まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

レンタサイクルで敦賀を走る

2018年07月02日 | 旅行記D・東海北陸
7月に入った。早いもので今年も残り半分である。

その初日である1日、敦賀まで足を延ばした。目的は、BCリーグの観戦である。今年は甲賀で滋賀ユナイテッドの試合を2回観ているが、たまには別の球団をということで、大阪から近い福井ミラクルエレファンツの試合を観る。場所は関西から北陸の玄関とも言える敦賀。対戦相手が滋賀ユナイテッドとなるが、福井の主催試合なら福井の彭を応援する(BCリーグや四国アイランドリーグの場合、原則としてホームチームを応援するので)。

試合開始は13時、一般入場は12時から。単に試合観戦だけなら大阪をゆっくり出ても間に合う。ただ問題はアクセス。これまで敦賀市の運動公園にある球場にはクルマで行ったことはあるが、クルマを手放してから行くのは初めてである。駅からは4キロあまり離れていて、歩くと結構時間がかかりそうだ。コミュニティバスは日曜日でも日に数本あるが、ちょうどよい時間に着くのがない。開門の2時間前に着いてもどうしようもないし、その次となると試合開始直前になる。タクシー・・はもったいないな。

そこで浮かんだのはレンタサイクル。確か前に途中下車した時、構内の観光案内所に看板があった。これを利用するなら、午前中に敦賀の町を散策して、そのまま球場に向かえばよい。営業も8時半から18時半までと長いのもよい。

ということで、JRの「夏の関西1デイパス」を手に、また始発で出発する。東海道線から湖西線に入る。この道中の画像がないのは、カメラにSDカードを入れるのを忘れたためだ。敦賀に着いて、レンタサイクルを借りる前にまずは駅前のコンビニでカードを仕入れた。思わぬ出費。

案内所にはさまざまなタイプの自転車があり、その中で選んだのはスポーツタイプ。前かごはないが、荷物はリュックを背負うので問題ないだろう。日常生活で使わない自転車に乗るのも久しぶりやなと、まずはこぎ出す。敦賀の町は駅前の商店街を含めてほとんどの歩道が自転車通行可となっている。一方通行の自転車レーンはこの日走る限りでは1ヶ所だけだった。

まず向かうのは気比神宮。北陸道の総鎮守、越前の国の一ノ宮である。古くは勃海国の使者を迎える迎賓館の役目を果たしたとか、南北朝の戦いの時は南朝方にくみして戦ったという歴史がある。『太平記』にも、越前や北陸道で南北双方が激戦を繰り広げたという記述がある。京につながる一帯を押さえるかどうかということで重要な意味を持つところだったのだろう。当時に植えられたものの2代目という松の木もある。

時代が下ると平穏なもので、松尾芭蕉が敦賀に『奥の細道』で立ち寄ったのを記念して境内を整備したり、絵馬には地元の敦賀気比高校の甲子園出場を祈願する文言がある。OBにはNPBで活躍の選手も多いが、現役でもっとも活躍しているのは(大学経由だが)バファローズの吉田正尚だろう(少し前なら社会人経由の内海哲也かな)。

海べりに出る。向かったのは敦賀港駅。かつて大陸との玄関口として栄えた駅で、当時の木造駅舎が鉄道資料館として観光客に開放されている。

交通の要衝として栄えた敦賀の近代史をまとめた展示である。戦前まで、日本とロシア(ソ連)を結ぶメインルートだったのが、敦賀までの鉄路とウラジオストクまでの航路である。シベリア鉄道を経由するのが当時の最短ルートで、その先にはモスクワ、ベルリン、パリがある。海を越えるがその先にはロンドンがある。大陸へ渡るパスポートや、当時の大陸との時刻表には、西洋への憧れが詰まっているように見える。私もそういう形で大陸に渡ってみたい憧れがないわけではないが、現実はそうはいかない。

旧敦賀港駅舎では敦賀を中心に北陸の鉄道のあれこれを知ることができるが、この最近、新たな鉄道スポットができたという。それが「敦賀赤レンガ倉庫」である。敦賀港駅舎のすぐ近くにある。1905年に建てられたが、元々は石油の倉庫だったという。後に軍の備品庫や昆布の貯蔵庫にもなったが、2015年に観光スポットとしてリニューアル。目玉は昔の敦賀の町を再現したジオラマと、敦賀ならではの味が楽しめるレストランである。

ジオラマを見るのも初めてなのだが、最近になって赤レンガ倉庫に新たなシンボルが誕生した。往年の小浜線を走っていたキハ28型車両が静態保存されることになり、先日搬入された。赤レンガが潮風を避ける盾になるという。中を見ることはできないが、急行「わかさ」のヘッドマークを掲げた旧国鉄型塗装の車両にはうなるものがある。

