まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第19回四国八十八所めぐり~アパホテルと骨付鳥「弁当」

2018年08月14日 | 四国八十八ヶ所
レクザムボールパーク丸亀での観戦を終えて、丸亀駅に戻る。11日から3連泊するのは、アパホテル丸亀駅前大通。

春先に四国アイランドリーグの公式戦日程が発表された時、四国めぐりのペースと香川での公式戦開催の日程を見比べて、この時期の丸亀での開催に目をつけて「今年の夏休みはここで」という思いがあった。そこで宿の確保だが、それほど宿泊施設の多い町ではない。ボールパークの近くにはルートインホテルがあるが、駅からは結構離れている。予約サイトで見つけたのがアパホテルなのだが、たまたま「和室」だけが空いていた。1泊7500円というのも極端に高いものではないので3泊分を押さえた。アパホテルはオンシーズンには普段の客室料金の倍以上ふっかけることがあるので、早期予約してよかった。もし直前なら、2万円近い値段を提示してきたことだろう。それでも泊まりたい客がいるのだから。

駅から5分ほど歩いたところにあるこのホテル。外観はかなり年季が入っている感じで、これは元々別のホテルだったのではないかと思う。それでもフロントに行くときれいな造りで、中はそれなりに改装されているようだ。

そして和室へ。8畳の部屋は元々は3人で宿泊する設定か、布団が3組敷かれていた。アメニティも3人分ある。それを1人で、しかも3泊使うのだから、通常のシングルより快適に過ごせそうだ。玄関横にバス・トイレ、奥に冷蔵庫のスペースがあり、まさに旅館。最上階には展望浴場もある。

ただそれでもアパホテルであり、床の間にはあの女性社長の本がデンと置かれているし、藤誠志というペンネームを持つ社長の夫の著作『本当の日本の歴史 理論近現代史学』も置かれている。『本当の日本の~』は一冊に日本語、英語で著述されているが、その内容がいわゆる保守派の歴史観(例えば「南京大虐殺」を否定するとか)だというので、中国の国家旅行局が訪日中国人旅行者に「アパホテルは使うな」と指示するなど、ちょっとした騒動になったことで知られている。

私も読んでみようかとパラパラとめくっていたが、内容うんぬんよりも字が細かい、段落変えがほとんどないのが読みにくかった。まあ、たまにビジネスホテルの客室にある聖書のようなもので、眠れない時に読むのがよさそうだ。中には精神が昂って余計に眠れなくなる方もいるだろうが。

この日の夜だが、まず展望浴場に入って汗を落とした後、普段なら「夜の八十八所」などと言って地元の居酒屋やら郷土料理の店に行くところ、昼間の暑さもあってか部屋で過ごすことにする。駅の高架下にあるスーパーで刺身盛りや飲み物を仕入れていたが、実はもう一品、これは列車で丸亀に着いた時に買っていたものがある。

元々は高松の駅弁だそうだが、香川、丸亀名物の骨付鳥を使った駅弁「骨付鳥弁当」が、土産物を兼ねるセブンイレブンで売られていた。個数限定のようで、夕方に土産物のコーナーを見ると売り切れていた。

ひもを引っ張って温めるタイプの駅弁。この手の駅弁は温かいのを味わえるのがいいが、車内に匂いが広がるため、特急列車でも隣や前後の席の方に不快感を与えるかもしれない一品である。ホテルの部屋ならその点は問題なく、ひもを引いて5~6分待つ。ふたを開けるとまさしく骨付鳥(ひな鳥)がデンと乗っており、その下にスパイスで味付けされたご飯が入っている。添付の鶏油(チー油)をかけていただく。皮がパリパリという感じではないが、鶏肉の柔らかな歯ごたえは十分に感じられる。鶏皮の酢漬やカレー味のキャベツも箸休めにいい。当然専門店や居酒屋でいただくほうが美味しいのだろうが、駅弁でここまで味わえるのもすごいと思う。

骨付鳥弁当を楽しんだり、ブログ記事の書き込みなどしながら、テレビで世界ソフトボールの準決勝、日本対アメリカ戦を観戦。「二刀流」で次世代のエースを狙う藤田選手の熱投もあったが、最後は延長戦の末アメリカが押し切った。翌12日にはデーゲームで日本対カナダが行われ、それに勝ったほうがナイターでアメリカと対戦するという。ソフトボールの試合を中継で観るのもめったにないが、野球とはまた違ったスピード感とテクニックを楽しめた。

さて、そろそろ本題である八十八所めぐりに切り替えなければ。翌12日は讃岐七ヶ所まいりである。まずは第71番の弥谷寺に向かうが、相当な暑さが予想される。これはなるべく早い時間から回ったほうがいいかなと思う。早起きは別に苦ではないが、果たして1日で「7番勝負」を終えることができるかどうか・・・。
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第19回四国八十八所めぐり~四国アイランドリーグ観戦香川対高知@丸亀

2018年08月12日 | 四国八十八ヶ所
レクザムボールパーク丸亀に到着。11時の開門時間が近づくと30人ほどの行列ができた。

11日の試合は「KAGAWA PLAYERS DAY ~緑で全力応援~ & Green Jack Day!」と銘打って、綾川町のホームタウンデーとして開催された。綾川町在住の人は先着100人まで入場無料だったり、入口では綾川町のパンフレットなどの配布があった。またガイナーズの応援ハリセンとか、小豆島の手延べそうめんも先着で配布され、結構土産物でいっぱいである。そうめんなども普通に買えば400~500円はするものだろうから、1000円の入場料でなかなかの太っ腹である。また試合中には抽選があり、綾川町のうどんや「おいでまい」という米などのプレゼントがあった(私も応募したが残念ながらハズレ)。

レクザムという会社のことは知らず、てっきりパチンコなどを中心とした「アミューズメント産業」の企業なのかなと思っていた。しかし改めて検索すると、本社が大阪にあるエレクトロニクス、電子機器、スキー用品などの製造を行っている。生産拠点の多くが香川県内にあることからネーミングライツを得たという。丸亀市民球場は元々丸亀城内にあったそうだが老朽化のために2015年に新たに建てられた。建設にあたっては香川オリーブガイナーズもその計画に参加し、いわゆるボールパーク型の球場ができることになった。

スタンドは香川のチームカラーである緑一色で、ネット裏に近いエリアは跳ね上げ式、カップホルダーつきのシートで、外野よりの席も長椅子ではなく1席ずつ独立している。暑い中だがベンチ上のエリアの席に陣取り、これで四国4県での八十八所めぐりとアイランドリーグ観戦がとりあえず成立する。

