予讃線のみの駅から第71番の弥谷寺に向かう歩き。本堂まで残り八丁となる大師堂を過ぎ、徒歩用(クルマも通ろうと思えば通れる)の参道を歩く。両側には四国のお砂踏みということでいくつもの本尊の石像が並んでいる。
坂を上りきると道の駅「ふれあいパークみの」に着く。時刻は7時40分、駅から50分ほど歩いただけだが大汗をかいて暑く感じる。弥谷寺へは540段の階段を上る必要があり、その前に一休みとする。この先大丈夫だろうか。
道の駅から少し上がったところに寺への上り口がある。改めて気合いを入れて階段に挑む。
まず現れたのは工事用のフェンスでふさがれた木造の建物。かつて「俳句茶屋」で親しまれた建物である。弥谷寺を参拝した人たちが休憩するところで、休憩した人たちが俳句を詠むことで知られていた。有名人や外国人も俳句を詠み、その短冊が店先に飾られている画像を見て、俳句を詠む自信はないがどんなものか見てみたいと思っていた。しかし、このフェンスである。調べてみると今年になって閉店したそうで、店主が亡くなったこと、そして建物の老朽化によるものだとある。閉店は仕方ないとしても、たくさんあった俳句の短冊はどこに行ったのだろうか。こういう店なので、誰かが代替わりで営業再開するとか、そういう話はあるのかな。
山門をくぐって石段に挑む。540段とはいうが一気に上るわけでもなく、また途中には菩薩像と手水場があるちょっとしたスペースもある。ただここで休憩し、自動販売機があったので水を買って飲み干す。暑いのは暑いのだが、自分でも給水、休憩のペースが早いように思う。この日着ていたのは吸汗、速乾、冷感というキャッチコピーがついたインナーシャツなのだが、普段以上の大汗になっている気がする。
ここから赤い欄干の108段の階段となる。これまでが古くからの石段という感じだったが、コンクリート造りのしっかりした階段である。108という数字の解説があり、もちろん煩悩の数ということもあるが、「十二ヶ月+二十四節気+七十二候」の合計で1年を表すとか、四苦八苦(四×九+八×九)を落とすという意味もある。四苦八苦はこじつけだと思うが、108というのはさまざまなものの様子、要素を表す数字といっていいだろう。
これを上ったところにあるのが大師堂だが、本堂はさらに境内を抜けて合計160段ほど上る必要がある。
まずは本堂を目指すことになるので大師堂の前は素通りして、多宝塔や観音堂、十王堂、護摩堂などを過ぎる。前方には岩が迫っており、ところどころには穴が開けられていて仏らしい石像が見える。その中で大きなのが阿弥陀三尊磨崖仏。かつて弘法大師だけではなく、さまざまな修験者の修行の場だったのだろうか。
弥谷寺の開創は奈良時代、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立したことによるという。ただそれ以前からも霊山として信仰を集めていたとされている。
そしてようやくたどり着いた本堂。本堂の前からは三豊平野が見える。ガスがかかっているが、結構な高さを上って来たのがわかる。暑い中それだけ上ったのは上ったにしても、途中で何回か休憩するなどいつもとは違う感じがする。ちょうど本堂を向くようにベンチが置かれていて、そこにどっかりと腰を下ろす。普段なら本堂の正面から少し横にずれたところに立ってお勤めするのだが、この時はそのベンチに座ったまま経本を読む。それぐらいしても怒られることはないだろう。
再び石段を下り、大師堂に向かう。その前に最近建てられた感じの大黒天がある。この七ヶ所まいりは札所それぞれに七福神が割り当てられている。別に弘法大師と七福神が関係するわけでもないようで、要は七福神まいりもできますよということで七ヶ所まいりがPRされたのではないかと思う。弥谷寺になぜ大黒天かというのもあまり深い意味はないだろう。
この大師堂は珍しく靴を脱いで上がる。正面に祭壇があり、ここで二度目のお勤めである。さらに建物の奥に進むと、奥の院「獅子之岩屋」がある。
この岩屋こそ、弘法大師が少年時代に学問を励んだところとされている。寺ができた時から岩屋の奥に経蔵があり、弘法大師は岩屋の窓から差し込む明かりで経典を勉強したという。洞窟と祭壇が一体化しており、岩屋に続くようにして大師堂の建物がある感じである。祭壇の前の畳に座ると一瞬ひんやりした空気が流れてくる。何やら不思議な感覚がする。
納経所は大師堂の中にある。ここで通常の朱印をいただき、合わせて七福神の大黒天のカラー御影を求める。今回は七ヶ所まいり、七福神の御影を揃えることにする。七ヶ所まいりの専用台紙というのがあり、七福神(各札所の本尊でもよい)と中央に弘法大師の御影を揃えて飾ることができる。今回訪ね終えたところでこれらが揃う形になる。弘法大師の御影は善通寺でしかいただけないが、専用台紙はいずれでも求めることができるそうで、道隆寺に行ったら台紙を求めるとしよう。
石段を下りて寺の入口に戻る。ちょうど前方から白衣や笈摺姿の30人ほどの団体がやって来た。バスでの遍路ツアーの皆さんだろう。バスは道の駅に停めてここまで上がって来た感じで、今度は小型のバスに乗り継いで行った。この送迎バスに乗れば大師堂のところまで一気に行けるそうだ。
境内で休んだこともあり、1ヶ所を終えたばかりなのに時刻はすでに9時前。次の72番曼荼羅寺へは4キロほどだが、この間に公共交通機関の便はなく、歩くしかない。汗ですでにタオルもぐしゃぐしゃになっていて早くも次のものを出すが、この先大丈夫だろうか。いささか不安に感じながらも歩きのルートを進むことに・・・。
