まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

山陽本線の運休長期化

2018年07月12日 | ブログ
平成30年7月豪雨は200人を超す死者が出る惨事となり、避難した人たちもいつまで避難生活が続くのかというところである。

そんな中、多くのJR線が運休しているが、もっとも影響が大きいのが山陽本線である。笠岡~海田市、岩国~徳山間が運休である。旅客への影響はもちろん大きいが、それよりも大変なのは貨物輸送である。1日3万トンの輸送量があり、コンテナ列車が各地を結んでいるが、それが線路の上を走れなくなっている。JR貨物は豪雨後の受託を止めていたが、12日からトラック、貨物船での代行輸送を行うとした。ただそれでも1日3千トンが限界のようで、そうなると何を優先して運ぶかも問題になってくる。鉄道は普通に走って当たり前という感覚は通運業者にも顧客にもあるため、この辺りの調整は難しい。私もかつてこの業務に従事していた時、台風、豪雪、信越の地震などで調整に悩んだ経験がある。まあ、台風や豪雪は数日で解消されるし、地震の時は太平洋側の迂回などで何とかなったが、今回の事象は東日本大震災以来、あるいはそれ以上のダメージになりそうだ。

中国地方ということで「山陰本線回りでは走れないのか」との声もある。ただ、設備が貧弱なこともあり、かなり前にJR貨物も事業認可を返上している。なかなか思うようにいかないものだ。

こうなると日本各地の生産活動、経済活動にも影響するところで、何とか最小限で止まってほしいものである・・・。
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『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第10日(釜石~郡山)

2018年07月10日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。第10日目は岩手の釜石から始める。『最長片道』では気仙沼からのスタートなので、行程で言えば半日近く遅れて進んでいる形になる。『最長片道』では盛岡からの急行「そとやま」の車中である。

2018年版では釜石を早朝5時45分に出発。机上旅行だからというわけでもないが、実際の旅行でもこうした早朝の列車に乗ることはある。本当はもう一本早い5時19分発というのがあるが、さすがにそれは早すぎるか。最長片道切符の旅は途中下車を楽しむというよりは、とにかく乗ることを主としている。また早朝に出ることで、その後の接続が上手くいくこともある。

釜石からは内陸を行く釜石線に乗車する。釜石線は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の舞台ともされる路線で、「銀河ドリームライン」の愛称もついている。最近では「SL銀河」号も運転されており、人気のローカル線の一つである。陸中大橋からはヘアピンカーブを描きながら勾配を上る。上りきった鉄橋の下に陸中大橋の駅が見えるという車窓だ。

柳田國男の『遠野物語』で知られる遠野を通過。こちらは昔に岩手の伝統的な農家である「曲がり屋」を訪ねたことがある。『遠野物語』は一度読んだかな。ただ明治時代の作品で文語調ということもあり、その時はちょっと頭に残らなかったかな。今また読めば違った感想を持つかもしれない。

7時53分、花巻に到着。6分の接続で東北本線の一ノ関行きの鈍行に乗る。途中には世界遺産の平泉も通る。世界遺産といえば2018年には長崎、熊本両県の「潜伏キリシタン」関連のスポットが新たに登録されたが、年々、日本人でもよく知らないようなスポットが登録されることが多いように思う。一方で、私も巡っている「四国遍路」は、世界遺産登録に向けた声掛けは行われているが全然手ごたえがないようだし、地元藤井寺も含まれる百舌鳥・古市古墳群もどのように評価されるのだろうかというところだ。

こちら平泉は奥州藤原氏の本拠地として栄えたというのはあるにしても、観光スポットとしては中尊寺金色堂、毛越寺が残るくらいである。訪ねた時、確かに金色堂は鮮やかだったが、毛越寺は大きな池のある寺というよりは庭園という印象で、これが世界遺産というのはなぜかという感想を持ったように思う。現世における浄土思想を表現したことが評価されたとあるが、平泉の観光協会は、仏教関係の寺院なら奈良や京都、日光とある中で平泉が世界遺産に登録された理由として、「中尊寺建立供養願文」に込められた思いというのを挙げている。その願文には、奥州藤原氏が興る元となった前九年、後三年の役の戦いで多くの命が奪われたことに対して、敵味方の区別なく御霊を悼んで供養するということが書かれている。戦いのない世の中を作り、平和を願うという思想が世界から認められた・・・とある。

『最長片道』では、盛岡からおよそ5時間20分かけて急行「そとやま」で14時16分に花巻に到着。その後は14時26分発の鈍行で一ノ関まで行き、16時28分発の大船渡線に乗る予定にしていたが、14時09分発の「はつかり8号」がちょうど遅れて花巻に到着したので喜んで乗り換えている。この特急に乗ることで、一ノ関から1本早い15時08分発の大船渡線の列車に乗り換えることができ、そのぶん明るいうちに気仙沼に着くからである。

大船渡線は「ドラゴンレール」という愛称がついている。別に竜にゆかりがあるわけではなく、クネクネと曲がった路線の形が竜に似ていることからその名がついている。それが目立つのは途中の陸中門崎~摺沢~千厩の間で、まっすぐ東に向かえばよいものを、東~北~東~南~東と20キロほど遠回りして走っている。時の有力者の権力の綱引きのために路線が捻じ曲げられ、また戻ってという背景がある。地図でこの区間の路線図を見ると鍋の弦の形に似ているので「ナベヅル路線」と呼ばれている。ただ時代が下って「ドラゴンレール」とは平和的な名前である。