また、外野エリアではフィールドシート、さらにはバーベキューテラスも設けられている。フィールドシートはベンチのすぐ横で、グラウンドレベルのプレーが見られる。またバーベキューテラスはこの日も子ども連れの団体が利用しており、地元の新たな楽しみになっている感じだ。

またバックスクリーンは全画面表示式。これまで四国、そしてBCリーグといろいろな独立リーグの球場で観戦してきたが、ここまで凝った造りの球場はなかった。NPBでも阪神がウエスタンリーグの試合をやるくらいだ。

コンコースにはテーブルが並べられて、スタンドよりはいくらか涼しい環境で食事ができたり、グッズ販売もある。かき氷のコーナーでは選手も販売のお手伝いである。通常の3倍はあるバケツ型のかき氷とか、野球のヘルメットに入ったかき氷なんてのもある。ヘルメット型は1日1杯限定で1万円。いくら暑いからといっても買う人はいるのかな。

試合前には両軍の選手がライン上に整列。香川の西田真二監督もチームを率いて長い。今季は前期優勝を果たしているが、リーグチャンピオンシップは2012年を最後に遠ざかっている。久しぶりにリーグチャンピオンシップ、そしてBCリーグとの独立リーグ日本一決定戦に進出するか。またその状況次第では私の四国八十八所めぐりとのリンクもあり得るわけで・・・。

さて試合。香川の先発は今季新入団の森崎。綾川町出身で、まさにこの日の綾川町ホームタウンデーに合わせての起用である。球速は130キロ台後半で、初回は1つ四球を出すが無失点。

一方の高知先発は石井。香川は先頭の具志堅が一・二塁間を破るヒットで出塁、盗塁も決めるが先制点ならず。

2回表、森崎の制球が定まらない。3つの四球を与えて一死満塁となり、高知9番の藤原にライトへの犠牲フライで1点先制される。後続を打ち取ってなんとか最少失点でしのぐ。

3回には高知の安藤のセンターに抜けようかという当たりを香川ショートの加藤が抑えてダブルプレーを完成させたかと思えば、その裏、香川の中村のライト前の当たりを高知の藤原がダイビングキャッチ。随時に好守も見られる。

3回裏終了時には給水タイムのアナウンスがあった。通常の5回裏の休憩とは別に、この猛暑ということで、選手、審判、スタッフの休憩のための時間である。観客にも熱中症予防が呼びかけられ、この時間を利用しての水分補給が呼びかけられていた。それにしても、丸亀4連戦のうちこの日だけ灼熱のデーゲームで行われるのだろうか。

4回裏、香川先頭の木村(BCリーグ福島から今季新加入)が、BC時代を通して「プロ初」となる本塁打を放つ。これで1対1の同点。

これをきっかけに香川打線が爆発する。続く松井が右中間へのエンタイトル二塁打を放ち、続く加藤のショートへのゴロで高知の宇佐川が三塁で刺そうという送球がそれて松井が生還。2対1と香川が逆転する。さらに一死一・三塁として岡村がレフトへのヒット、中村がセンターへのヒットでこの回合計5点を挙げて逆転した。

香川の森崎は6回、ヒットと四球などで二死一・三塁としたところで降板し、2番手の又吉(中日の又吉投手の弟)にスイッチ。後続を抑えて流れをキープする。

7回裏、ジェット風船が上がった後で香川が再びビッグイニングを作る。高知2人目の三谷に対して、死球とヒットで無死一・三塁とチャンスを作り、途中出場のグレイブスがレフトへのタイムリーで6対1。同じく途中出場の妹尾のライト前タイムリーで7対1。さらに加藤がレフト線への二塁打を放ち、9対1と大きくリードした。これで試合は決まったようなものだろう。

8回は香川3番手の左腕・箱島が一死満塁のピンチを招きながらも併殺で無失点に抑える。

このままあっさり終わるかと思われた9回表。三塁側の数少ない高知ファンからは「1点でも2点でも取って意地を見せろ!」と檄が飛ぶ。それに応えてか、2本のヒットと四球で無死満塁と高知が最後のチャンスを作る。

ここで箱島から畝にスイッチ。なかなか力のあるボールを投げる形で抑えるかなと思いきや、若原が2点タイムリーを放ち9対3となる。三塁側からは「あと6点!」との声が出て、一死後に宮田が一塁線を破る二塁打で9対4、安藤がセンター前ヒットで9対5と追い上げた。一塁側からは「大丈夫かいな?」とヒヤヒヤの声が出る。さらに一死満塁となり、代打・ラシィナ(西アフリカのブルキナファソという国の出身)がライトへの痛烈な当たりで9対6、さらに満塁が続く。

一発出れば高知逆転という場面で、最後は畝が三振とショートゴロでしのぎ、このまま9対6で終了。3時間を超える激戦を香川が何とか制した形になった。

ヒーローインタビューは先発で勝利投手の森崎と、「プロ初」の同点本塁打を放った木村が登場。森崎は四球が多かったためか「全然ダメでした」と苦笑いで登板を振り返っていた。

試合終了後は独立リーグ恒例のお見送り。ヒーローインタビューを受けた投打のヒーローからサインをいただく。本当はここに西田監督のサインを載せたかったのだが、登場しなかったのか、あるいはすぐ引っ込んでしまったか残念ながらいただけず。

帰りは、この日特別に出ていた送迎バスに乗る。マイクロバスに10人あまりが乗り込み、試合終了後30分にて発車。隣接する香川県営の丸亀競技場を通る。この競技場は球場のスタンドからバックスクリーン越しに見えるのだが、試合の終盤から何やら歓声が聞こえるようになった。この日、J2のカマタマーレ讃岐が松本山雅FCを迎えてのナイターでの試合が行われるとある。そういえば先ほど球場にもカマタマーレのユニフォームを着た人が何人かいて、野球場でサッカーのユニフォームは妙だなと見ていたのだが、この人たちは昼間は野球、夜はサッカーと二度楽しもうというのだろう。この試合だけデーゲームで行われた理由もこれで納得した。

ちなみに昼の香川対高知戦の観客は841人。一方で夜の讃岐対松本戦は観客は2981人。試合は0対1で松本に敗れるという結果だった。野球は独立リーグ、一方のサッカーは2部とはいえ全国のチームが参加するリーグ戦である。またそれぞれのスタンスの違いもあるから一概に比較はできないのかもしれないが、独立リーグで2000人入ることはごく一部の試合でしかない。私も独立リーグの試合を見るようにしているが、残念ながら世間の認知度、人気の現実とはこのようなものである。「四国」ということにこだわり、ベースを置くのなら、四国観光や八十八所めぐりとのコラボも含めてもう少し掘り起こしがあるのではとも思うのだが・・。

