まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第34番「根来寺」~近畿三十六不動めぐり・19(覚鑁上人が開いた新義真言宗ゆかりの地)

2018年07月28日 | 近畿三十六不動
連日の猛暑が続き、特に東海、近畿では38度や39度という、人間が発熱した時の体温をも上回る最高気温を記録する日が続いている。国内最高気温は埼玉の熊谷が41.1度と記録更新するなど、列島全体が大変なことになっている。

そんな中の7月22日、炎を背負った仏である不動めぐりということで、1ヶ月ぶりに近畿三十六不動めぐりに出向く。今回は34番の根来寺。高野山にある二つの塔頭を除くと和歌山県で唯一三十六不動めぐりに選定されている寺院である。鉄道の最寄駅は和歌山線の岩出駅だが、歩くと4キロ以上かかる。暑さの中でちょっとしんどいかなと思うが、根来寺のホームページによると岩出駅と阪和線の和泉砂川駅、南海の樽井駅を結ぶバスがあるという。

また、同じ和歌山線の沿線となれば、岩出から少し東に行った粉河には西国三十三所の粉河寺がある。2巡目としてはまだ訪れておらず、どうせならこの二つを合わせる形で訪ねたいところである。さらに、寺参りの後には和歌山の町に出て、ラーメンを食べたり久しぶりに行く居酒屋をのぞくということはできないものかと思ったりもする。

そんな思いで、まずは東の粉河寺に行き、それから岩出駅に移動してバスで根来寺、そして夕方に和歌山ということで和歌山線や和歌山バスの時刻表をいろいろ見てみるが、なかなか思うような組み合わせができない。根来寺で2時間以上過ごすプランになる。根来寺は大きな寺ではあるが、2時間というのはちょっと長すぎやしないかと思う。

結局、ポイントを絞ることにして、和歌山の町はパスすることにした。根来寺については岩出から和泉砂川、または和泉砂川から岩出へ抜けるコースを取ることにした。後はどちら回りかということだが、和泉砂川~根来寺~岩出~粉河と通り、最後は和歌山線を王寺まで乗り通すことで循環ルートができ上がる。ちょうど、根来寺の滞在時間が1時間半というバスダイヤの組み合わせを見つけることができた。そのため、自宅をゆっくりめに出発することになった。

阪和線の和泉砂川駅に到着。泉南市に属する駅だが、降り立つのは初めてである。市の中心部でないためか、駅前は住宅はあるものの思ったより閑散としている。ここから10時58分発の岩出行きの和歌山バスに乗る。駅前からは和歌山バスと、泉南市のコミュニティバスが出ている。キャラクターは泉南熊寺郎(せんなん・くまじろう)と呼ぶそうだ。梅林で知られる泉熊寺(せんゆうじ)から取った名前で、県道から少し入ったところにある。刀をかざして威勢がいいなと見ていると、この刀はアナゴをモデルにした「あなご刀」だという。

やって来た小型バスの乗客は私だけ。駅近くの町中を抜け、和歌山との県境に向けて走る。根来寺にはだいぶ昔にドライブで一度訪ねたことがあるが、道幅も狭く、結構ヒヤヒヤしながら走った記憶がある。それから道路が改良されたと見えて、片側2車線ずつの区間もあり、長いトンネルで県境をクリアしていく。

和泉砂川から15分ほどの乗車の間に乗り降りはなく、京奈和道の岩出インターを過ぎて、岩出図書館に着く。和泉砂川から岩出へのバスは2ルートあり、私が乗ってきた便は岩出図書館が根来寺への最寄りの停留所となり、図書館から根来寺は徒歩10分という案内だ。もう一つの便なら根来寺の門前を通る。

なかなか新しい造りの図書館の横を通る。

こちらからの便だと、根来寺の大門を目にすることができる。江戸時代後期に再建されたもので、仁王像もあり、堂々とした構えである。図書館経由の便だと寺まで遠いなと思ったが、こうした門が見られたのはよかった。当然昔はここが玄関だったわけで、かつての規模の大きさを物語っている。なにやらこの位置関係、スケールは小さくなるが高野山金剛峰寺の根本大塔と大門のそれに似ている。もっとも、根来寺の場合は寺の境内に町が広がるということはなく、昔からの塔頭のようなところとか、つぶれてしまった割烹料亭の建物など、寂れた風情を醸し出している。