気仙沼に到着。こちらもまたリアルに訪ねてみたい町の一つである。東日本大震災の直後に、まだ津波の爪痕が生々しく残り、ヘドロの臭いをする町の中心部を訪ねたことがある。またその後の復興の様子を見たいし、海の幸を味わいたいところだ。『最長片道』では宮脇氏は第9日を気仙沼で終えており、翌日早朝にタクシーで魚市場を見に行っている。漁港に並んだマグロに感心していると、漁船の元乗組員だった運転手から「船長知ってるから一本買ってか」と言われたとある。

さて気仙沼からは気仙沼線に乗り換えるが、ここから先に「線路」はない。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた気仙沼線は、「線路」での復旧を断念して、その線路跡を活用したBRT(バス高速輸送システム)での存続となった。

『最長片道』では第10日の最初の列車として気仙沼線に乗っているが、昔から津波に襲われることが多かったことにも触れている。特に志津川は津波のたびに交通が途絶して食糧危機に陥るので、鉄道敷設の願望が非常に強かったとしている。政治の綱引きや戦時体制のためになかなか実現しなかったが、1957年に北側の気仙沼~本吉間、1968年に南側の前谷地~柳津間が開通し、最後は1977年に本吉~志津川~柳津が開通して全線開業となった。宮脇氏は『時刻表2万キロ』の最後の章で、この気仙沼線の新線の開業日に乗ったことを記している。

この志津川は、津波で町役場職員の悲劇を生んだ南三陸町の中心駅である。せっかくの「線路」も津波のためになくなってしまったのは残念だ。ただ、BRTに揺られながら、新たな町づくりに取り組む景色というのを見ることはできるだろう。

前谷地に到着。石巻線で目指すのは石巻である。こちらも被災地の一つである。心情としては同じく津波で町が呑み込まれてしまったその先の終着駅である女川にも行きたいところだが、最長片道切符の旅はそのまま仙石線に乗り換えとなる。何だかこう書き綴って来ると、三陸というところをリアルにもう一度訪ねてみたい、そういうチャンスはあるかなという気になってしまう。

石巻からは仙石線に乗る。途中には日本三景の一つ、松島も経由するが、もちろん途中下車はなしでそのまま走る。なお、東北本線の塩釜と仙石線の高城町との間には新たに仙石東北ラインというのができている。1時間に1本程度の運転だそうだが、路線図に載っているからには「乗りつぶし」の対象となる。これも元・JR全線乗りつぶしの経験者としてはリアルに行かなければならない区間である。

そろそろ夕方近くなり仙台に到着。次の日程を考慮して、この先東北本線でそのまま行ってしまう。『最長片道』の時はまだ東北新幹線が開通していないため、仙台から福島まで特急、福島から郡山までは鈍行と使い分けて乗っている。その所要時間はおよそ2時間半。一方で2018年版は快速「仙台シティラビット6号」で福島まで行き、福島から郡山までは鈍行で行く。仙台が16時06分発で、乗り継いで到着の郡山は18時12分。40年前の特急~鈍行乗り継ぎよりも短い時間で到着している。もっとも『最長片道』の時は、福島からの鈍行に乗って途中の松川で19分停車し、2本の特急にまとめて抜かれるということがあった。2018年版は特急はみな新幹線となり、在来線で通過待ちの停車というのはなくなった。また、車両も当時の客車列車と最新型の電車という違いがあり、そもそものスピードに差があるということだろうか。

第10日は夕暮れの郡山で終了。『最長片道』では同じ第10日はこの先水戸まで進んでいる。その差はなかなか縮まらない・・・。

※『最長片道』のルート(第9日続き、第10日)
(第9日続き)盛岡8:58-(急行「そとやま」)-14:16花巻14:09-(特急「はつかり8号」遅れのため乗車できた)-一ノ関15:08-(大船渡線)-16:45気仙沼
(第10日)気仙沼7:10-(気仙沼線)-9:05前谷地9:27-(石巻線)-石巻10:10-(仙石線)-11:14仙台11:28-(特急「やまびこ6号」)-福島12:37-(東北本線)-14:01郡山・・(以下次回)

※もし行くならのルート(第10日)
釜石5:45-(釜石線)-7:53花巻7:59-(東北本線)-8:50一ノ関9:09-(大船渡線)-10:34気仙沼11:05-(気仙沼線BRT)-13:32前谷地13:53-(石巻線)-14:12石巻14:24-(仙石線)-15:50仙台16:06-(快速「仙台シティラビット6号」)-17:20福島17:24-(東北本線)-18:12郡山
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バファローズに新入団とトレード話

2018年07月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
このたびの西日本の豪雨災害は「平成30年7月豪雨」と命名されたそうだ。平成最後の年も災害で語られることになった。この平成という時代は、その願いもむなしく毎年のように大きな自然災害、人災に見舞われた時代と総括されるのだろう。

タイガースのポスターだったか、「平成最後の覇者」を目指すような言葉があったかな。そのタイガースは9日から広島でのカープ戦。しかし豪雨災害の影響により3連戦は中止となった。

これは仕方ないだろう。マツダスタジアムそのものは被害がなかったとしても、周りでは甚大な災害で、4年前の安佐地区の集中豪雨よりも交通機関への影響は大きい。選手は新幹線で来れても道具は届くのか、またスタッフや売店も揃わないだろう。観客も来るどころではないだろう。とりあえずはオールスター戦も挟むが、その次の試合はできるのだろうか何とも言えない。東日本大震災の時は、まだシーズン前だったから仙台でのイーグルスの試合を他に振り替えることができたが(甲子園でのイーグルス対バファローズ戦というのもあった)。

そのバファローズ、前半の終わり、7月末のリミットの前に補強に動く。まずはアメリカ3A投手のローチを獲得。先発陣がこのところ苦しむ中での補強や、外国人のスペアということで彼らに危機感を持たせようということのようだ。