10分ほどで丸亀駅に到着。11日からはここを宿泊地として、翌日からはいよいよ札所めぐりである・・・。
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第19回四国八十八所めぐり~まずは丸亀へ

2018年08月11日 | 四国八十八ヶ所
今回の四国八十八所めぐりは8月11日~14日の日程で出かける。ちょうどお盆の帰省ラッシュと重なるタイミングである。わざわざこの日程にしたのは、前の記事にも書いたように四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズ戦に合わせたもので、ちょうど八十八所めぐりで善通寺シリーズを回るのと、レクザムボールパーク丸亀で4連戦が行われるのとで、中讃エリアを楽しもうというものである。

その日程の割り振りだが、まず11日のデーゲームの香川対高知戦を観戦することにした。午前中を大阪からの移動として午後暑い中での観戦。そして12日は朝から1日、もしくは2日かけて八十八所めぐり。13日にナイターで香川対徳島戦の観戦も視野に入れている。そして14日はフリー、あるいは八十八所めぐりを少し進めるかして、夕方の丸亀発大阪行きの高速バスで戻るというもの。連日35度の猛暑が続くし、スケジュールもあまりガチガチに考えずにコンディションを見て動くことにする。

その中で出発だが、当初は青春18きっぷを使って鈍行乗り継ぎで行こうと思っていた。しかし結構荷物も多いし、青春18の時期の山陽線(特に姫路~岡山)は混雑する。前日に急遽思い立ったが、費用がかかるのは致し方ないとして、新幹線で一気に岡山まで行ってしまおうということになった。丸亀での試合開始は13時だが、開門は11時とある。独立リーグの試合、球場が満員になるわけではないが、せっかくなので開門のタイミングで行きたいなとも思った。

帰省や行楽での混雑のピークになる11日、新幹線の指定席など空いていないだろうが、ふと検索すると、新大阪7時53分発の「みずほ603号」が奇跡的に2席だけ並びで空いていた。直前になってキャンセルか乗車変更が出たのだろう。これでまずは岡山まで行き、その後はマリンライナーか特急「南風」で瀬戸大橋を渡り、丸亀に向かうことにする。

7時台ともなると新大阪駅のコンコースもごった返している。ホームに上がると自由席車両の列が混雑しているようで、東京方面の車両の指定席のデッキに立つようにとのアナウンスがある。そんな中で8両のみずほ号が到着。岡山までわずか40分ほどだがゆったりしたシートで移動できるのはありがたい。この列車については指定席のデッキに立つ人もさほどなかったようだ。

8時37分、岡山到着。乗り換え案内では8時52分発の「南風3号」中村行きだが、折り返しとなる列車がまだ入線しておらず、ホームには自由席車両への長蛇の列ができている。一方、8時40分発の「マリンライナー13号」高松行きは、その折り返しとなる列車が着かないと出発できないようで、発車時刻が過ぎても停まっている。それなら、この「マリンライナー13号」に乗ってしまおう。あいにく座ることはできないが、ドア横に陣取る。これで坂出まで行き、乗換えで丸亀に向かっても「南風3号」とはそれほど時間に変わりない。

折り返し列車待ちと、発車直後にホームの非常ボタンが押されたために緊急停車したことで、8分遅れでの発車となった。宇野線の区間は単線のために行き違いの調整もあったが、茶屋町を過ぎるとスピードを上げる。ちょうど運転席の連結部のところに立っていたのでスピードメーターを見ていると、100キロは軽く超え、120キロ、さらには最高で130キロまで上がった。関西の新快速でもそこまで飛ばさないのではないだろうか。高架橋を行く区間ならではの走りっぷりで、児島に着いた時には遅れは4分まで縮まった。

瀬戸大橋を渡る。これまでさまざまな形で四国にアプローチしたが、香川編となってこの橋を渡ることも増えるだろう。もっとも、高松や香川東部となるとまた違ったアプローチをすることになるのだろうが。

坂出に到着し、9時32分発の琴平行きに乗り換える。2駅で丸亀に到着。この高架駅に降り立つのは初めてのことだ。下りホームではオリーブガイナーズを応援する看板が掲げられている。また上りホームではJ2のカマタマーレ讃岐を応援する看板が掲げられている。いずれも丸亀にスタジアムがあることからのPRである。

前々日の8月9日に予讃線の本山~観音寺間の財田川橋梁の復旧が完了して、岡山・高松と松山が再び線路で結ばれるようになった。そのPRのポスターが貼られている。またこの日の夜にホテルでテレビを見ているとそのCMも流れていた。JR四国としてもお盆の多客期を前にほっとしたことだろう。

コインロッカーでキャリーバッグを預け、高架下に入っているスーパーで昼食を買い求める。ボールパーク丸亀へは公共交通機関ならば丸亀市のコミュニティバス(丸亀西線)で行く。この日はお盆休みということで球団が無料の連絡バスを出すとあるが、それよりも早く、10時08分発の便に乗る。

丸亀駅前の住宅地を走り、やがて遠くにボールパークの照明灯が見えてきた。バスならば最寄は市民体育館前だが、私が乗った系統はいったん善通寺まで行った帰りに立ち寄ることになる。時間がかかるかなと思い、手前になるがゆめタウン前でいったん下車する。さすがにそのまま行っても早すぎるし、ゆめタウンで少し涼むことにする。ちょうど紀伊国屋書店も入っているし、地元書のコーナーでは八十八所やさぬきうどんに関するものも結構あったので情報収集とする。

ゆめタウンから田んぼの中を10分ほど歩くと、まだ新しい造りのレクザムボールパーク丸亀に到着した。11時の開門までしばらく待つ。日中はかなり暑くなるだろうな・・・。
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第19回四国八十八所めぐり~讃岐7ヶ所まいりとアイランドリーグ

2018年08月10日 | 四国八十八ヶ所
連日相変わらずの暑さだが、8月もお盆の時季となり、世間の動きもそのような感じになってきた。私も夏休みをいただくことに。

そこで、夏休みに目指すのはやはり第19回の四国八十八所めぐりである。今回は讃岐西部に集まっている札所を回ることにする。その中には四国八十八所の総元締めと言える善通寺も含まれており、一つの見せ場なのかなと思う。善通寺シリーズとでもしておこうか。

