まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

魁皇が幕内通算808勝

2010年01月13日 | ブログ

連休明けの12日は何だか疲れたような感じで出社。とはいうものの、そろそろ正月気分を抜き去って本格始動しなければならないのだが・・・。

また12日は定例ということで、夕方からDMの専門医を訪ねる。連休明けということからか、夕方の部であるにもかかわらず病院には多くの待ち客が発生しており、いつも以上に診察までに時間がかかった。どれだけ、需要があるんだか・・・・?

今回の血液測定の結果は、HbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)は、一般の健康な方と同じレベルの5.0%を維持(前月が4.9%)。日ごろの通勤手段を変えたことが少しは貢献しているのかなと思う。医師からは「最初に比べれば糖毒性も弱まっており、よくコントロールされている」ということで、これまで朝・夕方に服用していた飲み薬のうち、朝の分について1回あたりの量を減らすことになった。これだけでも精神的にずいぶんと楽になるものである。

そんな待ち時間の間、待合室のテレビでは大相撲の中継をやっていた。ちょうど大関・魁皇が幕内通算の勝ち星記録の更新がかかるということで、その話題を中心に放送。そして、千代大海(長年大関を張り続けていたライバルが対戦相手だったのも何かの縁かな)を破って808勝を達成。待合室でテレビを見ていた人たちからも歓声があがった。

最近は優勝争いに絡むこともなく、昨年は確か6場所続けて「8勝7敗」という成績に終わった「大関」であるが、それでも37歳でまだまだ現役を続けていることだし、「郷土」の期待を背負って土俵に上がる姿というのは、モンゴルやヨーロッパなど外国人力士が番付の上位を占める中で貴重な存在である。それだけ体のケアを欠かしていないということだし、丈夫で長持ちというのは健康に留意してのことだろう。私も、身体は大切にしないとね・・・・。

さて、少し脱線した山陰旅行記の続きだが、松江を後に向かったのは、これまた相撲とつながりのある町ということで・・・・。

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山陰へ。

2010年01月11日 | 旅行記F・中国

この3連休というのは結構密度が濃いスケジュールだった。9日が前の記事にもあるように会社の行事で成田山不動尊と伏見稲荷の参拝→の後大阪市内で直会兼新年会。そして今日11日は、同じ職場での私のいる「管理チーム」と、もう一つ「作業チーム」のチーム対抗のゴルフコンペ。

ゴルフのほうは兵庫県三木市内の某ゴルフクラブで開催。1月にしては青空が広がり、風もほとんどなくコンディションは最上の部類である。・・・にも関わらず、相変わらずに大タタキを繰り返すというのは進歩がないというか・・・・。職場で常に最下位争いを繰り広げる「ライバル」と呼び合っている人と、相変わらずどっこいどっこいの低レベルの争いをしたというのもので・・・(まあ、チーム対抗の合計で私のいる管理チームが辛うじて勝ったからいいようなもの)。

本日プレーしたゴルフクラブのある三木市では来週市長選挙が行われるとかで、ラウンド中にも周りの道路に選挙カーがやってきていた。そういえばここに来る途中の道でも、「馴れ合い政治を許すな」という内容の立て看板も掲げられており(候補者の名前は書いていなかったが)、政治姿勢や財政状況などで何か争点があるのだろう。三木といえば旧三木鉄道もあったよね。

さて、話を9日の時点まで戻す。この3連休は上記の理由から10日しか空いておらず、当初はこの一日を利用して、関西を朝早く出発して北近畿あたりに出かけようと思っていた。ただその中で、9日にパソコンを操作しているうちに、「もっと早く出発するなどして、現地時間を増やす方法はないのか」という思いもあった。そんな中でふと出てきたのが「今夜(9日)のうちに関西を出発して、翌日(10日)は少しずつ戻してくるということができないか」というもの。

その条件ということで頭に浮かんだのは夜行バス。そこで9日に帰宅後、パソコンを起動して関西対北陸、関西対山陽・山陰、関西対四国の夜行便で何か空いていないかと検索する。するとここでヒットしたのが、「神戸発松江・出雲市行き」というもの。というか、これだけ空席があったというもの。さすが、夜行バスというものの人気をうかがわせる。早速にネット決済で購入し、そういうことなので9日の夜遅く、スーツから私服に着替えて自宅を出発し、三宮に向かう。

三宮のバスターミナルに着くが、待合室もガランとしており、時刻表や運賃表を見ても出雲の文字がない。うーんと見るうちに気づいたのだが、この夜私が乗るのはJRバスであり、今私がいるのはもう一つ、神姫バスの待合室だった。

あわててJR側に向かうと若者を中心とした大勢の乗客が待っている。はは、普段夜行バスに乗りなれていないから(夜行バスに乗ったのも何年ぶりだろうか・・・)、そんなもんだろう。

Dscn6723案内放送がありやってきた松江・出雲市行き。乗車券は一応出雲市まで購入している。前の人に続いて車内に入るが、何と私の割り当て席は、3列シートが並ぶ車内の最後列で、ここだけが4列というものだ。うーん、これはここしか空いていないということで割り当てられた席だし、当日に思い立って申し込んだからこういうことになるのだろう。

ただ意外なことに、実際に乗ってみると最後列の4列の座席のうち、私の隣の席、そして前の席は空席のままだった。当日キャンセルが出たのかな。ともあれ、そういうことなれば荷物を隣の席に広げ、足も載せてくつろぐことができる。夜行バスの旅は窮屈というイメージがあるのだが、列車のボックス席を一人で占領できたようなものである。

