呼子港を訪れ、唐津の中心部に戻る。唐津大手口のバスターミナルから唐津駅まではアーケードの商店街があり、年の瀬の賑わいを見せる。中には唐津焼を扱う店もあり、さすがに手は出ないものの、しばしショーウィンドーを見るのも面白い。
アーケードを抜けたところにあるのが「松浦通運」のレトロな建物。今でも一部の地域に残る「地区通運」、九州北部にはポツポツと残っていたりする。そういう「業界」に身を置いていることもあり、余計に地域色を感じることになる(一般の方から見れば、あれはブランドのパクリだろうと思うのかもしれないが)。
さて唐津からは14時26分発の伊万里行きに乗車する。唐津線~筑肥線と走る列車で、唐津と伊万里というそれぞれ焼き物の街同士を結ぶ列車である。車両はキハ125の単行。1両からお手軽に運用できるということでJR九州のローカル線に投入されている車両である。ボックス席に陣取ったが発車間際にはほぼ満席となった。隣のボックスに、顔は日本人とそっくりなのだが言葉は全然違う家族連れが座った。「イマリ?」という言葉をきっかけに、そのボックスの男性客と言葉を交わしたところでは、タイからの一家のようである。やはり焼き物関連をめぐる旅なのだろうか。ただ、ネットで観光情報を見た限りでは、一般の商店はともかく、焼き物を学術的に紹介したり、いろいろ集めたような施設というのは年末年始ことごとく休館だったような気がするが・・・。
淡々という感じで走り、15時17分に伊万里到着。ここからは第三セクターの松浦鉄道に乗り継ぐ。伊万里ではすぐ隣にいるのかと思いきや、県道で完全に遮断されており、行き止まり式の改札を一度出て、階段から歩道橋を渡り、反対側の独立した駅舎からホームに入る仕組みになっている。
JR筑肥線と松浦鉄道、かつては同じ国鉄の路線同士としてごく普通に同じ構内で乗り換えができた(第三セクターになってから乗りに来た時も、比較的簡単に乗り換えができたのではと、かすかに覚えている)はずだが、今や別会社としてはっきりと線路も分断したようである。
15時33分発の佐世保行きに乗り込む。こちらの車両もかつてはレールバスのような小型だったのが、現在は開放的な新しい車両に置き換えられている。かつての車両は海外に売却されたものもあるそうだ。一方で新しい車両は個人、法人でのネーミングライツ式のようで、この列車では長崎、佐賀を中心に店舗を展開する親和銀行のヘッドマークが掲げられていた。
日本の最西端を行く松浦鉄道は、こうしたネーミングライツの車両などはほんの小手先のもので、国鉄時代と比べても駅の増設、佐世保側と中心とした便数の増加といった取り組みを積極的に行っており、厳しい環境の中でも頑張っている路線である。車両も転換式の一人掛け席や、4人掛けのボックス席も備えていたり、ICカードも導入されている。長崎の路面電車を初めとして、松浦鉄道や地域のバス会社でも「長崎スマートカード」という名称で使われている。少しでも利用客に快適に鉄道(を含む公共交通)を利用してもらおうという取組には頭が下がる思いである。
車両はそんな感じでいいのだが、駅となると駅名標がはげていたり、トイレに使用不能の貼り紙があったり、時計が外されていたり(盗まれた?)、結構荒れていたりする。なかなか駅の改修までは人手とお金が回らないのかなとも思う。それだけに、「列車を走らせる」という鉄道の第一義的な取り組みにまず頑張ろうという思いが伝わってくる。
このあたりの複雑な海岸線の景色や、西海に面した松浦発電所の巨大な施設を見るうちに、たびら平戸口駅にさしかかる。日本最西端の駅である。
正確に言えば、日本の最西端の駅は沖縄のゆいレールの那覇空港駅である。ただ、こうしたモノレールではなく、2本の鉄の線路の上を走る、文字通りの「鉄道」の日本最西端となると、たびら平戸口駅である。私のように、「日本」を考える時に「沖縄は琉球」として除外して考える人間としては、那覇空港駅は反則やと思ったりもする。
完全に主観が入っているが、やはりここたびら平戸口が「日本最西端の駅」でいいのではないかと思う。かつての国鉄時代そのままの風情を残す駅舎とホーム。本当の最西端の地点はもう少し佐世保寄りというが、駅の両側がカーブとなっている立地条件から、「この駅が最西端である」と思わせるところもある。
日本最西端の駅の「訪問証明書」というのを窓口で売っていたので買い求める。ほとんどが無人駅の松浦鉄道にあって、たびら平戸口は数少ない駅員配置の駅。窓口のある部屋では、ここぞとばかり鉄道関連の品々が並ぶ。
この日の行程はここまで。たびら平戸口駅から平戸大橋を渡り、平戸島内にある平戸市のホテルに宿泊することになっている。平戸の街中にはバスでの移動となるが、駅前にはバスはやって来ず、10分ほど歩いた平戸口桟橋のバス停に停まるという。ただ時刻表を見ると結構な待ち時間。ということで、(後になって料金の高さには閉口したが)駅前に停まっていたタクシーに乗る。大きなバッグを持っていて、さすがにこの格好で荷物を転がしながら平戸大橋を渡るのも辛いと感じたこともある。
そうしてやってきた平戸島。果たしてこの後の翌日昼間まで、どのように過ごすことになるだろうか・・・?