羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

文月……まさかの坂の途上にて

2017年07月07日 10時37分59秒 | Weblog
 カレンダーをめくった。
「7月、文月かー」
 よくぞ渡り切った、と振り返る道には緩みかかった綱が一本。
 でも、実感としては、緊張感を完全には取り除けない。
「むしろ、一気に、緩みすぎてはいけない」
 自分に言い聞かせ、他の方からも忠告をいただいている。

 それでも少し得られたゆとりだろうか。
 ここ何年も母を背負って綱渡りをしていたことを思い起こす。

 向こう側の施設に送り届けて、思いもよらない出来事に遭遇した。
 上り坂、下り坂、まさかの坂、……うッ、誰の言葉だ?
 誰のことばでもいい。
 まさかの坂でみた風景は、なかなかに見事だった。
 
 こんなはずじゃなかった。
 先の予測はつかないのが人生ってものさ!

 背負うものは変わっても、最後まで綱渡りのなかでバランス感覚は磨かれる、のかな?
 その都度、アタフタ、ドギマギ、「あー、もうダメだ」の連続だった。
 こころの中で叫びながら、レッスンにでかける。授業にでかける。
 その場に立てば、背負っていることも、綱渡りのことも忘れて、集中する。
 終わった時には、微妙なバランス感覚を取り直せることを知った。
 また、ブログを書く事も、書く事で、行き詰まり感が払拭できることも知った。

 向こう側にいる母は、ケロッとしている。
 今週は美容師さんに髪を切ってもらった。
 前髪はつむじのところ7・3で左右に分ける。後髪は鬱陶しくない長さにカット。
 若返ったのである。
 よく似合うのである。

 さすがプロ集団だ。
 まさかの坂の上り坂も下り坂も、この分だと無事に通過させてくれるのではないだろうか。
 老いて、不自由になって、認知能力が頓に衰えて、そして乱れる。
 この乱調は、彼岸に渡る前の「通過儀礼」であろうか。
 途上にあって、本人には不満も不平もあるやもしれず。
 それによって周りの方々を振り回すことは確実である。

 しかし、彼女の立つ位置を真ん中にして、全体を俯瞰すれば、満更ではないとこまで導びかれて、たどり着けそうな気配を感じている。
 この通過儀礼の乱調は、この程度ですめば許容範囲にうちでしょうか。

 いすれにしても「お蔭さま」です。

 野口先生がある年の年賀状に、このことばの本当の意味が解った、と記されたことがあった。
 目の前にいてくれる人、目の前にはいない人、まったく知らない人も含めて、“人生はお蔭さま”なのであるといった趣旨だった。

 まだまだ、母も娘も、まさかの坂の途上です。
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