中のジオラマ館に入る。空の位置に据えられたスクリーンに画像が流れるので全体的にレイアウトとしては暗めだが、往年の扇形機関庫(現在はこの地に新幹線ホームができる予定で工事中)も再現された敦賀駅や、昔ながらの町並み、疋田のループ線もあればその先の杉津からの越前への線路もある。海の向こうに広がるのはウラジオストクである。蒸気機関車に牽引された貨物列車や、気動車の特急、急行、ローカル線も走る。まだ「電車」というのはこのジオラマには登場していない。ちょうどバスツアーで訪ねていた観光客の団体と一緒にレイアウトを眺める。改めて、敦賀という町が鉄道を中心に栄えてきたところだというのを感じさせる。

レストラン館はスイーツ、カフェの店もあるかと思えば、日本海の幸を出す店もある。値段は町の居酒屋より高いが、こうした店で魚を味わうのもいいだろう(昼間のみの営業で、夜飲みには使えないが)。

赤レンガ倉庫を後にして、現在の敦賀港駅を見に行く。貨物駅として機能しているが、いつしか列車の行き来はなくなった。コンテナは積まれているがトレーラーによる代行輸送で、現在このような貨物駅は「オフレールステーション」と呼ばれている。敦賀港の場合は南福井駅との間をトラックで結ぶことになっている。近年、地球環境への配慮だとか、あるいはトラック輸送の人手不足を背景に「モーダルシフト」として鉄道輸送の見直しが行われているが、「列車」による実輸送が盛んなのはあくまで主要都市圏間の輸送ばかりで、地方のかつての貨物駅、コンテナ駅というのは、私がそうした事業に従事していた当時より減っている。自動車代行駅とか、コンテナセンターとかいう呼称はいろいろあったが、それらをひっくるめて現在はオフレールステーションと呼んでいるようだ。ただそのオフレールステーションすら廃止されたところもある。要はJR貨物が完全に撤退した駅といっていいだろう。昨今の鉄道貨物の世界も様変わりしているようだ。

敦賀港のオフレールステーションの先にあるのが金崎宮である。現在では「難関突破」や、それ以上に「恋の宮」として知られるところだ。こちらも先の気比神宮と同じく、南北朝の戦いの時はこの地に城が設けられ、南朝方として激戦の舞台となった。後醍醐天皇の皇子、恒良親王と尊良親王もこの地で奮戦の末に戦死した。現在の神社になったのは明治時代のことで、両親王を祭神とする。

また、金崎宮は城跡としても知られる。織田軍と浅井・朝倉連合軍の戦いでは激戦となり、羽柴秀吉がしんがりを務めて信長からの信頼を一気に高める結果となった場所である(難関突破の由来)。なぜ恋の宮なのかはこの際さておくとして・・・。

金崎宮の背後はちょっとした階段の道になっており、敦賀湾を見下ろす御殿跡に出る。ちょうど目の前には敦賀の火力発電所があり、大量の石炭が積まれている構内を見ることができる。その先は日本海へと続く長い入江。この地形も、敦賀が良港である要素の一つである。

そろそろ時間となり、球場に向かう。本当なら夏本番を迎える気比の松原に行ってもいいのだが、球場のほうが良いかなと。そうして町の中を漕いで行くが、どうも尻が痛くなってきた。スポーツサイクルのためにサドルも小さく、私の重いウエイトがそのぶんサドルに集中するようだ。ここは我慢してペダルを踏み、球場を目指す。途中の交差点脇にあるコンビニで飲食物を購入する。球場の売店もどうせ品数もないのだろうし、熱中症対策で冷凍のペットボトルなども仕入れる。ビールは・・・この暑さでは余計に身体がしんどくなるだろうし、下手したら自転車といえども「飲酒運転」になりかねないので差し控える。ひとり乾杯は帰りの特急の中でいいだろう。

球場に到着。時刻は11時40分くらいで、先にファンクラブ会員のみ入場できる時間帯だ。一般客は12時ちょうどからだが、球場の周りにはちらほらと開門を待つ客もいる。私服姿だが、滋賀ユナイテッドの私設応援団「近江豪勝連合」のメンバーたちも木陰で待っている。

12時となり開門(といっても、数人の客がぱらぱらと入り、選手やスタッフからプログラムや敦賀市の観光パンフレットを受け取るくらい)。この後はこのスタンドで、BCリーグ西地区優勝の福井と、最悪と言っていい成績での最下位の滋賀との対戦を観ることに・・・。
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