回るのは第71番の弥谷寺から。この弥谷寺から第77番の道隆寺までの7ヶ所は、「讃岐7ヶ所まいり」と呼ばれている。現代のように交通が発達しておらず、四国全てを回るのが難しかった江戸時代から、その短縮版として讃岐の7ヶ所を1日で回ることが行われたそうである。この7ヶ所を回ると四国一巡したのと同じ功徳があるとでもいうのだろう。またこの7つの札所それぞれには七福神の一つが割り当てられており、七福神めぐりの要素もある。ちょうど札所が近い間隔で並んでいるし、善通寺も含まれるから格好のコースなのだろう。

もっとも、7ヶ所まいりを1日で済ませるかどうか。この暑さの中だが、弥谷寺から善通寺までの5つは歩くしかない。その後の金倉寺、道隆寺は鉄道でつながるとして、厳しければ1日は善通寺までで終わりにしてもいいかなと思う。残りは、近くに金比羅宮や満濃池もあるし、これらとも絡めて2日がかりでもいいかな。

例年夏休みはお盆の混雑を避けるためにずらして取ることが多いのだが、今年はあえてど真ん中に行くことにした。その理由は四国アイランドリーグである。ここまで、四国八十八所めぐりとアイランドリーグ観戦を無理やりくっつけて四国を訪ねた回があったが、香川には今季前期優勝のオリーブガイナーズがある。そして、8月11日~14日は、レクザムボールパーク丸亀にて高知、徳島相手に4連戦がある。四国各県でアイランドリーグの試合を観戦するのを八十八所めぐりの中のミッションにしているし、丸亀のスタジアムは独立リーグ版のボールパークという評価もあるので行ってみたかった。これを逃す手はない。そのために今回は丸亀のホテルを押さえてベースキャンプとして、札所めぐりと野球観戦を楽しむのをテーマとする。うどんや骨付鳥は、まあその時次第で・・。

果たしてどのような四国行きになるのか楽しみである・・・。
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第33番「華厳寺」~西国三十三所めぐり・28(なぜか四日市)

2018年08月09日 | 西国三十三所
大垣駅の改札を出る。もう少し時間が遅ければ大垣で一杯やってから東海道線で戻ることもあるが、時刻は15時前、さすがにまだ早すぎる。駅の外には高校野球の岐阜県代表の大垣日大の応援の垂れ幕が飾られている。学校も大垣駅のすぐ近くにあるそうだ。この日はまだ試合に登場していなかったが、8日に行われた1回戦では熊本県代表の東海大熊本星翔に勝利した。かつて愛知の東邦高校で何度も甲子園に出場した老将・阪口監督が率いる。

一時は宿泊も計画していた大垣だが、結局は30分足らずの乗り換えで後にすることになる。次に乗る養老鉄道の桑名行きは15時06分発。かつて近鉄の南大阪線などを走っていた車両が残る養老鉄道、「近鉄マルーン」と呼ばれる懐かしい赤茶色の車両がホームに停まっている。暑さ対策のため一部のドアしか開けられていないが、中に入るとエアコンと扇風機の両方が稼働していて涼しい。先ほどの樽見鉄道の故障した冷房車と比べれば快適で、じっと座って発車を待つ。

ガラガラのまま発車する。大垣から南に向けて走る養老線は、揖斐川の流域を走る。今はただの平野部という景色だが、昔は輪中もあったそうだ。治水が進むとともに、食糧確保のために耕作地を広げるという事情もあり、この辺りの堤防というのは今は見られない。3つ目の友江駅の近くには大垣市の輪中館というのがあり、かつての輪中の暮らしも紹介している。下車して立ち寄ってみてもよかったが、結局この日はそのまま列車に乗り続ける。またこの辺りは輪中とともに特徴的な天井川も流れているそうで、気づかなかったが道路の立体交差にしては長く、トンネルをくぐる感じに見えたところがそうなのかなと思う。

列車はサイクルトレインということで車内に自転車を持ち込める。こうした回り方も面白そうだ、

沿線の中心である養老を過ぎる。こちらも養老の滝やら、養老天命反転地という面白スポットがある。養老天命反転地には一度行ったことがあるが、結局わかったようなよくわからないようなスポットだったのを覚えている。現代アートをどのように理解するかが問われるところだが・・・。今は「乗って残そう養老鉄道」という地元の人の呼びかけの横断幕がいくつかの駅で掲げられている。

途中ウトウトもしながら、終点の桑名に到着。養老鉄道の沿線旅はまたの機会ということにして、現在駅改良工事中の桑名からすぐに松阪行きの急行に乗り換える。目指すのは近鉄の四日市である。

・・・ここまで来ればひょっとしたらお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、時間も時間だから四日市で一杯やって、そのまま近鉄で大阪に戻ろうというものである。目指すのは駅前のやきとん、焼き鳥の店である「串焼道場」で、すでに何回か訪ねている店である。昨年行った「三重県サイコロの旅」でも、1日目の宿泊が四日市だったこともあり、同行の方とともにおじゃましている。この店で次の行き先を決めるサイコロで、翌日四日市から熊野市まで行くことになったのは私の中でも記憶に新しい。

駅のホームに降り立つと太鼓の音が響くのが聞こえる。またホームやコンコースにも大勢の人がいる。何か祭りでもあるのかと見てみると、8月4日、5日(第1土・日曜日)は「大四日市まつり」とある。市内のいくつかの会場でパレードや踊り、伝統芸能などが披露されるもので、近鉄四日市駅前ではステージが設けられて市内の愛好家たちによる「諏訪太鼓」が披露される。駅前に出た時はちょうど子どもたちのグループが太鼓の音を響かせており、大勢の人が見守っていた。こうした祭りがあるということはこれまで全く知らず、まして訪ねたのが当日だとは旅先でのひょんな出会いである。

太鼓見物はまた後にするとして、とりあえず「串焼道場」へ。やきとんやら焼き鳥もそうだが、ホッピーによく合うキンミヤ焼酎が置かれているのがポイント。このキンミヤ焼酎を造っているのが四日市の蔵元「宮崎本店」で、日本酒の宮の雪と並ぶ主力商品である。

四日市のトンテキ串も含めて、ホッピー、そして炭酸割でキンミヤ焼酎を楽しむ。今朝大阪を出た時は、このような展開は予定していなかった。帰りの近鉄の運賃と特急料金が余計にかかるが、これも旅の楽しみということにしておく。また帰り際には、駅コンコース内のファミリーマートにキンミヤ焼酎の四合瓶が普通に売られていたので、荷物になるが一緒に購入した。