根来寺と書かれた石柱があり、そこの小屋で拝観料を支払う。対応した係の方が境内の道順の案内をした後に、「ちょっと待ってな」と、奥の冷蔵庫から何か取り出してくる。きゅうりの漬物だ。「塩分補給、塩分補給」と言いながら、あらかじめ入れていた切り目のところで5cmくらいに切って渡してくれる。「ホンマに暑いし、また上に行ったらお茶も出してるんでどうぞ気を付けて」と送り出される。まずはそれをかじりながら参道を歩く。

坂道と石段を上がって着いたのは光明殿。根来寺を開いた興教大師覚鑁の像が祀られている。外陣に上がることができるということで、一旦脇の本坊に行った後、中に入る。光明殿に接して行者堂や聖天堂があり、庭園を楽しむこともできる。

覚鑁は平安後期の人物で、「真言宗中興の祖」とも呼ばれ、「新義真言宗」を興したことで知られている。元々は高野山にいて、大伝法院や密厳院を建立し、真言宗の立て直しを図ったが、山内の権力争いに敗れて高野山を追われ、やって来たのがこの根来の地である。後に根来寺が羽柴秀吉の侵攻で壊滅的なダメージを受けてしまうのだが、生き残った僧たちが大和や京に逃れ、その教えを長谷寺や智積院に根付かせ、後の真言宗豊山派、智山派として受け継がれる。また根来寺も江戸時代には紀伊徳川家の保護を受けて、新義真言宗も復興し、現在に至っている。

根来寺は室町時代末期に最盛期を迎え、塔頭寺院や坊舎は450、寺の領地は72万石、根来衆と呼ばれる僧兵を1万人以上抱えていた。寺全体の広さも350万平方メートルとあり、甲子園球場が20個以上入るという。根来衆は鉄砲も自前で生産する集団でもあり、戦国大名のいなかった紀伊において雑賀(さいか)衆とともに勢力を張っていた。それが秀吉の雑賀攻めの時に根来寺も攻撃される。境内がことごとく焼ける中で、残ったのは大塔、弘法大師堂、大伝法堂だけだった。それらが一角に並ぶ。この構図も高野山金剛峰寺に似ているように見える。

高さ40メートルと木造では日本最大の大塔は履物を脱いで中に上がり、四方から内陣に向けて手を合わせることができる。ここが大日如来のおわすところということで、根来寺のお勤めはここで行う。暑い中だが少し風が中に入ってくるような心持ちがする。

次いで隣にある大伝法堂に向かう。こちらは吹き抜け空間で、天井絵も描かれている。中央に大日如来、左には尊勝仏頂、右には金剛薩・という三尊像が並ぶ。この並びというのは覚鑁、新義真言宗の解釈による組み合わせという。大仏までの大きさではないが、昔からの姿というのがひしひしと感じられる。なお、大伝法堂は秀吉の兵火を免れたというものの、秀吉の命により京に新たに造る寺の本堂にしようと解体されてしまう。しかし寺が建立されることはなく、大坂まで運んだのはいいが今の淀川べりで放置されてしまう。この大伝法堂の部材があったのが、現在の此花区、私の通勤ルートの途中にある伝法である。何か仏教にゆかりがありそうな地名だとは思っていたが、根来寺の大伝法堂から来ていたとはね。

高野山と同じく根来寺にも奥の院がある。大塔のあるエリアから奥のほうに道が続いており、道の両側には墓地が広がる。これも高野山奥の院に続く道と同じようなものだ。ただ、高野山のように昔の武将や大名の墓があるわけではなく、現在の檀信徒たちの墓地ということで、水道があって桶が置かれていたり、枯れた花を回収する場所があったりと、現在も使われているところだ。その奥にひっそりと覚鑁の廟がある。高野山の弘法大師廟は訪れる人も絶えないが、根来寺の興教大師廟は実にひっそりとしたものだった。根来寺は高野山金剛峰寺のコンパクト版というふうに感じなくもなかったが、「真言宗中興の祖」という意味では似あっているのではないかと思う。

