタマジャクシもうろ覚えなので
曲を作って譜面に書き起こすなんて、まず不可能といえよう。
一方、コーラス部の私は、先生から作曲の手ほどきを受けていたので
なんてことはない。
もっとも中学の頃から、シンガーソングライターの真似事を趣味としていた。
「あなた」という歌でデビューした小坂明子に影響されたのが始まりで
以後はユーミンに血道を上げる。
ヘタの横好きというやつで、今思い出すと赤面するような
アホらしい歌を何曲も作ったものだ。
シンガソングライターを夢見たりしなかったのかって?
ええ、全く。
私は早い時期から、自分が裏方の性分だと知っていた。
おおかたのことは七、八分目こなせるものの
頂上や中心には到達せず、マネジメントにやり甲斐を見いだすタイプ。
お嬢様のドレスにアイロンをかけがてら
そっと自分に当てて鏡を盗み見るメイドが関の山よ。
そういうわけで曲のストックを持っていた私は、課題を早々に提出。
コーラス仲間、ブラスバンド仲間、バンド仲間の男女も難なくクリア。
あとの男子は絶望したまま悶々と過ごしていたが
わりと仲の良かった男子の一人が、思い詰めた顔で私に言った。
「みりこん、代わりに作ってもらえんかのぅ…」
ああ、いいよ…
私が即答したので、彼の方が驚いていた。
彼には未知の領域でも、私には日常。
どうってことない。
「でも作詞まではできんけん、どっかから歌詞を引っ張って来んさい」
と条件をつけた。
私には作詞の方が難しいので、面倒くさいからだ。
彼は、知らない歌手の知らない歌詞を手書きで紙に書いて来た。
おそらくは、週刊明星の付録にある歌の本から拾ったと思われる。
その歌詞をいかにも田舎の高校生ふうにアレンジし、適当に曲をつけた。
単音の旋律だけでいいため、ピアノで音の確認すらしない。
頭に浮かんだオタマジャクシを歌詞に合わせて並べるだけのデスクワーク。
他人のはいい加減なもんよ。
こういうことは秘密裏にやらなければならない。
代理がバレたら、そいつだけでなく私まで危ないではないか。
そこで、仕上がった楽譜をこっそり彼に渡す。
これにて終了と思いきや、他の同類男子が
歌本から写した歌詞を一人、また一人と持って来た。
最初の彼がしゃべりやがったのだ。
一人に作ってやりながら他の者はダメとなるとモメる元なので
乗りかかった船と思い、全て引き受けた。
結局、10人余りはこなしたと思う。
あの佐村河内クンのゴーストライターじゃないが
提出期限までの連日連夜、私は歌詞をローカル修正し
曲を作りまくった。
しょせんは他人事、仕上がりを気にしなくていいのだから
進退の決まる反省文より容易かった。
この時も最初の彼だけ、学校の売店にある菓子パンを1個おごってくれたが
あとはノーギャラ。
自分のやったことが、さほど良いこととは思えず
ましてや謝礼の金品をせしめようなんて微塵も考えなかった
純真な自分が懐かしい。
《続く》
次に手がけたのは、生徒会長の立候補演説の原稿だった。
同じクラスのA君が立候補するという。
2年生から誰か候補者を立てろということで、真面目な彼が推薦されたのだ。
A君、なにしろ立候補なんて初めてなので、わけわからん状態。
クラスの皆も同じで、彼を推薦しておきながら、あとのことは知らん状態。
自分に白羽の矢が立たないように、急いで誰かを推薦しておいて
わからないから何もしないなんて、おかしいじゃないか…
密かに憤慨した私は、選対部長を買って出た。
なぜならうちには、出しゃばりの祖父がいる。
近所のおじさんが長く市会議員をやっていて
祖父は選挙のたび、周囲に煙たがられつつ手伝っていたため
流れのようなものは幼少時から把握していた。
選対部長といっても、たいしたことをするわけではない。
立候補者の義務は、全校生徒の前で顔見せの挨拶がてら、一度だけ演説すること。
その演説原稿を書いてやったくらいだ。
こっちもそんなものを書くのは初めてだったので
ありきたりな内容になってしまったが、とりあえずA君は当選した。
当たり前だ。
立候補者は彼しかいなかった。
後年、ウグイスをやるようになって思ったが
選挙との縁は、この時に始まっていたのかもしれない。
やがて、私がゴーストライターの本領を発揮する時がやってきた。
