カレンダーをめくった。
「7月、文月かー」
よくぞ渡り切った、と振り返る道には緩みかかった綱が一本。
でも、実感としては、緊張感を完全には取り除けない。
「むしろ、一気に、緩みすぎてはいけない」
自分に言い聞かせ、他の方からも忠告をいただいている。
それでも少し得られたゆとりだろうか。
ここ何年も母を背負って綱渡りをしていたことを思い起こす。
向こう側の施設に送り届けて、思いもよらない出来事に遭遇した。
上り坂、下り坂、まさかの坂、……うッ、誰の言葉だ?
誰のことばでもいい。
まさかの坂でみた風景は、なかなかに見事だった。
こんなはずじゃなかった。
先の予測はつかないのが人生ってものさ!
背負うものは変わっても、最後まで綱渡りのなかでバランス感覚は磨かれる、のかな?
その都度、アタフタ、ドギマギ、「あー、もうダメだ」の連続だった。
こころの中で叫びながら、レッスンにでかける。授業にでかける。
その場に立てば、背負っていることも、綱渡りのことも忘れて、集中する。
終わった時には、微妙なバランス感覚を取り直せることを知った。
また、ブログを書く事も、書く事で、行き詰まり感が払拭できることも知った。
向こう側にいる母は、ケロッとしている。
今週は美容師さんに髪を切ってもらった。
前髪はつむじのところ7・3で左右に分ける。後髪は鬱陶しくない長さにカット。
若返ったのである。
よく似合うのである。
さすがプロ集団だ。
まさかの坂の上り坂も下り坂も、この分だと無事に通過させてくれるのではないだろうか。
老いて、不自由になって、認知能力が頓に衰えて、そして乱れる。
この乱調は、彼岸に渡る前の「通過儀礼」であろうか。
途上にあって、本人には不満も不平もあるやもしれず。
それによって周りの方々を振り回すことは確実である。
しかし、彼女の立つ位置を真ん中にして、全体を俯瞰すれば、満更ではないとこまで導びかれて、たどり着けそうな気配を感じている。
この通過儀礼の乱調は、この程度ですめば許容範囲にうちでしょうか。
いすれにしても「お蔭さま」です。
野口先生がある年の年賀状に、このことばの本当の意味が解った、と記されたことがあった。
目の前にいてくれる人、目の前にはいない人、まったく知らない人も含めて、“人生はお蔭さま”なのであるといった趣旨だった。
まだまだ、母も娘も、まさかの坂の途上です。
「7月、文月かー」
よくぞ渡り切った、と振り返る道には緩みかかった綱が一本。
でも、実感としては、緊張感を完全には取り除けない。
「むしろ、一気に、緩みすぎてはいけない」
自分に言い聞かせ、他の方からも忠告をいただいている。
それでも少し得られたゆとりだろうか。
ここ何年も母を背負って綱渡りをしていたことを思い起こす。
向こう側の施設に送り届けて、思いもよらない出来事に遭遇した。
上り坂、下り坂、まさかの坂、……うッ、誰の言葉だ?
誰のことばでもいい。
まさかの坂でみた風景は、なかなかに見事だった。
こんなはずじゃなかった。
先の予測はつかないのが人生ってものさ!
背負うものは変わっても、最後まで綱渡りのなかでバランス感覚は磨かれる、のかな?
その都度、アタフタ、ドギマギ、「あー、もうダメだ」の連続だった。
こころの中で叫びながら、レッスンにでかける。授業にでかける。
その場に立てば、背負っていることも、綱渡りのことも忘れて、集中する。
終わった時には、微妙なバランス感覚を取り直せることを知った。
また、ブログを書く事も、書く事で、行き詰まり感が払拭できることも知った。
向こう側にいる母は、ケロッとしている。
今週は美容師さんに髪を切ってもらった。
前髪はつむじのところ7・3で左右に分ける。後髪は鬱陶しくない長さにカット。
若返ったのである。
よく似合うのである。
さすがプロ集団だ。
まさかの坂の上り坂も下り坂も、この分だと無事に通過させてくれるのではないだろうか。
老いて、不自由になって、認知能力が頓に衰えて、そして乱れる。
この乱調は、彼岸に渡る前の「通過儀礼」であろうか。
途上にあって、本人には不満も不平もあるやもしれず。
それによって周りの方々を振り回すことは確実である。
しかし、彼女の立つ位置を真ん中にして、全体を俯瞰すれば、満更ではないとこまで導びかれて、たどり着けそうな気配を感じている。
この通過儀礼の乱調は、この程度ですめば許容範囲にうちでしょうか。
いすれにしても「お蔭さま」です。
野口先生がある年の年賀状に、このことばの本当の意味が解った、と記されたことがあった。
目の前にいてくれる人、目の前にはいない人、まったく知らない人も含めて、“人生はお蔭さま”なのであるといった趣旨だった。
まだまだ、母も娘も、まさかの坂の途上です。