個人的には驚いたのは、BCリーグの福井ミラクルエレファンツから岩本を獲得したこと。元々高卒でタイガースに指名されたくらいだから素質はあったわけだが、昨年から福井の一員として投げていた。昨年は主に先発だったが、今年はセットアッパーとして登板。先週1日の敦賀での試合でも、バファローズから福井に派遣された神戸の後を受けて1イニングを簡単に抑えていた。

これは福井球団の売り込み作戦と言われている。NPB出身の選手はシーズン途中でも復帰の形で入団することができるが、それならばNPBで求められるであろう「短いイニングなら力強く抑えることができるところ」をアピールしたほうがよいとの起用である。確かに、独立リーグ出身・経由の日本人投手はNPBでは先発よりも中継ぎ、抑えで登板しているのが多い。

そこに、このところドラフト指名や選手派遣でつながりができてきたバファローズが目に止めたのだろう。いきなりの支配下登録である。本来ならば今いる育成選手たちが支配下登録を勝ち取らなければならないのだろうが、若手の奮起にも期待する。こういうのがあると、また独立リーグも観に行くのが楽しみである。

・・・というところまで書いて、さらにびっくりのトレード。ベイスターズから捕手の高城、内野手の白崎を獲得という。そしてその相手が、捕手の伊藤光、投手の赤間というのに驚く。

伊藤もかつては正捕手、2014年にあとわずかで優勝を逃した時の涙は忘れられない。しかし福良監督とは合わなかったようで昨年からほとんど出番なし。ファンの中からもトレードに出してあげれば・・という声もあったようだ。そこに目をつけたのが、捕手3人制で競わせながらも要が決まらないベイスターズということか。ラミレス監督に乞われたという話もあるようで、打者の補強として意外性のある白崎をつけ、2対1も何だからというので赤間がついたのかな。で、赤間が出ることになるから先ほどの岩本を獲得となり、その代わりで先に神戸が派遣されて・・ここまで書くと何が話の発端だったのかわからなくなるが、企業の人事異動にも似たような図式はいくらでも当てはまる。

バファローズ、ベイスターズとも首位からのゲーム差は広がっているがまだまだ巻き返し可能である。今回移籍、入団した選手たちがそれぞれ活躍しますように・・・。

(追記)伊藤光といえば、今年1月にバファローズの「お年玉プレゼント」というのがあり、バファローズ選手のユニフォームやサイン色紙(どの選手かはお楽しみ)が当たるというので応募したら、色紙が送られてきた。そこには「優勝」の2文字があったのだが、はかなくもバファローズでは叶わなかった。まだ若いながらも経験は豊富なので、若手の多いベイスターズの選手たちを引っ張る活躍を期待したい。
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数十年に一度の豪雨災害

2018年07月08日 | ブログ
ここまでの大変な災害になるとは思わなかった。

先週後半から西日本を襲った豪雨。6日の時点では関西でも多くのJR、私鉄が運休となり、通勤通学に大きな影響が出たところで、私の勤務先も午後には「勤務解除」にともなう早い帰宅を促された。この時は、まあ、大雨も大変、九州のほうもまた災害に遭わなければ・・というくらいの思いだった。

それが7日になると、朝から広島、愛媛、岡山を中心により大変なことになっていた。テレビで広島の各地の様子が映し出されると「またか・・」という光景に愕然とした。2014年8月に広島市の安佐南区、安佐北区で豪雨のため大規模な土砂崩れが発生し、74人が亡くなったが、その光景を思い出した。両区は昔広島勤務時代に営業で担当したことがあるエリアで、特に被害の大きかった八木地区はよく出入りしていたから余計にそう思った。その時は被害が発生したエリアは限られたものだったが、今回は広島県内の各地で住宅地が土砂で埋まったり、また死者も多く出たことでより大きな災害だと言える。

また、倉敷の真備町では小田川の堤防が決壊して広い範囲で水浸しになった光景も衝撃だった。岡山といえば自然災害をあまり受けないイメージがあった。家屋の屋根の上や、井原鉄道の高架線に避難して救助を受ける人たちもいた。

被害の状況がわかるにつれ、時間を追うごとに死者の数も増えた。7日朝のニュースでは、死者が50名を超え、まだ行方不明者も多数いるという。何とも痛ましい。ご冥福とお見舞いを申し上げます。

交通各線にも大きな影響が出ており、関西では神戸電鉄、山陽電鉄での土砂流入、また広島のJR各線でも土砂流入があった。その中で、芸備線の鉄橋が根こそぎ流されたのには驚いた。これは一から架けなければならず、数か月、あるいは年単位での運休という事態になりそうだ。

また、高知でも高知自動車道の橋桁が流され(通行止めにしていたので被害者がなかったのは幸い)、こちらも復旧に相当の時間がかかりそうだ。

大雨のピークは過ぎたが、まだまだ土砂災害の危険性は残っているし、当面は安心できないが、1日も早い復興を願うばかりである・・・。
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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第9日(米沢~釜石)

2018年07月07日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。このシリーズはあくまで机上旅行のため、別に毎日旅行記として更新しなければならない・・というものではない。ここに来て、私の勤務先企業で大きな不祥事(隠蔽)が発覚したり、西日本で数十年に一度の大雨が降ったりと、そちらのほうに気が向いたりしたこともあった。

