だからどうだって言うんだろう?

2017-04-20 21:45:33 | Weblog

何もヤバくないし、何もマズくない。

ただ気を抜かずにひとつずつ、対処して行けばいいのだ。


ああ、それにしても

スイッと魚が水中を行くように人も

もっと楽に生きてゆけるはずなのに、と思う。

とか言って

・・・実は、魚も楽じゃないのかな?

でも、苦悩してるようにも見えないんだよね。

俺?

俺はいつでも苦悩してます。何ゆえにか?というと、

哲学的命題で・・・・・・・・・というのは嘘(嘘でもないんだが)。

えー、政治的な問題で。これも嘘っぽいな。

私を悩ますのは・・・・・・・・・・存在論的苦悩。うーん、大層だな。

でも、そうとしか言えないようなことも、ある。

他は・・・・・・

コミュニケーションの不可能性についての苦悩。

平べったく言うと、

他人とうまくやるのはムツカシイ、ということでもある。

誰か「他者」に気持ちが伝われば嬉しいし、

そうでなければ諦めるしかない。

所詮、誰だって、他人のために生きているワケではないからだ。

でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうでもないのかな?

「他人のために生きる」、という側面はしかし、誰にとっても

無視できるものではない。

それでも、「個人」というのは究極には、「自分のために生きている」し、

そうであるべき・・・・かもしれない。

わかんないけど。

でも、「他者」は大切だ。

もし、「他者」が存在しなければ、「自分」もいないのだ。

そうだよね?

そう考えると

「他者」と「自分」というのを

切り離して考えるべきではない・・・・・のかもしれない。

でも、これって「ONE思想」みたいだよね。

個は全であり、全は個である・・・・・みたいな。

でもさ、

シンセキのシンセキがシンセキなら、

人類すべてがきっと、シンセキ関係なのである。

「他者」であっても、「余所者(他人)」ではない、ってこと。


だから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だからどうだって言うんだろう?




他人には優しく接しなさい、ってことだな。


多分。



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