まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

平戸の夜・1

2014年01月08日 | 旅行記H・九州

Dscn4105日本最西端の駅・たびら平戸口からタクシーでやってきた平戸桟橋。この日のホテルはもう少し先にあるが、タクシー代が高くなりそうなのと、少し平戸の町歩きをしようということでここで降りる。

Dscn4111戦国時代にキリスト教の伝来で歴史の表舞台に出てきた平戸。鎖国までの間、ポルトガル、イギリス、オランダといった外国との窓口ともなった港である。港を見下ろすように建つ平戸城や、かつての姿を復原したオランダ商館などを眺めながら、また遠くには先ほど渡った平戸大橋の赤い橋脚を見ての歩きである。

Dscn4115この日の宿泊は、桟橋から10分ほど歩いたところにある平戸海上ホテル。その名のように海に面したところである。基本は家族連れ向けの観光ホテルであるが、一人客でも受け入れてくれるという。ただしその場合は素泊まり、あるいは朝食のみというのが基本のようである。

チェックインの時には館内の案内を兼ねて係の女性が荷物を持って、離れに当たる観月館にある部屋まで案内してくれる。途中階段があり、そこを重いバッグを持たせるのも悪いような気がする。そういうのに慣れていないので却って恐縮である。それでも、最近は韓国や台湾からの団体客も多いそうで「あの人たちはもっと大きなキャリーバッグで来ますから、大丈夫ですよ」とのこと。

Dscn4116通されたのは和洋室。手前にベッドが2つ、その奥に4畳半の和室。最大4人までは泊まれそうな広さだが、一人客でもここを利用できる。

Dscn4117さらに窓のすぐ向こうが海である。すぐ前の黒子島、そしてその向こうには平戸大橋と九州本土が横たわる。窓に顔を近づけると、右手には平戸城の天守閣を見ることもできる。これで朝食付き7,350円というのは、都市部のビジネスホテル並みの値段でお得である。経年もあって建物が古びたように見えるのは仕方ないとして・・・。

通常なら夜は地元の料理を楽しませる店に行くところだが、事前の情報集めの中で、平戸の中心部には店はあまりないようである。またコンビニも中心部から離れないといけないようで、夕食の心配がある。家族連れ、カップル客などには夕食付のプランもあるようだが、私の場合は朝食のみ。ただし、別料金で「ひらめ御膳」なるものができるということで、結局ホテル内で食事ということになった。

それまでの間を利用して入浴。まず向かうは露天風呂。日が落ちるのが早くすっかり暗くなった屋外で冷んやりとするが、ここからも平戸の海の景色を楽しむことができる。離島へのフェリー、漁船なども時折汽笛を鳴らしながら過ぎていくのを見るのもよい。

さて夕食。ホテル内の料亭のカウンターに通される。この日は宿泊客もそこそこいて、それらの夕食を準備するので厨房もごった返しているようである。時折大声も伝わってくる。どうもこのカウンターは下席に当たるところで、やはりこういうところで一人で食事するというのは、そういう扱いを受けることだなと思ったりする。

Dscn4119そんな中で思い出したように少しずつ料理もやってくる。メインのひらめの薄造り、この時期の平戸を代表する魚とあって味はよろしい。歯ごたえもしっかりしている。居酒屋のようにアラカルトで注文できないのは仕方ないが、あとは鯛アラ、天ぷら、茶わん蒸しもあり、コース料理としては十分だった。

入浴、食事とくれば後は寝るだけだが、まだ時間は早い。テレビを見ても年末番組のこととてそれほど見たいものもない。持参のパソコンもLANケーブルがないためネットを見ることはできない。ならば、夜の街を少し歩くことにしよう。ホテルでも「夜の平戸ツアー」なるイベントを行っているようだし(残念ながらこの日は先客で満席となっていた)・・・・。

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日本最西端の駅へ

2014年01月07日 | 旅行記H・九州

呼子港を訪れ、唐津の中心部に戻る。唐津大手口のバスターミナルから唐津駅まではアーケードの商店街があり、年の瀬の賑わいを見せる。中には唐津焼を扱う店もあり、さすがに手は出ないものの、しばしショーウィンドーを見るのも面白い。

Dscn4071アーケードを抜けたところにあるのが「松浦通運」のレトロな建物。今でも一部の地域に残る「地区通運」、九州北部にはポツポツと残っていたりする。そういう「業界」に身を置いていることもあり、余計に地域色を感じることになる(一般の方から見れば、あれはブランドのパクリだろうと思うのかもしれないが)。