北海道の広尾を出発して通算9日目は米沢から出発する。『最長片道』では、8日目終了時点で秋田県に戻った横手まで行っているので、まずはそれを追いかけることにする。『最長片道』では米沢16時09分発の特急「つばさ3号」で一気に横手に向かっている。途中、蔵王山を見る区間を走るが、あいにくの天気で山を見ることはできなかったようだ。また、特急の車内に酒類だけを積んだワゴンの車内販売がやって来た時に、「ぼくに水割り頂戴!」と元気よくワゴンを呼び止める声がした。その声が妙に高いので宮脇氏が振り返ってみると注文の主は女の子だった・・・という件がある。

「水割りをくださ~い」で始まる堀江淳さんのヒット曲『メモリーグラス』がヒットするのは1981年のことで、『最長片道』とは関係のない話だが、そのやり取りを見ると、この「女の子」は堀江淳さんのような人だったのかなと勝手に想像する。当時の特急には水割りが売っていたのだろうか。2018年版では特急でも車内販売が乗ることのほうが少なく、またウイスキーといっても売るのは缶入りのハイボールだろう。

で、2018年版では第8日に米沢に泊まった後でどうするか。ご案内の通り、奥羽本線のうち福島から米沢、山形を経由して新庄までの区間は山形新幹線として、狭軌の奥羽本線を広軌にすることで東京まで直通する新幹線が走っている。一方で新庄から大曲までは鈍行のみのローカル区間になった。その先も、大曲から秋田までは秋田新幹線として、そして秋田から青森までは特急も鈍行も走る区間ということで、路線そのものが結構ズタズタにされた感じである。

ローカル区間である新庄から大曲までの区間を走るなら、新庄10時18分発の鈍行になる。その前は7時台の発車なので、米沢からだと間に合わない。これを逆手にとって、新庄にそれまでの時間に着くように移動するということで、もっともゆったり発車となる米沢8時20分発の山形新幹線「つばさ121号」に乗る。鈍行にこだわるならそれより早い時間に出る列車に乗ればいいのだが、ここは『最長片道』当時とはまた違った特急の乗り心地を味わうのもいいだろう。米沢の牛肉の駅弁は8時すぎでも売っているだろうか。

県庁所在地の山形も一気に通過し、将棋の駒の産地で知られる天童も過ぎる。9時55分に新庄に到着。山形新幹線と、この先の奥羽本線の横手・大曲方面、さらには陸羽西線、陸羽東線のホームが向かい合うように並ぶ造りの駅である。そして向かう奥羽本線は完全なローカル区間となっている。大曲までのおよそ2時間、ここもロングシート車両に揺られることになる。

大曲からは12時46分発の「こまち20号」に乗る。朝の山形新幹線に続いて今度は秋田新幹線に乗る。秋田新幹線といっても盛岡までの線路の名称は以前と同じ田沢湖線である。角館、田沢湖と、秋田県北東部の観光名所をたどる路線である。角館も小ぢんまりとしているが北国の城下町の雰囲気がよいところ。久しぶりに訪ねてみたいところである。

大曲から1時間で盛岡に到着。2018年版ではここでダッシュすることになる。「こまち20号」が盛岡に着くのは13時48分。そして在来線ホームから出る山田線の宮古行き快速「リアス」は13時51分発。ここは「間に合わせる」という気持ちで、新幹線ホームから在来線ホームに走ることもやむを得ないだろう。この快速「リアス」を逃すと、次の列車は4時間後。宮古までなら行くことはできるが、山田線の区間は真っ暗である。まあ、「リアス」に乗れなければいっそのこと盛岡宿泊にして、わんこそばと盛岡冷麺とじゃじゃ麺を食べまくる路線に変更してもいいだろう・・・。

山田線の盛岡~宮古は元々人口の少ないエリアを走る。当時は「日本のチベット」と称されたところである。今こういう表現をしたら猛反発を喰らうだろうな。『最長片道』では、急行「そとやま」に乗っている。これが変わった列車で、盛岡を出て宮古、釜石、遠野、花巻と岩手県内を行ったり来たりして盛岡に戻るという循環列車である。ちょうど切符のルートを乗り換えなしで走るということで、宮脇氏も「好都合な列車」としている。盛岡から花巻までの急行券を車内で買おうとすると車掌が「え、お客さん、これ宮古回りですよ」と愕然としたように言われたとある。車掌も乗り間違えをした客と思ったのだろう。

かつて岩泉線が出ていた茂市を過ぎる。岩泉線も豪雨災害で線路が寸断され、そのまま廃止となった路線である。トンネルの出口で土砂崩れに遭遇して立ち往生した列車の姿が岩泉線の幕引きになった形だ。

2018年版では宮古に15時58分着。宮古で1泊してもいいが、ここはもう少し先の釜石まで進む。この先も山田線に乗るところだが、すでにご案内の通り、東日本大震災の津波被害で運休が続く区間である。ではどう移動するか。現在はバスが出ており、宮古16時05分発の岩手県北バスに乗る。山田線に沿う国道45号線を行くのだろう。リアス式海岸の広がるところで、穏やかな入江と内陸のアップダウンを繰り返して走ることになる。

バスは釜石まで直通ではなく、途中の道の駅やまだで乗り継ぎとなる。この先釜石までは岩手県交通が担当。乗り継ぎが20分ほどあるので、道の駅で三陸の土産物の買い物くらいはできるだろう。なお、2015年から復旧工事が行われている山田線だが、2018年度中には工事が完了し、その後は三陸鉄道に譲渡されるという。この机上旅行では代替バスの乗り継ぎとなったが、「もし行くなら」その時は三陸鉄道の車窓でリアス式海岸を楽しめることだろう。