その前に改めて諏訪太鼓である。店を出た時は別のグループによる演奏であり、女性も法被姿で豪快に太鼓を打ち鳴らしているのに引かれる。諏訪というくらいだから四日市にも諏訪神社でもあるのかと思い調べてみると、鎌倉時代に諏訪大社から神様を招いて開かれた由緒ある神社とある。太鼓のほうはその当時から奉納していた神楽太鼓がルーツとも言われているが、現在のように広く市民が親しむようになったのは1960年以降だという。その年に長野の諏訪で披露された諏訪太鼓の演奏に感激した四日市の商工会の人たちが、その演じ手から手ほどきを受けて、四日市の祭りで披露するようになったのが今の形である。大四日市まつりは諏訪神社の祭とは別の市民祭りである。

一グループの持ち時間は30分~40分で、そのグループの演奏が終わると入れ替えとなる。次に出たのは地元企業の住友電装の社員チーム。観客の中には会社関係と思われる人もいる。神楽太鼓や、かつての武田信玄の陣太鼓をイメージした曲を披露する。こうした太鼓の演奏を見ていつも思うのだが、いわゆる「楽譜」があるわけでもない中で、よくリズムやらコンビネーションを覚えているなと感心する。大太鼓のリズムが何回続いたら他の太鼓が入るとか、笛はどのタイミングで鳴らすとか。先ほどのやきとんやらキンミヤ焼酎が入った胃袋にも太鼓の音がよく響く。

四日市に宿泊するならもっと楽しんでもいいが、この日は19時前の特急で帰ることにする。結局は東海道線~醒ヶ井~谷汲山~養老鉄道~四日市~近鉄という、「循環ルート」でお腹一杯の日帰りコースとなった・・・。
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第33番「華厳寺」~西国三十三所めぐり2巡目・28(一足先に満願気分と言いたいところだが・・・)

2018年08月08日 | 西国三十三所
華厳寺の山門をくぐる。私の背丈の倍はあるか、大きな草鞋が出迎えてくれる。

この先は石灯籠が並ぶまっすぐな参道である。灯籠の苔、そして青もみじ。夏の景色である。青もみじが参道をほどよく覆う感じで、暑さもいくぶんか和らぐように思われる。両側に大きく「南無十一面観世音菩薩」と書かれた幟が並ぶのも風情あるように見える。

石段を上って手水場に着く。観音様が瓶から水を注ぐように見立てて造られていて、観音様から直接ありがたい水をいただくような気持ちになる。

改めて、西国満願とあちこちに出る本堂に立つ。2巡目ではまだ6ヶ所を残しているにも関わらず満願札所に来たわけで、やはりちょっと先走ったかなという気持ちもある。別に西国にこだわらず、岐阜の名刹、あるいは観光名所という感じでお参りに来た人たち(先ほど谷汲口からバスで来た人たちもどちらかと言えばそんな感じに見えた)は、「西国三十三所満願のお寺らしいよ、すごいなあ」という感じで参詣していた。

別にこのタイミングで華厳寺に来たことをしくじったとは思わないが、もし「3巡目」をやるのなら、やはりここは最後に来ることにしよう。そんなことを思いながら、経本を取り出してお勤めとする。

先達用の巻物型の納経帳に朱印を受けるが、もちろん華厳寺の欄は巻物の最後にある。まずそこを出すのにくるくる回して時間がかかる。またご存知の方もいらっしゃるだろうが、華厳寺の朱印は「3つで1セット」である。現在・過去・未来ということで、本堂、満願堂、笈摺堂それぞれの朱印をいただくことになる。巻物の納経帳もそのように作られている。

どうするかと見るに、まず受付の係が3ヵ所に朱印を押す(本堂の欄には西国開創1300年の記念印も押す)。そして後ろに控える係に納経帳を回す。係の人は左、つまり笈摺堂から満願堂、本堂の順に筆を走らせる。順序としては逆だが、左から書けば、書いた後に当て紙を置いて、巻物を少し戻して次の筆書ができる。なるほどそのほうが手も汚れずスムーズに書けそうだ。1巡目の時はぐちゃぐちゃっと殴り書きされたようだし、寺の方の対応にも多少不満を感じたのだが、今回については普通に対応していただいた印象だった。

本堂の縁側にて、巻物をぐるぐると元に戻している最中、「もういろんな悪いことばっかり起きて、頭がおかしくなりそうですわ!」という声がする。先ほど朱印を押してくれた係の人に食ってかかるように問いかけているのは老女。「そういうのに効くお札ってありますのん?」「ここはお寺なんでお札はなくてお守りで・・・」「そんなもんで効くんか!?」「後はご祈祷とか・・・」「◎※■☓▲&$・・・!!」話がかみ合わない。こういう手合いには、やれ仏の道だとか、自ら祈ってとかいうことを説いても通じないだろう。

プロの僧侶がどのように対応するのかはさて置いて、本堂の後ろに回る。出迎えるのは苔ノ水地蔵、「貼り仏」として知られている。仏の前にある護符を、自分が治してほしい部位と同じところに貼りつけて水を垂らすというものだ。私なんか身体中のあちこちに貼りたいくらいだが、それはオーバーということで、とある1ヶ所に護符を貼ってこれからの健康を祈る。

そして笈摺堂に向かう。こちらは過去に西国三十三所を満願した人たちの記念写真や千羽鶴で飾られており、堂の中には数多くの笈摺、金剛杖、菅笠が奉納されている。個人で、あるいは講を組んで西国を回った人たちの足跡である。先ほどの老女ではないが、人生のさまざまな苦悩を背負いつつ、何かしらの安らぎを得ようと回ってきた人たちの思いが詰まっているように思う。寺の人も、「それならば西国を一つずつ回ってはいかが?」と勧めてもよかったのではないかと思う。

本堂の奥にある満願堂に向かう。なぜかタヌキの石像が並ぶスポットである。ここまでは他にもお参りで来る人も見られる。満願堂で手を合わせたが、やはり、「満願」の時に来るべきだったかなという思いがする。

この先には山道を40分歩いて奥の院があるのだが、やはりこの暑さである。今回も奥の院はいいかなということでここで折り返しとする。再び本堂の外陣に行くと、どうやら祈祷してもらったかお守りか護符かをいただいたようだが、先ほどの老女がまだ何か食ってかかっている。こりゃ、西国一つずつよりは現代医療のナントカメンタルクリニックに行ったほうがよさそうだな・・・。

本堂外の柱には「精進落とし」の鯉のレリーフが打ちつけられている。西国を回ってきた人は最後にこの鯉に触れて精進落としをして、再び俗界に戻るとされているが、今の世の中、これまでの最中に肉食を禁ずることもなく、普通に回る中では一つの儀式である。

