まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第18回四国八十八所めぐり~銭型砂絵と大平正芳

2018年07月25日 | 四国八十八ヶ所
観音寺市の観光スポットといえば、先ほど回った神恵院や観音寺といった四国札所もあるが、それ以上に知られているのは「銭型砂絵」である。これは江戸時代の通貨である寛永通宝を模して造られたものである。

こういうのは最近のアート作品なのかなと思っていたが、江戸時代に造られたものが今も毎年春と秋に修復をしながら残っているというから驚く。ともかくそちらに向かうことにする。神恵院、観音寺の境内の裏手から上がる道があったようだが、来た時はそれに気づかず一度財田川まで戻り、琴弾八幡宮に上る鳥居の前を過ぎて、クルマも上がる坂道を上る。それだけでまた汗がどっと出る。

展望台に出る。写真はうまく撮れていないが、確かに海べりに寛永通宝の砂文字が浮かび上がっている。不思議な感じがする。

この銭型砂絵ができたのは1633年(寛永10年)で、領内を巡視する藩主の生駒高敏を歓迎するために地元の領民たちが一夜で築き上げたと言われている。観光案内ではそのように説明されているが、ウィキペディアの記述では、四国新聞の連載記事の一文として、寛永通宝が鋳造されたのは1636年(寛永13年)だし、生駒高俊が領内を巡視した記録もないことから「伝承には矛盾がある」としている。四国新聞の記事では、銭型砂絵が造営されたのは幕末の頃で、幕府から沿岸警備のための砲台建造を命じられた際に丸亀藩主の一興に供するために造営されたのではないかとしている。他には、元々は豊臣秀吉の千成瓢箪をデザインして造営したものを、幕府の巡検使が来るというので慌てて造り直したという説もある。

この砂絵だがまん丸の形ではなく、東西(縦)が122メートル、南北(横)が90メートルと縦長に造られている。これは視覚効果で、展望台から見下ろすとまん丸に見えるようにとの設計である。そういうことを江戸時代の初めにきちんと計算できたというのも驚きである。

展望台を下りて、麓にある道の駅に出る。ようやく冷房の効いた室内に入ることができてほっとする。しばらく休憩だ。地元の土産物や農産物の販売コーナーに加えて二つの記念館が併設されている。まずその一つである世界のコイン館に入る。銭型砂絵にちなんだスポットである。

中は撮影禁止だったので画像は紹介できないが、まずは貨幣の歴史から紹介される。そして日本の昔からのコイン、紙幣各種が紹介される。もちろん寛永通宝もずらりと並ぶ。

他にも世界各国から蒐集された紙幣、コインの数々もある。主要国だけではなくオセアニアやアフリカ諸国など、普段お目にかかることのないものも数多く並ぶ。その数はおよそ2000点と言われている。今この展示室の中にあるコインや紙幣を今の日本円に置き換えたらいったいどのくらいの金額になるだろうか。

続いて、同じ建物の2階にあるのが大平正芳記念館である。大平正芳は香川県出身で唯一の総理大臣で、その生い立ちから官僚時代、そして国会議員として、最後は首相として活躍した有様をさまざまな史料やパネルで紹介している。

大平正芳は自民党の保守本流である宏池会(現在の岸田派)の会長であるとともに、外務大臣としては日韓外交、日中国交回復の実現に力を注ぎ、その後大蔵大臣、自民党幹事長を経て1978年に首相に就任した。「ア~ウ~」という独特の節回しの人というイメージがあるが、内閣としては「田園都市構想」を打ち出したり、東京で初めてのサミットを開催したり、現在の消費税につながる税制構想もあった。ただこの消費税が内閣や党内の混乱を招き、1980年には内閣不信任案が可決して解散総選挙(初めての衆参同日選挙)となる。しかし、その選挙戦の最中に急死してしまう。それが「弔い選挙」、「大平への同情票」のようなことになり自民党が圧勝した。

記念館は地元だから当然大平正芳の功績や人柄をプラスに顕彰するものだが、朴訥で謙虚な人柄、知性があり、政治思想や財政に対する考え方には先見の明があったというものが多い。ただ、人柄がいいというのが、いろんなものが入り乱れる政界では果たしてどうだっただろうか。もし選挙期間中に急死しなかったら、仮に自民党が勝利したとしてその後どういう政権運営を行っていただろうか。数は少ないが大平正芳に関する文献も出ているようなので、そうしたところで検証されていることだろう。

入口のところに来館者が署名する帳面がある。ふとその最初のページをめくると、「石破茂」と堂々と書かれたものがあったのに驚く。2018年7月13日とあるから、私が訪ねた前々日のことである。ネット記事を検索すると、今は党内でフリーの立場の石破氏だが、この秋に行われる自民党の総裁選を見据えてか、党の地方支部の会合をいろいろ回っているそうだ。その中で香川県に訪れることがあり、合間を見て大平正芳の墓参りやこの記念館の訪問を行ったそうだ。報道の中には、大平がかつての宏池会の会長だったことを踏まえて、総裁選に向けて現在の宏池会会長である岸田氏への「秋波」と揶揄するものもあった。

自民党総裁選は実質次の総理大臣を決める選挙と言えるが、現時点では安倍首相の3選は堅いとされる中で、石破氏や岸田氏の動きも注目されている。政治というのも何が起こるかわからないこともあるので、この行方は私たちもしっかりと見なければならないなと改めて思うところである。(記事の下書きをしていた後で、岸田氏は今回の出馬見送りを表明した。これで安倍首相の3選は動かなくなったのでは)

二つの記念館見学で涼むこともできたし、伊吹島のいりこも土産で購入できた。11時を回り、早めの昼食とする。道の駅に隣接してうどん店がある。「きたのうどん」というところで、讃岐に来たのだからうどんの一杯もいただこうと中に入る。今はやりのセルフ式ではなく、昔の食堂の雰囲気で店員が運んでくれるタイプである。

小エビの入ったかけうどん(大)をいただく。麺はさすがに讃岐だなということで歯ごたえもそれなりにあったが、私が感心したのは出汁。いりこの香りがふんだんに鼻から入ってくるのと、いい感じの塩加減になっている。カツオと昆布を合わせるのが主流の関西のうどんの出汁とは違った味わいで、朝から大汗をかきながら歩いた身には潮の香りがいい「塩分補給」である。いい回復になった。

これで今回の四国めぐりのメニューは終わりとなった。後は駅まで戻り、往路と同じく観音寺エクスプレス号に乗って大阪に戻るわけだが・・・。
コメント