三宮を出るとすぐに阪神高速に乗る。運転手がマイクで案内を一通りするとすぐに消灯。翌朝の出雲市駅到着は6時の予定ということで、しばし眠ることにする・・・・。

10日の未明、松江駅到着を前に案内が入る。実はこの日のプランというのが「その日のうちに帰宅する」というものだが、具体的な行動は決めていない。初めは、出雲市まで行って出雲大社に参拝しようとも思っていたのだが、駅から出雲大社までの往復に時間がかかりそうだ。縁むすびが実現しない私としては結構勇気のいる決断だが、ここはまあ次の機会にしようということで、自宅への折り返し点は松江ということにする。

Dscn6724未明の5時、小雨の降る中で松江駅前に降り立つ。さてここからどうやって動こうか・・・・。(続く)

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安全祈願と商売繁盛祈願

2010年01月09日 | まち歩き

9日、まだ暗い時間帯から京阪電車に乗る。特急型車両を利用した急行である。そろそろ、生駒の山の稜線が紅く染められようとする時間帯。

Dscn6708やってきたのは、香里園で下車となる成田山不動尊。ここは安全祈願の寺として有名で、私の勤務先では毎年この新年と、上・下半期の初め(4月・10月)の朝に祈願の護摩供祈祷を行うのが恒例行事となっている。総勢20名ほどで参拝しており、私が参加するのは昨年の秋に続いて2回目。新年仕事始めから最初の週末ということもあってか、同様に祈祷を行う会社の人たちがぞろぞろとやって来る。

7時半、心に響く太鼓の音とともに僧侶による読経が始まる。その時に、祈祷を行う会社の名前を読み上げる。最近は横文字の会社や部門というのも増えており読むほうも舌をかみそうなところがあるのだが、そこをスラスラっと読み上げていくのはさすがプロである。

張本さんならぬ不動明王に「喝!」を入れてもらい、新年の交通安全と無病息災を祈念する。会社としてもそうだが、私個人としても旅に当たっての安全や息災を祈るところ。社員一人一人の無事を祈る気持ちが通じることで、会社としての安全が保たれるのだから・・・。

Dscn6709さてこの後再び京阪を乗り継いでやってきたのは伏見稲荷。秋の時はすぐにお祓いに入れたが、さすが日本一のお稲荷さん。こちらも同じような会社の商売繁盛祈願で訪れる団体で拝殿は順番待ちとなる。ここでもかしこみ、かしこみとやり、商売繁盛と社運の発展を祈願する(特に今年は会社の転換点となる年になりそうなので・・・・)。

Dscn6711そして待っているのはメインイベントである千本鳥居の山登り。頂上にあたる「一の峰」の末広大神に神棚を祭っていることもあり、この山登りが参加者を苦しめることになる。結構距離も長いし、石段も多いし・・・・。

Dscn671330分以上かかって一の峰に到達(写真は、途中からのもの)。空気はひんやりとするが歩いていて心地よいくらい。前回は多少キツイように思えたが、2回目で慣れたためか、あるいはDM治療で取り入れているウォーキングに自転車通勤が効いてきたか、今度はすんなりと行けたような感じ。一方では多少へばり気味の人もおり、「今年はぜひ皆に体力をつけてもらわないと困るなあ」というのはトップのお言葉。

改めて、このブログをご覧の皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げます・・・・。

Dscn6720再び鳥居のトンネルをくぐる。途中、「この鳥居の入れ替えのタイミングってどうなんだろう」ということになったり、なぜか片山右京の話題が出てきたり(下山途中だからか?)、そんな話をしていると時間が経つのは早い。全員無事「生還」である。

Dscn6722この後は大阪市内に場所を移しての「直会」。まあ平たくいえば私の勤務先の新年会も兼ねており・・・・。DM患者となってからこういう「公式の宴席」に出るのは初めてで、今回から「解禁」することで周りの人たちも「無事に出てこれるようになってよかった」と復調を喜んでくれた。久しぶりに会社の皆さんと飲み食いを行い(一応セーブはしましたよ)、一次会を終了。

・・・・さて明日10日は「青春18きっぷ」を使ってどこかに出かけようと思っていたが、帰宅後にふと感じることがあってパソコンをいじる。その結果、「今晩から出かけて明日の夜に戻ってくる」ことに相成った。とは言え、どこまで出るかは決まったが、どう戻ってくるかは決めていない。果たしてどうなるか、それはまた次の話として・・・・。

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twitterなるものを始めました

2010年01月08日 | ブログ

鳩山首相が今年になって開設し、一方で自民党の谷垣総裁は「私はつぶやきません」と言ったtwitterというのがにわかに注目されていますな。

・・・・で、私も2010年、流行に左右されるというわけではないのだが、このたびtwitterを開設。

このツールの売りは、「手軽さ」ということだろう。料金もかからず簡単に登録でき、パソコンからはもちろん、携帯からも手軽に投稿できる仕組み。「フォロー」機能を使っていろんな人のtwitterに入ったり、また入っていただいてメッセージをもらったり、それらのことが手軽にできるのも敷居が低い感じがしてよろしいですな。

先日登録したばかりなのでまだまだフォロー数も少ないのですが(多ければいいというのではないが、少ないのもね・・・)、このブログと合わせて、あちらは「B面」というか「ミニブログ」という感じで書き込んで行きたいと思います。ぜひ、御用とお急ぎの方も含めてのぞいてやってください。フォローも歓迎です。

matsunaru23のtwitterはこちら↓

http://twitter.com/matsunaru23

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元日は瀬戸内の海で~年越し四国紀行・6

2010年01月06日 | 旅行記G・四国

元日の朝を迎えた高松。無事に日の出を拝むことができ、新たな年への期待を持たせてくれる。

朝食はごく普通のバイキング(入口では着物姿の女性係員からお屠蘇のサービスを受ける)だったがおいしくいただく。メニューには小鉢のうどんも用意されていた。何でもこのところ「年明けうどん」というのがはやっているというが・・・・。

Dscn6579食後、ホテルの外を散歩する。海べりまで行ってみるが、天気はいいものの風がムチャクチャ強く、波しぶきが防波堤のかなり内側まで飛びかかっている。本当にここは瀬戸内海か??

