













別にこのタイミングで華厳寺に来たことをしくじったとは思わないが、もし「3巡目」をやるのなら、やはりここは最後に来ることにしよう。そんなことを思いながら、経本を取り出してお勤めとする。
















この先には山道を40分歩いて奥の院があるのだが、やはりこの暑さである。今回も奥の院はいいかなということでここで折り返しとする。再び本堂の外陣に行くと、どうやら祈祷してもらったかお守りか護符かをいただいたようだが、先ほどの老女がまだ何か食ってかかっている。こりゃ、西国一つずつよりは現代医療のナントカメンタルクリニックに行ったほうがよさそうだな・・・。



今もご家族経営のようで、ちょうど若女将に甘えている男の子もいる。言い伝えが本当ならこの子も大口大領の末裔となるのか。それはさておき、店の名物である「満願そば」を注文する。単品なら700円のところ、100円追加で定食ができるのでそれにする。この「満願そば」は、『百寺巡礼』で華厳寺を訪ねた作家の五木寛之さんも味わっている。バス停から華厳寺への参道にも、「五木寛之先生紹介の店」という看板もあった。



バス停に向けて参道を歩くと、納経軸を扱う店にて、白衣、笈摺姿で手には金剛杖の一団を見かける。バスツアーで西国三十三所を回ってきた人たちだろう。バスツアーにはかつて各旅行会社が「お試しプラン」とも言える第1番の那智山青岸渡寺に日帰りで行くコースに参加したことがあるが、その時の添乗員の話では、札所順に進むに連れて参加者が減るということだった。それが満願札所まで来たということは、バスツアーを重ねてここまで残った仲間意識というのは強いのかなと思う。ツアーの中には、華厳寺の後にそのまま長野の善光寺まで行くのもあるそうだ。
時刻は13時。帰りの時刻だが、谷汲口行きが13時35分発、揖斐行きが14時40分発である。本当は揖斐行きに乗って行きと帰りで変化をつけたかったが、ちょっと時間が空きすぎる。同じルートになるが谷汲口に戻ることにする。












この日の大垣は最高気温が36度だったそうだが、それにしても車内が暑い。一応冷房装置はついているがふた昔前の貧弱な設備で、冷風が感じられない。また、モレラ岐阜や北方真桑で、買い物帰りや部活帰りの高校生、岐阜高専の見学帰りらしい中学生などの乗客が増えて吊り革につかまる人もずらりと並ぶ。一人の学生が「まるで東京(の電車の混雑)みたいやな」と冗談を言っている。いやいや、東京のラッシュはこんなもんやないで。
14時34分、大垣到着の前に運転士が乗り換えなどのアナウンスをしたが、その時に「本日は冷房の効きが悪く申し訳ありませんでした」と言っていた。この暑さでフル稼働して故障したか。「ローカル線も大変やねえ。それでも走ってもらわんとあかんし」という声も聞こえる。
大垣に戻ってきた。大相撲の巡業は見られなかったが、醒ヶ井と谷汲山を回るということは1週間遅れで達成することができた。これから大阪に向けて戻ることにするが、青春18きっぷを持っていながらこのまま東海道線で戻るのもどうかということで、養老鉄道で思い切って桑名に出ることにする。ローカル線に乗ろうということもあるが、ここへ来てある目論見が出てきて・・・。
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