我々は、やりたいことをやる ために、生きている。
もちろん、
やりたくないことはやらない・・・・・というわけには、いかない。
悲しいかな、それでは生きのびていけない。
生きのびないと、やりたいことは、出来はしない。
でも
やりたくないこと ばかりやってそれで人生が終わってしまったら・・・・・・・・・
それはだいぶ、虚しい。
思うに、
一番大事なのは、やりたいこと を やりたい、と思える気持ちなのだ。
自発性、と言ってもいいかもしれない。
コドモの頃から俺は、そのことに気付いていた。
自発性という言葉には到達していなかったが、思っていたことは同じだ。
やりたいこと、
心が躍ること、
夢中になれること、
少しくらいの嫌なことは乗り越えられるほど魅力的なこと。
光り輝いて見えるもの、
いい匂いのする(ような気がする)もの、
しっくりくるもの、
心地よいもの、
どうしてもどうしても欲しいもの。
やりたいこと が、 やらなければならないこと になってしまったら、
それは悲劇だ・・・・と言うか、興ざめだ。
興ざめして、がっかりして、つまらない顔をして生きるのは
まっぴらごめんだ。
もちろん、
「何かを創作する」ということだけが能ではない。
何か(例えば素敵なアート)に夢中になったり、
そういうの全部含めて我々は、
やりたいことをやる ために、生きているのだ。
俺は、そう思っています。
そして、
やりたいこと が やれる 状況は幸せだし、贅沢だ、とすら感じる。
実際・・・・そうだし。
例えば、近代以前の時代に生きていた人たちは・・・・こうではなかっただろう。
食うや食わずでは、生き延びることにほとんどのエネルギーを費やさねばならない。
それとか・・・戦時中、みたいなことになったら、いろんなことが抑圧される。
国家がテロに巻き込まれたりしても、そうなるだろう。
それとか・・・自分自身や、家族が深刻な病に侵されたら・・・・。
他にも色々あるだろうが、
そう考えると やりたいこと がやれる なんて、すごいことだ。
ほとんどキセキだ。
それで、その やりたいこと をやって、
もし 自己満足できるのなら、それもそれでいいのだが、
その やりたいこと を通じて
誰かと 「わかりあえる」ようなことがあったら それは、本当にすごいことだ。
とても幸せ・・・だ、と思う、そういうのって。
そういうのが、いつまでも続いて欲しい。
贅沢だ、とは思うけど、
それでも。