殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
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現場はいま…それぞれの春続編・俺たちの春・3

2021年05月02日 11時47分59秒 | シリーズ・現場はいま…
次男がF工業の誘いを断ったので、秒読みだった退職も消え

全ては無かったことになった2日後、河野常務が訪れた。

退職の意思が、本社に伝わっていたからだ。

退職を願い出る日まで、このことは秘密にしようと決めていたため

今や次男の仇敵と成り果てた長男にも黙っていたが

夫が松木氏にしゃべり、松木氏が報告した。


次男が通院のため、週に一度休んでいるのが松木氏は気に入らない。

なぜ次男が週一で休むかというと、頚椎に痛み止めの注射を打つからだ。

これを打つと、歩けなくなることがある。

そのため医師から、注射を打った日の運転を止められているのだ。


しかし外された藤村の代わりに来た松木氏は

経費の数字で藤村に差をつけたい。

赴任して日の浅いうちに大差をつけて

本社から賞賛されたいという願望をあらわにしていた。


次男が休む日は、チャーターを1台余計に頼む。

松木氏は、これが惜しくて仕方がない。

次男が休むたび、怠け癖だの甘やかしだのと

夫にグズグズとこぼすので、夫は頭にきて

「心配せんでも来月にはおらんようになるけん、そっとしてやってくれ」

と言ったそうだ。


バレたものは仕方がない。

次男は河野常務に呼ばれ、二人で話すことになった。

裏切り者だの後ろ足で砂をかけるだのと

てっきり責められると思いきや、常務は開口一番

「ヨシキ、辞めんといてくれ」

と言った。


「ダンプを離すのが嫌なら、今のままでええ」

「本当ですか?」

「ワシのおる間は、そうせぇ。

お前、病院へ行かにゃあいけんけぇ、迷惑かける思うて

気兼ねしょうるんじゃろうが。

ホンマは、それが辞める理由じゃないんか。

何も気にせずに、身体をしっかり治せ。

若いんじゃけん、先が長いけんの」

「はい」


常務の説得によって、次男の残留は決まった…ということになった。

転職の話は一昨日、すでに断っていたので

すでに残留しかないのだが、表向きはそうなった。

しかし病院のくだりは、常務の買いかぶりである。

次男はそんなに謙虚ではない。


このことがあって以来、次男はホッとしたのか

暖かくなって体調が良くなってきたからか

顔つきや言動が目に見えて柔らかくなった。

今年に入ってから、長男の方は冷戦に飽きた様子なので

私はのんびりと次男待ちを決め込む。

頑なになってしまった彼の心が、ほどけ始めるXデーを待つのだ。

長丁場を覚悟していたものの、はたしてXデーはすぐにやってきた。


取引先の一つに、一部上場企業のT社がある。

ここは昔からの付き合いがあったが、義父の会社が危うくなると

納品の仕事を別の同業者に奪われた。

とはいえ、東京に本社のある大手というのは

えてして地元業者を残酷に扱う。

威張って無理ばっかり言うし、単価を叩きまくるので利益が薄いため

奪われたからといって悔しい気持ちは無かった。

むしろ、せいせいしたと言っていい。


うちが切られた後、T社の仕事は

ハンカチ落としのハンカチみたいに複数の同業者を転々とした。

T社は、1円でも安く仕事を受ける業者を見つけては前任者を切る…

大企業の専属になりたい同業者は後任に飛びつくが

そのうち薄利と仕事のきつさに辟易して逃げる…

このサイクルを繰り返していた。


数年前、そのT社の仕事が何年かぶりに戻ってきた。

当時は県北にあるK興業が請け負っていたが

例の残酷に腹を立てて引き上げを決め、次男に言ったのである。

「うちは忙しくなって、T社まで手が回らんようになった。

ヨシキ、T社を頼む」


次男は以前から、K興業の社長を兄のように慕っていた。

40代のK社長は確かに好人物で、次男を可愛がり

K興業の宴会や旅行には必ず呼んでいた。

そのK社長から仕事を託されたことに加え

以前の取引先を取り戻した喜びに、次男は有頂天。

K興業から引き継いで、T社の仕事をするようになった。


が、T社の仕事は以前うちがやっていた時よりも

いちだんと安く、ますますきつくなっていた。

その人使いの荒さは、他に類を見ないレベル。

次男は自分がもらった仕事なので気にならないが

長男を始め、社員は嫌がるようになった。

そもそも兄弟喧嘩の発端は、このT社の仕事である。


「こんなこと続けようたら、社員が付いて来んど。

K興業は自分がやりとうないけん、ヨシキに押し付けただけじゃ」

兄はたびたび弟に言い、我々夫婦も何度か言い聞かせた。

「儲かっとったら、死んでも渡さんはずじゃ。

何で仕事が戻ってきたか、冷静になって数字を見んさい。

Kさんは儲からん仕事から逃げるために

親分子分の人情芝居をして見せただけじゃが」

しかし次男は耳を貸さず、K社長を悪く言う我々を憎んだ。


血の繋がった家族を足蹴にし、他人を無駄に尊敬して師と仰ぐ…

一部の若者が、一時期罹患する病いである。

夫にも若い頃、その傾向が見られたので遺伝かもしれない。

あちこち尊敬して歩いては裏切られたり

心酔した人物の底を見切って超えたりを繰り返しながら

ゆっくり成長する厄介な男子というのがいるものだ。


やがてT社の仕事は、次男が一人で行くようになった。

一人では当然足りないので、あとのダンプは

仕事にあぶれた同業者を集めて送り込むシステムが

確立した。

次男は孤立してしまったのだ。

以後、数年間の孤独が、彼をさらなる頑なへと導いた。

が、心配はしない。

義理人情と数字…対極にあるこの二つを理解し

うまく擦り合わせて仕事をするためには、冬の季節が必要である。


そして今月、T社の閉鎖が決まった。

近いうち、どこかの支社に統合されるという。

そのため、次男もあっけなく撤退することになった。

兄弟喧嘩の元が無くなり、次男は腹を立て続ける理由を失った。


そしてその日は突然、訪れた。

先日…正確には4月23日の夜

私は次男から、仕事についての相談事を持ちかけられた。

「相談には乗る。

ただし、兄貴と和解が条件じゃ」


次男は即答した。

「わかった…ワシも男じゃ」

よし、来い…私は次男と一緒に

釣り道具のメンテナンスをしていた長男の所へ行った。


「兄ちゃん、ごめん…」

次男はいきなり言い、驚いて顔を上げた長男は

パッと頬を赤らめて答えた。

「ワシも悪かった」

「こないだ兄ちゃんとすれ違った時に

ワシ、うっかり手ェ上げてしもうて恥ずかしかったんよ。

そん時、こりゃあ潮時じゃ思うたんよ」

「ワシも、いつまでもこのままじゃあ良うないけん

誰かに相談するつもりじゃったんよ」

「同じこと考えよったんか〜」

「ほうよ〜」

そのまま二人が笑いながら話し始めたので、私はその場を立ち去った。


その夜、早寝をして何も知らなかった夫は

翌朝、会社で話す二人を見てぶったまげ、珍しく私に電話をしてきた。

「どうなっとるんね」

「昨日の晩、イクサが終わったんよ」

しかし、もっと驚いたのは藤村と佐藤君だった。

ものすごく戸惑っているらしい。


ともあれこの兄弟、以前よりも仲が良くなったような気がする。

一緒に出かけたり、口をきかなかった間の情報交換に余念がない。

2年4ヶ月に渡る兄弟の冷戦は終わった。

疲れた。

《完》
コメント (6)
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