翳り始めた光について

2023-08-22 21:32:11 | Weblog

今日の朝 気が付いたのだが、

陽光の色が昨日までとは ほんの少し、違う。

僅かに翳った色合い。

セピアとまで行かないが「セピア的要素」が入り込んだ色。

昨日までとは何もかもが違う。違って見える。

夏の終わり近くには時々、こういう日がある。

これは「分水嶺」なのだ。

昨日で突然、夏は終わったのだ。

九月の終わりまでまだまだ暑い日は続くけど、

もう既に「盛夏」ではない。

二千二十三年の「盛夏」は既に失われてしまった。

その「光」は、写真には写らない性質のもので、

だから撮ってみたところで、何の証拠にもならない。

でもそれはそれでいいのだ、

夏なんかいつも暑いばっかりで、ロクなことがない。

この夏も、いいことなんてひとつもなかった。

(いや・・・ひとつ、ふたつは、あったかもだ。)

でも

あと二か月もすれば黄金の

秋の王国の到来を我々は目にするのだ。

九月はもう、夏の奴らに奪い取られてしまった。

二十一世紀の現代における九月はもはや、秋ではない。

あんな奴、もう秋ではない。

十月はまだ辛うじて持ちこたえている。

レイ・ブラッドベリが遠い昔、予言したように

「十月はたそがれの国」で、あり続けている。

私は願う、十月にその 「たそがれの国」 で、ミノムシと化すことを。

そして ただただ枯葉に包まって眠る。

羽化さえ、もう私の望むところではない。

「蛾」になるくらいならミノムシのままでいいのだ。

ミノムシの何処が悪い?と私は思う。

「蛾」だって別に、悪くはない。

えーと、何の話だっけ。

そうだ陽光だ、翳り始めた光のことだ。

そんな光さえ私はもう、求めはしない。

冬?

秋の次には冬が来る?

そんな希望的、楽観的な予想は今の私には到底出来はしない。

翳り始めた光だって明後日の朝にはもう

跡形もなく消えてしまった、などということさえ

あり得なくはない、と思うのだ。

 

暗転

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