・・・と、ここまで来て、「今回は近畿三十六不動めぐりではなかったのか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。私も、ここまで大日如来や覚鑁に触れる中で、「不動明王は?」というところはあった。

ようやくそれに出会ったのは、根来寺の主要な伽藍(有料エリア)を抜けた外、現在の境内の東の端である。最近建てられた感じのこちらの不動堂には身代わり不動が祀られているそうだ。

その身代わり不動、外陣には「錐鑚(きりもみ)不動明王」という額が出ている。この不動明王は覚鑁の身代わりになったという伝説があるそうだ。高野山の権力争いの最中だった覚鑁は、相手方の僧から命も狙われるようになる。ある時、高野山の密厳院の不動堂にいた覚鑁を狙って僧が乱入してきた。すると堂の中には不動明王が二体並んでいた。僧は、不動明王は一体で、もう一体は覚鑁が姿を変えたのだろうということで、二体の不動明王を同時に錐で刺した。すると両方から血が出てきた。これは不動明王が覚鑁を守っているのだと思い、乱入した僧は恐れて退散した。これが「三国一の錐鑚不動」と呼ばれることになり、覚鑁が高野山を去るに当たってはこの不動明王も持ち出して根来の地に安置したという。

ここでようやく三十六不動のお勤めを行う。新義真言宗の興教大師ゆかりの不動明王なら選定されるのも納得である。

ここで、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロ。くじで出た候補地は、

1.神戸北(無動寺)

2.嵯峨(大覚寺、仁和寺、蓮華寺)

3.湖西(葛川明王院)

4.生駒(宝山寺)

5.大原(三千院)

6.河内長野(明王寺)

そして出たのは「5」。三千院である。三千院といえば「は~ら~、たいらに3000点」・・・ではなく「きょ~と~、おおはら三千院」で始まる「女ひとり」でも有名なところ(はらたいら~は、嘉門達夫さんによる替え歌だが、その面白さがわかるのはおっさんの証拠だろう)。三千院が不動明王というのはこれまで知らなかった。

さて、次の粉河寺に向かうために岩出駅までバスに乗るわけだが、今度は根来寺のバス停を12時49分に出る便がある。バス停は不動堂から出てしばらくの所にある。こちらは先ほど乗ったのとは途中で分かれる別系統で、近畿大学の和歌山キャンパスを経由する。バスの待ち時間は20分で、昼食には短いが外のバス停で待つには長い。ちょうどバス停の横に岩出市の民俗資料館があったので、涼みがてら見学する。昼食は町中に戻ってからにしよう。

資料館では、古代から紀ノ川の流れで発展した地域の歴史や、根来寺の歴史について紹介されている。

また根来塗の展示もあった。根来寺で使うために制作された漆器が由来だが、表面に塗った朱漆が摩耗して、下地の黒漆が表に出てくるのが新たな模様を生み出すようで、工芸品としても知られている。中には、黒漆の模様を計算して朱漆を塗るものもあるそうだ。工房も併設されており、日によっては漆塗りの体験もできるようだ。

ちょうどバスの時間となり乗り込む。今度は数人の乗車がある。近畿大学のキャンパスにも停車するが日曜日のことで人の姿は見えない。この先は岩出の市街地に入り、駅に到着する。

時刻表では13時17分着となっており、和歌山線の次の粉河行きは13時44分である。駅前に食事できるところがあればと思ったがどうもなさそうだ。駅の日陰で涼もうかと思っていると、間もなく粉河から橋本方面の列車が入ってくるとの案内があった。それは13時14分発の列車。特段列車に遅れがあったわけでもなく、どうやらバスが早く着いたようだ。途中の停留所の所定の発車時間が何分か知らないが、まさかどうせ客が乗らないからと前倒しで発車したということはないだろうな。

おかげで30分早く粉河に向けて移動することになった。車両は国鉄型車両の105系。今時扇風機が回る車両である。確か来年くらいに新車が入るとかいう情報を見た様な気がする。車内には「ワカカツ」のポスターが目立ち、和歌山線沿線の活性化のPRがされているが、何か目玉みたいなものがほしいところだろう。

それはよいとして、食事はどうするか。札所めぐりでたまにやってしまう昼食抜きということになるのかな・・・?
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