Dscn4073さて唐津からは14時26分発の伊万里行きに乗車する。唐津線~筑肥線と走る列車で、唐津と伊万里というそれぞれ焼き物の街同士を結ぶ列車である。車両はキハ125の単行。1両からお手軽に運用できるということでJR九州のローカル線に投入されている車両である。ボックス席に陣取ったが発車間際にはほぼ満席となった。隣のボックスに、顔は日本人とそっくりなのだが言葉は全然違う家族連れが座った。「イマリ?」という言葉をきっかけに、そのボックスの男性客と言葉を交わしたところでは、タイからの一家のようである。やはり焼き物関連をめぐる旅なのだろうか。ただ、ネットで観光情報を見た限りでは、一般の商店はともかく、焼き物を学術的に紹介したり、いろいろ集めたような施設というのは年末年始ことごとく休館だったような気がするが・・・。

Dscn4079淡々という感じで走り、15時17分に伊万里到着。ここからは第三セクターの松浦鉄道に乗り継ぐ。伊万里ではすぐ隣にいるのかと思いきや、県道で完全に遮断されており、行き止まり式の改札を一度出て、階段から歩道橋を渡り、反対側の独立した駅舎からホームに入る仕組みになっている。

Dscn4077JR筑肥線と松浦鉄道、かつては同じ国鉄の路線同士としてごく普通に同じ構内で乗り換えができた(第三セクターになってから乗りに来た時も、比較的簡単に乗り換えができたのではと、かすかに覚えている)はずだが、今や別会社としてはっきりと線路も分断したようである。

Dscn408015時33分発の佐世保行きに乗り込む。こちらの車両もかつてはレールバスのような小型だったのが、現在は開放的な新しい車両に置き換えられている。かつての車両は海外に売却されたものもあるそうだ。一方で新しい車両は個人、法人でのネーミングライツ式のようで、この列車では長崎、佐賀を中心に店舗を展開する親和銀行のヘッドマークが掲げられていた。

Dscn4078日本の最西端を行く松浦鉄道は、こうしたネーミングライツの車両などはほんの小手先のもので、国鉄時代と比べても駅の増設、佐世保側と中心とした便数の増加といった取り組みを積極的に行っており、厳しい環境の中でも頑張っている路線である。車両も転換式の一人掛け席や、4人掛けのボックス席も備えていたり、ICカードも導入されている。長崎の路面電車を初めとして、松浦鉄道や地域のバス会社でも「長崎スマートカード」という名称で使われている。少しでも利用客に快適に鉄道(を含む公共交通)を利用してもらおうという取組には頭が下がる思いである。

車両はそんな感じでいいのだが、駅となると駅名標がはげていたり、トイレに使用不能の貼り紙があったり、時計が外されていたり(盗まれた?)、結構荒れていたりする。なかなか駅の改修までは人手とお金が回らないのかなとも思う。それだけに、「列車を走らせる」という鉄道の第一義的な取り組みにまず頑張ろうという思いが伝わってくる。

Dscn4094このあたりの複雑な海岸線の景色や、西海に面した松浦発電所の巨大な施設を見るうちに、たびら平戸口駅にさしかかる。日本最西端の駅である。

Dscn4096正確に言えば、日本の最西端の駅は沖縄のゆいレールの那覇空港駅である。ただ、こうしたモノレールではなく、2本の鉄の線路の上を走る、文字通りの「鉄道」の日本最西端となると、たびら平戸口駅である。私のように、「日本」を考える時に「沖縄は琉球」として除外して考える人間としては、那覇空港駅は反則やと思ったりもする。

Dscn4097完全に主観が入っているが、やはりここたびら平戸口が「日本最西端の駅」でいいのではないかと思う。かつての国鉄時代そのままの風情を残す駅舎とホーム。本当の最西端の地点はもう少し佐世保寄りというが、駅の両側がカーブとなっている立地条件から、「この駅が最西端である」と思わせるところもある。

Dscn4101日本最西端の駅の「訪問証明書」というのを窓口で売っていたので買い求める。ほとんどが無人駅の松浦鉄道にあって、たびら平戸口は数少ない駅員配置の駅。窓口のある部屋では、ここぞとばかり鉄道関連の品々が並ぶ。

Dscn4102この日の行程はここまで。たびら平戸口駅から平戸大橋を渡り、平戸島内にある平戸市のホテルに宿泊することになっている。平戸の街中にはバスでの移動となるが、駅前にはバスはやって来ず、10分ほど歩いた平戸口桟橋のバス停に停まるという。ただ時刻表を見ると結構な待ち時間。ということで、(後になって料金の高さには閉口したが)駅前に停まっていたタクシーに乗る。大きなバッグを持っていて、さすがにこの格好で荷物を転がしながら平戸大橋を渡るのも辛いと感じたこともある。

そうしてやってきた平戸島。果たしてこの後の翌日昼間まで、どのように過ごすことになるだろうか・・・?

