まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

軍艦島上陸見学

2014年01月23日 | 旅行記H・九州

Dscn4426ドルフィン桟橋から念願の軍艦島に上陸する。こういう形での上陸というのも、何だか不思議な感じがする。

Dscn4429Dscn4438上陸見学が許可されているのは、島の南西部の一部エリア。軍艦島の象徴ともいえる鉄筋コンクリートの高層建物群のほうに近づくことはできない。軍艦島に興味のある人たちはそちらの建物のほうこそ見たいところだろうが、何せ閉山後、風雨にさらされ、痛めつけられているところである。安全面を考えれば仕方のないことだろう。今ネットや図録などで見ることのできる高層建物の内部を撮ったものは、許可を得たものという(その許可というのがどのレベルの申し込みまで与えられるのだろうか)。

Dscn4436見学広場は3つあり、順番に移動してそれぞれでガイドが説明を行う。当時の写真も補足資料としてスタッフが掲げ、参加者はそれらに熱心に耳を傾ける人、思い思いに写真を撮る人、さまざまな反応である(ちなみに、2014年初のツアーとなった今回の様子が、主催者である軍艦島コンシェルジュのスタッフブログに掲載されているのだが、そこには見学中の私の姿も写っている)。私はどちらかと言えば、ガイドの案内よりは現物を見たり、写真を撮ったりするほうに夢中になっていた。説明内容については後でネット閲覧や書籍を買い求めることで補うことにする。

Dscn4442「最初に、『お~い!軍艦島!』と皆さんで呼びかけましょう」というガイドの音頭から案内が始まる。最初の見学広場は正面に軍艦島の山の部分(元々自然の島の部分)に建ち並ぶ施設群を仰ぎ見て、右手には貯炭場がある。その奥には小中学校も見える。7階建てという学校の建物は、軍艦島の中でも新しいものである。まず、この佇まいを間近に見ることだけでもうなるばかりである。

Dscn4445橋脚のようなものが見えるが、これは石炭の運搬用のベルトコンベアの跡。鉄道の未成線のような独特のむなしさを感じる。

Dscn4454最初の見学広場が桟橋に接した玄関口のようなところだとすれば、次の見学広場は軍艦島が炭鉱の島であることを示す鉱山施設を見ることができる。ただこちらの崩壊ぶりが進んでいるようで、レンガ造りの総合事務所の一部や、第二竪坑に続く階段の部分が辛うじて残っている程度である。かつてはここから海底に向けて入り、石炭を巻き上げて先の貯炭場に運ばれるわけだが、たまたま海上に顔を出していた島を足掛かりに海底深くまで掘り進むとは、技術力もさることながら、人間の執念のようなものを感じる。

Dscn4458Dscn4465それにしても、建物の腐食ぶりは何かを語りかけてくるように思う。閉山して40年あまり、人の手が外れて、自然のままに置いておくというのはこういうことだと。

Dscn4473Dscn4478先に上陸していた別の会社のツアー客たちとすれ違い、第3の見学広場に出る。こちらは、島で最古となる、いや、日本で初めてとなる鉄筋コンクリート造りの30号棟アパートをはじめとした高層社宅が近い。こうすると、一応見学コースとしては桟橋から鉱山施設、高層社宅と、軍艦島の一通りのエッセンスを比較的安全なところから見ることができる(反対側の高層建物群も、海上からなら眺めることができる)。

Dscn4477鉄筋コンクリート造りの建物自体はごく普通だとしても、それが東京や大阪の都心以上に密集している、しかもこんな小島の上に・・・他に、世界に同じような例があるだろうか。

 

Dscn4483かつて浦上のユースホステルでやっていたらしい軍艦島ツアーも、ひょっとしたら産業遺産というよりは、廃墟とか心霊スポットを楽しむという要素も強かったのではないかと思う。またたまに、軍艦島を舞台とした文学作品もちょこちょこあるようだが、それもアクションものとか、犯罪者や刑事が躍動する内容のものがほとんどで、言わば魔の島としての扱いである。まあそれも、軍艦島の姿が人を引き付けるからだろう。