これで華厳寺参りを終える。ちょうど昼時ということで食事だが、仁王門を出て参道のすぐ右手にある「富岡屋」に入る。前回は時間の都合もあって入らなかったのだが、華厳寺の歴史とも関係する店である。時代は桓武天皇の時、奥州の役人だった大口大領という人が都で十一面観音を作らせた。大領は出来上がった観音像を引いて郷里に持ち帰るのだが、途中の美濃で像が動かなくなった。大領は、この地こそ十一面観音の結縁の地だとして、ここで修行していた豊然上人とともに寺を建てて観音像を安置した(奥州に持ち帰る話はどうなったのか)。それが華厳寺の由来とされていて、その大口大領の末裔が営んでいるとしているのがこの富岡屋である。

今もご家族経営のようで、ちょうど若女将に甘えている男の子もいる。言い伝えが本当ならこの子も大口大領の末裔となるのか。それはさておき、店の名物である「満願そば」を注文する。単品なら700円のところ、100円追加で定食ができるのでそれにする。この「満願そば」は、『百寺巡礼』で華厳寺を訪ねた作家の五木寛之さんも味わっている。バス停から華厳寺への参道にも、「五木寛之先生紹介の店」という看板もあった。

「満願そば」は、そばの上にニジマス、しいたけ、タケノコが乗った一品である。ニジマスが乗ったのが「精進落とし」ということなのだろうが、そば、つゆ共にしつこくない味で、これまで精進で肉食を断ってきた人が最初の一食目はリハビリのようなものであっさりしたものをいただく・・・という感じである。華厳寺の参道にはしいたけ料理の他には鮎やら鰻やらを食べさせる店が点在するが、昔からの流れとして精進落としは川魚なのだろう。いきなり飛騨牛や近江牛のステーキ・・・は似合わない。

このつゆを飲み干すと、「満願成就」という文字が出てくる仕掛け。

バス停に向けて参道を歩くと、納経軸を扱う店にて、白衣、笈摺姿で手には金剛杖の一団を見かける。バスツアーで西国三十三所を回ってきた人たちだろう。バスツアーにはかつて各旅行会社が「お試しプラン」とも言える第1番の那智山青岸渡寺に日帰りで行くコースに参加したことがあるが、その時の添乗員の話では、札所順に進むに連れて参加者が減るということだった。それが満願札所まで来たということは、バスツアーを重ねてここまで残った仲間意識というのは強いのかなと思う。ツアーの中には、華厳寺の後にそのまま長野の善光寺まで行くのもあるそうだ。

時刻は13時。帰りの時刻だが、谷汲口行きが13時35分発、揖斐行きが14時40分発である。本当は揖斐行きに乗って行きと帰りで変化をつけたかったが、ちょっと時間が空きすぎる。同じルートになるが谷汲口に戻ることにする。

それまで少し時間があるので、名鉄の旧谷汲駅に向かう。1926年から2001年まで走っていた名鉄谷汲線の終着駅である。駅舎は1996年に新たに建てられたが、わずか5年で廃止されたことになる。現在は昆虫館を併設した立ち寄りスポットとして、かつて谷汲線を走っていた車両2両が保存されている。

そのうちの1両が開放されていたので中におじゃまする。レトロな感じの車両は、このままガタゴト揺られてみたい気持ちになるが、ふと車内の温度計を見ると40度・・・滞在1分で外に出る。

行きで見かけた人の多くが同じバスに乗り合わせて、谷汲口に戻る。次の大垣行きは3分後の13時46分発。今度はロングシートの車両だ。

この日の大垣は最高気温が36度だったそうだが、それにしても車内が暑い。一応冷房装置はついているがふた昔前の貧弱な設備で、冷風が感じられない。また、モレラ岐阜や北方真桑で、買い物帰りや部活帰りの高校生、岐阜高専の見学帰りらしい中学生などの乗客が増えて吊り革につかまる人もずらりと並ぶ。一人の学生が「まるで東京(の電車の混雑)みたいやな」と冗談を言っている。いやいや、東京のラッシュはこんなもんやないで。

14時34分、大垣到着の前に運転士が乗り換えなどのアナウンスをしたが、その時に「本日は冷房の効きが悪く申し訳ありませんでした」と言っていた。この暑さでフル稼働して故障したか。「ローカル線も大変やねえ。それでも走ってもらわんとあかんし」という声も聞こえる。

大垣に戻ってきた。大相撲の巡業は見られなかったが、醒ヶ井と谷汲山を回るということは1週間遅れで達成することができた。これから大阪に向けて戻ることにするが、青春18きっぷを持っていながらこのまま東海道線で戻るのもどうかということで、養老鉄道で思い切って桑名に出ることにする。ローカル線に乗ろうということもあるが、ここへ来てある目論見が出てきて・・・。
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第33番「華厳寺」~西国三十三所めぐり2巡目・28(華厳寺への道)

2018年08月06日 | 西国三十三所
醒ヶ井を10時05分発の列車に乗り、関ヶ原を越えて岐阜県に入る。10時32分に大垣に到着。

これから谷汲山を目指すが、前にも書いたように大垣からだと養老鉄道で揖斐、あるいは樽見鉄道で谷汲口まで行き、揖斐川町のコミュニティバスに乗る。1巡目に満願として来た時は前日に大垣に泊まり、早朝の樽見鉄道で谷汲口まで行き、徒歩で谷汲山に向かった。帰りはコミュニティバスで揖斐に出て、養老鉄道に乗っている。

今回は、10時40分発の樽見鉄道に乗る。養老鉄道で行ってもコミュニティバスの便がないことからこの選択だ。ちょうど大垣までの列車が到着したのと同じホームから出発する。専用の窓口で乗車券を購入しようと運賃表を見ると、大垣から谷汲口までは片道670円だ。

・・とそこへ、窓口にお得なきっぷの貼り紙を見つける。「養老鉄道・樽見鉄道谷汲山周遊券」というものだ。先に書いた谷汲山へのアクセスで、養老鉄道、樽見鉄道のどちらで行ってどちらで帰ってもよく、揖斐川町のコミュニティバスが乗り放題となる。華厳寺だけでなく、その先の横蔵寺への往復にも使える。両鉄道による共同商品である。