バスは18時16分に釜石駅前に到着。この日はここで宿泊とする。釜石というと鉄の町のイメージだが、三陸に面しており、海の幸をいただける店もあるだろう。

2011年の東日本大震災以降、三陸に行ったのは2013年の夏が最後。この時は宮城県をベースにレンタカーで被災地のその後の様子を訪ねたが、それから5年が経つ。復興の様子について報道されることもほとんどなくなったが、どのような状態なのだろうか。三陸については机上旅行ではなく、いつかまたリアルに訪ねてみたい気もする・・・。

※『最長片道』のルート(第9日)
横手6:30-(奥羽本線)-6:52大曲6:56-(田沢湖線)-8:50盛岡8:58-(急行「そとやま」)-14:16花巻(以下次回)

※もし行くならのルート(第9日)
米沢8:20-(つばさ121号)-9:55新庄10:18-(奥羽本線)-12:06大曲12:46-(こまち20号)-13:48盛岡13:51-(快速リアス)-15:58宮古16:05-(岩手県北バス)-17:07道の駅やまだ17:28-(岩手県交通)-18:16釜石
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稀勢の里、8場所連続休場

2018年07月06日 | ブログ
この数日、関西も大雨に見舞われている。特に7月5日から6日にかけてひどく、6日は始発から多くの路線が運休や間引き運転となった。

ただそんな中でも私が利用する近鉄南大阪線は相変わらずの「最強」ぶりを見せており、大和川を渡る阪和線や南海本線・高野線が運転見合わせの中で通常運転。その後の阪神なんば線もツワモノなので出社には支障なかった。ただ、全般的に運転見合わせ区間が増えたことでさすがに午後には勤務解除の指示が出た。

そんな1日は、大雨と、オウム真理教の元教祖らの死刑執行のニュースに占められたわけだが、その次に来るのが横綱稀勢の里の休場である。宿舎でのインタビューでは何かいろいろ語っていたようで、次の出場場所に賭けるとかいうのだが、これって2ヶ月前、何なら4ヶ月前にも同じようなことを語ってなかったかな。

稀勢の里休場については、「年6場所制になってから貴乃花の7場所連続を抜いて最長」とあるが、この「年6場所制になってから」というのが気になる。年6場所になる前は本場所の数も少なかったはず。その時にはもっと休んでいた横綱がいたのだろうか。もしいなければ、「年6場所になってから」という但し書きは必要なく、「横綱として」と書けばよい。プロ野球でいうなら1リーグ時代の記録を含めて云々という話である。

過去に8場所連続休場した横綱がいたのか?・・・と見ると、いた。その名は30代横綱の西ノ海嘉治郎(3代目)。大正から昭和にかけての横綱である。3代目とあるのは、過去に2代、井筒部屋で同じ名前の横綱がいたことによる。ちなみに今の横綱の鶴竜も井筒部屋で、横綱昇進時に4代目襲名の話もあったが親方が断ったそうである。

その西ノ海、現在とは大相撲の興行形態が異なるので単純には比べられないが、当時横綱が栃木山1人だけだったこともあり、当時横綱の免許を与えていた吉田司家に相撲協会が猛プッシュしたとある。現在の昇進内規や横綱審議委員会がなかった時の話だ。

横綱昇進後に初優勝したが、興行中に土俵上で心臓発作で倒れるアクシデントがあった。その後遺症もあり成績も振るわず、在位15場所(大正時代は年2場所、昭和になってから年4場所)で会員はわずか3場所しかない。途中休場と全休が6場所ずつで、在位後半は途中休場もあり、最後は3場所全休だった。通算で8場所連続休場である。

引退後は井筒部屋から独立して浅香山部屋を興したが、わずか5年後に亡くなった。

これまで稀勢の里を含めて72人が横綱を襲名したが、ここまで書くと西ノ海が悲運の横綱だったというのがわかる。鶴竜が井筒部屋の横綱として襲名しなかったのもなるほどと思う。

時代は過ぎ、稀勢の里である。これまでの繰り返しをどこで止めるのか。もし次も「休場」となると、西ノ海を超えた正真正銘の「最弱横綱」といっていいだろう。

この名古屋場所は出ないとして、その後の夏巡業には必死で臨むとは言っているそうだが、果たして・・・。
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BCリーグ観戦記~福井対滋賀@敦賀(投手戦が延長戦に・・)

2018年07月03日 | プロ野球(独立リーグほか)
7月1日の敦賀での試合は「敦賀市の日」としての開催である。福井ミラクルエレファンツは福井をメインとしつつも、他に三国、丹南、敦賀、美浜、おおいと県内で幅広く試合を開催している。

12時に一般客の開門時間となりスタンドに入る。バックネット後方は屋根のあるスペースで、そこから埋まるかたちである。暑いのだがやはりネットが邪魔なので、一塁側の上段に陣取る。陽射しをモロに受けるが、この日は風が強い。スタンドの応援席の後部に福井の旗があるがずっとバタバタ言っていて、下手すればポールが折れてしまうのではとヒヤヒヤする。この日の観戦は、真夏の暑い部屋で扇風機の強風をガンガン回しているような環境。冷凍のペットボトルの麦茶もすぐに溶けそうだ。

福井を今季から率いるのは元ロッテ~ヤクルトの田中雅彦監督。本職は捕手だが内野もこなしていた。昨年から福井でコーチを務めたが今季は監督に昇格。まだ36歳と若く、試合前には自らノックを行い、試合中は三塁のコーチボックスに入る。そんな中で前期優勝は立派である。