「軍艦島学」という言葉があるそうだ。この島の歴史、建造物、人々の暮らし、自然との戦いと調和というのは、自然科学と人文地理学と経済学と社会学をごった煮にしたフィールドであるが、それが実際に営まれていた島である。まだまだ奥深いものがあるだろうし、これからの街造りにヒントになることもあるだろう。改めて、上陸してみて面白みを感じたことである。

Dscn4485上陸滞在は約1時間である。船が接岸するのに少し手間取ったようで、その間は第1の見学広場で待機する。でもまあ、波は高かったが上陸できてよかった。

帰りも自由席だが、上段のデッキに一人用のパイプ椅子席がありそこに陣取る。風はモロに来るが左右に見通しが利く。

Dscn4507Dscn4503出航して軍艦島の周囲を半時計回りに一周する。ガイドの声は上段のモニターから聞こえるが、やはり波が高い。席から島の写真を撮ろうと片手でカメラを持つと(もう片手で手すりを握らないと私でも振り落とされる)、画面一杯に船の反対側の席の人たちの背中が映る次の瞬間に、視界が開けて島の高層建物が一杯に来る。・・・と思うとまた反対側の席の人たちの後ろ姿、の繰り返し。やれやれ。

Dscn4515段々と遠ざかる軍艦島。今回、ツアー会社のプラン通りの見学で、上陸料を支払い、決められたコース、範囲での見学だったが、何もしなければ朽ちて崩壊する恐れのあるところを見学するとなれば、好奇心はあるものの、こうした限定、厳しい決まりでの見学は仕方ないと思う。いやむしろ、ここまで上陸させてくれるんやと感心する。

Dscn4526そう思う理由は、関西は但馬にある竹田城の存在である。陸続きの城と島とを単純に比べることはできないが、自治体が対策を施す前に客が殺到してしまったのと、しかもGoogleのCMで歪曲されて流されたのもだめ押しとなり、駐車車両整理と城の損壊の拡大により、この度一時的に全面立入禁止となった。客がどう、自治体がどうという遺跡保存の難しさについてはまた別に書くとして、軍艦島については今の受け入れ体制でちょうど良いのかと思う。そうなると、東日本大震災の被災地の震災遺構はどうかとなるが、軍艦島を訪ねた時はそこまで思いが至らなかった。また、それらをまとめて考える時が来るだろう。

復路もガイドの案内は続く。「軍艦島というのはさまざまな創作の舞台ともなりまして・・・あるアーチストもここで撮影を行いました。その映像をご覧ください」とある。そこで流れたのが、B’zの「MY LONELEY TOWN」。私は初めて聴くのだが、おそらく音楽ファンの間では有名なことなのだろう。後で歌詞を読んだりしたが、なかなか奥深いものがあった。そこでPVの舞台として軍艦島を選ぶところがB’zなんだろうな。新世界、新今宮のガード下でも似たような世界が描けるのでは・・・?とも思ったが、やはり「人情」がからんではいけないんだろうな。軍艦島のような、行くところまで行ってしまったような風景。うーん、これも「軍艦島学」としては一つの考察対象になるのかな。

Dscn4551昼間ということで往路と比べれば安定した航行で長崎港に戻ってくる。「皆さんにとってはお年玉のような航海ではなかったでしょうか」という言葉に送り出されて下船。それはそう思う。世界にも珍しいスポットを訪れることができ、この年、いろいろと考えることもできたことである。すぐにとは言わないが、またいつの日か訪れてみたいところ。保全や研究には多くの労力が払われることだろうが、こうした自然の中で残してほしいものである。

さて、実質半日を船と島の上で楽しんだ後は、再び長崎の街歩きである・・・・。

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