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呼子港へ

2014年01月06日 | 旅行記H・九州

Dscn4021博多から反時計回りに肥前の国の鉄道路線を回る旅。新幹線から地下鉄~筑肥線直通西唐津行きに乗車する。JR103系のロングシート車であるが、トイレがついていたのは意外だった(これまで何回も地下鉄線内を走る103系には出会ったはずだが、トイレの存在には気づかなかった)。7時49分の西唐津行きだが、後のスケジュールを考えるとこの列車に乗るのがベストと判断し、そのためにわざわざ新幹線を一駅乗ったということがある。今回は青春18きっぷは使用しないため、必要があれば特急でも乗ることになる。

Dscn4024姪浜から地上区間を走る。ちらりと能古島を見つけ、糸島半島の付け根を走る。この辺りは牡蠣の養殖もやっているそうだ。今回は「魚料理」も旅の一ページになるが、牡蠣を食べる機会は果たしてあるだろうか。どんよりと広がる玄界灘を見ながら思いをいたす。

Dscn4029虹の松原に到着。駅の周囲一帯が松で覆われている。在りし日の姿を見ることはなかったが、東日本大震災の津波で崩壊し、「奇跡の一本松」だけが残った陸前高田の松原もこんな感じだったのだろう。

Dscn40349時12分、唐津に到着。ここで大型バッグをロッカーに歩き、唐津大手口のバスターミナルに向かう。これから呼子に向かうのだが、唐津の駅前にはバスはやってこない。こちらの大手口のバスターミナル発着となる。昔に呼子は確か一回訪れており、その時もおそらくバスに乗っているはずだが、駅からターミナルの距離がどうだったか。次のバスは9時45分発で、案内には駅から徒歩10分とある。先に「後のスケジュールを考えて新幹線に乗った」と書いたが、門司から快速など使うと、地下鉄~筑肥線の一本後の列車の唐津駅到着が9時34分ということで、間に合わない恐れがあると思った。

Dscn4035ただ、駅から少し早く歩くと5分でターミナルに到着。まあ結果的には一本後の列車でも間に合ったかもしれない。新しい感じの建物であるターミナルにはテナントも入る複合ビルで、福岡市内への直通バスもやってきて、こちらも唐津の玄関口のようなものである。

呼子へのバスがやってきた。道中は順調に走るが、山越えの区間となると雨が降ってきた。しかし通り雨か、前方が明るくなり日差しも差し込んできた。雲の動きも複雑である。九州と言えば南国で温暖なイメージを持っている方も多いと思うが、北部の玄界灘方面となると天候はほとんど山陰と変わらないと言える。

唐津から30分で呼子に到着。呼子と言えばイカが名物で、活造りを食べさせる店が何軒かある。バスの車内からも沿道にこれでもかというくらいの料理店の看板を見た。豊臣秀吉の朝鮮出兵の前線基地となった名護屋城跡の博物館もあるが、年末ということで休館。このため、本当に「イカを食べに呼子まで」ということになった。

Dscn4039呼子というのは朝市でも有名らしい。世に言う「日本三大○○」の一つに「日本三大朝市」というのがあり、能登の輪島、飛騨の高山と並び、肥前の呼子があるという。訪れた時は午前10時を過ぎたところだが、狭い路地に店舗型、露店型、ワゴン車型など、さまざまな形態で店が開かれ、店のおばちゃんたちの呼び声があちこちに聞こえる。売る物も生魚、干物、海産の加工品、野菜、果物、日用品、いろいろである。中には買ってみたいものもあったが、この後の日程もあるし、海産物とて実家に送ったところで消費するのに限界がある。なかなか、後ろ髪引かれるものである。

Dscn4068港をテクテクと歩く。入り江には多くのイカ漁船、そして沿道には何軒かのイカ料理屋が並ぶ。前回入ったのはどの店だったか思い出せないのだが、おそらくこのどこかに入ったのだろう。イカの透明さに驚いたものだ。