坂を上りきると道の駅「ふれあいパークみの」に着く。時刻は7時40分、駅から50分ほど歩いただけだが大汗をかいて暑く感じる。弥谷寺へは540段の階段を上る必要があり、その前に一休みとする。この先大丈夫だろうか。
道の駅から少し上がったところに寺への上り口がある。改めて気合いを入れて階段に挑む。
まず現れたのは工事用のフェンスでふさがれた木造の建物。かつて「俳句茶屋」で親しまれた建物である。弥谷寺を参拝した人たちが休憩するところで、休憩した人たちが俳句を詠むことで知られていた。有名人や外国人も俳句を詠み、その短冊が店先に飾られている画像を見て、俳句を詠む自信はないがどんなものか見てみたいと思っていた。しかし、このフェンスである。調べてみると今年になって閉店したそうで、店主が亡くなったこと、そして建物の老朽化によるものだとある。閉店は仕方ないとしても、たくさんあった俳句の短冊はどこに行ったのだろうか。こういう店なので、誰かが代替わりで営業再開するとか、そういう話はあるのかな。
山門をくぐって石段に挑む。540段とはいうが一気に上るわけでもなく、また途中には菩薩像と手水場があるちょっとしたスペースもある。ただここで休憩し、自動販売機があったので水を買って飲み干す。暑いのは暑いのだが、自分でも給水、休憩のペースが早いように思う。この日着ていたのは吸汗、速乾、冷感というキャッチコピーがついたインナーシャツなのだが、普段以上の大汗になっている気がする。
ここから赤い欄干の108段の階段となる。これまでが古くからの石段という感じだったが、コンクリート造りのしっかりした階段である。108という数字の解説があり、もちろん煩悩の数ということもあるが、「十二ヶ月+二十四節気+七十二候」の合計で1年を表すとか、四苦八苦(四×九+八×九)を落とすという意味もある。四苦八苦はこじつけだと思うが、108というのはさまざまなものの様子、要素を表す数字といっていいだろう。
これを上ったところにあるのが大師堂だが、本堂はさらに境内を抜けて合計160段ほど上る必要がある。
まずは本堂を目指すことになるので大師堂の前は素通りして、多宝塔や観音堂、十王堂、護摩堂などを過ぎる。前方には岩が迫っており、ところどころには穴が開けられていて仏らしい石像が見える。その中で大きなのが阿弥陀三尊磨崖仏。かつて弘法大師だけではなく、さまざまな修験者の修行の場だったのだろうか。
弥谷寺の開創は奈良時代、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立したことによるという。ただそれ以前からも霊山として信仰を集めていたとされている。
そしてようやくたどり着いた本堂。本堂の前からは三豊平野が見える。ガスがかかっているが、結構な高さを上って来たのがわかる。暑い中それだけ上ったのは上ったにしても、途中で何回か休憩するなどいつもとは違う感じがする。ちょうど本堂を向くようにベンチが置かれていて、そこにどっかりと腰を下ろす。普段なら本堂の正面から少し横にずれたところに立ってお勤めするのだが、この時はそのベンチに座ったまま経本を読む。それぐらいしても怒られることはないだろう。
再び石段を下り、大師堂に向かう。その前に最近建てられた感じの大黒天がある。この七ヶ所まいりは札所それぞれに七福神が割り当てられている。別に弘法大師と七福神が関係するわけでもないようで、要は七福神まいりもできますよということで七ヶ所まいりがPRされたのではないかと思う。弥谷寺になぜ大黒天かというのもあまり深い意味はないだろう。
この大師堂は珍しく靴を脱いで上がる。正面に祭壇があり、ここで二度目のお勤めである。さらに建物の奥に進むと、奥の院「獅子之岩屋」がある。
この岩屋こそ、弘法大師が少年時代に学問を励んだところとされている。寺ができた時から岩屋の奥に経蔵があり、弘法大師は岩屋の窓から差し込む明かりで経典を勉強したという。洞窟と祭壇が一体化しており、岩屋に続くようにして大師堂の建物がある感じである。祭壇の前の畳に座ると一瞬ひんやりした空気が流れてくる。何やら不思議な感覚がする。
納経所は大師堂の中にある。ここで通常の朱印をいただき、合わせて七福神の大黒天のカラー御影を求める。今回は七ヶ所まいり、七福神の御影を揃えることにする。七ヶ所まいりの専用台紙というのがあり、七福神(各札所の本尊でもよい)と中央に弘法大師の御影を揃えて飾ることができる。今回訪ね終えたところでこれらが揃う形になる。弘法大師の御影は善通寺でしかいただけないが、専用台紙はいずれでも求めることができるそうで、道隆寺に行ったら台紙を求めるとしよう。
石段を下りて寺の入口に戻る。ちょうど前方から白衣や笈摺姿の30人ほどの団体がやって来た。バスでの遍路ツアーの皆さんだろう。バスは道の駅に停めてここまで上がって来た感じで、今度は小型のバスに乗り継いで行った。この送迎バスに乗れば大師堂のところまで一気に行けるそうだ。
境内で休んだこともあり、1ヶ所を終えたばかりなのに時刻はすでに9時前。次の72番曼荼羅寺へは4キロほどだが、この間に公共交通機関の便はなく、歩くしかない。汗ですでにタオルもぐしゃぐしゃになっていて早くも次のものを出すが、この先大丈夫だろうか。いささか不安に感じながらも歩きのルートを進むことに・・・。