Dscn6580防波堤の先端に「赤灯台」というのがあるそうだが、そこに続くあたりは強風と高波のために閉鎖されており、仕方なく塀越しに見物することにする。

Dscn6593この後はホテルに近い高松城・玉藻公園を散策。正月は朝7時から無料で開放しているということで、早い時間にもかかわらず何人か訪れている。

Dscn6586「大願成就」という言葉がある。ただ、今玉藻公園で見る幟は「鯛願城就」とある。実はこの玉藻公園・高松城の堀というのは海水を引いており、そのために堀の中に鯛が住んでいるという。そりゃあめで鯛・・・。その鯛にやるエサを受付で売っており、その姿を見て縁起を担ごうというのがある。ここは年明け早々だし、「大願成就」を祈って生まれて初めての「鯛のエサやり」を行う。

Dscn6585小さなブロックに固められたエサを堀にまくと、バシャバシャいって鯛が寄ってくる。鯛がそんなに食いつく光景というのもなかなか見られるものではなく、結構面白がってエサをまく。・・・・ただ一方で困ったのは、鯛と一緒に鳩がたくさん寄ってくるんですな。中には私に飛びついてくるのもおり、身をよけながらエサをまくというもの。大願成就をなすにはいろいろな苦労がつきものであることを身をもって示すことになる。

Dscn6609高松の朝はこのように過ごすことにして、そろそろ関西、というか大阪の実家に向けて出発する。足として選んだのは高松東港から三宮に向かうジャンボフェリー。行きと帰りで変化をつけたかったのと、フェリーでのんびりと行きたかったというのがある。

Dscn6601高松から連絡バスで10分ほど揺られる。バスの乗客は10人ほど。この後、三宮までの2等乗船券(1,800円)を買い求めて乗船する。元日ということで移動する客は少ないのか、後部の桟敷席に行ったが結構ガラガラで、大荷物を広げて大の字になってもまだ余りある。

ただ、フェリーがガラガラなのは昨今の高速道路のETC割引も大きな影響もあるのだろう。これまで割高感があった本四連絡橋も休日のETC割引によりグッと利用しやすくなったこともある。フェリー会社が苦戦を強いられているというニュースはよく目にすることだ。

Dscn6616フェリーのほうも何とか立て直そうと、前原国交相あての要望書を提出したり、何とかフェリー利用を広めようという宣伝ポスターをつくってみたり、往復割引、事前申請によるETC利用割引などの動きがあり、それらが客室内に掲示されている。見ていて、何だか痛々しいものを感じる。

Dscn6621高速道路や連絡橋の割引(あるいは、その先にある無料化)は確かに利用者にとってはありがたいことで、私も恩恵に与ったこともある。そんな中でフェリー側が同じ土俵で真っ向から挑んでも勝ち目がないのであって、ならばフェリーの魅力(関西からだとトータルの時間はさほど変わらない、船内でゆったりできる、瀬戸内の島々をゆっくりと眺めることができる・・・など)をもっとアピールするしかないだろう。

Dscn6615桟敷をベースキャンプにするが、景色のいいところでは強風の中デッキに出て、島並みを眺める。屋島に始まり、「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地として有名になった庵治の海岸を眺め、小豆島なども見ることができる。こういう海上交通も滅多に味わえないものだ。どうも高速道路からの車窓というのはあまり期待できず・・・。

Dscn6622ちょうど昼時とあって、船内でうどんを味わう。うどんの味自体が絶品というわけではないが、こういうシチュエーションで味わえるというのはなかなかよろしいものだ。

Dscn6617後は寝転がって音楽を聴きながらお屠蘇を味わいながら書物を読んだり、あるいはそのまま眠ってしまったり、三宮までの4時間というのは結構長く感じる。中には完全に休養と決め込んで爆睡の人や、カップルが添い寝していたり、一方では子どもがドタバタはしゃいでも寛容に見えてしまったり・・・・クルマでのドライブや、ましてや青春18利用の鉄道の車内では見られない光景である。そういえば、私もかつて「時刻表検定試験」を高松で受検した折、帰りはこのフェリーに乗船し、同行の大和人さんとともに時刻表を広げて「反省会」をやった記憶がある。

Dscn6631乗船から3時間あまり、その時は眠っていたのだが目が覚め、左岸を見ると町並みが広がっている。ひょっとしたらと思いデッキに出ると、ちょうど明石海峡大橋が近づいていた。澄んだ青空にスッと伸びる橋脚は鮮やかに見える。

Dscn6633これを下からくぐり、橋の全容を体感できるのも船旅の面白さといえる。この航路一番の見所とあって、何人かの客が外に出て記念撮影を行っていた。

Dscn6651そろそろ神戸が近い。先日訪れた和田岬球技場、もといホームズスタジアムを初め、ハーバーランドやポートタワーなどが見えてくる。なかなかに充実の航海であった。三宮に上陸し、連絡バスで三宮駅に到着。ここから電車に乗れば大阪もすぐ近くである・・・。

いろんな乗り物と風景に出会えた今回の四国旅行。次はまた、春から始まる四国・九州アイランドリーグの試合も観戦したい(三重と大阪で構成されるJFBLも公式戦の一環として四国・九州で交流戦をやるらしいし)こともあり、また訪れることもあるだろう。鉄道、バス、フェリー、クルマ、自転車(しまなみ海道)など、いろんな交通機関でのアクセスが可能な四国への旅。乗り物のバリエーションをつけるだけでも中身の濃いものになる。今年は坂本龍馬も注目のようだから、ぜひ多くの観光客が四国を訪れてほしいものである・・・・。(終わり)

