殿は今夜もご乱心

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ゴーストライター・4

2021年05月18日 07時59分03秒 | みりこんぐらし
前回の“ゴーストライター・3”の記事で

いつもコメントをくださる田舎爺Sさんから、立候補者の演説の内容と

立候補者が一人しかいなかった理由をたずねられたので

先にお話しさせていただこう。


演説の内容はうろ覚えだが、本当にありきたり。

初めてこの手のものを書いたので、よくわからなかったのもあるけど

A君の地味なおじさんキャラを考慮した場合

おちゃらけた内容は読みこなせないと踏んだのもある。


まずは名前、そして出身地。

彼は遠い市外から通学していた。

「ミカンの産地、◯◯町から通っています。

僕はミカンほど有名ではありませんが

できればミカンのように親しまれる生徒会長になりたいと思います」


次に立候補の動機。

家が遠くて目立たないタイプとなると、知名度が無いため

ひたすら実直をアピールするしかない。

「この学校は穏やかで、いい所だと思っています。

僕はここに立って、できそうもない改革の夢を叫ぶつもりはありません。

僕にできるのは、学校側と生徒側の中継役になることです。

生徒の皆さんが有意義な高校生活を送るにはどうしたらいいか

一緒に考えていきましょう。

それが、改革よりも大切なことだと思っています」


そして締めくくりの言葉。

「以上で終わります」

投票のお願いは省略した。

なりたいわけでもないのに投票を頼むなんて嫌だと言うので

それもそうだと思い、やめた。

A君は無投票で生徒会長になりそうなので

あえて投票をお願いする必要もないのだった。


立候補者が一人しかおらず、無投票になった理由は

一騎打ちになるはずの相手が直前で辞退したからだ。

彼も推薦で仕方なく立たされたクチだが、部活の方が忙しかった。

テニス部だか何だったか、うちの学校にしては強いほう。

生徒会長になると、雑事に追われて部活がおろそかになるため

A君が出るなら、もういいだろうということだった。

学校も会長選挙より試合で勝つ方が優先だったのか

それで許され、候補者の立会演説は形式的なものとして行われた。



さて作詞作曲以降、私のゴーストライター稼業は閑古鳥。

取り調べの厳しさを思い知ったヤカラが自重するようになり

新規で停学になる者はいなかったし

作詞作曲も一回こっきりで終わったため、需要が無くなったからだ。


そのまま月日が経ち、やがて私は結婚して

家事と子育てに追われる身となるが

合間でたまに、夫や義父母が書くべきものを代行することがあった。

夫は仕事系の会報、義父はライオンズクラブの会報

義母の場合は宗教の季刊誌に、何か書いて出す順番が回ってきた時だ。

彼らの悲惨な文章を見て、「これじゃあ外で威張れまい」と

つい手を出したのだった。


あとは、一つ下の妹が大阪で幼稚園教諭になっていたので

音楽発表会で園児に演奏させる曲の編曲を手伝った程度。

ネットもメールも無い時代、パートごとにひたすら電話でドレミを伝え

それを妹が譜面に書き取る。

編曲は、作曲より楽しかった。



再びゴーストライターに復帰したのは、下の子が幼稚園に入ってから。

一緒にPTAの役員をしていた仲良しのヤスエが、翌年は会長になった。

会長は人前で挨拶をする機会が多いので

彼女に請われるまま、挨拶の原稿を書いて渡していた。


会長の最後の大仕事は、卒園式で読むお別れの言葉。

卒園式の終わりに和服を着た会長が、和紙に筆で書かれた長い挨拶状…

つまり時代劇に出てくる果たし状みたいなやつを

園長先生の前で読み上げるのが幼稚園のしきたりである。


もちろん、この挨拶状の原稿も依頼された。

久々の本格的なゴーストライターだ。

内容は考えるまでもない。

歴代の会長が卒園式で読み上げ、園長先生に贈呈した挨拶状が

園で大切に保管されている。

それを参考として貸してくれるので、似たようなことを書けばいいのだ。

春は遠足と芋掘り、夏はお泊まり保育に流しそうめん

秋は運動会に敬老会、冬はバザー、園遊会、クリスマス会、豆まき…

どの挨拶状も季節の行事を並べ立て、その思い出を添えて行数を稼ぐ手法。

私も真似をすればいいんだから、簡単だ。


が、楽勝気分の私に問題が立ちはだかる。

和紙に筆で、誰が書くんじゃ?

過去の挨拶状は、どれも達筆だ。

皆、プロに依頼したらしい。


習字の先生だと万単位の謝礼がいる。

そこで知り合いの習字がうまい人に、牛肉1キロで話をつけて頼んだ。

お習字をやってる人って謙虚な人が多くて、お金を受け取らないのだ。

牛肉は私が買って渡したが、ヤスエから金をもらうのを忘れた。

赤字じゃん。


で、書いてくれる人は見つかったが、和紙はどうする。

歴代の会長の中に知り合いがいたので聞いてみようかとも思ったが

皆さん、きつそうなおかたばかり。

和紙の入手方法なんてたずねたら、勝ち誇って拡散されるのは明白だ。

よって文房具屋に頼み、取り寄せてもらった。

この金も、ヤスエにもらうのを忘れた。

赤字じゃん。


翌年、ジャンケンに負けた私は会長になり

卒園式で自分の挨拶状を書く羽目になる。

季節の行事をズラズラと並べる作戦は起用しなかった。

前年、ヤスエの挨拶状を書いていて、飽き飽きしたからだ。


自分で書いて自分で読んだので、これはよく覚えている。

「私が、この幼稚園に我が子を入園させて本当に良かったと思ったのは

今を遡ること6年前、長男の小学校の入学式に臨んだ時です。

校長先生のお話の後、一部の新入生から

“ありがとうございました”という、元気な声が上がりました。

どこの幼稚園の卒園者から発せられた声か、もうおわかりでしょう。

人様から物をいただいた時だけでなく

お話をいただいた時にも、外で自然にお礼が言える子供たちを目撃し

私は誇らしくもありがたく、感涙を禁じ得ませんでした。


適材適所のお礼だけでなく、子供たちは幼稚園で

正座やお辞儀など礼儀作法の基本を身につけさせていただきました。

けれども何よりの幸運は、神仏に手を合わせる真心を

ごく幼いうちに植え付けていただいたことです。

感謝の心は生涯の宝であり、子供たちはこの大きな財産を胸に

今後の人生を力強く歩んでいくことでしょう。

ひとえに園長先生を始め、先生がたのお陰です。

本当にありがとうございました」

などという賞賛に徹した。


30年近く前の卒園式から今までに

何回か自分の書いた挨拶状に再会する機会があった。

知り合いが会長になると、頼まれて原稿を書くことがあるからだ。

これもノーギャラ。

皆、最初は言うんじゃ。

「何かお礼するから」

こっちは一応遠慮する。

「そんな〜、いいよ〜」

で、それっきりになる。

他人に書かせて自分が人前で読もうなんて人は

元々会長の器じゃないから、そんなもんさ。


ともあれその人たちは、幼稚園から参考として渡された

歴代会長の挨拶状を束にして持って来る。

その中に私のも混ざっているのは、ひと目でわかる。

私のだけ、表紙に赤い花マルシールが貼られているからだ。

今は亡き園長先生には、嬉しい挨拶状だったらしい。

読み返すと懐かしい。

《続く》
コメント (4)
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