殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

代用主義

2010年01月30日 13時50分08秒 | 前向き論
結婚以来、夫が恋した女性は十指に余る。

夫は、男性の夢を現実にした数少ない人間だということにしておこう。


私は我が身に次々と降りかかる理不尽な出来事に対応するかたわら

周囲をつぶさに観察して生きてきた。

単に興味本位で眺めていただけとも言えるが

興味本位も30年続ければ、一種の研究になると自負している。


小さな田舎町のことではあるが

中でも自分の身の上と似通った状況…

浮気者の亭主に翻弄されながら、それでも別れない女房というのを

興味深く観察してきた。


自分のことは横に置いといて言わせてもらう。

結婚生活にこの手の苦悩がつきまとう女性は

元々ある程度以上の容姿と社交性を生まれながらに保有している人が多い。

もしも明日、亭主が女の所へ行ってしまっても

子供を抱えて如才なく生きて行ける。

本人は「自信が無い」と謙遜するが

そういった能力に裏打ちされた安心感が漂っている。

言わば就職の面接に受かりやすいタイプだ。


愛想が良く、気も回るが、口もよく回る。

そして人に対する情が、良くも悪くも深い。

「とてもじゃないけど、これはよそへは回せないだろう…」

みたいな女性のほうが、身持ちの堅い男と一緒になって大事にされ

ぬくぬくと暮らしている。


能力があるのでプライドが高い。

旦那に浮気されるなんて、もってのほかの大恥。

自分の人生に、あってはならないことの最高峰だ。


よって、浮気の事実を受け止めるよりも先に

運命を呪ったり、悪者を探したり、激しい怒りや羞恥心にあらがう作業に忙しく

臨戦態勢を整えるまでに、長い時間がかかる。


起きたことを受け入れる気になれず

「なんで隣の家でなくて、うちなの?」

そんなことをいつまでも考えている。

考え悩むことが、むしろ好き。

だから悩みがいつまでも続く。

悩みというのは、悩んでいるうちは解決しないものだ。


根がまじめなので、他人の目が気になる。

妻として落ち度があったと思われるのを恐れ

自分が悪くないのを証明する方に重点を置く。


かく言う私も「妻失格」の汚名をまとって幾年月

身の潔白を証明するのに躍起になっていた。

最終的に義母ヨシコが

「ヒロシは本当にインランだったのねぇ」

と言うまでに、長い年月を要した。

その言葉を聞いた時は、ある種の達成感を味わったものの

かわいいのは自分の子…またすぐ「嫁が悪い」に戻って、元の木阿弥さ。


そっちに神経をすり減らしつつ

言われたこと、やられたことにいちいち一旦傷ついてから

旦那を責めたり、泣いたり、人に聞いてもらったりしたあげく

またくよくよ考えるので、対応が後手後手になる。


「この人ダメ!」と結論を出してさっさと別れたり

「私は私。離婚はしないけど、これからは自由にやらせてもらうわ」

という方向になかなか行けず、切り替えのタイミングを逃す。

そのうち疲れて自信を無くし、憎しみに支配された生活で人相まで変っていく。


なぜこのような苦しみを背負わなければならなかったか。

運命や宿命を論じるつもりは無い。

カルマやら因縁というのも、そのスジの人に任せよう。

賛否はあろうが、私の出した結論はこうだ。

相手がそうならなかったら、自分がそうなっていた…ということである。

そういう素質を持った男女が出会い、惹かれ、結婚するのだ。


色事の渦に巻き込まれる妻というのは、自分もその要素を持っている。

もちろん、血とか遺伝子などの無意識下においてである。

その要素を持ちながら、そこそこの容姿と社交性

深い情を合わせ持っていたらどうなるか。

その気になりさえすれば、男に不自由はしないはずだ。
 

亭主の方が、その気になるのが早かっただけ。

相手が先んじてやって見せてくれるもんだから、余計に腹が立つ。

必要以上に頭に来る。

意識の奥底に隠れている要素が、強く反応するのだ。

相手が先にやったからには

自分は品行方正な良い子の側に回って、激しく糾弾するしかない。


浮気癖さえ治ったら…と言う人は多い。

しかし、本当にそうだろうか。

「なぜ?私はただ普通の温かい家庭が欲しいだけよ」

いやいや、普通と思っていることは、実は普通ではない。


代わりに別の問題だったら、喜んで受け止められるだろうか。

どんなに良い夫でも、重病だったら…

子供の体調が思わしくなかったら…

親きょうだいが、しょっちゅうお金をせびりに来たら…

肉親が犯罪者になったら…

それでも浮気でさえなかったらと言えるだろうか。

温かい家庭を手に入れたと喜べるだろうか。


以前、私はこの手の考えが大嫌いだった。

代用品で妥協する、ごまかしのような気がした。

こんなはずじゃない…自分はもっと幸せになれるはずだ…

ああ、幸せになりたい、幸運が欲しい…と思った。
   
そのためのスタートラインに過ぎない家庭で、まずコケてるじゃないか。

人生の補欠感満載だ。


それでも年を重ねるにつれ、自分はしょせんこの程度…とわかってくる。

なんぼ未来は白紙といっても、白紙のページは少なくなっている。

さすがに今から学校へ行ったり、起業するなんて気は起きず

未知の自分に投資する金があるなら、老後に取っておきたくなる。

友人知人の訃報や病気の話も、チラホラ出てくれば

明日は我が身を実感する。


そのあたりでやっと、補欠でもありがたい…なにしろ走れる足がある…

と思えるようになる。

すると、人生の残りのページを、自分好みの極彩色で彩りたくて

絵の具が足りない、絵筆が少ないと、ぼやいていただけなのかも…

なんてことをうっすら考えられるようになる。


何色でもいい、自分らしい色でいいじゃないか…いや、自分色がいい…

この地点に達すると、今まで長年

ただのスタートラインだと甘く見ていた温暖家庭は

実はオリンピックで金メダル級の最終目標だったと知る。

だから神社の祈祷にも家内安全の項目がある。

一家がつつがなく暮らせますように…

これは“つつがある”家庭がいかに多いかということであり

神に頼むランクの、だいそれた願いなのだ。


浮気されるのは、確かにつらい。

しかし、それで他の不幸を免れているという気にはなれまいか。

浮気者のお父さんのいる家庭が

他の決定的な不幸に見舞われてないことが多いのは、私の周囲だけなのか。


自ら人に笑われ、後ろ指をさされながら

厄除けをしてくれる奇特な男が一人、家に居る。

給料もくれるし、かわいい子供までプレゼントしてくれた。

これはもしや、ありがたいのではなかろうか。


人はそれぞれ、背負って運ぶ荷物の中身が違う。

自分の荷物には、たまたま亭主の浮気が入っていた。

残念だが、こういうのには一番イヤなものが入っているものだ。

同じ運ぶなら、笑顔で運びたいものである。
コメント (44)
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