まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

京都21番「賀茂御祖神社(下鴨神社)」~神仏霊場巡拝の道・23(糺の森から水みくじへ)

2022年08月13日 | 神仏霊場巡拝の道

上賀茂神社に次いで、下鴨神社に参拝する。出町柳駅前のバス停から、下鴨神社の参道である。糺の森を目指す。確かに、先ほど通過した下鴨神社前のバス停で降りれば本殿まではすぐだが、糺の森も下鴨神社の参道であり、雰囲気もよいのでどうせなら歩いて行こうと思った。その入口は改修工事中だが、改めて鳥居をくぐり、参道を歩く。

先ほどの賀茂別雷神社(上賀茂神社)の紹介とも重なるところがあるが、下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」。賀茂別雷命の母親である玉依姫と、玉依姫の父親である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祭神とする(じゃあ、賀茂別雷命の父親っていったい・・?)。創建については諸説あるが、崇神天皇の時に神社の瑞垣の修復が行われたという記録があり、それ以前から祀られていたと推測されている。こちらはこちらで、我こそ京都でもっとも古い神社と主張しているようにもうかがえる。その後、平安遷都以降は上賀茂神社と同様に朝廷の信仰を受け、神社として長年高い地位にあった。

糺の森は古くからのこの地域の植物がそのまま残る原生林である。かつてはもっと広大な面積があったが、応仁の乱などの戦乱や、明治時代に寺社領が没収されたために現在の面積まで縮小したという。

現在歩いている歩道に並行してもう1本道がある。こちらの道は下鴨神社の馬場であり、例年5月3日、葵祭の前儀式の一つとして流鏑馬神事が行われる。私も学生の頃に一度見物したのを覚えている。コロナ禍のために一昨年、昨年は中止されたが、今年2022年は観客席を減らして行われたそうだ。

南の鳥居に出る。

楼門をくぐり境内に入る。まず正面にあるには舞殿。楼門とともに多くの提灯がぶら下げられている。

その先の中門をくぐる。その奥に東西2つの本殿が並ぶ。参拝者から見て左手(西)が賀茂建角身命、右手(東)が玉依姫を祀っている。下鴨神社も上賀茂神社と同じく21年に一度、式年遷宮が行われるが、こちらも屋根の葺き替えなどの修復となっている。伊勢神宮とは異なり、上賀茂神社ともども社殿の多くが国宝、重要文化財に指定されているために、すべてを新しく建て替えることができないのだという。

本殿の前には言社という7つの祠があり、それぞれの干支の神が祀られてる。私が生まれた丑年は大物主神とある。十二支で祠が7つというのはなぜかと思うが、子年と午年だけが単独で、残り5つに2つずつ干支がついている。その組み合わせは「丑・亥」、「寅・戌」、「卯・酉」、「辰・申」、「巳・未」で、並びとしては一応対になっているから、何かしら根拠があってのことだろう。

上賀茂神社と同じように橋殿、細殿があり、その奥の御手洗社(井上社)では「水みくじ」というのがある。どちらも水に縁がある神社である。参拝したならここでくじを引くところなのだろうが、そもそも寺社でのおみくじを引くことはないので見るだけである(そのくせ、札所めぐりの行き先はくじ引きとあみだくじで決めるのだが・・)。

他にもさまざまな摂社があり、一通り回ったところで朱印をいただく。ちなみに初穂料は500円と「格式高い神社価格」である(ここまで、北野天満宮、橿原神宮、大阪天満宮で遭遇)。ここだけは、上賀茂神社と異なっていた。

下鴨神社を後にして、次は御霊神社に向かう。下鴨神社の西の道幅の狭い住宅街を抜けて、賀茂川に出る。架かっているのは出雲路橋。出雲に向かう街道でも通っていたのかなと思うが、その昔、出雲地方から賀茂川の右岸に移り住んだ出雲氏というのがいて、その名が取られたそうだ(まあ、この道をずっと西に進めばいずれは出雲にたどり着くのだが・・)。

御霊神社はこの先の住宅街の中にある。それにしても「神仏霊場巡拝の道」と言いつつも、ここまで通してどちらかと言えば神社が続いているように思う・・・。

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