雑踏の中に生きる我々にセンチメンタリズムもクソもないのだが
(今のは嘘。クソは、ある。)
何と言うか、生きてる実感は、確かにある。
(ないときもあった。)
窓の外は十二月。
こんな風にして我々は日々を喪失していく。
喪失するべき一日がなくなったとき人生は終わる。
大切に生きようが粗暴に生きようが、同じ速さで時間は過ぎてゆくので僕は
あれこれ思い悩むのを止めよう、と真剣に思ったのだ友よ。
しかし我々はほとんどのことをすごい速度で忘れてゆく。
いいことも悪いことも一緒くたに忘れていく。
ほとんど何も覚えてないなら「行為」の意味はどこにあるというのか。
もしかして、誰も意味など求めていないのか。
それならそれでいいけど。
ところで。
最近は又、歌をつくることに没頭している。
歌をつくるのには恐ろしく時間がかかるので、日記が飛びがちだが、これは仕様がない。
それで熱中して何曲か気に入ったものが出来たのだが、
並べて歌ってみると、そのうちの2曲が妙に似ている。
短期間に何曲も作ると、こういうことはよく起こる。
検証してみたら、キーが違うのだがその2曲、基本のコード進行がほぼ同じだった。
・・・とは言っても、「拍の取り方」も違う(倍である)からその上に乗るメロディーも
結構違うので、別曲であることは間違いないのだがいかんせん、
雰囲気がよく似ている。
両方気に入っているので、没にはしない。それぞれ、歌詞も半分近く出来ているし。
どちらか一曲を「寝かせて」おくしかないだろう。
時間の経過に耐えられるような歌なら、何年かあとに掘り出してみても新鮮さを失っていないであろう。
ミイラ化している・・・という恐れもあるが。
もしくは、リスのように埋めた場所を忘れる・・・・・こっちのほうが確率高い。
でもさっきも言ったように、こういうことはよくあるのだ。
俺だけじゃない。
例えば、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」と「マーシー・マーシー・ミー」って
すごくよく似ている・・・と前から思っていたのだが
あれって同じアルバム(1971年のアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」)に入ってるんだよね。
きっと勢いで2曲似たのをつくってしまって、
両方気に入ってるから両方出しちゃったんじゃないのかな。
きっとそうだと思う。両方好きだから、両方出してくれてよかったよ。
さっき言った、俺の作った似てる2曲、いつか君に聴いてもらえる機会があるかな。
(タイトルさえ、まだないけど。)
俺が今後、ソングライターとして陽の目を見ることは恐らく・・・ないだろうけど、
ライヴハウスでやり続けることは出来る。それだって簡単なことではないが、たぶん、出来る。
だから、ライヴハウスに来て欲しいよ。
2017年1月14日 土曜日 梅田 ハードレイン 「俺と仲間」(赤井祭り)
1月21日 土曜日 扇町 PARA-DICE
来年なんて、まだまだ先か?
いや、そうでもないよな。
それがバンドなりその人のカラーとか、
一貫性っていうのにつながるのかと思えたり。
あと、このことは、メロディもさることながら、
歌詞についても言えるのかなとか、
思ったりしながら、興味深く拝見しておりました。
失礼しました!
一貫性も大事かもデスが、「自分の殻を破る」ことも常に念頭において置かねば・・・とも思いマス。
曲においても、詞においても。
それにしても、
俺とは違う視点からの指摘、とても興味深かったデス。
ありがっとです!
ふと、気付けば、以前作ったのと似てるっていうのが、
ここ最近、特に多く、悩みの種でありましただけに・・・。
素人の趣味レベルながら、
曲作って人前で披露させて頂いてる身の上、
いつも何かと参考にさせてもらってます。
どうもありがとうございました!
でも「人前で披露」するときはお互い、プロ意識を持って挑みたいモノですね!
とか言って、ずっこけまくってる私デスが!