Dscn4044ここは映画『悪人』のロケ地の一つで、ロケ地となった店にはその表示も出ている。妻夫木聡扮する男が、深津絵里扮する女に「人、殺してしもた」とをこの店で告白し、その後自首・・・と思いきや逃避行が始まるという展開である。いろいろな人の旅行記などを見るに、映画上映の後というのは「その席」をめがけてカップルも殺到したそうである。

Dscn4051Dscn4066道端でイカを売る光景というのもいいもので、高速でイカを回転させて回す機械もあり、ドラえもんの目も回っているのが面白い。のんびりした港町、こういう光景も穏やかさを演出する。

Dscn4060バス停からは歩いて20分以上経ったか、坂を上り、国民宿舎に隣接した食堂「漁火」に到着。この日の昼食はここを「予約」していた。ネットで情報を集める中で、「多客期の呼子はイカ目当ての客で行列ができる」というのがあった。ある店のごときは開店前から行列ができるとか。私もバスの時間を見ながらの旅だし、そもそも、食事のために並ぶのが嫌いということもあって、予約をしようということになった。年末年始は休業する店もあるし、予約を受け入れない店もある中で見つけたのがこの店である。まあ実際来てみれば、開店前から行列の店は本当に行列ができていたものの、『悪人』のロケの店でも他の店でもすんなり入れそうだったが・・・。

Dscn4057こちら「漁火」は座敷からの見晴らしがよかった。用意してくれた席は海を見るのに格好の位置で、これは予約して得だったこと。

Dscn4061そしてイカの活造り。イカは季節によって上がる種類が違うようで、この日はアオリイカであった。イカ独特の甘味を感じる。胴体をいただきながら脚をつつくと反応する。それにしても、イカに限らず、タイだのアジだの、活造りが出ると頭や尾の部分を箸などでつついて反応を試したがるのは、どういう心理なのだろうか。結構残酷な行いに見えないこともないのだが。

Dscn4063後はイカのしゅうまいに、予約客へのサービスで出たサザエの壺焼きがメイン。こちらも呼子の味として香りを楽しんだ後にいただく。

Dscn4064イカの身を食べ終えるとゲソの部分を天ぷらにして出してくれる。呼子の活イカ料理の定番である。ここまでいただいてふと思ったのだが、外の回転マシーンで一夜干しにされたイカがあるが、あれを焼いたりあぶったりして出してくれる店というのがないのではないか。どうしても活イカというのが呼子の名物であるが、おつまみメニューでもいいからそういうイカを食べてみたいというニーズはあるのではないかと思う。

ここを折り返しとして再び呼子の港を歩く。するとまた雲が広がったかと思うと通り雨。ただ今度はちょっと雨足が強い。急いでバスターミナルに戻る。朝市も昼を回っており、雨も降ってきたこともあって慌てて撤収している。

Dscn4048呼子にはイカだけでなく、他にも加部島、波戸岬や名護屋城跡など見どころも多い。それらはまたいつの日にかの楽しみとして、唐津に戻ることとする・・・。

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阪九フェリーにて新門司へ

2014年01月05日 | 旅行記H・九州

Dscn3935九州行きの手段となったのは泉大津からの阪九フェリー。5年前のGWの時期に関門、福岡を回った時に往復で利用して以来である(その時の記事はこちら)。

Dscn3936今回は2等個室利用である。ベッドと荷物置き場があるだけだが、桟敷でなく個室で仕切られているのは大きい。寝転がって初めて、照明灯の下にコンセントもあるのに気づく。周りに気兼ねせず、ゆっくりと眠ることができる。

Dscn3942Dscn3946前回はGWで日も高かったこともあり、出航前から甲板のベンチに腰かけて景色を眺めながらビールなど飲んでいたのだが、今は冬。出航の17時半にはすっかり日は暮れる。それだけならいいのだが、風が強い。外に出ても立つのがやっとである。とても、甲板のベンチでビールなどという所業はできない。熱燗でも無理(・・・って、そういう問題ではなく)。左の写真は泉大津方面である。

出航と同時にレストランも営業開始だが、出航前から長蛇の列である。食事は明石海峡大橋を過ぎてからのこととして、フリースペースであるプロムナードの席も埋まっていて、ここはやはり大阪~神戸の夜景を見るか。寒いが完全武装すれば何とかなるだろう。