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高松駅前での年越し~年越し四国紀行・5

2010年01月05日 | 旅行記G・四国

2009年最後の夜は高松で過ごすことになった。そろそろ日が西に傾き、夜の顔を見せだした高松駅に敬意を表する。

Dscn6531宿泊するのは駅前広場に面した・・・というよりは、元々宇高連絡船が就航していた時には高松駅そのものだったところに建つ全日空ホテル。年越しということで結構奮発することになったが、こういうことも滅多にないことなのでよしとしよう。

高松港から海が見える側の部屋もあるのだが、ネット予約で多少割り引かれているせいか、はたまたシングルがそういう配置なのか、私の割り当てられたのは駅のほうを向いている。それでも10階からということもあり、いい眺めを楽しませていただく。

さて夕食をということだが、少し歩いたところの兵庫町あたりからアーケード街に出てみるが、大晦日のこととて閉めている店が多い。うーん、やはりこういう日に出てくるのがあまりよろしくなかったかな・・・。

Dscn6537結局は「年越しそば」も兼ねて、兵庫町にある「はなまるうどん」に入る。讃岐うどんとはいっても昨今ブームの製麺所タイプの店の対極にあるチェーン店だ(東京にも大阪にもある)。こういうことをしていると、高松出身でうどんフリークでもあるロッテファンのI氏にどやしつけられそうだが、ここは旅行者ということでご容赦をいただきたい・・・。

その後コンビニで金陵やつまみなどを仕入れ、ここはまあ大晦日らしくホテルの部屋でテレビなど見て過ごすのがよろしいようで・・・・。

さてこの全日空ホテル、年越しプランということでイベントを用意してくれていた。ここに泊まろうと決めたのも、こういうことがあったからかもしれない。

早いもので時計は23時半を回る。宿泊は10階だが、ここで20階まで上がる。そこにはバーが設けられている。実はここで年越しのカウントダウンを行おうというのである。

Dscn6543バーそのものは夜の間開けられており、ここで食事を取っている人も含め、結構な人数が集まっていた。見下ろせばそこは高松港の旅客ターミナル。宇高国道フェリーをはじめとしたフェリー乗り場があり、夜でも出航する船の姿が見られる。ギンギラギンではないがちょっとした夜景も広がっている。

Dscn6545年越しにやってきた客にはスパークリングワインのサービスがある。これをチビチビとやりながらその時を待つ。グラスがなくなりかけたら係の人が自動的にお代わりを注ぎに来るのもよい。ステージではジャズピアノとバイオリンの生演奏に合わせて低音の女性ボーカリストが渋い歌声を響かせてくれる。こういうのも含めて今夜限り宿泊料の中に入っているのだ。普段だったら私の旅で絶対こういうことはありません・・・・。

気がつけば日付変更線が近い。「新しい年を皆さんの乾杯で迎えたいと思います」というボーカリストの発声とともに、カウントダウンが始まる。

Dscn6552そして、時計は0時ちょうど。2010年、新たな年の始まりである・・・・。あちこちで乾杯の歓声と拍手が起こる。

年が改まり、ホテルの支配人からの挨拶。何でもこの夜は300人からの宿泊があるとかで、ここ最近の年越しのスタイルを表しているかのようである。私もこんな感じで旅先で新年を迎えたのは久しぶりのことだ。

この後は新たな年を歌で祝おうということで、あらかじめ配られていた歌詞カードを元に、ボーカリストのリードでここに集まった人たちでコーラス。「上を向いて歩こう」「あの素晴らしい愛をもう一度」「世界に一つだけの花」などである。ちょうど外には、日付が変わって最初の便となるフェリーが宇野に向けて出航して行ったのが見えた・・・。

さてほろ酔い気分となった年越しの宴もそろそろお開きとなり、私も客室に戻って就寝。翌朝は日の出を見ないとな・・・。

6時半。今度は21階(最上階)のラウンジに姿を現す。ちょうど東側を向く構造で、窓に沿ってイスが並べられており、座りながら初日の出を見ようという趣向である。これに集まったのは総勢20人ほど。ただ外はかなり寒いようで、窓ガラスの曇り具合が激しい。係の人が何度も水滴を拭うのだが、一瞬外が見えてもまたすぐに曇る。そしてまた係の人が窓を拭いて・・・という繰り返し。

ふと思うのだが、全日空ホテルのすぐ横にはもっと高さのある高松シンボルタワーというのがある。ただ元旦にも関わらず建物全体が閉まっており、このタワーの屋上から初日の出を見ることができない。こういうところを時間限定でも開放すれば地元の名所として絶対人気が出ると思うのだが、どうだろうか。

さて外は少しずつ赤みを帯びてきた。ただ山のほうから厚い雲がどんよりと広がっており、太陽が見られるか心配である。予定では7時過ぎには日の出になるが、なかなか見られない。中には「もう出たけど、雲に隠れて見えなかったな」と早々と引き上げる人も。

Dscn6568私も一瞬あきらめかけたが、よく見ると雲の上のほうも切れて青空が見えているのである。そこから太陽が顔を出すかなと重い、もうしばらく待つことにする。そして7時20分頃になったようやく雲の上から太陽が顔をのぞかせた。これにはホテルのスタッフの皆さんも安堵の表情である。

世間はまだまだ五里霧中の中にあると言えるが、こういう感じで遅ればせながらでも一本の光が差し込むような、そんな世の中になってほしいなと、新たな年の初めに思うのであった・・・。(もう少し続く)

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坪尻駅とこんぴら詣で~年越し四国紀行・4

2010年01月04日 | 旅行記G・四国

阿波池田から乗車した多度津行き。ロングシートがほぼ埋まる程度の乗客で出発する。徳島線との合流駅である佃を過ぎると左にカーブをとり、吉野川を渡って高度を上げていく。

Dscn6484やってきたのは徳島県の北端にあたる坪尻駅。スイッチバック駅に進入する。行き違いで4分ほど停車するというので、外に出てみる。ここで駅舎の撮影と駅ノートの書き込みと、結構忙しい。

