自発性

2016-06-18 11:29:12 | Weblog

我々は、やりたいことをやる ために、生きている。

もちろん、

やりたくないことはやらない・・・・・というわけには、いかない。

悲しいかな、それでは生きのびていけない。

生きのびないと、やりたいことは、出来はしない。

でも

やりたくないこと ばかりやってそれで人生が終わってしまったら・・・・・・・・・

それはだいぶ、虚しい。

思うに、

一番大事なのは、やりたいこと を やりたい、と思える気持ちなのだ。

自発性、と言ってもいいかもしれない。

コドモの頃から俺は、そのことに気付いていた。

自発性という言葉には到達していなかったが、思っていたことは同じだ。

やりたいこと、

心が躍ること、

夢中になれること、

少しくらいの嫌なことは乗り越えられるほど魅力的なこと。

光り輝いて見えるもの、

いい匂いのする(ような気がする)もの、

しっくりくるもの、

心地よいもの、

どうしてもどうしても欲しいもの。

やりたいこと が、 やらなければならないこと になってしまったら、

それは悲劇だ・・・・と言うか、興ざめだ。

興ざめして、がっかりして、つまらない顔をして生きるのは

まっぴらごめんだ。

もちろん、

「何かを創作する」ということだけが能ではない。

何か(例えば素敵なアート)に夢中になったり、

そういうの全部含めて我々は、

やりたいことをやる ために、生きているのだ。

俺は、そう思っています。

そして、

やりたいこと が やれる 状況は幸せだし、贅沢だ、とすら感じる。

実際・・・・そうだし。

例えば、近代以前の時代に生きていた人たちは・・・・こうではなかっただろう。

食うや食わずでは、生き延びることにほとんどのエネルギーを費やさねばならない。

それとか・・・戦時中、みたいなことになったら、いろんなことが抑圧される。

国家がテロに巻き込まれたりしても、そうなるだろう。

それとか・・・自分自身や、家族が深刻な病に侵されたら・・・・。

他にも色々あるだろうが、

そう考えると やりたいこと がやれる なんて、すごいことだ。

ほとんどキセキだ。


それで、その やりたいこと をやって、

もし 自己満足できるのなら、それもそれでいいのだが、

その やりたいこと を通じて

誰かと 「わかりあえる」ようなことがあったら それは、本当にすごいことだ。

とても幸せ・・・だ、と思う、そういうのって。


そういうのが、いつまでも続いて欲しい。



贅沢だ、とは思うけど、


それでも。







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