明るく・楽しく・勇ましく! 北東アジアの国民どうしは仲良くしましょう!
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日朝協会京都府連合会 発行 メールニュース NO.371 2019年4月12日(金)
連絡所 〒617-0005 向日市向日町南山12番地 大橋 満
Tel 075-921-4415 090-1076-6270, micchan_oohashi@yahoo.co.jp
日朝協会は、6月15日・16日、埼玉県で全国総会を開き、さらに活動を広げアジアの平和の為に、日本での役割を果たせるよう意思統一します。
代表派遣カンパにご協力ください。
やふーニュースより転載
新一万円札:渋沢栄一は韓国紙幣の顔だった
世界中の珍しいお金が集まる中央銀行直属の博物館
南大門(ナムデムン)、明洞(ミョンドン)エリアにある石造りの重厚な建物が韓国の中央銀行「韓国銀行」です。近くのソウル市庁やソウル市議会議事堂と同じく日本の植民地時代に建てられた歴史建造物で朝鮮銀行として日本が造りました。現在は銀行機能は新しいビルに移り、貨幣金融博物館として開放されています。
日本統治時代の貨幣から、大韓民国となってからもしばらく朝鮮銀行券として発行された貨幣、そして韓国銀行となってから発行された貨幣の3種類が、この建物を通して出回るなど、韓国の貨幣の歴史の証人たるこの建物。ソウル市内の中心部に残る歴史建造物にて貨幣の大切さが学べます。
韓国の珍しい貨幣、世界中の貨幣が集まる博物館
渋沢栄一は韓国紙幣の顔だった…
「恥辱」「歴史修正主義」韓国メディアが痛烈批判
実は、渋沢栄一と韓国は、深い繋がりがあった。
韓国最初の紙幣の顔は渋沢栄一
韓国・ソウルの観光地・明洞に、石造りの重厚な建物がある。日本が統治していた1912年に朝鮮銀行本店として建設されたもので、設計は東京駅を手掛けた建築家・辰野金吾だ。現在は韓国の中央銀行である韓国銀行の貨幣博物館になっている。その博物館に1枚の歴史的紙幣が展示されている。その紙幣には、渋沢栄一の肖像画が描かれているのだ。
一体どういう事なのか?
韓国銀行によると、この紙幣が発行されたのは、韓国併合の8年前に当たる1902年。当時渋沢は日本最初の銀行である第一銀行の頭取で、朝鮮半島を統治していた大韓帝国に支店を置いていた。第一銀行が朝鮮半島に進出したのは1878年の李氏朝鮮時代で、関税の取り扱い業務などを代行して朝鮮政府に深く食い込み、日本の貨幣は朝鮮半島でも流通するようになっていた。
しかし日清戦争後の三国干渉などで朝鮮半島でのロシアの影響力が強まると状況が変わり、貨幣制度の改変のため、日本の貨幣の流通量は大幅に減ったという。そこで第一銀行は、大韓帝国の許可無しに「無記名式一覧払い約束手形」を発行した。この約束手形は、実質的な紙幣として朝鮮半島で流通し、大韓帝国は1905年に正式な紙幣として承認せざるを得なかったという。その紙幣に、頭取である渋沢栄一の肖像画が描かれていたのだ。
これは近代の韓国では初めての「紙幣」だ。韓国から見れば「初の紙幣の肖像画は日本人」という、ある意味屈辱的な歴史といえる。 韓国の経済紙・ソウル経済は2017年のコラムで、「不法と強権と武力により、民間銀行が国の通貨を発行した」と書いている。
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日朝協会京都府連合会 発行 メールニュース NO.371 2019年4月12日(金)
連絡所 〒617-0005 向日市向日町南山12番地 大橋 満
Tel 075-921-4415 090-1076-6270, micchan_oohashi@yahoo.co.jp
日朝協会は、6月15日・16日、埼玉県で全国総会を開き、さらに活動を広げアジアの平和の為に、日本での役割を果たせるよう意思統一します。
代表派遣カンパにご協力ください。
やふーニュースより転載
新一万円札:渋沢栄一は韓国紙幣の顔だった
世界中の珍しいお金が集まる中央銀行直属の博物館
南大門(ナムデムン)、明洞(ミョンドン)エリアにある石造りの重厚な建物が韓国の中央銀行「韓国銀行」です。近くのソウル市庁やソウル市議会議事堂と同じく日本の植民地時代に建てられた歴史建造物で朝鮮銀行として日本が造りました。現在は銀行機能は新しいビルに移り、貨幣金融博物館として開放されています。
日本統治時代の貨幣から、大韓民国となってからもしばらく朝鮮銀行券として発行された貨幣、そして韓国銀行となってから発行された貨幣の3種類が、この建物を通して出回るなど、韓国の貨幣の歴史の証人たるこの建物。ソウル市内の中心部に残る歴史建造物にて貨幣の大切さが学べます。
韓国の珍しい貨幣、世界中の貨幣が集まる博物館
渋沢栄一は韓国紙幣の顔だった…
「恥辱」「歴史修正主義」韓国メディアが痛烈批判
実は、渋沢栄一と韓国は、深い繋がりがあった。
韓国最初の紙幣の顔は渋沢栄一
韓国・ソウルの観光地・明洞に、石造りの重厚な建物がある。日本が統治していた1912年に朝鮮銀行本店として建設されたもので、設計は東京駅を手掛けた建築家・辰野金吾だ。現在は韓国の中央銀行である韓国銀行の貨幣博物館になっている。その博物館に1枚の歴史的紙幣が展示されている。その紙幣には、渋沢栄一の肖像画が描かれているのだ。
一体どういう事なのか?
韓国銀行によると、この紙幣が発行されたのは、韓国併合の8年前に当たる1902年。当時渋沢は日本最初の銀行である第一銀行の頭取で、朝鮮半島を統治していた大韓帝国に支店を置いていた。第一銀行が朝鮮半島に進出したのは1878年の李氏朝鮮時代で、関税の取り扱い業務などを代行して朝鮮政府に深く食い込み、日本の貨幣は朝鮮半島でも流通するようになっていた。
しかし日清戦争後の三国干渉などで朝鮮半島でのロシアの影響力が強まると状況が変わり、貨幣制度の改変のため、日本の貨幣の流通量は大幅に減ったという。そこで第一銀行は、大韓帝国の許可無しに「無記名式一覧払い約束手形」を発行した。この約束手形は、実質的な紙幣として朝鮮半島で流通し、大韓帝国は1905年に正式な紙幣として承認せざるを得なかったという。その紙幣に、頭取である渋沢栄一の肖像画が描かれていたのだ。
これは近代の韓国では初めての「紙幣」だ。韓国から見れば「初の紙幣の肖像画は日本人」という、ある意味屈辱的な歴史といえる。 韓国の経済紙・ソウル経済は2017年のコラムで、「不法と強権と武力により、民間銀行が国の通貨を発行した」と書いている。