Dscn6487Dscn6491この坪尻駅、最近の秘境駅ブームも手伝って注目度が高まっているそうだ。秘境駅の定義は人それぞれあると思うのだが(例えば、人家はそれなりにあってもスーパーやらコンビニなどがなければ何もない=秘境だという人もいるだろう)、この坪尻は周りには山しかなく、駅へのアクセスも山道のみでクルマは近づけない。文字通り秘境駅というところだ。ただ一方で、駅を名乗っていていいのか?という疑問もあるのだが・・・。

ここで長いトンネルを抜けて香川県に入る。この日は朝から雨、雪、時折晴れ間とめまぐるしく変わる天候だったが、香川県に入って青空が広がった。寒いことには変わりないが何だかほっとしたものを感じる。

Dscn6495琴平に到着。ここで下車してこんぴら詣でをしよう。初詣ではなく大晦日に参拝ということになるが、それもまたよし。こんぷら様、もといこんぴら様のご利益には変わりないだろう。この日も大勢の参拝客で参道が賑わっていたが、これが正月になるともっとすごい人出になるのだろう。

Dscn6504ということで、785段の石段に挑む。挑むのも結構久しぶりのような気がする。旅に出るとどうしても食べる量が増えるから、意識して歩きを入れないとな・・・。

Dscn6510思ったよりも体が動き、軽い感じで石段を上る。ただ最後は結構足に来たなあ・・・というところで本堂にたどり着く。まずは息を整え、今年一年の締めくくりのお祈りをする。そしておめでたい金色のお守りを購入。来る年が幸運に恵まれますように。

Dscn6512風が強い分空気が澄んでおり、本堂からの景色はなかなかくっきりして見えた。瀬戸大橋の姿もばっちりと見ることができた。「明石海峡はさすがに見えないな」という冗談も聞こえてくる。そりゃ、どうやっても見えないわな(本人は結構真面目に言っていたりして)。

Dscn6502参拝を終えて参道へ。正月の準備に追われる店も結構目立つ。その中に金陵の蔵元があったのでのぞいてみる。よし、正月のお屠蘇用に一本買い求めるか。

Dscn6523今夜の宿泊地は高松だが、ここで青春18きっぷは置いておき、変化球の意味で高松琴平電鉄、通称ことでんに乗車する。この車両もおめでたいことにこんぴらさんの金色の塗装を施している。1時間ガタゴト揺られて高松築港に到着。

こうして大晦日の夜を迎えるのだが、それはそうと結構寒くなりそうだ・・・・。(続く)

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うだつが上がらんで大ボケかましてますわ・・・年越し四国紀行・3

2010年01月03日 | 旅行記G・四国

新年も早いものでもう365分の3を経過しようとしています・・・。

3日は箱根駅伝で東洋大学の連覇をテレビで見届けた後、チャンネルをNHK教育にスイッチ。東京ドームで行われた関西大学カイザーズ対鹿島ディアーズによるライスボウルを観戦。

関西大OBとして手に汗を握る接戦。甲子園ボウルで見せつけたRB藤森や、QBなのに「投げれるRB」という異名のついた原口らのプレーに期待したのだが、案の定マークがきつく力を発揮できず。その中で、インターセプトからのTDを奪って先制点を挙げるなど、ディフェンス陣の頑張りが目立った試合だった。第3Qを終えて関大が16対10とリードしていたのだが、最後に社会人の経験がモノを言ってFG2本で同点。最後は「ラスト4秒」の実質最終プレーでFGを決められて19対16で敗戦。

「最後の最後でFGを阻止しようと、攻めの姿勢を見せる関大ディフェンス陣です」というアナウンサーの言葉にグッと来たし、社会人相手に真っ向勝負を挑んでこういう試合を繰り広げてくれ、最後まであきらめないプレーを見せてくれたカイザーズの皆さんに、石を投げても当たらないような一OBだけど賞賛の拍手を送りたい。ライスボウルの長い歴史の中でもなかなかこういう試合というのはなかったことらしいし。

・・・さて、年越し四国紀行の続き。

大晦日の未明、徳島の駅前は雨だった。年末にかけて寒波が来ているとかで、「太平洋側」の徳島でも雨ということだ。この日の行程はコンディションの悪い中かな。

Dscn6394徳島発6時11分の阿波池田行きで出発。「よしの川ブルーライン」という愛称のある徳島線だが、冬の夜明けは遅く、暗闇の中を淡々と進む。おそらく前の晩から飲み明かしたと思われるグループ客はいるが、それを除けば乗客もほとんどない。

Dscn6396縁起ものの入場券で人気の「学」駅に来たのが7時前。このあたりでそろそろ外が明るくなってきた。少しずつ明るくなる空の下、「四国三郎」の吉野川の流れが見えてくる。治水工事が行き届いたせいか、土手の内側にはほとんど水流がなく、砂利が姿を現している。

さてこのような早い時間の列車に乗ったのは、徳島線のどこかで途中下車しようというもの。沿線の観光名所といえば「うだつの町並み」ということになる。中でも有名なのは脇町のそれという。脇町には以前訪れたことがあり、特別な保存地区の中で道の両側に並ぶ「うだつ」をいろいろと見てうなったものだ。ただその時はレンタカーで訪問しており、徳島線からだと穴吹が最寄駅だが、駅からちょっと距離がある。

Dscn6399その中で私はどうしたか。結局穴吹では下車せずにそのまま乗車し、2つ先の貞光で下車。駅のホームには剣山への玄関駅であることが示されている。駅としては無人駅だが、駅舎の中に売店が入っており、いわば駅の業務を委託しているようなもの。コインロッカーもあり、家出同然の量の私のバッグも預けることができた。

