まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16回中国四十九薬師めぐり~第25番「月輪寺」(奈良の東大寺とも縁のある里山の古刹)

2022年08月23日 | 中国四十九薬師

8月15日、広島から中国四十九薬師の山口県、そして九州八十八ヶ所百八霊場の福岡県を目指すに当たり、前日14日の夜に下道を走って徳山まで移動して来た。14日はここで一泊して、山越えで山口市内の中国四十九薬師霊場の3ヶ所を訪ねることにする。そうまでして回るのかという感想を持つ方もいるのかもしれないが・・このくらいの欲張りはいいでしょう。

今月開業したばかりの「ルートイン周南徳山東インター」にて朝風呂と種類豊富なバイキングの朝食をいただき、7時30分に出発する。まず目指すのは第25番の月輪寺(がちりんじ)である。

徳山駅周辺を走り、国道2号線に戻る。旧新南陽市から国道489号線、徳地方面へと向かう。先ほどまでの臨海コンビナート群とはまったく異なる景色が広がる。

周南市から山口市に入る。沿道のところどころに「重源の郷」という文字が見える。山村地域のさまざまな体験交流ができる施設だが、この「重源」とは平安~鎌倉時代の僧で、源平の戦いで焼け落ちた東大寺の再興に尽力したことで知られる。東大寺再興のために各地を勧進で回る中、周防国で大量の木材を得ることができ、大仏殿や南大門の再建に使われた。大仏殿はその後の兵火で焼け落ち、現在の建物は江戸時代の再建だが、南大門は重源が再興した当時の建物である。

そろそろ稲穂が実りつつある水田に石州瓦の家屋が点在する里山の集落に出る中、月輪寺に向かう。各種案内では「薬師堂」と記されていることが多い。駐車スペースに着くと、まず薬師堂に続く石段が目につく。手水場の水が冷たくて気持ち良い。「皇太子殿下ご来臨記念の碑」というのもある。建立されたのが平成なので、今の天皇陛下が訪問されたことの記念である。どういうご縁でここ徳地まで来られたかは説明書きがなくてわからなかったが・・。

月輪寺は寺の言い伝えでは聖徳太子により開かれたとされるが、現在に続く寺として建立したのは重源とされる。聖徳太子が開いたとされる寺も時代が下ると荒れており、それを目にした重源は再興しようと思い立った。何せ東大寺を再興しようというくらいの人だから・・。この地に荘園を持っていた関白九条兼実の援助もあり、寺の名前も兼実の呼び名であった「月輪殿」からつけられた。

山門をくぐり、正面奥にあるのが薬師堂。重源が建立した当時の姿を今に伝えている。鎌倉当時はまだまだ茅葺き屋根が一般的だったのだろうな。山口県内で現存する最古の建築物ともいわれている。

本尊は秘仏ということで、賽銭箱の横に御前立ちの薬師如来像がある。こちらをなでてご利益を感じ、お勤めとする。

境内には他に開山堂や、西国三十三所のお砂踏みもある。

ただここまで来て、納経所らしき建物が見当たらない。薬師堂の前にある建物がそうかなと見るに、通夜堂とある。無人の寺なら朱印の紙がどこにある等の案内があってもよさそうだが、どうしたものか。

いったん石段を下りて駐車場に行くと、左手上に立派な寺らしき建物があった。こちらが現在の月輪寺の本堂である。薬師堂は歴史的建造物として保存し、普段のお勤めや法要はこちらの本堂で行われるようだ。扉を開けて自由にお参りすることができる。月輪寺はちょうどお盆の時期で檀信徒のお参りも多そうで、テーブルにはお下がりでお菓子やジュースが置かれている。

改めて玄関でインターフォンを鳴らすと住職が出て、朱印の綴じ込み用紙をいただく。

この後は島地川に沿って国道376号線を走り、徳地地区の中心部を通過する。その徳地までは山口駅、徳山駅双方から路線バスが出ており、先ほどの月輪寺も徳山駅から1日数本ながらバスでアクセスすることができる。ここだけが目的地なら、里山風景をのんびりバスに揺られながら眺めたところだろうが・・・。

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