北海道牧の内と済州アルトゥルの似た形…記憶の滑走路に向き合う
「北海道牧の内と済州アルトゥルの似た形」
北海道の北東部にある根室市から10キロメートル余り離れたところに牧の内はある。そこには日本帝国主義の野心を示した旧日本海軍の飛行場の滑走路と掩体壕(格納庫)が残っている。1943年9月に着工し1945年6月に完工したこの飛行場は、日本人のみならず朝鮮人徴用者1千人余りの汗と涙で建設された。苛酷な労働と伝染病で多くの人が亡くなったという。ここは日本の敗戦後には使われなくなり、農地として活用されている。
この地域出身の岡部昌生氏(79)は、2002年から飛行場の滑走路のコンクリートに残された足跡をたどり記憶の片鱗を集めるためにフロッタージュの作品づくりをしてきた。
2019年7月に済州(チェジュ)を訪問した岡部氏は、牧の内で見た現場を済州道西帰浦市大静邑(ソギポシ・テジョンウプ)のアルトゥル飛行場で見て、衝撃を受けた。日帝強制占領期(日本の植民地時代)の1920年代から、日帝が中国侵略の踏み石とするために済州島民を強制動員して造った飛行場だ。解放後には国防部の所有になり、農地として利用されている。アルトゥル飛行場にも掩体壕19基が残っている。彼は牧の内と同じ施設が北海道から遠く離れた済州島の南端にあるとは思わなかった。
彼は牧の内と同じくアルトゥルの掩体壕の壁にはりついてフロッタージュ制作に励んだ。フロッタージュとは、黒鉛と紙でなされる(凹凸の上に紙を置きこするように描いて写し取る)作業だ。戦争と平和、強制動員の記憶をフロッタージュを通じて表現した。
今月15日から来月4日まで、済州市中央路のアートスペースC(館長:アン・ヘギョン氏)で開かれる岡部昌生招待展「記憶の滑走路:森の島から石の島へ」は、彼がこれまで北海道と済州島で作業した作品を披露する席だ。岡部氏はアン館長に「故郷にあった滑走路とそっくりな滑走路を済州で見た時、あまりにも強烈な衝撃を受けた」と話した。
彼は、1977年から街を拓本するフロッタージュを始めた。1979年、フランス・パリのある村でもフロッタージュ制作をし、1980年代後半からは広島の原爆の痕跡を探してフロッタージュ作品を作った。1996年にはパリのユダヤ人拉致に関する歴史を描写したプラカードをフロッタージュした“忘れてはならない”シリーズの制作もした。
展示を始める今月15日は76年前の1945年、米軍による根室地域への空襲で400人余りが犠牲になった日でもある。岡部氏も空襲当時、父親に背負われて避難し身を守ったという。15日午後5時30分から、太平洋戦争の研究者であるチョ・ソンユン済州大学名誉教授が「アルトゥル飛行場」を、平和活動家チェ・ソンヒさんが「暴力を産んだ平和」をテーマに、それぞれ講演する。25日午後6時には「映画で探る」という題名で『火垂るの墓』(日本、高畑勲監督)が、8月1日の同じ時間には『アボジの涙:二回の涙、二重徴用』(蔚山文化放送)の上映がある。
アン・ヘギョン館長は「岡部昌生氏の作品づくりは、痕跡を追跡し歴史を記憶するものだ。今回の展示が、芸術媒体としてのフロッタージュとの新しい出会い、一瞬ごとに忘却して生きていく私たちの記憶に抗う時間になることを期待する」と話した。