面白いのはそのきっぷで、鉄道もアピールしているのだが、かつて国鉄で発売していたミニ周遊券をイメージした紙のきっぷである。貼り紙に「限定発売」とあったのは紙のきっぷだからだろう。2枚綴りになっており、1枚目は大垣から「谷汲山自由周遊区間」までということで谷汲口(または揖斐)までの乗車券、そして2枚目がコミュニティバス乗り放題と谷汲口(または揖斐)から大垣までの乗車券となっている。これで発売価格は1000円。谷汲山への鉄道利用増加をもくろむきっぷで、十分に元が取れる。

他にも、樽見鉄道の1日フリーきっぷもあり、根尾谷の断層や、終点樽見からうすずみ温泉に向かうのにも使える。窓口に並んだ人も1日フリーきっぷもしくは谷汲山の周遊券を買い求める人が多い。ボックス席を備えた車両だが、発車間際に乗り込んでくる客も多く、座席がほぼ埋まる形で発車する。この時間で35度近くまで行っているか、進行右側(東側)の窓のカーテンは皆閉められている。

揖斐川の橋梁を渡り、進路を北に向ける。大垣から4駅目の美江寺(みえじ)は中山道の55番目の宿場町である。こちらも幕末に皇女和宮が徳川家茂に嫁いだ時に通ったのをアピールしている。

またこの辺りは柿の栽培が盛んである。さすがに夏のこの暑さで葉っぱがへたっているように見えるが、また秋になれば実をつけるだろう。毎日暑い暑いと言いながらも、もう3~4ヶ月もすれば寒い寒いと震えることになるはずだ。

モレラ岐阜に到着して、半数以上の客が下車して行った。モレラ岐阜は地元の人たちに親しまれている大型ショッピングモールで、下車したのは小さな子どもを連れたママ友や、中高生といったクルマを運転しない人たちがほとんどだが、樽見鉄道にとってはモレラ岐阜への利用客は貴重な収入源である。

本巣で行き違い停車をして、織部焼のふるさとである織部を過ぎると、揖斐川に注ぐ根尾川が出てくる。水遊びや鮎釣りなど、夏の楽しみがある。水の事故には注意しなければならないが、こうした自然の遊びができるのを羨ましく思うところもある。

11時25分、谷汲口に到着。私のほかに8人が下車した。そして、駅前に停まっていた谷汲山行きのコミュニティバスに乗り換える。10分あるのでトイレやタバコ休憩の後で出発する。ちなみにコミュニティバスの運賃は100円。桜や紅葉の時季は混雑するのだろうが、他のシーズンはこんなものだろう。前回は1時間弱かけて歩いた道を、10分足らずで走る。華厳寺の参道を入ったところのバス停に停車する。

バス停から華厳寺まで八丁(一丁は約108メートル)の石碑が立ち、バスを降りた人たちはぞろぞろ歩く。参道の両側は華厳寺の参拝客を当てにした店が並ぶが、この時季は客が少ないのか店の人も手持ちぶさたのようだ。休みなのか閉店したのかわからないような店も目立つ。その中で、納経軸の軸装を承ったり、散華の台紙や本尊御影の額を取り扱う店には足を停める人もいる。私も西国の2巡目では各札所のカラーの本尊御影を集めており、全部揃ったら額に並べるのもいいかなと思っている。その時市販の額を買ってもいいが、こうしたプロの手に委ねるのもありかなとも思う。

仁王門にたどり着いた。本堂まではあと少しだ・・・。
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第33番「華厳寺」~西国三十三所めぐり2巡目・28(醒ヶ井の名水と梅花藻)

2018年08月05日 | 西国三十三所
米原から大垣まで向かう列車。滋賀県の奥深いところを走るようになるが、一つ目に醒ヶ井という駅がある。豊橋まで行く長い列車だが、その一駅目で途中下車する。

醒ヶ井は中山道の61番目の宿場町である。また、ある程度の年齢から上の鉄道旅行好きには知る人ぞ知るスポットであった。というのは、醒ヶ井養鱒場の存在である。

今はもう廃止されたが、その昔は国鉄・JRの旅に「一般周遊券」というのがあった。旅客線を201キロ以上利用し、周遊指定地を2ヶ所以上組み込めば、国鉄・JRの運賃が2割引き、会社線・私鉄線が1割引きになるというものだが、周遊指定地というのは多くが国鉄の駅から会社線・私鉄線に乗り換えて行くところで、実際にそこに行くのならよいが、国鉄の運賃を安く上げて遠くまで行くという人には使いづらいところがあった。ただ世の中には考える人がいるもので、安い、短区間の会社線を「掛け捨て」で組み込み、実際にそこに行かなくても国鉄の割引だけを受けようという裏ワザみたいなものが広まった。その「掛け捨て」周遊指定地として着目された一つが、醒ヶ井養鱒場である。東海道本線上にあり、駅からバスで数分のところにあるところというのが「掛け捨て」に適しているということで、実際は東海道本線でそのまま通過してしまう客がほとんどだったそうだ。今は周遊券、またその流れを受けた「周遊きっぷ」もなくなり、養鱒場へ行くバスも廃止されたようだ。

今回は谷汲山への途中下車であり、養鱒場へは歩いて行くにはちょっと遠いが、宿場町は駅からほど近いところにあるのでそちらに行ってみる。これまで知らなかったのだが、水のきれいなところで訪ねる人も多いところだ。最近テレビの旅番組で取り上げていたのを見て、途中下車に組み込んでみようと思う。

駅から5分ほど歩くと、一本の小川に出る。地蔵川という川で、居醒の清水などから湧き出る清水が流れており、平成の名水百選にも選ばれている。朝から暑い日が続くが、こうした清水を見ると涼しさを感じる。

水面にカメラを向ける人が目につく。その先にあるのが醒ヶ井の見どころである水中花「梅花藻(ばいかも)」。清流、冷水を好む植物で、6月~8月に花を咲かせる。花の色が白やピンクということで、それが梅の花に例えられたのだろう。この清水が数百メートル続く。

また、梅花藻には水生昆虫が寄生し、それを捕食するハリヨという魚が好んで棲家にしているという。ただこの魚も絶滅危惧種で、地蔵川にいるのもイトヨなど他の魚との交雑により純粋なものはいないそうだ。今は研究者たちの取り組みで他の河川で採取したハリヨを研究施設で飼育し、いずれ地蔵川でも復活させたいとしている。水槽にそれらしき魚がいたが、これは純粋なものか雑種なのか。

梅花藻が生えるその脇には、かつての問屋場が保存されている。今はギャラリーとしても活用されており、灯籠のアート展示が行われていた。

醒ヶ井地蔵尊があり、その脇には水汲み場があった。ちょうど水のペットボトルが空になったのでそれに汲む。川の水そのままだが実に澄んでいる。最近見た旅番組では、地元の人たちが川の清掃を行っている様子も映していた。やはりこうした人たちの目に見えない取り組みが自然を支えていて、多くの人たちの目を和ませ、涼しく感じさせているのである。