普通科のみの高校だったが、2年になると選択授業が始まる。
大学受験に影響の少ない教科は、生徒が自由に選んだ授業を受けるのだ。
音楽と美術もそれで、2年の始めにはどっちを選択するかを決める。
選んだらそれっきりで、選ばなかった方の授業を受ける機会は卒業するまで無い。
私は音楽を選択した。
元々音楽が好きなのもあるし、担当がコーラス部の先生だったので迷わず決めた。
それに美術には、油絵がある。
私は小さい頃から手が汚れるのが嫌で、幼稚園の粘土遊びが苦手だった。
手が汚れるのも嫌だが、油粘土の匂いもつらく
油絵も似たようなものという偏見があった。
音楽を選択した者はたくさんいた。
美術のように道具があれこれいらない身軽さが人気だったのか
女子より男子の方が多い。
男子は、私のブラスバンド仲間やバンド仲間といった音楽好きがチラホラ。
あとの男子は、音楽といえば矢沢永吉ぐらいで
他の音楽には興味が無い者ばっかりだった。
優しい女の先生だから寝ていればいいと、軽い気持ちで音楽コースを選択したらしい。
けれども3学期に入ると、彼らに罠が待ち構えていた。
それは作詞作曲。
自分で歌詞と曲を作って譜面に書き起こし、提出するのだ。
これをクリアしなければ、3年に進級できない。
音楽コースをナメていた男子は、おしなべて譜面が読めず
ト音記号もオタマジャクシもうろ覚えなので
曲を作って譜面に書き起こすなんて、まず不可能といえよう。
一方、コーラス部の私は、先生から作曲の手ほどきを受けていたので
なんてことはない。
もっとも中学の頃から、シンガーソングライターの真似事を趣味としていた。
「あなた」という歌でデビューした小坂明子に影響されたのが始まりで
以後はユーミンに血道を上げる。
ヘタの横好きというやつで、今思い出すと赤面するような
アホらしい歌を何曲も作ったものだ。
シンガソングライターを夢見たりしなかったのかって?
ええ、全く。
私は早い時期から、自分が裏方の性分だと知っていた。
おおかたのことは七、八分目こなせるものの
頂上や中心には到達せず、マネジメントにやり甲斐を見いだすタイプ。
お嬢様のドレスにアイロンをかけがてら
そっと自分に当てて鏡を盗み見るメイドが関の山よ。
そういうわけで曲のストックを持っていた私は、課題を早々に提出。
コーラス仲間、ブラスバンド仲間、バンド仲間の男女も難なくクリア。
あとの男子は絶望したまま悶々と過ごしていたが
わりと仲の良かった男子の一人が、思い詰めた顔で私に言った。
「みりこん、代わりに作ってもらえんかのぅ…」
ああ、いいよ…
私が即答したので、彼の方が驚いていた。
彼には未知の領域でも、私には日常。
どうってことない。
「でも作詞まではできんけん、どっかから歌詞を引っ張って来んさい」
と条件をつけた。
私には作詞の方が難しいので、面倒くさいからだ。
彼は、知らない歌手の知らない歌詞を手書きで紙に書いて来た。
おそらくは、週刊明星の付録にある歌の本から拾ったと思われる。
その歌詞をいかにも田舎の高校生ふうにアレンジし、適当に曲をつけた。
単音の旋律だけでいいため、ピアノで音の確認すらしない。
頭に浮かんだオタマジャクシを歌詞に合わせて並べるだけのデスクワーク。
他人のはいい加減なもんよ。
こういうことは秘密裏にやらなければならない。
代理がバレたら、そいつだけでなく私まで危ないではないか。
そこで、仕上がった楽譜をこっそり彼に渡す。
これにて終了と思いきや、他の同類男子が
歌本から写した歌詞を一人、また一人と持って来た。
最初の彼がしゃべりやがったのだ。
一人に作ってやりながら他の者はダメとなるとモメる元なので
乗りかかった船と思い、全て引き受けた。
結局、10人余りはこなしたと思う。
あの佐村河内クンのゴーストライターじゃないが
提出期限までの連日連夜、私は歌詞をローカル修正し
曲を作りまくった。
しょせんは他人事、仕上がりを気にしなくていいのだから
進退の決まる反省文より容易かった。
この時も最初の彼だけ、学校の売店にある菓子パンを1個おごってくれたが
あとはノーギャラ。
自分のやったことが、さほど良いこととは思えず
ましてや謝礼の金品をせしめようなんて微塵も考えなかった
純真な自分が懐かしい。
《続く》