Dscn3960冬といえばイルミネーションであるが、冬の旅は日が暮れるのが早い分、早い時間から夜景を見ることができるのがよい。・・・にしても風が強い。そこは船室に接したところがちょうど風よけになっており、そこから眺める。景色は素晴らしいのだが、それをカメラに収めるだけの腕前とカメラを持っていないのがもどかしい。船自体が揺れているので、どうしてもブレてしまうのである。

空を見上げるとちょうど海の上だけ雲がかかっているが、その合間からいくつか星が見える。関空や神戸空港に発着する飛行機が流れ星のように飛び交う。

西へ向かう航路というと、私の中では井上陽水の「なぜか上海」が頭に浮かぶ。本物の上海には行ったことがないし、目指すのは九州の入口、新門司であるが・・・。

Dscn3986出航から1時間過ぎ、船内放送でも「間もなく本船は明石海峡大橋を通過します」とあり、船内から一斉に客が出てくる。ライトアップされた橋脚を代わる代わる写真に収める。今回は、「この橋を電車が走っている」という迷解説を彼女にするような男性はいなかったが・・・それにしても風が強い。記念写真を撮る人たちも半ば悲鳴を上げている。

Dscn3991明石海峡大橋も渡り終え、ここで食事とする。出航直後は行列もできる満席で、一時は入口も閉めていたが、もうガラガラである。こちらはカフェテリア方式で、トレイに食べたいものを取ってレジで精算する。テーブル席では九州言葉で酒盛りをやっているグループが2組ある。パックの焼酎が並び、水、湯、氷はレストランで取り放題だから、レストランの営業時間中は腰を据えて飲むことができる。トラックドライバーか旅行者か、フェリーは貴重な移動時間であり、移動空間である。

Dscn3992夕食を済ませ、こちらも長距離フェリーの面白さである展望浴場に入る。まだ個室で眠るには時間が早いので、プロムナードに向かう。ここで眠る前の一時を過ごす人もいれば、2等桟敷の満室ぶりを嫌ってか、こういうところで一夜を明かそうと完全武装の人もいる。確かにゆったりと自分のスペースは持てそうだが、いくら何でも寒そう・・・。ここで、船内限定のワインなどやりながら読書にいそしむ。

Dscn399822時前には瀬戸大橋を通過する。もうこの時には案内放送もなく、甲板に出る人もわずかである。こちらはこういうものかと通過を確認し、そろそろ個室に入ることにする。翌朝は6時の到着であるが、やはり早く起きて入浴や朝食を済ませることになる。

翌朝は4時半に起床し、まずは入浴。その後、同じようにカフェテリア方式での朝食。フェリーは宇部沖を航行しているが、向かい風の影響で10分ほど遅れているようである。まあ、新門司からの連絡バスはフェリーの到着を待っての発車であるが、10分くらいならその後の行程も影響がなさそうである。そろそろ、また船内が到着が近づくということでざわつき始めた。

Dscn4015まだ夜も明けない新門司港に6時10分頃到着。クルマ利用の客も運転手以外は旅客用下船口から降りるため、結構ごった返す。暗いので、建物の外で自分のクルマを見つけるのが大変そうだ。そんな中、正面に停まっていた西鉄バスに乗車。ここから20分ほどで門司駅までやってくる。7時前ということでクルマの交通量もそれなりにあり、街としては朝の活動を始めているが、外が暗いのでまだ起きている感じがしない。

Dscn4019さてここからは博多に出て、福岡市営地下鉄~JR筑肥線経由で唐津に向かうのだが、ダイヤの関係があり、小倉から博多までの一駅は新幹線に乗る。やってきたのは500系。かつては時速300kmも記録するなど、飛行機に似た独特の車体は存在感があったものだが、今や半分の8両編成で山陽新幹線のこだま号として走っている。今となっては車内での快適さを重視した700系(レールスター)、N700系の陰に追いやられているようである。久しぶりに乗車し、窓側の座席に座ったが窮屈な感じは否めない。

博多に到着。ここでは新幹線の改札を出て地下鉄乗り場に直行する。これから、豊前、筑前を通過した肥前の国めぐりの始まりとなる・・・。

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肥前の国へ

2014年01月04日 | 旅行記H・九州

年末年始の紀行は「肥前の国」へ。また例によって長い紀行文シリーズになりそうだが、またお付き合いのほどを・・・。

長崎に行こうと思う。

前に長崎を訪れたのがもう10年以上前になる。私はその時まだ広島勤務で、ちょうど入っていた旅のサークルの集会を1泊2日で長崎でやるというので参加した。集会といっても、代表者はおろかほとんどの主要メンバーは参加せず、関東からの会員夫婦1組(私が入会した時は交際中で、その後結婚し、この長崎は新婚旅行という形で来ていた。その後元気でやっているのかな)、そして大分からの男性1名という合計4人で、集会というよりはグループ旅行的な感じで楽しめた。市内電車で長崎の街をぶらつき、トルコライスや中華料理を味わい、稲佐山の夜景も見物した。