さて貞光で下車したのは別に剣山に行くわけではなく、「二重うだつの町並み」というのに引かれたため。脇町は上記の事情で訪れたことがあるため、それだったら「二重とはいかなるものか」ということで行ってみようというものだ。駅から程近いということもある。

Dscn6400それはそうとやけに寒く、徳島駅前では雨だったのがこちらでは雪になっている。駅前から歩くと、古びてはいるが鮮やかな建物に出会う。これが「貞光劇場」である。その昔といっても大正から昭和にかけてか、ちょっとした町には必ずあったという映画館。この「貞光劇場」もその当時には地元の人たちの娯楽スポットとして賑わったことだろう。当時のムードを今に伝える数少ない建物である。

Dscn6401この劇場は現役の映画館として使われているようだ。ただ、近くによって見るとこんな感じの看板が・・・・。思わずこの後の旅程を全て変更して貞光に滞在しようかと・・・・。

いわゆる「Vシネマ」というやつですな。いいなあ(←どういう意味で??)。こういうのが上映されているということ自体が、場末のローカルな雰囲気を余計に醸し出しているように思うのだが、どうだろうか。

Dscn6404さて、貞光の「二重うだつ」というのは、脇町のように特別に保存された町並みというのではなく、現役の地元商店街の店の間に混じっている古い建物である。観光色はないが、ありのままの姿を見せてくれるというか。

Dscn6407二重うだつの特徴として、通りに面したほうにさまざまな意匠を凝らした彫り物が見られるというのがある。なかなかに縁起物をあつらっており、往年の勢いというのを今に伝えてくれるような感じだ。

Dscn6406ただそんな町並みも片道10分ほどで終わりになる。次の列車まで時間があるので吉野川の堤防まで行ってみたり、国道沿いのコンビニで時間をつぶしたりした後に次の阿波池田行きの列車となる。

Dscn6419阿波池田に到着。雪も強くなり、真冬の盆地の小駅の風情を漂わせる。ここからは少し南へ、大歩危に行くことにする。やってきたのはアンパンマンの塗装をした特急。この辺りは鈍行の本数が少ないため、全体的にスムーズな旅程のために特急も利用することになる。

Dscn6420そしてやってきた大歩危。こうやって駅に下車するのは初めてである。こういう山間の小駅というのもローカルムードを盛り上げる。ここでは2時間あまりの時間を作っているのだが、駅前でボンヤリしても仕方ないので、雪の舞う中を歩いて今来た方向を歩いて逆に戻る。

Dscn646020分でやってきたのはドライブインのような建物。実はここで大歩危の川下り遊覧船を運航しているという。係の人に聞くと、大晦日、しかも朝から雪が舞うという天候ではあるが運航しているとのこと。ただし不定期とかで時間を訊ねると、11時30分発という。おそらく、運航は30分間隔で設定しており、客があると運航しようというものだろうか。

ドライブインがあるところから船着場までは結構階段を下りる。それだけ切り通しのキツイところなのだろう。11時30分発の便には私のほかには家族連れが二組乗ったが、よくそれだけ需要があったものだなと思う。

Dscn6459というわけで、こんな感じで大歩危の渓谷を船で回る。鉄道や国道から川を見下ろすと、いわゆる急流というところでもゆったりと流れているように見えるのだが、こうやって川面に身を置くとムチャクチャ速く感じる。

Dscn6454ましてやこの冬の天候である・・・たまたま私の乗った時間がそうだったのか、風、雪ともに強くなり、乗り場に置いていた傘をさしたとしても上半身は結構ビショビショになる。ムチャクチャ寒い。

Dscn6441行程20分(普段なら30分のところ、悪天候で短縮したみたい)の間、他の乗船客とともに寒さに震えながらの行程。雪見船なんてそんな優雅なもんとちゃいまっせ・・・・。

Dscn6480渓谷で身体を冷やした後で上の売店兼食堂で昼食をとり、大歩危の駅まで歩いて戻る。やってきたのは12時50分発の阿波池田行き。ロングシートが並ぶ気動車だが、運転台の横に立って前方を眺める。ちょうど四国の山間ということで雪が積もるところが多く、吉野川が切り開いた渓谷よりも高いところに住む人たちはこの先どうなるのかなと、いらんことを心配してしまう。

阿波池田に到着。ここで次の多度津行きの鈍行列車(実質は同じ車両が使われます・・・)で徳島県から香川県に移動する。その様子はこの次ということで・・・・。(続く)

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日和佐と徳島~年越し四国紀行・2

2010年01月02日 | 旅行記G・四国

12月30日、牟岐線~阿佐海岸鉄道の旅も折り返しとなり、日和佐で下車。以前この町にあるユースホステルに泊まったのが11年前のことである。

ただ今回下車して、駅の様子も随分と変わった。駅舎そのものは東側を向いているのだが、ちょうど裏手に当たる西側、国道55号線に面した側には大きな道の駅ができていた。ホームからそちらに続く出口も設けられ、観光客的にはそちらが表玄関であるかのように見える。雰囲気も明るくなったように見られた。

Dscn6360さてここでは、駅から歩いてすぐのところにある薬王寺に向かう。四国八十八ヶ所の第23番の古刹で、古くから厄除け祈願で賑わうところ。1月1~3日には高松からの臨時特急も運転されるとかで、人気のスポットである。こういうところに正月ではなく、年も押し迫り初詣の準備に追われている時にお参りするのもいいものだ。

Dscn6368ここの名物は厄坂と呼ばれる石段。女厄坂が33段、男厄坂が42段、男女厄坂が61段あり、1段1段に「厄を落とす」という願いを込めて1円玉を置いて登るならわしがある。さて、ここで財布の1円玉の出番だ・・・・といってもさすがに何十枚とあるわけではなく(それでも15枚くらいあった。普段どんな会計の仕方をしているのやら)、要所要所で賽銭のように落としながら登っていく。ただ後で考えるに、お願いをするのだから落とすのではなく丁寧に置いてくるべきだったかなとも思うのだが、正しくはどっちなんだろう・・・・。