奥に居醒の清水がある。その横に立つのは日本武尊の像である。その昔、日本武尊が東国征伐に出た折、伊吹山で大蛇を退治したが、その時に大蛇の猛毒で苦しんだ。そこでこの地にたどり着き、清水で身体を洗ったところ、高熱や傷が癒えたという。それが醒ヶ井の地名の由来ともなった。

ここで折り返して再び地蔵川沿いに歩くと、観光客の姿も先ほどから増えたように見える。往年の中山道の旅人たちもこの清水で癒されたことだろう。今もこの清水を使ったコーヒーを出す喫茶店もあれば、老舗の醤油店もある。コーヒーはともかく、醤油は一緒に売られていた鱒の缶詰や鮒寿司とともに土産物で購入する。

かつての郵便局の建物が資料館となっており、帰り際に立ち寄る。中山道の宿場町ということで、幕末に和宮が江戸に嫁ぐ時に通った時の史料や、鉄道駅誘致を願う史料などが展示されている。

少し途中下車するのに適したところだった。まだ次の列車まで時間があるので、駅前にある「水の駅」にも立ち寄る。地場の野菜や滋賀名物が売られていたり、ここでも清水を汲むことができる。

今度は他の中山道の宿場町や、かつての周遊指定地だった養鱒場と合わせてもまた来てみたいところだった。ここから改めて大垣、谷汲山を目指すことに・・・。
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第33番「華厳寺」~西国三十三所めぐり2巡目・28(ともかく、美濃に行こう)

2018年08月04日 | 西国三十三所
タイトルに西国33番、満願の寺で知られる華厳寺が出たものだから、この2巡目も満願達成か?と思われる方もいらっしゃるかもしれない。

しかし2巡目はまだまだ終盤戦で、華厳寺を含めるとまだ7ヶ所残っている。京都市内に4つ、姫路に1つ、近江に1つ、そして華厳寺である。それでいて、先に谷汲山華厳寺に行ってしまおうというのである。

私の中では、くじ引きやサイコロで順番を決めていたものの、初めての時はやは33番で満願ということにした。それが2巡目になると、それらの縛りもなくなり、何かのタイミングとか、他の札所めぐりと重なっているとか、柔軟性を持たせている。

今回華厳寺に行くことにした事情だが、1週間前にさかのぼる。東から西へ抜けるといういびつな動きをした台風12号。7月29日に大垣で開催の大相撲の巡業を観に行く予定にしていたが、台風が本州を横断するので大事をとって大垣行きそのものを断念した。

その前日の28日に行こうとしていたのが谷汲山華厳寺である。どうせ近くまで行くのだから前日に訪れて、その夜は大垣に宿泊することにしていたが、これも断念した。28日の日中時点では台風はまだ東海地方に来ておらず、結果論でいえば特に支障なく行けたのではないかと思う。

さて、そんな状況だったが、青春18きっぷは残っているし、せめて28日から1週間延期の形で華厳寺だけには行こうと思う。8月4日のこと。

華厳寺には樽見鉄道の谷汲口、もしくは養老鉄道揖斐線の終点揖斐からバスで向かう。どちらから行くかはさておき、いずれの鉄道も大垣が起点で、まずはそちらを目指す。大阪から東に向かうのにもっとも早い時刻の6時21分の米原行きに乗る。車内は青春18で遠方に向かう人、そして地元の通勤通学が混在する。西日本豪雨で多くの区間が不通になっているためか、この夏は青春18で西へ向かう流れは低調になるのではと言われている。

米原に到着。次の8時25分発の新快速豊橋行きは同じ8両ということで大きな混雑とはならず出発。とりあえず各駅に停まりながら大垣を目指す。

・・・とそんな中だが、そのまま大垣には向かわない。この機会なので、これまで降りたことがないある駅で途中下車しようかと・・・。
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村田修一、NPB復帰かなわず引退へ

2018年08月01日 | プロ野球(独立リーグほか)
7月31日がNPBの新選手獲得、トレードの期限となり、各球団の陣容はこれで固まった。同時に、育成選手からの支配下登録も終了である。

独立リーグに目を向けると、福井ミラクルエレファンツの岩本輝(元阪神)が7月に急遽オリックス・バファローズに入団。早速中継ぎで登板となる。7月31日はリードされた場面で登板して1回無失点。その直後に逆転して勝ち投手の権利を得たが、終盤に再逆転されてチャンスを逃したのは残念だった。ただ、リリーフ陣に疲れが見えて登録抹消が出る中で、岩本にとってはチャンスだろう。これからも頑張ってほしい。

一方で、昨年限りでジャイアンツを自由契約となり、今季は栃木ゴールデンブレーブスでプレーしていた村田修一が、7月31日の期限になってもNPB球団からオファーがなかったことを受けて、今季限りの「引退」を表明した。正確には、来季また再挑戦するかはわからないにしても、今季でオファーがないのに来季ならあるという可能性はほぼゼロだろう。

ずっとセ・リーグでプレーしていたので球場での生のプレーを観る機会はほとんどなかったが、一発を打てる実力はある選手。今季の栃木での成績は評価が分かれるところだが、やはりプロの目から見ると獲得するには足りなかったということなのだろう。若手を起用するとか、ポジションが限られているとか、(一部記事では)性格に難ありとかも絡んでのことである。

打撃がそこそこ期待できるならバファローズも獲得を検討してはどうかと個人的には思ったが、故障で欠いているとは言え中島や小谷野がいるのなら完全にかぶってしまうなと。

NPB復帰はかなわなかったが、今季は最後まで栃木でプレーするという。それならば、9月の初めに組まれている福井、滋賀の遠征には来るのだろうか。BCリーグでも地区が異なるため相手の本拠地への遠征は1試合ずつしかない。別に村田修一のファンというわけではないが、これはどちらかの試合には行きたいものだ。

これからの試合の中で、村田も自分の今後の進路を考えるだろうし、NPB経験者である他球団の監督やコーチからもアドバイスがあるかもしれない。指導者のキャリアを積むということなら独立リーグもやりがいがあると思うし、体が動くなら兼任プレイヤーという方法もある。独立リーグからNPBにコーチとして復帰した例もたくさんあるし、そうした経験を積んだ後なら、古巣ベイスターズの監督の声もあるのではないだろうか?(さすがに持ち上げ過ぎか)

「男」村田のこれからが問われる夏から秋になると思う・・・。
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