試合前には地元中学のブラスバンド演奏や、福井国体のPRのダンス披露、そして敦賀市長の挨拶がある。

さて福井の先発は神戸(かんべ)。手持ちの選手名鑑に名前がないので途中加入かと検索すると、6月にオリックス・バファローズから派遣されてきたとある。おまけに、私も初めて見る投手ではない。今年の4月に舞洲で2軍戦を観た時に登板し、愛媛マンダリンパイレーツ相手に150キロ超の速球と110キロ台の変化球で苦もなく三者凡退に打ち取っていた。立正大学から育成ドラフトで入団して2年目。バファローズ1軍で中継ぎで連日登場の黒木のチームメイトである。本指名と育成の差は何だったのかは素人の私にはわからないが、2軍戦でもそれほど出番がないことから、このたびBCリーグへの派遣となったようだ。

バファローズは何やかんやで福井とご縁があるようで、かつては左腕の前田がBC初のドラフト本指名で入団しているし、その後も若手投手を派遣している。昨年でバファローズを戦力外となった塚田も今季は福井の投手として再出発だ。

バファローズの投手が出るのなら、滋賀相手といえども福井を応援しよう。

その立ち上がり、いきなり三振2つを獲るなど上々。ここまでリーグワーストの成績の滋賀打線は手が出ないだろうと思わせる。

一方滋賀の先発は長身のエース格の鈴木。1週間前に観戦した試合でも先発したが、中盤でリードを守りきれなかった。神戸に刺激されたか、四球は出すものの先週と比べて力強い投球を見せる。

4回裏終了までで両チーム無得点。神戸は被安打1、奪三振4、無四球。鈴木は被安打1、奪三振6、四球4。ただ、四球のランナーも盗塁失敗や牽制でおびきだしてアウトになっている。神戸がバファローズの投手ということを踏まえると、鈴木の頑張りが目につく。

この試合の最初のチャンスは5回裏。先頭の須藤がレフトへのフライが風に戻される形のヒットで出塁し、その後に木内のヒットで一死1・3塁とする。ここで1番松本を迎えるが空振り三振。続く小野瀬も凡退で無得点。

直後の6回表は2四球で滋賀がチャンスを作るが後続が凡退。この先、神戸、鈴木がどこまで投げ続けるか。

7回裏、福井は先頭の石井がヒットで出塁。終盤なので続く須藤が送りバント。これを鈴木がはじいてしまい、無死1・2塁となる。福井はチャンスを広げようと次の寺田がバントしたが、フライ。滋賀の捕手の寺田が気迫のダイビングでキャッチする。その後も続かず無得点。試合は福井が押しているように見えるが得点が・・。

そして8回裏。先頭の小野瀬が四球で出たところで鈴木が降板する。代わって出たのは左のアンダースローの長岡。先日、武蔵ヒートベアーズから移籍の投手で、ある筋に固定ファンが付きそうな投げ方である。続く左打ちの片山を三振に仕留めてお役御免。続いてパクが登板。

この場面で小野瀬が盗塁に成功し、打席の右打ちの清田(せいた)が右中間への当たりを放つ。終盤で福井に待望の先制点が入る。一塁側スタンドにイッチョライ節(福井音頭)の声が響く。8回裏ということもあってこれが決勝打ではないだろうか。

9回表のマウンドには引き続き神戸が向かう。バファローズに一回り大きくなって戻って来るにはここは完封してほしいところ。神戸も簡単に二死をとり、あと一人で試合終了というところで迎えるのは杉本。この当たりはレフトへ。少し前進していたレフトの頭上を越す二塁打となる。滋賀はこれで一打同点のチャンスとなり、4番のジョニーが登場。先ほどの打席は落ちる球を効果的に使って空振りの三振に打ち取っている。

ところがその初球、高めのストレートを振り抜いた当たりはライトの頭上を越える。9回二死から1対1の同点。三塁側の近江豪勝連合の面々は大喜びだ。神戸は何とか後続も打ち取るが苦笑いでの降板である。

9回裏、福井もランナーを出すが得点ならず、延長戦となる。BCリーグの規定では延長は最大で11回までで、3時間10分を過ぎると新しい回には入らない。また、照明がない球場などでは状況によって打ち切るそうだが、敦賀の場合は一応照明はあるし、ここまで速い展開なので最大11回まで行うことはできる。

10回表は、元阪神の岩本が登板。こちらも元NPBらしく滋賀打線をあっさりと抑える。10回裏は8回途中から続投のパクが抑え、11回に入る。神戸-鈴木の投げ合いの試合も継投試合になる。11回表は福井が3人目の左腕・日下部。ヒットと四球で一死1・2塁として、前の打席で同点2塁打のジョニーを迎えるが、4-6-3のダブルプレーで切り抜ける。これで滋賀の勝ちはなくなり、後期初勝利とはいかなかった。

最終回となる11回裏、滋賀は4人目に先発要員のロレンゾを持って来る。先頭の木下が四球で出るが、続く須藤のバントは二塁封殺。最後は途中出場の山根のところで3-6-1のダブルプレーで試合終了。11回まで戦って1対1の引き分けである。

試合時間は3時間19分ということで、野球の試合とすればそんなものだろう。引き分けということでお互いにお辞儀をして終りである。ただ試合直後、私は球場前に停めていたスポーツサイクルにすぐさままたがっていた。独立リーグの試合なら、終了後のホームチームの選手たちの「お見送り」が楽しみの一時で、選手や監督、コーチのサインもいただける時間なのだが、この日は1分1秒を争う勢いで自転車に乗った。

実は帰りに予約していたのが敦賀16時42分発の特急サンダーバード32号である。試合終了が16時20分で、球場から敦賀駅までは4キロあまり。もし試合が9回で終了していれば、「お見送り」の時間も過ごした後でも間に合う時間だっただろうが、まさかの延長11回である。ただ、急いでペダルを踏めば間に合うかもしれない。そういう思いで球場を後にした。結構ペダルが重く感じるが、何とか少しずつでも駅の方面に向けて走る。