Dscn6364本堂の上にある瑜祇塔に登る。ここからは日和佐の町を一望することができる。西側の薬王寺に対峙して、東側に日和佐城の天守閣を見る。その向こうには太平洋。なかなか穏やかな風景である。

Dscn6363ここで塔の裏の山手で何やらガサガサいう音がする。それも一回ではなく何回も。そのうち何やら鳴き声がしたのでよく目をこらしてみると、私の存在に気づいたのか、茶色い何かが数体、山の上のほうに移動する。ちらっと見えたのがどうもニホンザルの群れのような気がする。へ~、こんなところでサルの群れを見るとは思わなかった。これも自然豊かな証なのか、それとも、人家にほど近いところまで下りてきていることの証なのか。

Dscn6369薬王寺を後にして、日和佐の中心部へ。平成の大合併により、日和佐町と由岐町が合併して美波町ということになる。その美波町が、前の記事にも書いた「ウェルかめ」の舞台だとかで、町の商店街では幟やらポスターやらを掲示してPRと歓迎ムードである。ちなみに、11年前に宿泊したユースホステルと思われる建物を見つけたが、お遍路の宿としては開いているようだがユースの看板は下ろしているようだった。

Dscn6370Dscn6371薬王寺から歩いて20分ほどで出てきたのが大浜海岸である。ここはウミガメが産卵に訪れる砂浜で、もとより日和佐の観光といえばこのウミガメである。産卵の時期は夏場のためにこの日は何もなかったが、澄んだ青空に包まれた穏やかな海岸の風景には癒される。しばらく、波の音を聞いて過ごす。

Dscn6381日和佐城を見上げながら駅に戻る。JRの駅は無人だが、反対側の道の駅は賑わっている。そこには何と足湯まである。朝早くから移動してきたことだし、砂浜も歩いたのでここでしばし疲れを癒す。常に湯を入れ替えているので温かさが保たれており、気持ちよい足浴となる。滞在1時間半ほどであったが、なかなか充実した途中下車だった。

日和佐からはキハ47の2両編成にのんびりと揺られて徳島に戻る。駅前のホテルサンルートにチェックイン。駅前という立地条件、広々とした部屋、最上階には展望風呂を備え、おまけに全室パソコン完備(テレビがモニター兼用)という充実した施設。

さて夕食をということだが、繁華街に出るには少し移動が必要である。でもまあ、駅の周辺にもそこそこ店がありそうだし・・・ということでぶらつくうち、ちょうどサンルートの裏手にあるところで「味祭」という居酒屋を見つける。徳島の「地産地消」というのに引かれたこともある。

Dscn6388で、その「地産地消」メニューということで注文した一つが、阿波尾鶏。これを焼き鳥でいただいたが、適度にやわらかい感じがして結構な味。

Dscn6389このほかには「鳴門金時の天ぷら」に「鳴門ワカメの天ぷら」。また刺身は地物あり、そこに徳島産のすだちを合わせていただく。店の方も愛想良く接してくれてなかなかいい感じだ。

Dscn6391これに相手するのは、「すだち酒」。アルコールの低いリキュールであるが、これもさっぱりと飲みやすく、ともすればなんぼでも行ってしまいそうな味(この後、帰りにコンビニでも売っていたので買い求めた)。また徳島に来た折には、これらの地物の食材を楽しみたいと思わせる。

Dscn6393最後には徳島ラーメンの「麺王」で仕上げとしてホテルに戻る。大浴場で疲れを本格的に落とした後で、このブログの12月30日付の書き込みとなる・・・・。(続く)

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牟岐線の旅~年越し四国紀行・1

2010年01月02日 | 旅行記G・四国

2009年からの年越し。昨年までであれば、東京から大阪の実家に帰ることが旅行と言えるところだったが、今度は年明けには戻るとはいってもそれまでの間、関西から逆に出かけるということになる。ということで、比較的近くへ行くことになる。

今回目的地に選んだのは四国・徳島。四国には何度となく訪れているが、徳島県というのが関西にもっとも近くにありながらそれほど「なじみ感」がないということで。その中で牟岐線は初乗車の時に途中の日和佐にあるユースホステルに宿泊したり、室戸岬への抜け道として乗ったこともあるのだが、「南の海を目指そう」ということで久しぶりに訪れてみることにする。そして、四国4県の各県庁所在地にあって徳島市だけが「宿泊未体験」ということで、牟岐線乗車の後は徳島での宿泊ということにする。

Dscn6321_3大阪からの出発は列車ではなく、大阪駅6時40分発の徳島行きの高速バスを選択。徳島駅には9時17分の到着予定だ。帰省ラッシュの時期ということで途中の混雑が心配されたが、阪神高速の湾岸線を経由し、神戸線乗り継ぎもスンナリと行った。

Dscn6326その後、明石海峡大橋から淡路島を経て、鳴門で四国上陸。前日帰宅したのが深夜1時(前日というより当日になっている)、起床が4時ということでほとんど眠っていないこともあり、結局このバスの時間は音楽を聴きながら眠っていることが多かった。まあ、これが高速バスの時間の過ごし方ということで割り切ることにする。

道路が空いていたためか、定刻より10分ほど早く徳島駅に到着。夕方にここに戻る予定なので、大きな荷物をコインロッカーに預けた後、次の牟岐線の列車の時刻を確認する。事前に確認したところでは、10時45分発の海部行きまで時間が空くようだったが・・・。

Dscn6329と、改札口の案内板を見ると、9時19分発の牟岐行きと表示されている。これは当初、バスの到着が9時17分ということで「間に合わない」としていた列車だ。それがバスの早着で間に合うようだ。これはいいほうの予定変更ということで、ホームに急ぐ(写真の駅名横の絵柄は、プロ野球四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスのキャラクター)。

