「年相応」なんていう価値観を、受け入れてはいけない。

2020-09-04 23:20:33 | Weblog

年をとることにそんなに大した意味はない。

 

僕は半世紀とちょっと生きてきたが

19歳だった頃と、気持ち的には全然変わっていない。

 

小学生から見たら中学生が大人びてみえるように、

中学生から見たら高校生がほとんど大人に見えるように、

結局は「大人」になんか、なれないのだ誰もが永遠に。

 

だからと言って悲観的になることもないと思う。

別に「大人」になんか、ならなくてもいいのだから。

 

僕はある時期から自分のことを「老青年」と言っているのだが、

そう思いたければそう思ったっていいのだ。

 

「老い」とか、「オッサン化」とか「堕落」とか・・・・そういうのを、受け入れてはいけない。

 

「年相応」の格好なんてしなくてもいいのだ。

(だから「アンプラグド」以降のクラプトンにはイラッとする)。

 

世間が自分のことをどう見てるか、なんて徹底的にどうでもいいし、実年齢もどうでもいい。

だから一切、気にしなくていいのだ。

 

現実問題として関節が痛くなってしまったり、

白髪が増えてきたり・・・・というようなことは、あるかもしれない、

というか、ある。

 

でもそれだって大したことではない。

困難は年々、増えてゆく。

失うものも年々、増えてゆく。

それは運命みたいなものだ。

 

でも考えたら、っていうか考えようによれば、だぜ。

 

「得た」からこそ失うのであって、

 

それだったら

 

「得た」ことの喜び・・・こそを噛み締めようではないか我々は。

 

 

あのまま

 

何もなかったら、何もないまま・・・・だったんだぜ冗談抜きで。

 

それは本当に、

 

ゾッとしてしまうよな。

 

 

 

 

 

写真は、ROCA Tシャツ・黒ヴァージョン。

 


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