みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

不幸な日本国憲法

2021-02-28 14:59:11 | 社会
長谷川櫂(1954~)は、朝日俳壇選者。俳句に係る各種の文学賞の選考委員でもある。まだ「長老」とは言えない齢だが、押しも押されぬ俳壇の重鎮だ。

俳句に親しんでいる私だが、いわゆる「俳壇」にはあまり関心が無い。長谷川櫂という名前は知ってはいても、別世界で活躍している華やかな人、という印象だけで、どちらかというと疎んじていた方だ。

ところが2018年夏、長谷川櫂氏は太腿に皮膚癌を患って3度の手術を受けた。小康を得た昨春、「生と死について考える絶好の機会になった」と述べられている。

私が定期購読している「図書」(岩波書店)に小稿を連載されるようになってから、心に喰いこんでくるようなその文意に打たれ、私の中の長谷川櫂という人物像が変化した。3月号では、上皇様の「お言葉」(2016年)について考察されている。

そこには天皇の退位の希望とともに、もう一つのメッセージが隠れていた。それは天皇自身が日本国憲法の熱心な読者であり忠実な遵守者であるということである。



 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。


このメッセージは極めて明快で、決して「隠れていた」とは言えない。ただ、このメッセージを受け取った側によって、軽視もしくは無視され、いわば「半ば隠されて」しまったのだ。

改憲派と護憲派の抗争の間で国民の大半は憲法についての発言を差し控えた。抗争に巻き込まれるのを恐れたからである。憲法は国民を守る基本法なのに肝心の国民が憲法に冷淡である。ここが日本国憲法のもっとも不幸なところだろう。

そのなかで前(さき)の天皇は憲法を読みつづけ、「象徴の務め」を果たそうとした。何という孤独な歳月だったろうか。


上皇様の深い「孤独」の影が、私の心にも重く迫ってくる。
そして、孤独な上皇様を支え続けてこられたのが上皇后様だったのだ、と思う。