翌日昼で解散したが、私は帰りのバス(この時は長崎~福岡、福岡~広島とバスを乗り継ぐという、珍しい形で往復していた)まで時間があったので、長崎港からの軍艦島クルーズというのに行ってみた。クルーズというのも面白かったし、初めて目にした軍艦島の異様な姿に驚いたものである。

その軍艦島に「上陸」したいというのが、今回の行き先の決め手である。軍艦島についてはまた紀行文で触れることになるが、今や軍艦島は世界遺産登録に向けた暫定リストにも選ばれており、その存在は「廃墟マニア」だけでなく一般の人たちにも広く知られるようになっている。そして一部エリアに限定されているが普通の観光スポットとして上陸できるようになっている。ネットなどを見る限りでは、長崎市もグラバー園や稲佐山の夜景などと同列の観光スポットとしてアピールしているように見える。

その軍艦島と長崎観光を軸として、その前後をどうするか。まず、大阪からのアプローチをどうするか。久しぶりに時刻表やネットでの観光情報を駆使していろいろなプランを考える。その中で、せっかく九州まで行くのだからと、往路は阪九フェリーを利用(上手く2等個室指定が取れた)、復路は新幹線とした。ただ、列車の時間帯も未定で、「のぞみ」や「さくら」は早々と指定席が満席となったこともあり、何なら「こだま」でゆっくりビールでも飲みながら各駅停車で戻ることにする。最終日、1月3日のその日のうちに帰宅できればいいのだから。

そして、九州島内をどうするか。いろいろと時刻表をこねくり回したり、宿泊地をあたってみたり、観光スポットの年末年始休みを確認する中で、「肥前の国の鉄道をぐるりと回ろう」というコースが出来上がった。ルートは福岡~唐津(呼子)~平戸~長崎~島原~熊本というもので、宿泊地、観光スポットとしては呼子、平戸、長崎、島原。最後は島原半島から有明海をフェリーで横断して熊本に出て、九州新幹線と山陽新幹線を乗り継ぐ。それは佐賀~長崎にまたがる肥前の国の港町を回る循環コースということで、結構大がかりなものとなった。

まず、12月の29日まで時間を戻して・・・。

大阪からのアプローチとなる阪九フェリー、泉大津の乗り場まで向かう。泉大津からは以前に一度乗っているが、その時は南海の泉大津駅からの送迎バスを利用した。今回は新たに、JR難波上のOCATから有料ではあるがフェリー乗り場までの直行バスがあるというのでそれを利用する。一旦なんばまで出る形にはなるが、乗り換え回数が減るのがよい。

Dscn3934OCATの高速バス乗り場は、四国、中国地方を中心に各地に向かうバスが次々とやって来る。帰省客、旅行客も多く見られ、賑わっている。その中で16時発の泉大津行きは大型の観光バスでやってきた。10人ほどが乗車。阪神高速湾岸線で南下し、案内では40分とあったが35分でフェリー乗り場に到着した。乗船手続きを済ませ、入船を待つクルマがびっしりと並ぶ。

ネットで申し込みと決済をしていたので、乗船名簿の記入は不要。乗船券を渡され、「フェリーつくし」の船内に入る。既に船内にも大勢の客がいてごった返している。船内案内カウンターで個室のカギを受け取り、まずは荷物をそこに置く。そろそろ、出航である・・・・。

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本年もよろしくお願いします

2014年01月02日 | ブログ
拙ブログをご覧の皆さん、新年のご挨拶を申し上げます。

新たな年が皆さんにとって実りある、良い年になりますようお祈り申し上げます。

さて、年越しは西国、長崎にて迎えております。今回は肥前の国の鉄道と港町を回ることをメインで来てますが、肥前観光の定番スポットやら、長年行きたいと思っていたところ、あとは年末年始ならではの風情も味わってます。

紀行文はまた日を改めて書くことになります。

不惑を迎えての初の年越しですが、そんな時期だからこそ2014年は「活」という言葉をキーとしてやっていきたいと思います。

本年も何とぞご愛読のほど、よろしくお願いします。

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