Dscn6328乗車したのはキハ40の単行(ただし、改造によりトイレなし車両)。帰省客らしい人も乗せ、昔ながらのエンジン音をバリバリ言わせながら出発する。47の都道府県にあって「電車」が走らない唯一の県、徳島県の鉄道旅行の始まりである。

牟岐線といえば「阿波室戸シーサイドライン」という愛称がつけられているが、「シーサイド」は随分先のほうでちょろっとだけというのは折り込み済み。徳島の南部の町を結ぶ路線ということで解釈しておこうと思う。私個人的にはこの路線の車窓はシーサイドというよりは、小松島や阿南あたりで見られる「長いアンテナ」。乗るたびにこのアンテナが伸びる風景に独特のものを感じるのだが、やはりこれは関西のテレビを受信するためのもの。徳島の民放といえば「四国放送」というのが1局あるだけだが、このように関西のテレビを受信する家庭が多いため、「チャンネル格差」はそれほどでもないということである。ただ、こういうアンテナの場合、「地デジ」対策のほうは大丈夫なんだろうか・・・?

Dscn6345さて徳島といえばNHKの朝のドラマ「ウェルかめ」、ということになるようだ。ドラマ自体観ていないのであらすじはわからないのだが、ドラマの舞台が徳島ということでJRも観光とのタイアップに力を入れている。ヒロインの倉科カナが車内広告や駅掲示のポスターに登場し、番組と徳島観光のPRを行っている。そういえば「坂の上の雲」も松山が舞台であり、こちらの車内広告も見かける。2009年はJRとNHKと地元自治体のタイアップが目立つ。そういえば2010年の大河ドラマは坂本龍馬だから、今度はこれに高知が加わるということで・・・。

Dscn6383由岐を過ぎた田井ノ浜でチラリと海岸線を見て、ようやく南国に来たことを実感する。

Dscn633611時34分、この列車の終点、牟岐に到着。ここでも「ウェルかめ」である。次に乗り継ぐ海部行きまで時間があるので、昼食を仕入れることにする。駅前に地元スーパーがあったのでのぞいてみる。海沿いの町ということでやはり魚かな・・・と思い、中の鮮魚店を除く。するとありました、寿司に惣菜。

Dscn6340その中でアジ、太刀魚の押し寿司を買い求める。店頭にあった新聞の切り抜きでは、ここ牟岐の郷土料理としての押し寿司には、ごはんの間に山菜などをはさんだものがあるという。残念ながら買ったのは普通の押し寿司だったが、身が分厚く各パックとも262円という安さだった。

Dscn6341この他にウツボ(牟岐産)のタタキのパックがあったので合わせて購入。最近の高知の郷土料理として広まりつつあるウツボのタタキ、スーパーで普通に手に入るとはそれだけ浸透しているということだろうか。こりこりした食感がたまらない。

Dscn6339これらを抱えて乗り込んだ12時06分発の海部行きは、特急「むろと」号の合間運用。おまけに乗客は4~5人とあって、座席を広々と使ってこれらをいただく。段々、鉄道旅行らしくなってきたぞ。ただ、海部までの所要時間は17分。若干慌てながらの食事となる。

Dscn6347駅の手前に「何でこんなんがあるの?」という超短いトンネルを抜け、高架の海部駅に到着。ここでJRは終わり、阿佐海岸鉄道の甲浦行きが待っている。

Dscn6349一瞬、乗ろうかどうしようか迷ったが、当初のざっくりとした予定より早いペースで来ているので往復しよう。

Dscn6352阿佐海岸鉄道とはいうものの、駅は次の宍喰と終点の甲浦のみ。高架橋を飛ばし、途中で海岸風景も見せてくれるが、終着駅はいかにも「ここで工事が中断しています」という感じで、中途半端なところで高架橋が終わっているところ。

Dscn6353全国にいろんな終着駅があるが、こういう殺風景なのもまたひとつの鉄道風景である。この先線路が延びる気配はなく、このまま「JRの延長線」として細々とやっていくのだろう。

Dscn6355折り返しの列車まで20分ある。この時間を利用してせめて海でも見よう。最寄の海岸線までは600mという案内があり、日ごろのウォーキングのペースなら何とか行って帰れる距離かな。ということでスタスタと歩き、海岸線にたどり着く。

Dscn6357写真を撮って滞在時間2分で再び早足で駅に戻る。駅のトイレで用足しをするだけの時間はあったが、車内に入るとさすがに身体がカァーっとしてきて、少しだけの間、窓を開けて身体を冷ます。寒い時期なのに何をやっているんだろう・・・・同じ列車での折り返し組からはそういう目で見られていたような。

Dscn6359この後は景色の巻き戻しで、海部、牟岐で列車を乗り継ぎ、13時58分、日和佐到着。ここで途中下車することにする。やはり、沿線一の観光地ということで・・・・。

後日実家に戻ったとき、実家で保管している古い旅行記を書いたノートをめくって気づいたのだが、以前日和佐に宿泊したのが11年前の年末。そんなにも日が経ったのかと思う・・・・(続く)。

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謹賀新年

2010年01月01日 | 旅行記G・四国

新年明けましておめでとうございます。

2010年・・・・「ミレニアム」から10年、月日の経つのは早いもので新たな「10年代」の始まりですね。

さまざまなことがあった2009年を受けての新たな年ですが、公私ともに「実りのある一年」にしたいと思います。

Dscn6570写真は高松駅前のホテルからのものです。讃岐の山々の向こう、雲がかかっていましたが、何とか初日を拝むことができました。

世間の情勢はまだまだ五里霧中のところがありますが、この太陽のように、どこか隙間からでも一点の光が差し込むような、希望の持てる社会でありますように。

私の旅も、これから続きます・・・・。

本年も、拙ブログへの応援のほど、よろしくお願いします。

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