・・・その結果は、確かに球場から20分で駅前まで戻ってきた。ただ、道路から駅を見る方向にちょうど特急車両が停まっていて、そろそろと出発するタイミングだった。もう3分あれば間に合ったと思うが、これは失敗。それなら、試合終了後に「お見送り」の時間を過ごせばよかったかなと思う。

この次は17時56分発のサンダーバード36号。JRの規則では、指定席を買っていた特急に乗り遅れた場合、後続の特急の自由席なら追加料金なしで乗ることができる。しかし、ここはあえてサンダーバード36号の指定席をもう一度お金を出して購入した。敦賀から自由席に座ることなどできないだろうし、無理に自転車を飛ばして乗り遅れた自分へのペナルティでもある。そもそも、野球の試合というのは長引くものだから、最初からサンダーバード36号の指定席を押さえておけばよかったのだ。

列車までの待ち時間は敦賀駅構内の待合室で過ごす。17時30分になると、待合室内でFBC福井放送を流しているテレビから「笑点」のテーマ曲が流れてきた。ああ、もうそういう時間なのか・・・と、前半部分だけテレビのほうに体を向ける。まさかこの放送の翌日、長くこの番組に登場していた桂歌丸さんがお亡くなりになるとは・・・。

帰りの特急は運よく1列の2席とも空いており、実質2人分のスペースを使いながら大阪まで乗ることができた。昼間は(自転車の)飲酒運転につながる恐れがあるとしてビールは飲まなかったが、敦賀駅内のコンビニで買ったものをしっかりといただく。今年も猛暑になる見込みの7月の初日、まず景気づけということで敦賀での1日を楽しんだ次第である。

BCリーグの後期も始まったところで、この先暑い中で観戦の機会はあるかどうか。また、四国アイランドリーグとの独立リーグチャンピオンシップにそれぞれどのチームが進出するのかも気になる。またこれからが楽しみだ・・・、
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レンタサイクルで敦賀を走る

2018年07月02日 | 旅行記D・東海北陸
7月に入った。早いもので今年も残り半分である。

その初日である1日、敦賀まで足を延ばした。目的は、BCリーグの観戦である。今年は甲賀で滋賀ユナイテッドの試合を2回観ているが、たまには別の球団をということで、大阪から近い福井ミラクルエレファンツの試合を観る。場所は関西から北陸の玄関とも言える敦賀。対戦相手が滋賀ユナイテッドとなるが、福井の主催試合なら福井の彭を応援する(BCリーグや四国アイランドリーグの場合、原則としてホームチームを応援するので)。

試合開始は13時、一般入場は12時から。単に試合観戦だけなら大阪をゆっくり出ても間に合う。ただ問題はアクセス。これまで敦賀市の運動公園にある球場にはクルマで行ったことはあるが、クルマを手放してから行くのは初めてである。駅からは4キロあまり離れていて、歩くと結構時間がかかりそうだ。コミュニティバスは日曜日でも日に数本あるが、ちょうどよい時間に着くのがない。開門の2時間前に着いてもどうしようもないし、その次となると試合開始直前になる。タクシー・・はもったいないな。

そこで浮かんだのはレンタサイクル。確か前に途中下車した時、構内の観光案内所に看板があった。これを利用するなら、午前中に敦賀の町を散策して、そのまま球場に向かえばよい。営業も8時半から18時半までと長いのもよい。

ということで、JRの「夏の関西1デイパス」を手に、また始発で出発する。東海道線から湖西線に入る。この道中の画像がないのは、カメラにSDカードを入れるのを忘れたためだ。敦賀に着いて、レンタサイクルを借りる前にまずは駅前のコンビニでカードを仕入れた。思わぬ出費。

案内所にはさまざまなタイプの自転車があり、その中で選んだのはスポーツタイプ。前かごはないが、荷物はリュックを背負うので問題ないだろう。日常生活で使わない自転車に乗るのも久しぶりやなと、まずはこぎ出す。敦賀の町は駅前の商店街を含めてほとんどの歩道が自転車通行可となっている。一方通行の自転車レーンはこの日走る限りでは1ヶ所だけだった。

まず向かうのは気比神宮。北陸道の総鎮守、越前の国の一ノ宮である。古くは勃海国の使者を迎える迎賓館の役目を果たしたとか、南北朝の戦いの時は南朝方にくみして戦ったという歴史がある。『太平記』にも、越前や北陸道で南北双方が激戦を繰り広げたという記述がある。京につながる一帯を押さえるかどうかということで重要な意味を持つところだったのだろう。当時に植えられたものの2代目という松の木もある。

時代が下ると平穏なもので、松尾芭蕉が敦賀に『奥の細道』で立ち寄ったのを記念して境内を整備したり、絵馬には地元の敦賀気比高校の甲子園出場を祈願する文言がある。OBにはNPBで活躍の選手も多いが、現役でもっとも活躍しているのは(大学経由だが)バファローズの吉田正尚だろう(少し前なら社会人経由の内海哲也かな)。

海べりに出る。向かったのは敦賀港駅。かつて大陸との玄関口として栄えた駅で、当時の木造駅舎が鉄道資料館として観光客に開放されている。

交通の要衝として栄えた敦賀の近代史をまとめた展示である。戦前まで、日本とロシア(ソ連)を結ぶメインルートだったのが、敦賀までの鉄路とウラジオストクまでの航路である。シベリア鉄道を経由するのが当時の最短ルートで、その先にはモスクワ、ベルリン、パリがある。海を越えるがその先にはロンドンがある。大陸へ渡るパスポートや、当時の大陸との時刻表には、西洋への憧れが詰まっているように見える。私もそういう形で大陸に渡ってみたい憧れがないわけではないが、現実はそうはいかない。

旧敦賀港駅舎では敦賀を中心に北陸の鉄道のあれこれを知ることができるが、この最近、新たな鉄道スポットができたという。それが「敦賀赤レンガ倉庫」である。敦賀港駅舎のすぐ近くにある。1905年に建てられたが、元々は石油の倉庫だったという。後に軍の備品庫や昆布の貯蔵庫にもなったが、2015年に観光スポットとしてリニューアル。目玉は昔の敦賀の町を再現したジオラマと、敦賀ならではの味が楽しめるレストランである。

ジオラマを見るのも初めてなのだが、最近になって赤レンガ倉庫に新たなシンボルが誕生した。往年の小浜線を走っていたキハ28型車両が静態保存されることになり、先日搬入された。赤レンガが潮風を避ける盾になるという。中を見ることはできないが、急行「わかさ」のヘッドマークを掲げた旧国鉄型塗装の車両にはうなるものがある。

中のジオラマ館に入る。空の位置に据えられたスクリーンに画像が流れるので全体的にレイアウトとしては暗めだが、往年の扇形機関庫(現在はこの地に新幹線ホームができる予定で工事中)も再現された敦賀駅や、昔ながらの町並み、疋田のループ線もあればその先の杉津からの越前への線路もある。海の向こうに広がるのはウラジオストクである。蒸気機関車に牽引された貨物列車や、気動車の特急、急行、ローカル線も走る。まだ「電車」というのはこのジオラマには登場していない。ちょうどバスツアーで訪ねていた観光客の団体と一緒にレイアウトを眺める。改めて、敦賀という町が鉄道を中心に栄えてきたところだというのを感じさせる。

レストラン館はスイーツ、カフェの店もあるかと思えば、日本海の幸を出す店もある。値段は町の居酒屋より高いが、こうした店で魚を味わうのもいいだろう(昼間のみの営業で、夜飲みには使えないが)。

赤レンガ倉庫を後にして、現在の敦賀港駅を見に行く。貨物駅として機能しているが、いつしか列車の行き来はなくなった。コンテナは積まれているがトレーラーによる代行輸送で、現在このような貨物駅は「オフレールステーション」と呼ばれている。敦賀港の場合は南福井駅との間をトラックで結ぶことになっている。近年、地球環境への配慮だとか、あるいはトラック輸送の人手不足を背景に「モーダルシフト」として鉄道輸送の見直しが行われているが、「列車」による実輸送が盛んなのはあくまで主要都市圏間の輸送ばかりで、地方のかつての貨物駅、コンテナ駅というのは、私がそうした事業に従事していた当時より減っている。自動車代行駅とか、コンテナセンターとかいう呼称はいろいろあったが、それらをひっくるめて現在はオフレールステーションと呼んでいるようだ。ただそのオフレールステーションすら廃止されたところもある。要はJR貨物が完全に撤退した駅といっていいだろう。昨今の鉄道貨物の世界も様変わりしているようだ。

敦賀港のオフレールステーションの先にあるのが金崎宮である。現在では「難関突破」や、それ以上に「恋の宮」として知られるところだ。こちらも先の気比神宮と同じく、南北朝の戦いの時はこの地に城が設けられ、南朝方として激戦の舞台となった。後醍醐天皇の皇子、恒良親王と尊良親王もこの地で奮戦の末に戦死した。現在の神社になったのは明治時代のことで、両親王を祭神とする。

また、金崎宮は城跡としても知られる。織田軍と浅井・朝倉連合軍の戦いでは激戦となり、羽柴秀吉がしんがりを務めて信長からの信頼を一気に高める結果となった場所である(難関突破の由来)。なぜ恋の宮なのかはこの際さておくとして・・・。

金崎宮の背後はちょっとした階段の道になっており、敦賀湾を見下ろす御殿跡に出る。ちょうど目の前には敦賀の火力発電所があり、大量の石炭が積まれている構内を見ることができる。その先は日本海へと続く長い入江。この地形も、敦賀が良港である要素の一つである。

そろそろ時間となり、球場に向かう。本当なら夏本番を迎える気比の松原に行ってもいいのだが、球場のほうが良いかなと。そうして町の中を漕いで行くが、どうも尻が痛くなってきた。スポーツサイクルのためにサドルも小さく、私の重いウエイトがそのぶんサドルに集中するようだ。ここは我慢してペダルを踏み、球場を目指す。途中の交差点脇にあるコンビニで飲食物を購入する。球場の売店もどうせ品数もないのだろうし、熱中症対策で冷凍のペットボトルなども仕入れる。ビールは・・・この暑さでは余計に身体がしんどくなるだろうし、下手したら自転車といえども「飲酒運転」になりかねないので差し控える。ひとり乾杯は帰りの特急の中でいいだろう。

球場に到着。時刻は11時40分くらいで、先にファンクラブ会員のみ入場できる時間帯だ。一般客は12時ちょうどからだが、球場の周りにはちらほらと開門を待つ客もいる。私服姿だが、滋賀ユナイテッドの私設応援団「近江豪勝連合」のメンバーたちも木陰で待っている。

12時となり開門(といっても、数人の客がぱらぱらと入り、選手やスタッフからプログラムや敦賀市の観光パンフレットを受け取るくらい)。この後はこのスタンドで、BCリーグ西地区優勝の福井と、最悪と言っていい成績での最下位の滋賀との対戦を観ることに・・・。
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